天気痛とは何か?

妙なタイトルです。

説明するとですね、

低気圧が近づくと、頭痛をはじめいろいろな不調が出る―

これ、天気痛というそうなんです。

 

呼び名もその仕組みも、

最近、解明されたとのこと。

 

この症状をムカシからもってるボクなんぞ、

「やっと解明されたの?」と思っている。

 

では満月の夜にもアタマが痛くなる―

これもボクがもってる症状なのだけど、

どうもまだいまだ解明されていないみたいだ。

 

で天気痛だけど、このことを知ったのは、

NHKの「サイエンスZERO」という番組。

(私はこれ、毎回録画しています)

 

低気圧が近づくと、

耳のなかにある内耳という器官が敏感に反応し、

いろいろな不調を招くのだとか。

 

ふーん、なるほど。

 

この仕組みを解明したのは、内科医のお医者さん。

頭痛の患者さんのつぶやきを聞いているうち、

ハタとひらめいたそうです。

 

「天気と頭痛!!」

 

で、まずは、ネズミで実験を開始しました。

人間とネズミの内耳は似ているからだそうです。

結果、気圧を下げるとネズミも不調になることが判明。

 

正確には大気潮汐(たいきちょうせき)により、

内耳の敏感なひとにいろいろな影響を与える、

ということらしい。

 

大気潮汐(たいきちょうせき)とは、

太陽の放射や月の潮汐力などの影響で発生する、

周期的な地球の大気の運動のこと。

特に大気中層の成層圏や中間圏・熱圏などでは、

顕著な気圧変動や風の変化として観測されるため、潮汐風とも言う。

同様の周期で起こる海陸風とは異なり、

大陸規模であること、

主に1日2回周期で昇圧と降圧を繰り返すことが特徴。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

んんん?

 

難しいけれど、雰囲気はなんとなく伝わりますよね。

要は、太陽や月の影響で気圧が変わる。

そんな感じかな。

 

季節では春先が多いとのこと。

いまごろですよね?

 

で、どんな薬が効くのかというと、

どうも乗り物酔いの薬とのこと。

 

早速、iPhoneに気圧予報アプリを設置。

乗り物酔いの薬も買いました。

 

備えは万全である。

さあ、いつでも来い、低気圧!

これで長年の不快が取り除かれるのかと思うと、

実にうれしい。

 

がしかし、いまひとつ疑っている自分がいるんだよね。

 

神奈川を一望する―湘南平

だだっ広くて見晴らしのいいところ、ないかな?

閉じこもっていてもいい加減、ストレスが溜まるし。

で、ここがアタマに浮かんだ。

湘南平は、標高約180メートルの高台。

360度のパノラマ。

富士山、丹沢、相模湾と、海も山も一望できる。

「夜景100選」に選ばれているので、夜は絶景だ。

テレビ塔展望台と高麗山公園レストハウス展望台と、

2つの大展望台がある。

春には桜の名所にもなっている。

大磯の海上を飛んでいるヘリコプターが、

展望台から見下ろせるなんて面白い。

木々の間から海がみえる。

普段はあまりないシチュエーションなので、新鮮。

山頂のタワーは、東京タワーからの電波を受けて、

神奈川の山沿いの家々に電波を届ける中継点。

ぐるりと見渡すと、

南はブルーな海がだだっーと広がり、江ノ島がポツンと浮かんでいる。

横浜のランドマークタワーがにょきっと見える。

振り返ると、大山・丹沢山塊に不気味な雲の塊。

富士・箱根方面は霞んでいるなぁ。

伊豆半島は海に張り付いているようだ。

(縁結びの鍵)

 

 

煙となんとかは高いところにのぼる…

とかなんとか陰口が聞こえてきそうだが、

高いところ、好きだなぁ。

そういえばムカシ、占い師にこう言われたことがある。

「あなたの前世は、モンゴルの或る部族の首長で、

いつも高地の平原を馬で駆け巡っていた…」

ホントかよ?

(梅が咲いていました)

 

天国への階段

初めてその夢をみたのは、

確か20代の頃だったように思う。

その後、幾度となくおなじ夢をみた。

その風景に何の意味があるのだろうかと

その都度、考え込んだ。

それとも何かの警告なのか?

 

30代のあるとき、友人と箱根に出かけ、

あちこちをクルマで走り回っていた。

心地のいい陽気。日射しの降り注ぐ日。

季節は春だった。

 

ワインディングロードを走り抜ける。

爽快だった。

が、カーブに差し掛かったとき、

私はこころのなかで「あっ」と叫んだ。

 

そのカーブの先にみえる風景が、

私が夢でみるものと酷似していたからだ。

 

夢のなかで私は、

アスファルトの道をてくてくと歩いている。

どこかの山の中腹あたりの道路らしい。

それがどこの山なのか、そんなことは考えてもいない。

行く先に何があるのかも分からない。

 

陽ざしがとても強くて、暑い。

しかし不思議なことに、全く汗をかいていない。

疲れているという風にも感じない。

 

カーブの先の道の両脇には、

或る一定の間隔で木が植えてある。

その木はどれも背が低くて、

幹が白く乾いている。

太い枝には葉が一枚もない。

 

そのアスファルトの道が、

どこまでも延々と続いていることを、

どうやら私は知っているようなのだ。

 

夢でみた風景が箱根の道ではないことは、

その暑さやとても乾いた空気からも判断できた。

現に箱根のその風景は、

あっという間に旺盛な緑の風景に変わっていたからだ。

 

しかし、それにしても夢でみた景色とそっくりなのが、

不思議でならなかった。

 

夢のなかのその風景は、

メキシコの高地の道路のような気もするし、

南米大陸のどこかの道なのかも知れないと、

あれやこれやと想像をめぐらすのだが、

私が知った風景ではないことは確かだった。

 

つい最近も、仕事の合間のうたた寝の際、

夢の中にその風景が現れた。

 

立ち枯れた木がずっと続くその道の先は、

きっとその山の頂上に続いているのだろうと、

ようやくこのとき私は想像したのだった。

 

酷似した箱根のあの道の先には、

瀟洒なホテルが建っている。

夢に出てくる景色ととても似てはいるが、

やはり違う。

 

ただ、現実にみたその景色が、

私のなかの何かを呼び出したことは、

確かなことなのだ。

 

そこに意味があるように思えた。

「あなたがみた夢を決して忘れないように」と。

 

夢のなかでは、怖さも辛さも感じない。

とても強い陽ざし。

暑さと乾燥した空気。

あたりに風は一切吹いていない。

それは異国のようでもあり、

とても穏やかで静かな時間だった。

 

覚醒した私は思った。

 

頂上にたどり着いた私は、

やがて、空へと続く一本の階段を発見する。

そして、誘われるように、

その階段をテクテクと昇ってゆくのだろうと。

 

もちろん、その階段は天国まで続いている。

 

幸福な時間とは

 

最近、絵を描くことに挑戦しているが、

ぜんぜん上手くならない。

 

雑誌「一枚の繪」もかなり買い込んだ。

ぺらぺらと眺めていても、どれも上手い絵ばかり。

 

Pinterest(ピンタレスト)という画像アプリで、

仕事の空いた時間に世界の名画とか印象派の絵、

ニューヨークアートなどもけっこう丹念にみているが、

やはりため息しか出ない。

 

そのうち、何のプラスにもならないような気がしてきた。

 

そもそも小さいときから絵は下手だったし、

図画工作の時間も苦痛だった。

なのに、中学一年のときの美術の時間に

クリスマスカードを描くことになり、

そのときアタマにパッと絵が浮かんだのだ。

 

雪のなかをトナカイが、

サンタを乗せたソリを引いて疾走している。

背景には北欧の針葉樹が雪をかぶっている。

遠くに赤い家がポツンと建っている。

 

誰でも思いつきそうな絵柄ではあるけれど、

そのときは我ながら「すごい」と思ったのだ。

そして思いついたからには、それを必死で描いた。

こればかりはかっこよく描かなくちゃ…

 

必死で描く理由が他にもあった。

同じクラスの好きな女の子に、

その絵をプレゼントしようと考えていたからだ。

 

結果、先生にも誰にも褒められなかったし、

ひいき目にみても上手いとは言えない出来だった。

 

結局そのクリスマスカードは好きな子に渡すこともなく、

机の引き出しのなかにしまい込んでしまった。

 

けれど、この創作の時間というものには、

思いがけない収穫があった。

夢中で描いていたあの時間が、

あとでとても幸福だったと気づいたからだ。

 

あの濃密な時間は不思議なひとときだった。

 

それはギターの練習でも味わったし、

高校の吹奏楽部でのトランペットの練習でも、

拳法の鍛錬でも味わった。

受験勉強も仕事でも、たびたび感じることができた。

 

それがいわば集中力というものと同じなのか、

僕には分からない。

 

けれど、その基準はきっと、

「時の過ぎるのも忘れてしまう至福のとき」

だったような気がする。

 

 

そしてもうひとつ気づいたことがある。

 

絵が上手いとはどういうことなのか?

その疑問が今日まで続いている。

 

絵画教室というのもあるけれど、

どうも気が進まない。

そういうところで習ったひとの絵を

幾度となくみたことがある。

皆ホントにみるみる絵が上達するし、

上手いとは思うのだけれど、

どれも一様に惹かれるものがないのだ。

 

そこが分からないのだ。

そのあたりが僕の絵に対する謎であり、

いつまで経っても解くことができない

知恵の輪のようなものになっている。

 

幸福な時間の過ごし方の一端は

掴んだような気がするけれど。

 

 

 

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

新年明けましておめでとうございます

 

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

最近は、古い映画や音楽ばかり観たり聴いたりしています。

やはり感度のいい時期に接したものは忘れませんね。

 

映画では、クリント・イーストウッドの「許されざる者」が

良かったですね。

彼の当たり役である「ダーティーハリー」シリーズより

もっと古いけれど、まだ観ていない方にはおすすめです。

筋はシンプルだけど、見応えがあります。

 

音楽は、歌謡曲、フォークソングからグループサウンズ、

ソウルミュージック、ジャズ、フュージョンと、

テキトーというかデタラメに聴いています。

 

ここ数日は映画「フットルース」の主題曲にはまってます。

フットルースってどういう意味なのか気になって調べてみたら、

まあ「足のおもむくまま気ままな」でした。

あえて肉付けするなら、

 

―夢ばかり追いかけている風来坊―

―気ままな旅行者―

―好きな所へ行けて好きなことができて…―

 

というような英語の例文が出ていました。

なんかいいですね。

若かりし頃、まさに自身が描いた理想です。

この映画、余計に好きになりました。

 

と言うわけで、

みなさまにとっても良い年でありますように!

 

 

アウトドアで年を越したら…

 

家庭の事情により、若い頃から

年越しはほぼ外で過ごしていた。

(少し不良だった気がするけど)

 

初めて外で年を越したのは中学2年のとき。

学校の友達と二人で川崎大師に行った。

 

京浜急行の川崎大師駅は人で溢れていて、

朝のラッシュアワーと変わらない混み具合。

お寺までは、夜店や屋台がひしめいていて、

とても夜中とは思えない賑やかさだった。

 

ぞろぞろと歩いてようやく行列の最前列。

そこには巨大なさい銭箱があって、

白い布が敷いてある。

100円玉、10円玉、5円玉がどっさりとひしめいている。

そのなかにお札が幾枚もひらひらしていた。

 

あっけにとられてまごまごしていると、

後方からお金がビュンビュンと飛んでくる。

僕は大きなフードの付いたジャンパーを着ていて、

そのフードのなかに

お金がどんどん入ってくるのが分かった。

 

後で屋台のうどんを食いながらフードをのぞくと、

なんとお札も入っていたので、

このお金で横浜駅までタクシーで

帰ろうということになった。

うどんは自前で払った。

 

国道に出て、さてタクシーを拾う段になると、

僕と友人はなんだか急に後ろめたい気持ちになった。

そして、そのさい銭について話し合うこととなった。

 

話の内容はざっとこんなものだった。

このさい銭を投げた人たちのなかには、

必死の思いで年越しで願掛けにきた人たちも

いるのではないか。

そのお金を大師さんに届けることなく、

タクシー代に使ってしまうのは、どうも罪が深い。

これでは罰当たりになってしまう…

 

ということで、

二人はとぼとぼと川崎大師に舞い戻り、

再び行列に並んで

さい銭箱にそのお金を投げ入れた。

 

なんだか時間だけが過ぎてしまい、

時計をみるとすでに午前2時をまわっていた。

駅に行くと電車はすでに止まっていた。

しようがないので二人は横浜をめざして

国道を歩きはじめた。

 

横浜に着く頃には

夜が明けて電車も走り始めるだろうと、

あまい推測で歩いていたが、

国道に吹く海風があまりに冷たくて、

僕らの身体は冷え切ってしまい、

くたくたになってしまった。

 

お互いに話す気も失せてしまい、

だんだんもうろうとしてきた。

 

歩く体力も気力もなくなり、

僕たちはガードレールにもたれかかって、

途方に暮れていた。

 

と、一台のトラックが止まってくれた。

「ヒッチハイクしているのか?」

「いや、まあそんなもんですが」

「どこまで?」

「横浜駅までです」

「通るから乗せてってやるよ」

「ありがとうございます。助かります」

 

偶然というべきか、ラッキーなことって

起きるものなのだと思った。

 

そして相手がどんな人か疑いもせず、

僕たちは極度の疲れからか、

クルマに乗り込むと即、眠り込んでしまった。

 

「君たち起きなさい、横浜駅に着いたぞ」

あわてて僕たちは目を覚ます。

 

そしてそのドライバーさんに

深くお礼をいって駅をめざした。

 

始発が出るまで僕たちは、

プラットフォームで再び眠り込んでしまった。

 

という訳で外での年越し初体験は、

思わぬハプニングに見舞われた。

 

この一件で僕のなかでは、

後のいい教訓となった。

曰く、もう少し計画性をもてと。

 

その後、箱根の強羅付近を歩いていて、

年がかわったことがある。

また河口湖のスケートリンクで年を越したこともある。

いずれも酷寒だったけれど、

前もって防寒服と食料と飲料を準備していたので、

楽しく年を越すことができた。

 

エネルギーが溢れていた頃だから、

何かをしないではいられない。

そんな気持ちも、

外での年越しを後押ししていたような気がする。

 

にしても、さい銭泥棒にだけには

ならなくて良かったと思っている。

いまさらながら。

 

フジコ・ヘミングのコンサートへ行ってきた

 

 

 

クラシック音楽、好きですかと聞かれると、

それほどでもとこたえるだろう。

正直、クラシックという柄じやない。

 

以前のブログでも書いたけれど、

リストという作曲家のラ・カンパネラを弾く、

フジコ・ヘミングは別である。

 

イタリア語で鐘を意味するラ・カンパネラ。

 

ピアノの高音が魅力的でなければ、

あの美しく荘厳な欧州の教会の鐘の音は、

再現できない。

そして、その音に哀愁のようなものがなければ、

ただの音になってしまう。

 

僕は、ん十年前イタリアのフィレンツェでこの鐘の音を

間近で耳にしたことがある。

 

夕暮れだった。

 

それは、日本の寺院から聞こえる鐘の音と、

ある意味で双璧を成す、

美しくも厳かな響きだった。

 

フジコ・ヘミングは、その鐘の音に

心を宿したといっても過言ではない。

 

ラ・カンパネラという曲をピアノで弾くのは、

超絶技巧である。

それは演奏を観ているシロウトの私でも分かる。

 

リストは、この曲をピアノで弾く際に、

器用さに加え、大きい跳躍における正確さ、

指の機敏さを鍛える練習曲としても、

考えて作曲したというから、

天才のアタマは複雑すぎて分からない。

 

この難曲を正確無比に弾くという点では、

辻井伸行の右に出るピアニストはいない。

彼もこの曲に心を宿しているひとりに違いない。

 

 

では、フジコ・ヘミングの何が僕を惹きつけるのか?

 

それは、人生を賭けたピアニストという職業に

すべてを捧げたフジコ・ヘミングが、

ラ・カンパネラが自身に最もふさわしい曲と、

ある時期、確信したからと想像する。

 

真っ白なガウンのような豪華な衣装で彼女が登場すると、

当然のように満場の拍手がわく。

杖をついている姿はこちらも折り込み済みだけど、

もう90歳近いこのピアニストの演奏を

いつまで聴けるのだろうかと、ふと不安がよぎる。

 

しかし、彼女が弾き始めると会場の空気が、

いつものようにガラッと変わる。

これはどう表現したらよいのか分からないが、

とても強いエネルギーのような旋律が、

その場を別の次元にでも移動させてしまうほどの、

力をもっている。

 

興味のない人でも、たかがピアノなのにと、

平静を装うことはまずできない。

そんなパワーのようなものをこの人はもっている。

 

レコードやCDで聴くのとはなにかが違う。

いや、全く違う。

そっくりだけど別物の存在なのだ。

 

僕はクラシックがあまり好きではないし、

知識も素養もない。

 

だけどフジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは、

どういう訳か、とても深い感動を得ることができるのだ。

 

 

 

河原で久々のたき火です

 

例の騒ぎで閉鎖されていた河原がやっと解放されました。

 

 

近所の知人と、薪を5束と着火剤とイスとテーブルと

サンドイッチとコーヒーをもって、久しぶりに河原におりる。

 

この日の河原の気温は、推定3度くらい。

さっさと火をつけないと底冷えと湿気が身体にまとわりつく。

ユニクロのヒートテック、いまひとつのような気がしましたね。

 

 

火が安定するとホッとひと息つけます。

イスに身体を沈めて、コーヒー&サンドイッチ。

で、後は世間話をするだけなんですが。

 

 

僕がたき火に行ったと話すと、

たき火未経験の友人、知人は必ずこういうのだ。

 

「たき火だけ? なにか面白いことあるの?」

 

僕もそう思っていました。

 

 

たき火初体験は、丹沢の山の中でした。

アウトドア・ベテランの知り合いに連れてってもらいました。

このときは数人で夜中まで火を囲みました。

話すこともなくなると、みんなおのおの星空を仰いだり、

薪をくべながら火をじっとみていたり。

僕は、背後の木々のあたりから、赤い目がふたつ光っていたのが

忘れられません。

 

火をみていると、黙っていてもなんだか間がいい。

話し続ける必要もないし、それより沈黙がよかったりする。

 

 

刻々と変化する山のようすだとか空の色だとか、

時の移り変わりを身体で感じることができる。

 

火をじっとみていると、なんというか、

とても古い先人たちのことを僕はアタマに描く。

 

火を扱うことを覚えた古代のひとたちは、

肉なんかを焼いたりすることで、

とても感動したんじゃないか…

 

そんな遠い遠い記憶が、

僕たちにも刻まれているのだろうか?

 

 

「谷内六郎展」を観に横須賀美術館へ

 

谷内六郎展ということで、

ドライブがてら、

横須賀美術館へでかけた。

 

 

ここを訪れるのはおおよそ5年ぶり。

前回はニューヨークアート展だった。

海辺が至近の美術館で、

まわりの景色も

とてものったりとしている。

 

前回、リキテンスタインの作品とか、

ウォーホルのキャンベルスープなど、

興味深い作品をじっくりと鑑賞できたので、

印象がよかった。

 

もう一度訪れたいと思っていたので、

今回はそのよい口実がみつかった。

 

 

 

 

谷内六郎といえばやはり週刊新潮だろう。

彼の絵が、毎週この雑誌の表紙を飾っていた。

創刊から25年書き続けたというから偉業である。

 

 

 

僕はこの表紙の絵を、

通勤途中の駅のキオスクや本屋でみかけたが、

当時はたいして気にならなかった。

週刊新潮の中身そのものにも興味がなかったので、

目を引くこともなかったのかも知れない。

 

彼の描くものに俄然注目したのは、つい最近のことだ。

それは或るテレビ番組で谷内六郎特集を観てからだ。

このときは暇だったので一点一点じっくりと鑑賞。

解説をききながら絵を読み解くうち、

この画家のイマジネーションの壮大さに、

改めて驚いた。

 

むかし、キオスクでちらっとみたときは、

素朴なタッチの懐古的な絵で、

なおかつ奥行きのない平坦な絵との印象だった。

まあそもそも駅のキオスクで

ちらっとしか観ていない絵の印象を語るなんて、

そんなものは失礼極まりない。

 

 

僕は、絵というもの、

そのものを詳しく知らなかったし。

 

で今回の再認識だが、

この谷内六郎という画家の描くものには、

どの一枚にも必ず物質とはいえない、

我々の目には見えないものが描かれている。

 

曰く、それが爽やかな夏の風の色であったり、

囲炉裏のあったかい空気であったり、

木枯らしに乗ってきたかわいい妖精の姿であったり、

春のふるさとの桜のかおりであったり…

 

 

そしてこの画家の描くものには、

思い、想いというものが、

ぎゅっと詰まっている。

そのやさしさやおもいやりのようなものが、

夢と空想の世界をかたちづくり、

観る人を不思議な世界へと誘う。

 

 

横須賀は、彼が晩年を過ごした地でもある。

よってこの美術館には、

別館として谷内六郎館が併設されている。

現在は工事中だが、今回は生誕100年ということで、

本館で展示されている。

 

5年前に訪れたときは、

ニューヨークアート展に集中してしまい、

前述したように谷内六郎作品に対する印象も薄いものだったので、

この別館を素通りした。

いまになって深く反省をしている。

 

 

遅きに失したけれど、

アーティストだけでなくクリエーターも含め、

ものをつくるひとたちの作業というのは、

当然いろいろなことを考え、想像し、

それをカタチにしている。

そうした一連の行為に対して、

僕たちは軽々しく論じてはいけない、のではないか。

 

 

これが今回の僕なりの教訓。

 

作家や作品が好きか嫌いか、

私たちにとってはその程度のことで、

あるにしてもだ。