イマドキのビジネスホテルをレポート!

 

仕事柄、ビジネスホテルをよく利用する。

最近は、安かろ悪かろのホテルが目に付く。
築古で極めて狭い部屋が増えた。

コストダウンで洗面道具、特にヒゲ剃りなど
フツーにないところもある。

インバウンド需要で宿泊費も高騰しているし、
こっちは踏んだり蹴ったりなのだ。

あるとき楽天トラベルで、
山の手線沿いのビジネスホテルを探す。
某駅前のビジネスホテルが目に留まる。
サムネ写真を凝視しホテルの外観をチェック。
入り口も豪華で石の素材など使ってある。

この外観なら、部屋もそう酷くなさそう、

という判断から予約を入れた。

当日、そのホテルは確かに駅前にあって、
便利じゃんとうれしくなる。

入り口が写真のとおりかっこいい。

なかに入るとフロントが豪勢なつくりで、
ライティングにも凝っている。

雰囲気いい。

他のチェックイン客とバッティングしたが、
日本人とおぼしき人は私以外誰もいない。
韓国、中国、インドネシア他、
アジア系に混じって欧米系も目に付く。
(皆、ここの便利さと豪華さに惹かれのかな)

フロントの女性は、皆日本人ではない。

が、言葉は通じるのでOK!

でですね、
キーをもらって長い廊下を歩いていると、
途中から建物の雰囲気が変化してきた。

床のリノリウムが古く、めくれが目立ってきた。
廊下の壁紙もかなりくすんでいる。
窓枠をみると、サッシに白錆が浮いている。

と、急に段差があり、
あきらかに隣の建物に入ったと感じた。

私の部屋はフロントから一番遠くにあり、
そこは、このホテルの外観、入り口とフロントの豪華さとは、
全く違う様相を施していた。

扉は、かなり使い込まれていて、
塗装の剥げや錆も目に付く。

推定するに、築後50年以上は経過している。
(大きな地震がきたら死ぬな)

で、部屋に入ると、すえたにおいがするので、
内部を見渡すと、風通しや日当たりが全くない。

カビのにおいだろうと推測する。

部屋は全体に古びていて、
酷く狭いL字型で、Lの出っ張ったところに
バスルーム兼トイレ兼洗面台が詰め込まれている。

とても使いづらいのは一目で分かる。

というのも、ボクはこの手の部屋には、
幾度となく引っかかっている。

懲りないのがボクの欠点なのは承知しているが、
まぁ予算も限られているし、よってこの手の部屋には
時々だけど当たってしまう。

そこでボクはあるときから、
このような酷い部屋で
如何に快適に過ごすかという課題に、
取り組むことに切り替えた。

当初は、空気の入れ換えもできない
窓が壊れた部屋に通されて憤慨し、
フロントにクレームを入れて、
部屋を換えさせたりもした。

が、いい加減な部屋選びをするおのれに
腹が立つようになり、自己責任だろうと
自分に厳しく対峙することに決めた。

以前、山中湖にてキャンピングカーで
寝泊まりしたとき、最初はその狭い車内で、
飯の支度をしたり、それを片付けないと
ベッドがセットできなかったりと、
結構マメにやらないとキャンパーになれないと
実感したことがある。

思えばハズレのビジネスホテルも同様で、
極小空間で過ごすには、アタマの切り替えと
智恵がいるものなのだ。

で、どうアタマを切り替えるのかだが、
たとえばそれを逃げられない運命として捉える。
(なんだか話がおおげさになってきた)

よって、そのなかでなんとかしなくては
生きていけないよとおのれに教え込む。
(それは嘘だと深層心理は知っているが)

そもそも私は閉所恐怖症なので、
このあたりの課題はかなりハードルが高かった。
(自分がつくった壁は自分で壊せ!)

なのに、楽しくなければビジネスホテルじゃないと、
おのれを洗脳し、ホテルの環境の悪さなど
取るに足らないものなのだと、思うようになってきた。
(なんだか怪しいテレビ局のコピーと被る)

こうして、アタマを切り替え、鼻歌を歌いながら、
細かな工夫を繰り返し、
いまでは快適なビジネスホテルライフを
満喫している。

↑〆が嘘くさいですね!

 

 

アース・ウィンド・アンド・ファイアー+シック(CHIC)コンサート

 

学生時代、ディスコで必ずかかっていたのが、
アース・ウィンド・アンド・ファイアー。
そして、シック(CHIC)!

ときは1970年代の終わり頃なのかな。

世はディスコブームで、週末になると、
ボクも友人たちと夜な夜な踊りに出かけていた。

今回はその懐かしさから、横浜のピアアリーナへ。

まぁ、予想通りなんですが。
当日はとんでもない人の波に圧倒されました。

とにかくぞろぞろと並ぶ。歩く。
それが延々と続く。
年寄りにはかなりキツく感じる。

1階のアリーナ席ではないので、
安い席は上へと上へと上がらなくてはならない。

一番安い席は、途中から階段。
いや、さすがにそれはないけれどね。

飲食はいっさい持ち込み禁止なので、
館内の売店で買おうと向かうも、
ここも長蛇の列。

いろはす持ってきてよかった!
腹は満たしてきたのでなんとかなった。

やはりこの規模のライブって「慣れ」が必要なんだなぁ。
一緒にきた友人はこうしたイベントの達人なので、
コンビニのおにぎりを鞄に忍ばせていた。
もちろんペットボトルも。

で、席にたどり着いたんだけど、
そこがまあ山の頂上みたいなところで、
景色がいいというか、崖のふちにたたずむ席。

高所恐怖症の人にはまず無理だろう席。

おまけに前の柵が低くつくってあって、
立ち上がってはいけませんと、係員から忠告される。

(2・3時間ここでじっとしていなくてはならない 汗)

まあ、そんなこんなで、ぐったりとしてると、
ようやく開演のMCの声が会場に轟き渡る。
カラフルなライトが広大な会場をグルグル回り出す。

 

 

で、シックとアース・ウィンド・アンド・ファイアーの登場だ。

会場に異様な興奮が湧き上がるのを感じる。
開幕からなんだかすごい熱気なのだ。

ボク的に、彼らの音楽は懐メロの部類なのだが、
会場を見渡すと、確かに若い人が目立つ。

70年代から活躍している彼らは、
当然メンバーも入れ替わりが繰り返され、
現在では初期のメンバーは3人しかいない。
(CHICはよく分からない)

オリジナルメンバーではないにしろ、
彼らの音楽はその後さらに進化して、
それがいまに繋がっているのだろうと推測する。

そうした観点から思うに、
彼らは懐メロを披露してツアーをしている訳じゃない。

まさに現在進行形のグループ。

あいかわらずファンキーなサウンドは健在。

当時より力強さは増していて、熱量が高い。

彼らは常に脱皮を繰り返し、
新しいサウンドを取り入れ、
いまに至っている。

だからファン層がとても広いグループなんだと
改めて感心してしまった。

高所の席から会場を見下ろすと、
みな総立ちである。

音がスモークがライトが…

が、ボクの席は立ち上がり禁止なので、

なんだかいらいらとする。

ストレスMAXなんだよなぁ。

会場全体がディスコと化し、
それはボクが知っている芝浦のディスコより、
さらに巨大なのであった。

アース・ウインド&ファイアーは結成50年だそうである。

全世界でのCD・レコード総売上は9000万枚以上。
グラミー賞を6回受賞。
2000年にはロックの殿堂入りを果たしている。

先の友人は、この数日後にはなんと、
武道館のクラプトンにも出かけていた。

すごい!

ボクはまだ疲労が残っているというのに。

 

 

 

 

世界がひっくり返っている話

トランプが大統領に就任してから、
連日、すごいニュースの連発だ。

これがアメリカ限定の出来事であればいいのだが、
世界中がトランプに振り回されているのだから、
やはりトランプ大統領のアメリカって大国なのだ。

いや、アメリカのトランプ大統領が強烈なのだ。

ウクライナ情勢、ガサ地区など、中東も大きく動いている。
とりわけ映像でゼレンスキー大統領を観察していると、
なんだか彼の表情が浮ついている。

演技っぽい。

トランプとプーチンが仲良くなり、
NATO(北大西洋条約機構)もEU(欧州連合)もはしごを外された格好。

(アメリカはNATOから抜けると思う)

欧州も経済的に枯渇してきているし、
各国も国内が騒がしく分断が進んでいる。

これらはおのずとプーチンの思う壺となり、
陰に隠れているようにみえる中国はやはりと言うべきか、
トランプ大統領に強烈に敵視されている。

さて、トランプ大統領の関税政策はうまくゆくのか?

まずおおげさな数字をあげつらって世界を驚かす。
そして相手国と少しずつ間を詰める。
彼の真の矛先は中国だと思うが、それだけではない。

アメリカも借金が膨大で、その利息の支払いだけでも、
とんでもない額に達する。

で、まずはドル安に導いて利払い額を減らそうとしている。

さらに、関税で稼がなくてはならないから、
言うことやることがいちいち敵対的な物言いとなる。

アメリカって、実はそれほど行き詰まっているのだ。

そして、バイデン大統領時代に大挙して入ってきた不法移民も
国外追放しなくてはならないし、超忙しい。

犯罪は増えるし、クスリは蔓延するしで、どうにもならない。

それを助長していたのが国境を接しているカナダとメキシコ。
なのでトランプ大統領はまずこの2国を狙ったと思う。

さらに、パナマ運河の主要なところも中国企業に支配されているし…

と、散々なのが現在のトランプ大統領のアメリカなのである。

で、果たしてトランプ大統領が繰り出すこれらの策は、
ホントにうまくゆくのかだ。

失敗すれば、ただの景気後退では済まないだろう。
なにしろアメリカは通貨発行権を握っているけれど、
こうした事態に陥るとドルの信用に関わる。

ちなみに現在のドルは、
金や銀や石油などと価値を紐付けてない。

何の裏付けがない訳だ。

よってみんながドルはだだの紙切れだと思った瞬間から、
ドルはただの紙切れと化してしまうことだってあり得るのだ。
(円も同様だけど)

要するにいまのお金って、共同幻想で成り立っているのだ。

こうした事態が続くと、いったい何が起こるのか?

またどのようなかたちで日本に影響を与えるのか?

専門家でもない私には、このあたりがよく分からないが、
このまま日本だけが無傷で済むハズもないし、
イヤ~な予感だけが漂うのだ。

ニュースを観れば地震も山火事も多発している。

今年はなんだか世界がかき回されている。

 

田舎に引っ込んで野菜づくりを学びたい…

最近はそんなことをぼんやりと考えたりしている。

 

町田のジャズの老舗「Noise」

 

町田はでかい街である。

人も多い。

新しい建物と古い商店街が混在していて、
猥雑で、なんだかとてもエキサイティングなのである。

街をまるごとつくりかえないところが良い。

できすぎた街ほど居づらいところはない。

近くのたまプラーザとか新百合ヶ丘には隙がない。

その点、隙だらけの町田。

 

ブランド服が目的であれば、それもある。

昼間から升飲みしたければ、そうしたお店もある。

いまだに歩きタバコをしている人がいる。

煤けたバーがいくつも軒を連ねる。

大判焼きだってイカ焼きだって、

探せばあるのが町田の魅力でもある。

 

ボクは学生時代の3年間、

JRの町田駅と小田急の町田駅を使っていた。

その頃は「Noise」はまだなかった。

 

 

まあ、高校時代のボクはジャズに縁がなかったし、

ロックしか知らなかった。

それよりなにより部活の帰りに寄る

JR町田駅前にあった立ち食いそばがやたらにうまかった。

 

そしてJRの町田駅が小田急側に移動してから、人の流れも変わった。

この立ち食いそば屋も移動してしまった。

で、駅付近を2階建てのターミナルにし、新しいビルが建ってテナントが増え、

残った猥雑さをそのままにしたのが町田なのだ。

 

もともと「Noise」はジョルナの建物の中にあってその後に引っ越し、

現在の小田急線の町田駅から数分の雑居ビルに落ち着いた。

 

ここに来る客は若年老齢を問わず、

皆ふらっとジャズを聴きに来るようなラフな人たちが多い。

さすがにいま店内は禁煙になったけれど、

店の前に置かれた灰皿の横では常に数人がタバコをふかしている。

 

コーヒーとジャズとタバコ。

ウィスキーとジャズと瞑想。

ビールもシフォンケーキもなかなかイケる。

 

とてもカジュアルな雰囲気が気に入って、

ボクもたまに仲間にいれてもらう。

 

老いも若きもジャズという共通項があるから、

なんだかこの店は落ち着く。

 

しゃれたクラブハウスサンドではなく、昭和のピザトースト。

カフェ・ラテなんて呼ばず、昔ながらのカフェ・オーレ。

 

この町田という不可思議な街に、

なくてはならない店のような気がする。

 

 

 

寒川神社は霊験あらたか

 

去る2月23日の天皇誕生日に
寒川神社へ参拝に行ってきました。

 

 

寒川神社は、神奈川県のほぼ中央にある。

相模国の一之宮である。

相模国は、神奈川県とほぼ被っているが、
その昔、川崎と横浜は武蔵の国だったので、
現在の神奈川県は相模国よりひとまわり大きい
ということになるのかな。

 

 

この日は参拝客が多く、
夕方に行ったにもかかわらず
かなり賑わっていた。

駐車場は臨時の駐車場もいっぱい。
神殿までけっこう歩きました。

雪がちらつく天気で気温も低かったが、
あれこれと動くうちに汗をかくほどに。

さて私が今回寒川神社に参拝に訪れたのは、
ここが全国で唯一、八方除守護神だから。

今年はなんだかあちこち動き回りそうなので…

 

 

で、寒川神社の建つ場所だが、
江戸城の裏鬼門に位置しているとのこと。

さらに千葉県にある玉前神社、富士山、鳥取県の大山、
さらには出雲大社を結ぶレイライン上にあるのが、
寒川神社なのである。

また、このあたりは冨士山からの地下水が届くともいわれ、
その川が寒川だった、との話もある。

 

 

なんか霊験あらたかなんです。

 

帰りに小腹が空いたので、
出店で広島風のお好み焼きを買って、
車中であけたのですが、
マヨネーズが垂れたり焼きそばが飛んだり、
なんだかとんでもないことになってしまいました。

 

トラブルの予兆ですかね?

 

書アート展へでかける

 

 

懇意にさせていただいている書家の先生より、
展示会をやるので来ないか、とのお誘い。

早速、山の手線大崎駅至近のO美術館へでかけました。

 

            ↑大崎の変貌ぶりがすごい

書家展を観るのは初めてで、
気難しいものであれば行かないのですが、
先生の作風を知っているので、
他の作家さんもそうだろうと、
気楽な気分ででかけました。

 

 

過去、先生はニューヨークやパリにおいて、
書のパフォーマンスも開催。
海外のファンも多いとおききしました。

「海外の方でも書が分かるものなのでしょうか?」

「私の経験から感じたことですが、書の美しさと
その魅力は海を隔てても伝わりますね。
モノクロの色彩とでも言うのかな、
墨の濃淡で色をイメージする。
その過程にアートとしての書の面白さがあるようです」

「海外の方は、漢字、ひらがなをどのように捉えているのでしょうか?」

「もちろんその文字には意味があるので、
それを知り考えることもひとつですが、
文字の造形にどうも皆さん惹かれるらしいのです」

「かたちですか?」

「そうですね」

「日本は引き算の文化とよく言われますが?」

「ええ、それは書に於いても同様でして、
白場を最大限に生かした抑制された文字の配置に、
皆さん興味をもたれますね」

 

 

そして、
「書は歴史や伝統に則っているだけでは廃れてしまう、
そこに新たな息吹を…」

との考えから先生は頑張っていらっしゃる。

造形美としての書。

そして墨以外の色を使っての挑戦、
掛け軸という固定されたものを外して額装に変化をもたせる等々、
新たな書の挑戦は続きます。

 

帰路、ボクは細筆で短歌に挑戦してみようと思い立ちました。
そうですね、墨に変更はありませんが、少し色の付いた和紙に
書いてみたいと思いました。

なんだか、狭い箱庭から飛び出せた、

そんな気にさせてもらいました。

 

短歌、はじめました。

 

せんじつ、「短歌、はじめました。」という文章を書いていたら、
突然PCの画面に英文の警告のようなメッセージが点滅して現れ、
「ん?なんだ」とながめていると次に画面が真っ暗になって、
再起動をはじめてしまった。

ボクの書いたテキストは保存していないので、文章はそれっきり
どこかへ消えてしまった。

1000字以上は書いたと思う。
なんで短歌をはじめたのか、短歌のお師匠さんは誰なのか、
コピーライティングと何がどう違うのかとか、
けっこう書いたのに、すべてはマジックのように消えた。

で、出張に行ったりあれこれと用をこなしたりしているうちに、
何を書いたのか、ほぼ忘れてしまった。

けっこう腹立たしい。

けれど、よくよくかんがえてみると、思いつきから書き始めたものだし、
こんなものなのかも知れないと思うようになった。

PCはそれから何ごともなかったかのようにしれっと稼働している。

しかし、だいじな仕事で締め切りが迫っていたりして、
同じような事態が生じたら、
おそらくこんな悠長なこととは思わない。

PCをぶっ壊すとかね…

で、短歌なんですが、
まず5、7、5、7、7の字づらを意識すると、
なかなか字数が合わない。
全31字に気持ちとか想いを総て入れ込もうとすると、
なにを言おうとしているのかが分からなくなる。

自信もへったくりもないのだけれど、
初心者なので自己の評価さえままならない。

けれど、発表しちゃうんだよね!
せっっかく苦労した第一作なので!

 

この風の におい

あの日の 君がいた

ボクらはいつか

遠い人となり

 

 

もう一首

 

 

凍る朝

黒いハエがぶ んと飛んだ

君も命だ

南へ向かえ

 

 

お粗末さまでした!

 

明けましておめでとうございます!

 

明けましておめでとうございます!

するっと年が明けてしまいました。

朝から快晴です。
早朝、庭の榊(さかき)の葉を採り、
米と酒と塩とを神棚に供え、
今年一年の祈願をしました。

仏壇に線香をたき、
ご先祖様に新年の挨拶。

こう書くと、堅苦しいようですが、
両親がやっていたことを見よう見まねで、
続けているだけです。

そしてお屠蘇(おとそ)とお雑煮をいただき、
LINEで新年のやりとりとか、
年賀状に目をとおして、
合わずじまいの友人を懐かしんだり、
近況報告をいただいたりと、
いつもとちょっと違う時間です。

午後は近所の鎮守さまにお札をもらいに。

ついでに陽射しの川沿いを歩いて、
サギが飛ぶすがたやカモが泳ぐ池をのぞいて、
やれやれと帰ってきました。

若い頃は家に居たくなくて、
年越しはいろいろなところへ出かけました。

新宿や渋谷での年越し。
横浜港近くのクラシックホテルで
汽笛をききながらの年越し。
歩いての年またぎ箱根越え。
富士の麓で極寒に耐える年越し。
東名高速を走り続けての年越え…
(なんかスケールが小さいですね)

そうこうしているうちに年をとってしまい、
家がいちばん良いと思うようになりました。

で、両親がやっていたことがいつのまにか習慣になり、
それは正月だけでなく、日常のいろいろな場面でも
同様のことを続けるようになりました。

ボクは生まれてから十数回引っ越しをしていて、
いつの間にかふるさとと呼べるところも、
遂になくなってしまいました。

よって浮き草のような旅人のような人生観が、
いつの間にか身についたようです。

だからなのか。
何か確かなものを欲していて、
それが先の慣習なのかも知れない…

アイディンティティーの拠り所となっているようなのです。

さて、いま日本の人口はどんどん減り続けているそうです。

現時点で山積する諸々の社会問題も、
今後はさらに加速すると予想されています。

たとえば、近所の荒れた休耕田をみるにつけ、
農業も危機ではといらぬことも考えるようになりました。

と知ったところで、ボクたちにできることは限られている。
守りたいものすら見過ごしてしまっている状態です。

待ったなしの状態ですが、大きな視点からの問題は、
彼ら(政治家や行政なんですがね)に期待するしかない。

彼らが鳥の視点なら、
ボクたちは虫の視点で、
盲点に気づくように、
目を凝らすしかありません。

できることからひとつひとつ。

些細なものでも積み重ねれば、
いずれは歴史となります。

これってとても大事なことのように思います。

自分がたまたま生まれ育った国ですが、
実はたまたまとか偶然なんてない。

そこには100㌫の必然しか存在しない。

それがボクたちの存在理由だと思いたいのです。

 

 

江ノ島のサザエ(その2)

 

 

忙中閑あり。

雑用を投げ出して江ノ島をぷらついてみた。

結果、どこもとても混んでいる。

 

おおげさに言うと島中が人だらけ。

インバウンドの外国人がやたら目に付く。

きっと日本を紹介するサイトや冊子などに、

江ノ島が載っているのだろう。

 

 

 

ところで江ノ島か江の島か?

諸説あるらしいが、今回は江ノ島でいきたい。

 

久しぶりに海の幸でも食おうと思ったが、

サザエのつぼ焼き¥1700円で萎えた。

とても小柄なサザエがふたつだよ?

 

腹の足しにもならない。

で、ボクはサザエのあの先のほうの黒いのが、

どうしても食えない。

 

我にかえったボクは、そもそもサザエって、

好きでも嫌いでもないということに気づき、

その場を去った。

(勘だがサザエってむかしほど捕れないのかねぇ、

きっと貴重な海のダイヤモンドなのかも知れない)

 

で、やっすい江ノ島バーガーで済ます。

確か¥1200だったかな?

さつま揚げとしらすがなかなか。

空腹だったので助かる。

 

ついでに江ノ島コーヒーというのもいただいた。

こちらは完熟豆で香ばしいとの触れ込みだが、ボク的に味はフツー。

 

 

あとはとにかく高い。

インフレに加えて、観光地価格でしょ。

が、こうした観光地では皆、ケチなことは考えない。

店はどこも客でいっぱいなのであった。

(ここで自虐的に己のセコさに笑ってしまったが)

 

10代で初めてクルマを手に入れたとき、

江ノ島を訪れたことを思い出した。

振り返ると、あのころ江ノ島って閑散としていた。

 

だだ広い駐車場には、神奈川、東京、千葉の走り屋たちが

集まっていたくらいで、山の上にのぼる人もとても少なかったと

記憶している。

 

 

当時の湘南の人気スポットは、

葉山の茶屋とか材木座海岸のタダのパーキング、

七里ヶ浜あたりで寝そべったり、

鵠沼海岸・茅ヶ崎のサーフ・ポイント近くのお店とか。

 

とりわけ逗子の渚ホテルと江ノ島の対岸にあった湘南ホテルは、

もういまはないけれど、みんなの憧れでもあった。

 

で、ときは流れて時代が移り変わり、

寺社仏閣巡りが流行りはじめて、

御朱印帳を手にした方々が、

鎌倉を始め、湘南各地に眠っていた各所に、

訪れるようになった。

 

現在、江島神社の社殿にまつられているのは弁天様で、

それはいまもむかしも変わらないのだけれど、

以前はカップルで来ると弁天様が焼きもちを焼いて

わかれると言ういわれのようなものがあったので、

誰も彼女を連れてきたりはしなかった。

 

 

が、いつの間にかいまは「縁結びの神」だそうなので、

まあ、どこもカップルだらけなのであった。

(ポジティブな効果のほうが人は集まるよね)

 

江ノ島をフルに歩くとけっこう疲れるけれど、

海を眺めながらだとそれほどでもないから、不思議。

(この日ボクの歩数計は軽く1万を超していた)

 

 

また、山の上の灯台よこのサムエル・コッキング苑は

夜はライトアップされていて、とても幻想的なのでおすすめです。

(シーキャンドルと言うそうな)

年明けよりは更に混むだろうから、行くなら年末!

 

この一年の自分に感謝の意を込めて、

サザエでもどうですかね?

 

 

 

なぜTVは衰退してしまったのか?

 

 

最近のテレビのコマーシャルって面白くない。

年々つまらなくなっている。

その原因が商品・製品にあるのか、

それともコマーシャルをつくる側にあるのか?

いくつかCMをチェックしてみた。

 

で、気づいたのは、

無機質かつ損得訴求広告が多いこと。

よく言えば無駄がない。

 

そこにはもちろん、

愛も青春も勇気も感動もなければ笑いもない。

驚くほど物質的である。

 

悠長なむかしのコマーシャルは、

愛も青春も勇気も感動も笑いも、

つくる側が必死にひねり出して、

そこにひとつのものがたりを描いていた。

 

いま、そんなCMはほぼ駆逐されてしまった。

 

いまという時代は皆、

テレビCMにそんなものを求めていない。

知りたいのは機能であり価格であり、

それが受け手にとってどのくらい得なのか、

そういうことらしい。

 

要するに、テレビCMは動くチラシになったのである。

新聞に挟まっているチラシ…あれだ。

(世知辛い世相の合わせ鏡のようにも思えてくるのだが)

 

で、肝心の番組なんだけれど、

以前からいろいろいと指摘されているように、

相変わらず中身の劣化が激しい。

どこもアイデアが出尽くした感があり、

おおむね似たような番組ばかり。

このあたりもテレビの凋落の一因になっていると思う。

 

クイズ、食べ歩き、バラエティー…

そしてつまらない芸人のオンパレード。

良質の番組も散見されるけれど、ごくわずか。

あとは、エンドレステープのように流れる番組が、

ボクたちの思考を鈍らせる。

 

おおげさだけど、人生って短い。

時間は限られているのだ。

 

むかしの話だけど、あるキー局のバラエティー担当のディレクターと

打ち合わせる機会があって、そのディレクターは昼の番組をもっていて、

2度目の打ち合わせのとき、「○○ちゃん、この時間にテレビ観ているやつって

なんにも考えていないから、そこ外さないでコピー考えてよ。テキトーに!」

とアドバイスされた覚えがある。

(若いボクには衝撃だった)

 

とここまで書いて、ボクはテレビをリアルではほぼ観ない。

たまにニュースをすこしだけ観る程度で、

あとは観たい番組のみ録画している。

 

そこに映ったいくつかのCMを元にこれを書いている。

よってこの記事もボクの単なる感想に過ぎないのだけれど、

数字の裏付けだけはある。

 

それは広告費の統計の推移である。

広告枠の価格もだいたい把握できる。

また広告出稿企業名などをざっと眺めているだけでも、

あらかたの傾向・推測がたつ。

 

新聞に続き、いまテレビの凋落が表面化しているのは、

前記の状況に加え、ネットというライバルの存在が外せないのは、

周知の事実。

それは数字に如実に表れている。

 

XやYouTubeやインスタグラム、

ニコニコ動画の他、Netflix、フェイスブック…

挙げればキリがないほどメディアは増え続けている。

 

ボクはテレビにも頑張ってもらいたいと思う。

が、如何せん前述したような状態なので、

なかなか難しいと思う。

(ボクがテレビを観なくなった原因もそこにある)

 

さらに新聞は深刻で、報道のスピードや正確性に於いても

前時代的なので、もはや手のつけように思える。

 

オールドメディアなどと呼ばれる所以だ。

 

オールドメディアはその名が示すとおり、そろそろ寿命なのだろうか?

立て直しなど、単なる延命処置にしかならないのだろうか?

 

 

さて、今日もボクはテレビをつけていない。

もちろん新聞も取っていない。

が、なんの不自由もない。

(ここが問題なのだが)

 

ボクが、いやボクらがいまメディアに求めているのは、

偏りのない報道であり、

真実の追究であり、

ものごとの深掘りであり、

こころの揺り起こしであり、

笑いであり、

感動を呼び起こすものがたりであり、

そしてなにより「自由」なのだ。

 

オールドメディアにはそれらが決定的に欠如している。

(もちろんネットも同様の事象が数多く見受けられるけれど)

 

オールドメディアの衰退の主因は、

そのあたりにあるのではないだろうか。

 

だから寿命が尽きてしまうのだ。