シャカタクのライブへ行ってきた!

 

やはりライブは違うなぁって、つくづく思いました。

当然のことですがYouTubeで聴くのとは

全くのべつものでした。

 

 

ボクはこのグループのライブは初めて。

退屈するかもと、何の期待もなく出かけた。

しかし今回のライブで、シャカタクに対する印象が、

以前とはガラッと変わってしまった。

 

退屈な訳がない。

とても充実の時間をもらった。

 

シャカタクがヒットを飛ばしたのが1980年代の中頃だったか。

ヒットした「ナイトバーズ」が街のあちこちから流れ、

日本の景気は最高潮で、ボクは新社会人として、

東京中をあくせくして走っていた。

(いや、机でじっと何かお粗末な記事を書いていた)

 

 

そこに「ナイトバーズ」が流れると、

なんだか少しストレスと緊張から逃れられるようで、

ふうーと肩の力が抜けた。

 

軽いタッチのヨーロッパのジャズ・フュージョン。

とにかく都会的な音楽だった。

ボク的には、彼らの音楽を心地の良いBGMとして

聴いていた覚えがある。

 

が、今回のライブで、彼らの印象は120度くらい変わった。

都会的な音楽というのは、いまでも色褪せない。

あれから数十年が経ったのに、依然として古びない。

(これはなかなか凄いことではないかと思う)

 

がしかし、「軽い」というのはボクが間違っていた。

次々に繰り出す馴染みの曲が、どれもなんとパワフルなことか。

ぜんぜん軽くないではないか。

新メンバーも加わったものの、

あの電子ピアノとパーカスは変わらずで、

そこに熟練のテクニカルな要素が加味され、

迫力の音楽シーンが再現されたのだ。

 

ライブの最中、ボクはジンジャーエールを

飲んでいたのだけれど、

途中グラスの中身を確認したほどだ。

ちょっとアルコールが入っているんじゃないか?

 

ノンアルコールでも酔える。

やはりライブって良いですね。

 

 

 

残暑お見舞い申し上げます(~_~;)

 

まだまだ暑い日が続きそうですが

お盆も過ぎましたし「残暑です」などと言うと

ちょっと先がみえてきてほっとしませんか?

 

今年は気温が高すぎる。

ボクの小さい頃は最高気温30℃でしたけどね。

 

台風の進路もなんだか変です。

うろうろしたり引き返したりと

過去にはあり得ないような動きです。

 

政治も、どうも希望がもてません。

政治家でなく政治屋が日本を動かしている。

政治屋と呼ばれる人たちは

そもそも日本を愛していませんからね。

 

そんなことはさておき、

そろそろボク的には海へでかける時期がきました。

泳ぐでもなく船に乗る訳でもない。

ただ砂浜で、寄せては返す波を眺める。

 

晩夏の夕暮れの波打ち際には

不思議な哀愁が漂っていますよ。

 

では!

 

 

↓近くの公園にて撮影

 

森のなかのニューヨーク・アート

 

 

キース・ヘリングは早死にだ。

ペンシルベニアの田舎から

大都会のニューヨークに出てきて、

瞬く間に時代の寵児となったのはいいが、

その余韻を味わう間もなく、

あっという間にエイズで死んでしまったのだから。

 

 

レジェンドの名にふさわしいアーティストだ。

いまでもその人気は衰えない。

生きていたら、現在64才くらいかな。

 

この変革が続く現在の世界を、

彼ならどんな表現を提案してくれるのだろう。

 

それはいくら想像したところで全く分からない。

さほどキースが残こした作品には、

すでにあの時点で、

鮮烈なインパクトとオーラを放っていた。

 

 

いわば完成していたとも言える。

 

キース・ヘリングがつくり出すものは、

地下鉄アートとかストリートアートとか言われるように、

高尚とはほど遠く、

街角の壁だとか塀だとかに、

いわば落書きのようにして描かれた。

 

線はシンプルで単純極まりない。

カラーリングもそれほど複雑な気がしない。

 

 

上手か否かと自問するとよく分からない。

 

けれど惹かれてしまうのだ。

なにか強烈な吸引力のようなもので、

こちらの平常心をかき乱す何かをもっている。

 

 

×××

ここ、中村キース・ヘリング美術館は、

中央高速の小淵沢インターを下りて約15分。

八ヶ岳南麓のとても静かな森のなかにある。

 

 

 

 

鳥の声とそよ風に反応する木々の揺れる音、

日射しの降り注ぐ建物が印象的だ。

なのに結果的に、

外観からは想像もつかないエネルギーが、

この建物のなかに充満していた。

ニューヨークの熱気を、

この静かな森で味わうとは、

とても不思議な気分だった。

 

 

以前でかけたニューヨークアート展は、

神奈川県の横須賀美術館だった。

 

美術館の中庭から東京湾が見渡せた。

それはそれで青く穏やかな景色だった。

 

で、今回は森のなかの美術館。

いずれ双璧をなすシチュエーション。

 

どちらも甲乙付けがたい理想の美術館だが、

今回の中村キース・ヘリング美術館の、

展示と演出が画期的かつ尖っていて、

その工夫に軍配が上がる。

 

 

本人が生きていたら、

きっと「そうだよ、これだよ!

ボクのイメージとズレが全くない。Cool!!」

って満足するに違いない。

 

キース・ヘリングはボクと同世代。

 

 

国だけでなく事情もかなり違うけれど、

その頃その時代に何が流行っていて、

どんな事件があって、

若い人たちが何に飢えていたのか?

 

僭越(せんえつ)ながらボクも少しは共有していた、

そんな気がするのだ。

 

 

そして彼自身の風貌は、

ハッキリ言ってぜんぜんかっこよくない。

(もちろんこのボクもだけれど)

 

だけど、彼のハートは、

間違いなくCoolでかっこいい。

 

それは、彼が生み出したおのおのの作品に、

バッチリと出ているから、

キース、大丈夫さ!

 

 

 

夏は高原でしょ!

 

酷暑なので避暑にでかけました。

山梨~長野のやまなみを横断です。

 

八ヶ岳高原はそこそこ涼しい。

いつもは寒いくらいなのですが、

異常気象ですよね。

 

泊まったログハウスは標高1200㍍くらいの

林のなか。

エアコンはないけどなんとか過ごせました。

というか、朝は長袖を着ないと冷える。

 

都会の喧噪はないけれど、蝉がうるさい。

鳥の声はなかなか心地いい。

夜中に虫と思われるけれど、

なにかが窓ガラスにぶつかってくるのでぎょっとする。

 

日頃は朝食は米まっしぐらだけど、

高原の朝食は窯焼きのパンとジャムとウインナと

卵焼きとレタスとコーヒーとなります。

(どうでもいいけれど)

 

 

清里はなんだか廃れているように思えます。

標高が1500㍍なので、特に冬枯れが酷いのではと思います。

清泉寮は、みるみる高級宿泊施設として、盛況です。

以前は牛がふらふらしていましたが、

最近は土日のみの開放だと知りました。

 

 

途中、中央高速の山梨県内の双葉SAで休憩をとりましたが、

37℃という暑さで焚き火の横にいるようでした。

 

長野県の富士見高原にある

「キース・ヘリング美術館」へも足を運びました。

この報告は次回!

 

 

 

 

パフェを食いに、山中へ

 

そのカフェは、

山の中腹を横切る国道を右折し、

谷底へ降りるように下った川沿いにあった。

住所でいうと、神奈川県愛川町半原。

川は一級河川の中津川だ。

 

 

この近くには、宮ヶ瀬ダムもある。

クルマでもう少し奥へ行くと、高尾山にでる。

方向を少し西に向けると、山梨県の富士五湖へも出られる。

首都圏にしては、自然はたっぷりなのだ。

 

 

目の前の緑が濃い。

川を流れる水の音が涼を呼ぶ。

 

都会のカフェがそのまま移動してきたような、

洒落たお店だ。

こんなところにと言っては失礼だが、

お客さんなんて来るのかなと甘くみていたが、

店内はほぼ満員だった。

駐車場が狭いので苦労する。

 

ここに来た目的はパフェ。

以前から種類も豊富でおいしい、

と聞いていた。

 

 

ボクは普段、こういうものを摂取しないけれど、

1年に一度くらいの間隔でモーレツに食いたくなる。

よって、2年ほど前の夏は、

横浜のランドマークタワーにあるパフェの専門店で、

チョコレートパフェを食った覚えがある。

去年はたしか、町田の小田急デパートにある、

西村だったような気がする。

 

で、横浜でいただいたパフェは、

ボクの知っている伝統的なパフェであり、

生クリームと幼い頃を思い出すアイスクリームに、

甘いチョコレートがたっぷりとかかっていた。

 

今回尋ねたこの店のパフェは、

なんというか新しいパフェなんだと思いましたね。

果物がたっぷりと入っていて、

細かい氷のシャリ感とよく合う。

あとはミントのゼリーとアーモンドと

未知の何かがはいっているのだろうか?

んー、よく分からないので、

新しい味とでもしておこう。

そういうことなのだ。

ホントはテラス席で、

川を眺めながら食したかったが、

やはり人気の場所らしく、

室内席で我慢しましたね。

 

帰りに川沿いの道を走ると、

子供たちが川で泳いでいる。

釣りをしている人も多数。

その先にあるマス釣り場は、

クルマが満車だった。

 

強い日射しと白い雲。

夏だなぁって実感。

 

にしてもパフェは冷えるなぁ、

帰ったら熱いお茶でも飲もっと。

おいしかったけれどね!

 

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

テレビを捨てよう!

 

日常のノイズは多々あるが、

最近のテレビから発せられるノイズは、

かなりひどいなぁと思うわけです。

 

報道系に関しては、

事実とは異なると思われるものが多い。

 

よりによってキチンとした服装のアナウンサーが、

マジな顔で話すので、こちらも気を張っていないと、

なるほどなどと、言いくるめられてしまう。

 

で、NHKだけど、

かなり重要なニュースが幾つか流れたその後、

考える間もなく、相撲だ大リーグの大谷が…で

アタマをかき回されてしまう構成。

 

加えて、アメリカの偏ったニュースを、

それをそのまま流していると思える事例が

多いような気がする。

 

ちなみに、

世界のニュースサイトを翻訳にかけてみてください。

西も東も関係なく、

もちろん保守もリベラルも見境なくね。

 

すると改めて世界は広いと分かりますから。

私たちは、あまりにも知らないことが多すぎる。

 

ため息が出てしまうわけです。

 

多角的にものごとを追いかけると、

世の中は「???」の連続だ。

 

日本のテレビ報道は一元的に過ぎるので、

丸呑みは禁物です。

 

あとですね、

ムカシのゴールデンと言われる時間帯の

民放を観て思うこと。

 

すでに皆さんもご存じのとおり、

どこのチャンネル回しても芸人だらけ。

とにかく、多岐に渡ってあらゆる番組に

芸人が生息している。

 

ボクは彼らを観ても、話を聞いても、

ぜんぜん面白くもなんともない。

 

時代は変わったのに、

ネタは変わらず。

しらける。

 

しまいに辛くなるから、テレビを消すハメとなる。

 

これらのノイズは思考能力を低下させるだけでなく、

自分の大切な時間を無駄にしてしまう。

 

がしかしだ、

NHK、民放でも、

映画のセレクトや自然派ドキュメント、

科学番組、そしてアート系などは、

観ていてなかなか優れているつくりだなぁと、

感心するものが多いのも事実。

 

よって、依然テレビは我が家の居間にあるわけなのだが、

それさえリアルタイムでは観れない。

 

必要なものだけを録画して後で観ることとなる。

 

(だっていろいろと忙しくて時間があわないし、

民放となるとつまらないCMが延々と流れるので)

 

というわけで、

そろそろテレビいらないか…

セカンドストリートにでも売り飛ばしてしまおうか、

という衝動にかられてしまう。

 

そのムカシ、

寺山修司は「書を捨て町に出よう」と

ボクたちの先輩方をアジったが、

いまは「テレビを捨て町に出よう」がいい。

または「テレビを捨てYouTubeを観よう」かな?

 

いや、ここは再び「書」に戻っていただきたい。

「深み」のあるものは、やはり書籍にはかなわない。

 

兎にも角にも、

いまのテレビは人をダメにする。

そしてそのうちテレビは国を滅ぼすかも知れないぞ。

(おおげさではないと思いますが)

このままではボクたちの未来はない。

 

なので、

私たちはまず生活を一から見直さなくてはならない。

そして見直しの中枢に、テレビとはそもそも何なのか?

という命題を掲げてみる。

 

まず、そこから自分のアタマで考えてみると、

なんだか新しい世界がみえて来そうだとは思いませんか?

 

メンドーな作業だけれど、情報はみずから探す。

疑問・テーマに沿って、ものごとを多角的に検証してみる。

 

そして自分なりに得たものを起点に、

意見をもち、立ち位置を決める。

 

こういう行為って、

要するに一人ひとりが際立つこと。

それがひとつの「個性」に繋がるのではないかと…

 

いまはそういう時代であるとは、思いませんか?

 

青春しごと事情

 

私の仕事の原点は、肉体労働だった。

まず、金になること。金を手に入れ、

クルマを買うこと。

 

若い頃、働く理由と意欲の原動力は

それしかなかった。

 

それまでも、サッシ工場、ライター工場、

大型長距離便トラックの助手、

配送、果ては自らトラックドライバーとなり、

関東一円にコーヒー豆を運んでいた。

 

これらの仕事は、すべて金額で決めていた。

 

後、セールスドライバーもやったが、

これはこれで営業職も兼ねていたので、

割とアタマも使った。

 

当時、何ひとつ取り柄のない私にとって、

肉体労働は唯一稼げる仕事だった。

とりわけ、沖仲仕の仕事は

いまでも印象深い。

 

朝一番に横浜の港近くのドヤ街に行き、

立ちんぼと呼ばれる男たちとの交渉。

何の仕事で日当幾らが決まる。

 

とにかく最高の値の仕事を獲得する。

で、話が決まると、マイクロバスに乗せられ、

広い港のどこかよく分からない場所で降ろされる。

 

溜まっている男たちも、まあその日暮らしばかりで、

目だけが異様に鋭かった。

 

艀のような船に乗せられ、大きな貨物船の横へ付けられる。

貨物船の大きなクレーンから、続々と魚粉の麻袋が下ろされ、

下にいる私たちが、その麻袋をひたすら船に積み上げる。

 

一袋20㌔はあっただろうか。

麻は手で持たず、鎌をかけてひたすら横へ放り投げる。

それを他の奴が、船に隅から積み上げる。

 

たまに、高いクレーンの網に乗せ損ねた麻袋が、

船にドスンと落ちる。

 

「危ないぞ!」と聞こえた瞬間に落ちるので、

だいたい間に合わない。

が、この仕事の間、事故はなかった。

 

麻袋が落ちた真横にいる奴がにやにやしている。

それがどういう笑いなのか、よく分からない。

 

8月にこの仕事に就いたので、一日炎天下にさらされた。

 

躰が悲鳴を上げる。

腰が痛くてたまらない。

 

船の端で、

何が原因か分からない殴り合いの喧嘩が始まった。

よくそんな気力があるなと見ていると、

現場監督がヘルメットで二人を殴り倒し、

なにもなかったように、作業が続く。

 

昼飯に陸へ上がると、躰がゆらゆら揺れている。

船酔いのような気分の悪さが続く。

監督からメシが手渡される。

白飯と二切れのたくあんと真っ赤な梅干しが、

ビニール袋に詰め込まれている。

 

全く食欲が出ず、

コンテナの横のわずかな日陰に横になる。

目のどろんとした痩せた男がこっちを見て笑っている。

逃げようかと考えていた矢先だったので、

見透かされた気がした。

 

いつの間にか寝てしまい、

でかいボサボサ頭の男に尻を蹴られて起きる。

 

午後の作業はピッチが上がる。

この魚粉は、後にフィリピンの船に載せられ、

即刻、港を出なくてはならないらしい。

 

「急げ!」と檄が飛ぶ。

太陽に照らされた背中が赤く腫れ、

悲鳴を上げる。

 

水筒の水が切れてしまった。

体中が魚の粉まみれで臭い。

意識がもうろうとする。

 

もう、誰も口を利こうとしない。

 

やがて、

上に上がったクレーンを見上げると、

船員が終わりの合図を送ってきた。

 

丘に上がり、全員が日陰に臥せ、

しばらくの間、

誰も起き上がろうとはしなかった。

 

躰が揺れている。

 

帰りのマイクロバスはしんとして、

やはり誰も口を利かなかった。

 

クルマを降りると、

この連中の後へ続く。

そして露天でビールを煽ると、

ようやく、みな饒舌になった。

 

結局その後、妖しい店を数軒はしごし、

東神奈川の駅に着く頃、

財布の金は、ほぼ使い果たしてしまった。

 

こんなことを数日続けるうち、

いろいろな事を考えさせられた。

 

自分になにができるのか、とか、

なにか新しい事を始めなくては、とか、

漠然とした不安がよぎっては消えた。

 

クルマより大事なこと…

 

初めて自分の立っている場所を知ったのも、

この頃だった。

 

 

焚き火の魅力について語ろうか

 

なぜ、わざわざ焚き火にいくのか?

よくそんなことをきかれます。

 

薪とかイスとかバーナーとか

いろいろなものをクルマに積んで、

河原まで行ってじっと火を燃やすだけ。

いったいなにが面白いのかなぁ…って、

よく言われます。

そしてみな同じように、

「バーベキューなら分かるけれど」ってね。

 

わたし自身でさえ、そのことばに、

そうかそうなのかと、

同調したりしてしまいますから。

 

確かに、焚き火をしても腹がいっぱいに

なるわけではないし、

みんなでワイワイと騒ぐこともしない。

 

焚き火をしている人を観察していると、

確かにみな静かです。

で、穏やかな顔をしている。

 

自分でも、なぜ焚き火なのかについて

自問してみたけれど、

的確なこたえがみつからない。

シャープにはこたえられない。

 

まぁ、あえて理由づけをすれば、

日頃のメンドーなことを忘れさせてくれる。

いっしょうけんめい火をつけることだけに専念し、

あとは絶えず火の具合をみつつ

薪をくべることに集中する。

あとはまわりの景色を眺めながら、

ぼおっとしたり、

相手がいればぼそっと話したりする。

そんなところでしょうか?

 

 

焚き火に行くのは、

いつも一人か二人。

多くて3人くらいが、

焚き火に適していると思う。

 

大勢だと、なんだか違和感がある。

何かが変わってしまう。

 

きっとそのあたりに、

そのこたえがあるのだろうと思うのです。

 

 

今年になってから厳冬の河原で2回ほど

焚き火をしましたが、

あの陽が沈んだあとの冷え方は、

なかなか耐える価値がありますね。

あまりに寒くて、

雑多なことを考えてる余裕もない。

そこはしびれます。

 

今回はいい季節になったので、

カラダも楽ですが。

 

連休も近づいてきたし、

陽ざしが強烈になりました。

 

水辺の鳥も増えました。

いろいろな虫が飛んでいます。

名も知らない小さな花が

ところどころでいっせいに咲いています。

そして、山々に霞がかかって、

ぼんやりしていて

空気がおだやか。

 

季節は確実に動いているなと

感じる訳です。

 

そんなとき、

あまり難しい話はしませんし、

考えることもできやしない。

 

いま思いついたのですが、

焚き火って日常が入り込まないのが、

とてもいいのかも知れない。

 

 

よく焚き火の炎が人間の本能を

呼び起こすとか、

小むずかしいことを言う方がいますが、

私にはよく分からない。

 

ただ、川を流れる水の音だとか、

揺れる炎の美しさとか、

ひたすらそれだけを感じていると、

なぜだかとても平和な心持になります。

 

今回の焚き火では、イスにまるめておいた

私の愛用のヨットパーカーに火の粉が飛んで、

大きな焦げ穴が!

大失敗です。

 

そしていつものように、

服もカラダも煙臭くなる。

自分自身も含めてすべて洗濯です。

 

またクルマの室内も当然けむり臭い。

荷台には薪の破片が散らかっている。

 

と、後始末もいろいろと大変なのですが、

時間ができると、また懲りもせず

せっせと薪を買い集めたりして、

河原へと出かける。

 

うーん、なんなんでしょうね?

焚き火の魅力って。

 

厚木・七沢でコーヒーブレイク

 

神奈川県の厚木市七沢温泉近くにある、

パイオニアコーヒーにてひと休み。

 

温泉帰りではないですよ。

そんな贅沢は時間が許さないから。

 

 

 

ここは二度目。

ほどよい田舎の風景がいいんです。

コーヒー豆のローストと卸だから、

客の入りはあまり気にしていないようす。

こちらも気兼ねがない。

 

 

 

七沢ブレンドとチョコケーキをいただく。

いつもミルクを入れるけれど、

ストレートでいただいてもスッと飲める。

嫌な渋みもなく、胃にもさわらない。

 

 

外は風が強く店内にも風が抜ける。

スタンダード・ジャズが流れる店内。

 

 

とてもいい時間だなぁと改めて思う。

この風は海岸沿いの風のようだ。

すぐ近くに海が広がっている…

 

そんな錯覚に陥っても、

何の不思議もないようなひとときだった。