星のきれいな場所

 

星のきれいな場所というフレーズを

ネットで偶然にみてしまった。

何かの記事か、広告のコピーなのかは忘れたが、

ただ通り過ぎるには惜しいと思った。

簡単そうで、わりと思いつかない。

良いフレーズなのだ。

 

星のきれいな場所は、

想像だけど、小高い丘のうえだったり誰もいない海岸だったりする。

もちろん街からはだいぶ離れている。

 

クルマで行くところ。

が、山奥ではないし無人島の浜でもない。

そこまでストイックに想像を絞るほどではないような気がする。

 

星のきれいな場所は、

誰もがプラッと出かけられる距離にあったりするので、

日常にちょっと疲れたとき、気分が沈んでいる、

メンドーな仕事が片付いて…

そんな疲労感を一掃してくれるのが、

星のきれいな場所だったりする。

 

このあたりでたとえると、そう、

湘南平とか大磯の海岸とか?

 

星のきれいな場所は、日本各地にいくつもあって、

そのどこもが何故か、

救われるとか心のよりどころだったりする。

今夜もそんな星のきれいな場所に出かける人が、

ぽつぽつと現れるから、

やはりそこには、特別な何かが宿っているのかも知れない。

 

 

オススメ映画「ブランカとギター弾き」

 

無料、ただで映画を観るのは、要するに時間の無駄だった。

 

某テレビの午後のロードショーを録画して観ていたが、

いい映画がホントに少ない。

週に一本あるかないか。

その程度の確率だから、映画が終わってうなだれてしまう日が続いた。

寝る時間が遅くなるだけで何にもいいことがない。

 

ひとつ分かったことがある。

ハリウッド映画といっても、実は数打てば当たる、

というつくり方をしている。

ヒット作の下には無数の駄作がうごめいている。

それを流す午後ロードは、予算の問題なんだろう。

地上波初登場なんて宣伝されている映画は、

通常では流せないというレベルのものだ。

 

あと、気づいたこと。

どれもスパイもの、陰謀もの、殴り合う、銃を撃ちまくる…

そんなものばかりなのだ。

それがスカッとするかというとそんなことはない。

心がすさんでしまうのであった。

おかげで夢にまで悪党が出てきて、こちらの眠りを脅かすありさま。

 

ではということで、アマゾンプライムでアドベンチャーという

キーワードで検索すると出てくる出てくる。

映画ってホントに無数にあるんですね。

で、ずっとスクロールをしていると、

アドベンチャーとはほど遠い映画に出くわした。

偶然の出会い。

 

 

非ハリウッド映画で、フィリピン、日本、イタリアの合作映画が、

表題の映画だったのである。

 

映画の舞台はマニラのスモーキーマウンテンだと思う。

かなりひどい貧民街である。

ちなみにスモーキーマウンテンの名は、

街に溢れているゴミが自然発火して、

いつも煙に包まれているかららしい。

 

ここで暮らす?ブランカは、8~9歳くらいの女の子。

親がいない。ストリートチルドレン。

盗みとかいろいろ悪いこともやっている。

夜は公園とかで寝ている。

 

 

街を歩く親子を、彼女はいつもじっとみつめている。

 

或る日、公園で目の見えないギター弾きの老人と知り合いになる。

ピーターというその老人はブランカにちょっと歌ってみないかと誘う。

ブランカが恥ずかしそうにして歌い始めると、

まわりの人たちが徐々に彼女に注目し始める。

 

ブランカの歌がなかなかいいのだ。

 

シンプルなギターとメロディ、素朴で透き通る歌声。

それをたまたま聴いていたクラブの経営者に、

ウチで歌わないかとスカウトされる。

ピーター老人とブランカは、ひさしぶりにシャワーを浴び、

初めてベッドでぐっすりと眠ることができた。

 

 

まあ、これから観る方のためにストーリーははしょるけれど、

或るシーンで、彼女がニワトリを掴んで、

走るトラックから飛べ飛べとはしゃぐシーンがある。

 

鳥なのになぜ飛ばないのかと彼女は疑問に思う。

乗り合わせた大人がこう言う。

飛ばなくても良くなったから。

それは人間に飼い慣らされたからという皮肉でもあると私は理解した。

 

登場人物は、役者というより素人に近い。

映る街並みはどこもゴミだらけでひどいありさまだ。

 

僕は、生まれ育ったずっとずっとムカシ、

昭和30年代の横浜の外れの、

灰色の空の下に広がる雑然とした町を、

不意に思いだしていた。

 

 

ブランカとピーター老人のストーリーはこの先も全然甘くない。

下手をすれば死と隣り合わせの毎日。

が、悲劇のようでもない。

ハッピーエンドでもないのだ。

けれど、このふたりの必死に生きてゆく姿をみて、

僕は忘れていた何かを思い起こしていた。

 

考えてみればこの街の誰もが悪い奴のようでもあり、

実は誰も悪くはないようにも思えてくる。

ピーター老人の奏でるギターの音と、

ブランカの透き通る声が、

公園に吹く風に乗って街を過ぎるとき、

人の原点は実はシンプルなんだと知らされる。

もしそこに、信頼とか愛とかがあれば、

(実はここが肝心なのだが)

それに勝るものはなにもないのではないか。

それは実に当たり前のことなのだが…

 

ひとの気持ちというものはときどき洗濯をしないと

どんどんと汚れていくものなのだ。

そうした忘れかけていた大切なひとつひとつを、

押しつけがましくもなく、

凝ったりひねったりのストーリーがある訳でもなく、

さりとて過剰な演出などとは無縁なのに、

こちらにしっかりと伝わる映画なのだ。

 

こういう映画にいまハリウッドは勝てない。

むしろ日本映画のほうがいい。

 

「ブランカとギター弾き」はその先を行く。

 

 

↑は以前投稿した記事を編集して、再掲載したものです。

 

正月は茅ヶ崎の海へ

 

 

茅ヶ崎の海をみるのは久しぶりだ。

自宅から小1時間なのに。

 

 

僕は山沿いに住んでいるので

窓を開けると、まず山を眺めて、

天気だとかの見当をつける。

海沿いに住んでいる人は、空はもちろん波の具合とかで、

その日の見当をつけるのだろう。

 

 

 

正月の4日は快晴で、海も山も風は強いけれど、

陽はさんさんと照っていて、雪化粧の富士山もみえた。

早朝の気温は1度だが徐々に上昇。

が、二桁までは伸びず、

風と相まって海岸沿いはかなり寒い。

 

この海岸から烏帽子岩がよく見える。

茅ヶ崎漁港付近をうろついていると、

地元の方たちが仕事に精を出している。

それが釣り船だったり漁だったり、

年初から忙しそうだ。

 

 

 

近くの店でサンドイッチとコーヒーをいただき、

クルマを辻堂へと走らせる。

休日とあって、なかなかしゃれたクルマが突っ走っている。

ときおり、バリバリバリと騒音をまき散らした

バイクの一団が爆走していたりする。

 

辻堂海浜公園は、サーファーがクルマを停め、

この寒いなか、海へ出ている。

「このクソ寒いのに…」

若いひとはすごいなぁって感心してしまう。

 

 

ここからあとひと息で江ノ島なのだが、

あそこはむかしと違い、

いまでは一大観光スポットなので、

近寄らないことにする。

 

 

で、この日の海を巡るドライブは終了。

帰路も行きと同様、

寒川神社付近で大渋滞に巻き込まれる。

この道を避けるのを忘れていた。

 

やはり年をとったなぁって、

新年早々ぼやいてしまう。

 

 

 

ゆれ動く死生観

 

さんざん働いてきたので、

最近では残りの人生を意識し、

時間を爪に火を灯すのごとく

無駄なく有効に使いたいとか、

そんなことを意識しているのではないかと

思えてくる。

 

自分の深層心理は不明なのだけれど、

なにかを急いでいるふしがある。

 

自分は不可解だ。

 

たとえば、夜更けの僅かな時間に、

往年の女優、グレタ・ガルボを観る。

ハービーマンのフルートを聴く。

 

他人からみればくだらない事柄でも、

こっちは譲れないなにかに突き動かされている。

 

昼間は、仕事の合間をみて、

河原へ焚き火にでかける。

写真を撮りにあちこち歩き回わる。

 

夜はジャズを聴きに横浜へ。

 

はちまた書家の先生に教えを請うため、

たびたび目黒へでかけたり。

 

が、こう書くと、

人生は暇つぶしなのか?

とも思えてくる。

 

真剣な暇つぶし。

 

この一連の暇つぶしは、

いまから10年前に検討し始めた。

 

いちおう真剣なのだ。

 

うすうすだが、

死を意識するようになったことが、

そのおおきな要因なのかも知れない。

 

ながい人生でそんな場面には、

幾度となく遭遇したけれど、

最近ではその死さえ確実に近づいてきた訳で、

いよいよ腹を据えての暇つぶしとなる。

 

人生って実はとても単純そう、

と思える記述や映像によく出くわす。

やりたいことをやれなどと、

あちこちで吹聴している人たちがいる。

 

渦中にいるとなかなか

やりたいことなんてやれない。

かつ入り組んでいて、

一見浅いようで、

やはり人生ってどこまでも深遠だ。

 

そして生と死は

一見、こちら側、あちら側と分けることができそうだが、

実は混在していて、

同じ世界の表裏に、または同じ場所に、

いやそれさえ曖昧なまま、

すでにいずれも在るのではないか。

 

なんだか近頃では、

その境界さえこちらの思い込みなのではと

この世の中の成り立ちをあやしんでいる

自分がいたりする。

 

親しい友人ふたりがいなくなってから、

そうした思いはよりつのる。

 

彼らは、どこかにいそうだ。

電話にも出そうだし、

メールさえ返してきそう。

まだ解決していない話がいくつもあるじゃないか。

手を尽くせばなんとか話せそうだ。

死して、相変わらず生きている。

そう感じて仕方がない。

 

さて、今夜はマレーネ・ディートリヒの歌でも聴こうか。

そのうち時が満ちれば、

グレタ・ガルボとも話せそうだし。

 

そして思うのだ。

この生きているっていうこの感覚さえ、

ホントかどうかも分からない。

すべて妄想だったりしてと。

 

亡父に謝っておきたかった事

 

もう、親父がいなくなって20年くらい経つ。

暑い夏になると、その日のことを思い出す。

 

喪主の私が親父の骨壺を抱えて、車に乗る。

その日もピーカンの天気で、軽く30℃を越えていた。

骨壺が熱くて抱えていられない。

運転手に頼んでクーラーを最強にしてもらう。

口数の少なかった親父がこの日ばかりは、

「熱い熱い」と饒舌だったような気がする。

 

学生時代、私は左翼がかった本ばかり読んでいた。

とにかく親父が軍国主義の塊のようにみえた。

 

親父は戦争中、満州で戦っていた。

そしてソ連の捕虜になり、シベリアで強制労働をさせられた。

戦争が終わって3年くらい経ってから帰国した。

 

親父は極端に口数の少ない男だった。

私との会話は一生のうちで、一ヶ月もなかったような短さだ。

それが戦争のせいなのか、生来の性格なのか、

ホントのところはよく分からない。

 

一度、母にそのことを聞くと不満そうな顔で

「知らないよ」と切り捨てられた。

 

或る休日の午後、親父に向かって、

「人を殺したことがあるだろ?」と心ないことを聞いた。

親父は一瞬目を細めてとても難しい表情をした。

次の瞬間、唇をかみしめてため息をひとつ吐いて、

ステテコ姿で立ち上がり、

もう一度こちらをチラッと振り返って、

庭に出て行った。

 

それから親父とは一切口をきかなくなった。

 

先の大戦の歴史は、

私も後年になって少しづつ理解するようになった。

歴史を紐解くことは、新しい真実を知る手がかりとなる。

果たして歴史観は修正され、以前に較べ、

違った方向から政経を解釈することとなった。

 

戦争を生きた親父の青春はほぼなかったに等しいと思う。

親父はソ連に抑留されていたので、

帰国してから就職しようとしても、

共産主義者のレッテルを貼られ、

どの会社からも断られたと聞いた。

 

ふるさとの愛知県の村では、

戦争のただ一人の生き残りとして、

近所のやっかみが酷くてそこにいられず、

意を決して横浜に出てきた。

 

そして、就職難だ。

ようやく公務員になれた親父は、

お袋と結婚し、

毎日毎日、同じ時間に家を出て、

毎日毎日寸分変わらぬ時刻に帰宅した。

 

生前、幾度か親父に謝らなくてはと思ってはいたが、

そもそもその会話を親父が覚えているのか、

いぶかしがる自分がいた。

(忘れる訳などないのに)

 

その後悔が年ごとに、重くのしかかる。

 

 

拝啓

父上さま

今年の夏も猛暑でした。

親父、

ホントはあなたともっと話したかった。

もっとあなたの笑顔がみたかった。

肩車なんかしてほしかったし、

そんな父親が欲しかったのですが…

 

私もあなたの死んだ年齢に年々近づいています。

最近、ようやくあなたのこころの内が

みえるようになってきました。

 

戦争って、やるせないことしか残しませんね。

あと、人ってなかなか理解されないものですね。

最近つくづく思います。

 

親父、ホントにごめんなさい。

いまあなたと無性に話したいです。

 

 

脊柱管狭窄症からやっと解放された。

 

夏の初め、腰が痛くなり、

整形外科で脊柱管狭窄症と診断された。

 

酷いときは杖をついて歩いた。

自宅の2階に寝室があって、四つん這いで階段をのぼった。

洗面所で歯を磨くのもままならない。

 

痛みで行動範囲が狭まり、

まあそれでも一日一回はおもてに出るようにした。

数百メートル歩くと、痛くて立ち止まる。

真夏なので直射日光もきつい。加えて痛みを堪えていると、

その我慢も身体を熱くする。

 

医者によると、初期は安静だがじっとしているのも良くないという。

よく分からない。

 

とにかくこんな辛い夏はなかった。

いろいろな事をあきらめようと考えた。

それは、旅行をはじめとする移動。

「歩く」に関するすべてに思いが及んだ。

近くのスーパーへの買い出しまで考える始末。

 

治療は、短期間であらゆることを試した。

まず、整形外科でのリハビリ。

そして整体数カ所。

あんまさんと呼ばれる人のところも通った。

鍼治療2箇所。

他○○療法とか…

 

書籍も数冊買い、即実践した。

(おじぎをする体操とか)

 

あと、京都の知り合いから腰痛に効くという、

東洋のサプリのようなものをいただき、

それはいまでも服用している。

 

結果、なにが効いたのかよく分からないのだが、

少しづつ痛みが減り、元の日常の生活に近づいた。

 

ひとつだけ、効いたと思われるのは、

2番目に出かけた鍼だった。

 

この先生は、私の症状を詳しくきき、

生活スタイルや仕事の中身もきいたうえで、

脈と舌を診ながら、鍼を打った。

 

あるとき、この先生は、

私の四肢の指先に鍼を刺して血を抜いた。

あぜんとしている私に、

「この治療の方が早くなおる」

と笑って言った。

 

ネットで調べると井穴刺絡(せいけつしらく)という

鍼治療法だった。

 

症状が少し回復し出した頃、

近所のスーパーへ出かけた。

なんとか普通に歩いて買い物ができるようになった。

そんな自分がうれしくて、このときばかりは、

スーバーがワンダーランドに思えた。

 

今回の私の最大の収穫は、

歩けることの素晴らしさに気づいたことだ。

歩けることって実は当たり前なのでは決してない、

のではないかということ。

 

とにかく歩けるだけで「感謝」できるようになった。

この収穫を得るために、私は患った。

そう考えるようになった。

 

まあ、そう思考することにより、

これからの人生の黄昏を、

多少気楽に歩むことができるのではないかと。

 

 

 

「最近ついてない…」ので、寒川神社にお参りしてきました

最近、どうにも運が悪い。
良くないことが続いている。

車は突然動かなくなるし、腰は痛むし、先日はテレビまで壊れた。
しかも買ってからそんなに経っていないのに、急に映らなくなってしまったのだ。
これは何かあるな…と思わずにはいられず、「お祓いしてもらった方がいいのでは」と本気で考え始めた。

そこで思い出したのが、ふたたびの相模国一之宮「寒川神社」だ。
(数ヶ月前にも行ったのだけどね)

深読みすれば、以前も寒川さんにでかけたので、この程度で済んだと言えなくもない。
そんなの迷信だよと笑い飛ばすほどの勇気が、僕にはない訳で…

寒川神社は、全国的にも珍しい「八方除(はっぽうよけ)」の守護神として知られ、
すべての方位の災厄を祓ってくれるという神社である。
車や家の厄除けで訪れる人も多く、建設業者や運送業の方々の信仰も厚い。
そういえば、以前知人が「寒川神社でお祓いしてもらってから仕事が順調にいっている」
と話していたのを思い出したが、それは迷信なのではと思った自分がいた。

というわけで、ある晴れた酷暑の夕方、車で寒川神社へ向かった。
厚木からは小一時間ほど。
途中、道も比較的空いていて、気持ちよくドライブできた。
もちろん、車のトラブルも皆無。

寒川神社に到着すると、夏の陽も傾く時刻ということもあって、
少し涼しい風に変わっていた。

 

 

 

鳥居をくぐり、手水舎で身を清めてから、本殿へ。
どっしりとした佇まいの本殿は荘厳な空気をまとっていて、
自然と背筋が伸びる。

参拝を終えた後、社務所で「八方除け」のお守りをいただいた。
迷った末、車用と身につけるものの両方を購入。
これで少しでも不運が遠のいてくれればと、心の中で祈る。

境内には「神嶽山神苑(しんがくさんしんえん)」という美しい庭園もあり、
今回は閉鎖されていて立ち寄れなかったが、次回はぜひ訪れたいと思っている。
庭園の中には茶屋もあり、抹茶とお菓子をいただきながら、
静かなひとときを過ごせるそうだ。

 

 

帰り道、なぜか心が少し軽くなっている自分に気づいた。
神社のご利益というのは、もちろん霊験あらたかであることを信じているが、
こうして「何かに守られている」と実感できること自体が、
気持ちを前向きにしてくれるのかもしれない。

ちなみに寒川神社は、元旦の初詣では大変な賑わいを見せる神社でもあるが、
平日、まして暑い季節に訪れると、荘厳な空気のなかで
ゆっくりと参拝できるのでおすすめだ。

春には桜、秋には紅葉と、季節ごとの風景も楽しめる。

というわけで、今回は「最近ついてない」ことのリセットも兼ねて
寒川神社にお参りに行ってきたという話でした。

願わくば、これ以上家電が壊れませんように。
そして、腰痛も和らぎますように。

 

 

 

 

 

八ヶ岳逃避行

 

2年ぶりの八ヶ岳。

 

前回も猛暑だったことを思い出した。

 

途中、立ち寄った山梨県・双葉サービスエリアで、

車のドアを開けると、

外はたき火の横にいるような熱気に包まれていた。

 

食堂は人の列。

僕は自販機でアイスコーヒーを買い、

そのまま立ち去った。

 

標高1200メートルの山小屋に着いたときはホッとした。

 

その日の夜は肌寒くもあった。

 

 

そして今回の宿は、小淵沢。

山梨県と長野県の県境あたり。

標高600メートルくらいだろうか。

 

昼間はぜんぜん涼しくないが、

夕方になるととても心地の良い風が吹く。

 

近くにサントリーの白州工場がある。

水がおいしくて豊富だからだ。

 

 

八ヶ岳は晴天率も飛び抜けて高い。

首都圏は相当天気が荒れていたらしいが、

こちらは小雨が降った程度で、あとはサッと晴れる。

 

この日は小淵沢へ行く途中の、

中央高速の長坂インターを降りて

まず清里へ向かった。

 

ずっと上り坂なので、

車のエンジンは回転数を上げ、

なかなか良い音と振動が伝わる。

 

山の緑の陰影が美しい。

空がデカい。青い。

 

 

雲がぽかんと浮かんでいる。

 

車を清泉寮の牧場にとめ、

コーヒーを飲みながら、

ずっと雲が流れてゆく様をみていた。

 

陽差しは強いが、

気温は25度くらいだろうか。

 

遠くに人の声。

草のなびく音。

 

近くにいた家族ずれ。

小さな女の子がソフトクリームを頬張っている。

その向こうに、初めてのデートと思われる若いカップル。

ふたりの仕草がなんだかぎこちない。

(懐かしい風景)

 

 

いまこの空に、たとえばペガサスが飛んでいたとしても

何の違和感もないようなひととき。

 

日常と奇跡は、ひょっとして紙一重なのかも知れない…

 

 

僕は思わず居眠りをしてしまった。

 

 

 

↑清里は閑散としている

 

 

米騒動は誰のせい?

 

そもそもですね、
この件は農林水産省の減反政策が間違っていましたね。
米が足りなくなる予測が出た段階で、政策を転換すべきでした。

米の需要は減っていません。
減反政策なんかしなくても、米農家は高齢化で、
次々とやめています。

TVをつけると相変わらずの小泉さんが登場。
彼の活躍ぶりを連日報じています。

だが、古米、古古米、古古古米を放出している時点で、
メディアはこの騒動の本質はどこにあるのか、
を論じるべきではないのか?

なんだか違和感だけが残る。

メディアは何を隠しているのか。

TVは備蓄米の販売に行列している人の映像を流し、
受け取った米袋を手にした人にインタビューをする。

当然、うれしそうな感想を述べますよね。

これってメディアのお決まりのパターンなんですが、
ニュースってこの程度で良いのですかね?

結局、私たちはこの騒動の実像を掴めない。
そして新たなニュースが次々に流れては消えてゆく。

連日、そんな報道が続くと、
こんな私でも「TVってどこかおかしい」と
気づいてしまう。

気づかなかった方、すいません。
いや、気づいてください。

TVはすでにオールド・メディアと呼ばれ、
事の真相を語らないまま、年を重ねてしまった。

自らを老けさせたのは、そこに誠実さと正義という、
ジャーナリズムにとって命ともいえる
精神を捨ててしまったから。

自他を欺いて、自ら破滅への道を選んだのだ。

老兵はただ去るのみって、
いまさらながらだけど自覚してくれると、
多少は救われるのだが…

 

イマドキのビジネスホテルをレポート!

 

仕事柄、ビジネスホテルをよく利用する。

最近は、安かろ悪かろのホテルが目に付く。
築古で極めて狭い部屋が増えた。

コストダウンで洗面道具、特にヒゲ剃りなど
フツーにないところもある。

インバウンド需要で宿泊費も高騰しているし、
こっちは踏んだり蹴ったりなのだ。

あるとき楽天トラベルで、
山の手線沿いのビジネスホテルを探す。
某駅前のビジネスホテルが目に留まる。
サムネ写真を凝視しホテルの外観をチェック。
入り口も豪華で石の素材など使ってある。

この外観なら、部屋もそう酷くなさそう、

という判断から予約を入れた。

当日、そのホテルは確かに駅前にあって、
便利じゃんとうれしくなる。

入り口が写真のとおりかっこいい。

なかに入るとフロントが豪勢なつくりで、
ライティングにも凝っている。

雰囲気いい。

他のチェックイン客とバッティングしたが、
日本人とおぼしき人は私以外誰もいない。
韓国、中国、インドネシア他、
アジア系に混じって欧米系も目に付く。
(皆、ここの便利さと豪華さに惹かれのかな)

フロントの女性は、皆日本人ではない。

が、言葉は通じるのでOK!

でですね、
キーをもらって長い廊下を歩いていると、
途中から建物の雰囲気が変化してきた。

床のリノリウムが古く、めくれが目立ってきた。
廊下の壁紙もかなりくすんでいる。
窓枠をみると、サッシに白錆が浮いている。

と、急に段差があり、
あきらかに隣の建物に入ったと感じた。

私の部屋はフロントから一番遠くにあり、
そこは、このホテルの外観、入り口とフロントの豪華さとは、
全く違う様相を施していた。

扉は、かなり使い込まれていて、
塗装の剥げや錆も目に付く。

推定するに、築後50年以上は経過している。
(大きな地震がきたら死ぬな)

で、部屋に入ると、すえたにおいがするので、
内部を見渡すと、風通しや日当たりが全くない。

カビのにおいだろうと推測する。

部屋は全体に古びていて、
酷く狭いL字型で、Lの出っ張ったところに
バスルーム兼トイレ兼洗面台が詰め込まれている。

とても使いづらいのは一目で分かる。

というのも、ボクはこの手の部屋には、
幾度となく引っかかっている。

懲りないのがボクの欠点なのは承知しているが、
まぁ予算も限られているし、よってこの手の部屋には
時々だけど当たってしまう。

そこでボクはあるときから、
このような酷い部屋で
如何に快適に過ごすかという課題に、
取り組むことに切り替えた。

当初は、空気の入れ換えもできない
窓が壊れた部屋に通されて憤慨し、
フロントにクレームを入れて、
部屋を換えさせたりもした。

が、いい加減な部屋選びをするおのれに
腹が立つようになり、自己責任だろうと
自分に厳しく対峙することに決めた。

以前、山中湖にてキャンピングカーで
寝泊まりしたとき、最初はその狭い車内で、
飯の支度をしたり、それを片付けないと
ベッドがセットできなかったりと、
結構マメにやらないとキャンパーになれないと
実感したことがある。

思えばハズレのビジネスホテルも同様で、
極小空間で過ごすには、アタマの切り替えと
智恵がいるものなのだ。

で、どうアタマを切り替えるのかだが、
たとえばそれを逃げられない運命として捉える。
(なんだか話がおおげさになってきた)

よって、そのなかでなんとかしなくては
生きていけないよとおのれに教え込む。
(それは嘘だと深層心理は知っているが)

そもそも私は閉所恐怖症なので、
このあたりの課題はかなりハードルが高かった。
(自分がつくった壁は自分で壊せ!)

なのに、楽しくなければビジネスホテルじゃないと、
おのれを洗脳し、ホテルの環境の悪さなど
取るに足らないものなのだと、思うようになってきた。
(なんだか怪しいテレビ局のコピーと被る)

こうして、アタマを切り替え、鼻歌を歌いながら、
細かな工夫を繰り返し、
いまでは快適なビジネスホテルライフを
満喫している。

↑〆が嘘くさいですね!