流浪

笹の葉でつくった

華奢な船に乗り

ぶつかり揺られて

そのうち落ちる

そうやって生きている

そんな生活でいいのかと

尋ねたが

逆に

狂っているな

あんた達と…

好きなものなど

知る術もなく

愛するものは

自分のみ

この夜の月も

あの海の広い心も

あたしだけの為よとか…

そうなのかい?

あんた達って

そんな檻に棲んでいるから

明け方のちょうど4時20分に回るテープの

歪んだ音のその声に眠っている

ひとかけらの真実が

聞けないのさと

なにも見えていない

聞こえないから

恐ろしいんだな

あんた達

それが

この世の本当の姿なんだと

今日も

高台から明日を見渡すと

光る水面に

やはり笹舟のあなた

濡れた姿まで

それがまぶしく

美しく

揺られ流され

午後の日射しのなかに

しまいに

消えてしまったけれど

もう一度

あんた達

狂ってるよって

話して欲しかった

あなたという種族が

確かに生きていた

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彷徨う夢

その道は

確かに

頂へと続く筈だった

両脇が小高く切り立ち

赤土が木の根を覆うのを

常として眺めながら

皆この道を歩いている

笹の枝が垂れ

その隙間を探すように

わずかな日射しが

ときに顔を照らし

それは温かく美しい光だった

敷かれた石はどれも苔に覆われ

そこを踏みしめ

来る日も来る日も

人はその勾配を登る

汗を拭って振り返ると

ふとした不安がよぎるが

しかしだ…、と

人は皆そこで

語気を強めるのだ

ここまでくると

あきらめとともに

もう引き返すこともない

再び足を運び

前へ前へ

それしかないと

そりが宿命であれ

私なりの頂をめざそうと

歯を食いしばる

やがて笹が途絶え

敷石が消え

その道がまさしく

人を裏切るように忽然と姿を消すと

あたかも知っていたかのように

もう慌てることもやめ

ときに

しょうがないなぁと口走り

鳥も羽ばたかない

暗い森のなかを

独り彷徨う様は

もはや

死への旅路と化すのだった

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旅する詩人、ムスタキのこと

我ながら思春期の頃の夢はませていて、

吟遊詩人になりたいと、

人に話したことがある。

きっかけは、ジョルジュ・ムスタキだった。

それは、この人をテレビで観たときからだ。

彼はいつも、

世界のどこかの街角で詩を書いていた。

キリストのような白い服を着ている。

手づくりの詩集が少し売れる。

それで暮らす。

決して沢山は売れない。

それがみじめだとか、

働かないとか、

そんな風には全く見えず、

私は、彼がまさしく

「自由に生きている」と感じたからだ。

ムスタキはヒッピーではない。

物乞いでもない。

風の詩人だ。

だがしかし、

実は本当のムスタキは、

著名なシンガーソングライターだった。

ユダヤ系フランス人で、

「異国の人」という歌でヒットを飛ばしていた。

当時、私がなにも知らなかっただけだ。

異国の人とは格好良い語感だが、

意味合いはよそ者とか、ガイジン。

そんなニュアンスだ。

この歌は、

世間の規律からはみ出した人やロマン主義者、

祖国を亡くした人々、無国籍者、

はたまた無銭旅行者たちを魅了した。

が、彼のこの歌への想いは、

ホントのところ、恋の告白だったらしい。

こうした勘違いって、いいなぁと思う。

詩には、ときに全く異なる解釈がつきまとう。

彼は「ヒロシマ」という歌もつくっている。

また、阪神大震災のときはいち早く日本へ来て、

チャリティーコンサートを開き、

集まった義援金を被災地の兵庫県に贈ったりもしている。

ウィキペディアによると、

彼は、日本人のことをこう評している。

―ヒロシマの敗者が、伝統と精神性を放棄している。

厳格さ、馬鹿丁寧にぺこぺこする、常に自制心を失わない、

能率のよさ、何が何でも時間を厳守する、

これらに対しては何の魅力も感じない

(略~しかし)

冷静な微笑の裏には本物の親切がある…と。

最後のことばが気にかかる。

ここにムスタキの気持ちが集約されている。

彼は日本を愛していたのだと、私は理解したい。

今年の5月、ムスタキは78才の生涯を閉じた。

勝手な勘違いとはいえ、

彼は、多感な時期の私をトリコにした。

中学生のとき、友人の家にみんなが集まり、

ストーブを囲み、

将来について語り合ったことがある。

誰かが社長になりたいと言った。

建築家になると語った友人もいた。

そして、

私はそのとき、吟遊詩人になりたいと…

当然、場がしらけて私は笑われた。

あれからいくつも時代は過ぎたが、

やはりいまでも、

吟遊詩人はいいなと思うことがある。

これって、

ムスタキさんの影響と思うのですが…

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白い夏

透き通る

青と白のストローに触ると

コップのなかの氷がカランと鳴る

ほら

ダンボが飛んでいるよって

ガラスに描かれたディズニーの絵にみとれ

額の汗を拭い

そしてやおら立ち上がると

じっと動かないでいる

軒先の金魚風鈴が気になった

テーブルの上に広げられた

描きかけの絵日記

ぱらぱらとめくっても

ただ毎日晴れとだけ続いて

たどたどしく

赤いクレヨンで

どこもおひさまの絵ばかりなので

隣の家の庭を眺めて

そうだ

今日はひまわりを描こうと…

風が凪ぎる

時が止まる

そこを切り取り

私の遠い夏を持ち帰えると

確か傍らに

おかっぱ頭の姉がいて

姉は信じられないほど

作文を書き続け

本を積み上げ

私たちはことばも交わさず

姉は汗も拭かずに…

その頃

きっと親の期待が重かったのだろうと

止まった夏時間は

もう姉の記憶にないだろう

母は氷を砕いて

たらいにスイカを置き

その姿はいつも健康で丈夫で

いつまでも若いと思っていた

それは父も同様で

大きな背中はなにも言わず

語らず

しかし世の中のことは

すべて知っているようで

そんな父が怖かったけれど

たまにを私を連れ

映画へも出かけた

昨日の朝

あなたたち二人の写真に

挨拶をした

なにかとても穏やかそうで

それがなによりで…

8月1日

施餓鬼

8月9日

あなたのいなくなった日

そして今年は

お母さん

あなたの新盆です

そうだ

久しぶりに姉に電話してみます

そして尋ねてみます

あの夏は覚えていないだろうけれど

金魚風鈴って知ってる? って…

innocent

野蛮とデリカシーをかき混ぜ

人がね

程よくできあがるってさ

ああ

そんなことってあるんだ

己の誠実を生きると

それはつまりぶつかるんだよな

まっすぐな心って結構やっかいでさ

きっといつかどこかで

誰かを傷つける

その意識がどう動くか

分かっている奴は

振り返る繊細さを発見し

そして

抑揚のある思考を掴むからね

けれど

複雑さに閉じ籠もろうか

自己嫌悪に沈もうかとか

思う訳で

辛いけれど…

人はどうしたって人なので

やはり

人のなかでしか育たないから

それを救うのも殺すのも

そうだね

きっと

野蛮な奴の仕事なんだよなぁ

しろやぎさんからのメール

しろやぎさんからメールが届いた

くろやぎさんたら読まずに削除

仕方がないので返信書いた

さっきのご用事なあに

くろやぎさんからメールが届いた

しろやぎさんたら読まずに削除

仕方がないので返信書いた

さっきのご用事なあに

それから街でバッタリ会って

笑顔を見たらとても嬉しくて

きのうまでの誤解も解けて

仲直り

しろやぎさんはメールをやめて

くろやぎさんも同じように

そうしてなんだかラインを解除

フェイスブックも閉鎖して

ぶつぶつつぶやくこともなく

しろやぎさんもくろやぎさんも

それからみんなと会うようになって

そしたらとても喜んでくれて

ついでにその輪は広がって

そのうちだんだん

世の中

平和になったとさ

仮想狂気(もうひとつの春)

悲しみも歓びも

分からない

はい

分からないんですと

異次元のまなざし

ひねもすのたり

なにも得ず

なにも語らず

そうして

ディスプレイの中に棲む

春はあけぼの

夢ごこち

窓をあけると

そよ風とPM2.5と黄砂

4月の新生活

駅のホームで

電車止まる

原因は俺の同僚

あの世へ出勤

ミサイルも地震も噴火も

放射能も

なにも怖がることはありませんと

黒い尼僧が笑う

ひばりさえずり

高くはばたき

ここよここよと

睡るひとのありか

小川のせせらぎ

ひとが流れる

みんな息絶えて

桜咲く

光る陽ざし

こぼれるほどの緑

花咲き乱れ

ほんの隙間に

春の狂気が隠れてる

啓示 (その伝達と受信について)

午前2時

漆黒のゆらぎ

生命の想念

キキッと

宇宙のつぶやき

銀河の渚に

独り

国境もミサイルも

躰の痛みも

憂鬱も

天の川の

ゆりかごに睡る

ときの旅人

鋭意なまなざし

思索する宇宙

浮遊 浮遊

ころりと

こてんと

ひき汐歩いて

塵を振り払い

塵をまき散らし

細胞

欲望

現世

来世かっ

えいっ

くそっ

やっぱり

生きてみようかと

「青い瞳のステラ」 大好きだった故・柳ジョージさんに捧ぐ

伊勢佐木町の賑わいを眺めながら、

R16を南下する。

山元町のトンネルを抜け、幅広の道に出る。

両側には商店街が続き、

左にあこがれのリキシャルームの看板がみえた。

本牧だ。

いつか彼女ができたら、ここへ誘いたい。

いつもそう思っていた。

右にリンディ、派手なディスコ。

ここはたまに来るが、フロアの真ん中にアメ車が鎮座する、

それ以上でも以下でもない、赤い色が似合うディスコだ。

僕は小湊の信号を過ぎたあたりからスピードを落とし、

フェンスが続く芝生の向こうをじっと凝視する。

45番のペンキの札が近ずく。

その立て札が立つ芝生の家に、あの子がいる。

名は知らない。

ブロンドの髪を長く伸ばし、

そばかすの細面の顔に、

澄んだ青い宝石のようなまなざしで、

いつもフェンスの外側をみつめている。

僕は彼女のことを、勝手にステラと名付けた。

ステラは真っ白いペンキの家に、

軍人の父と教師の母親と、まだ幼い弟と、

3人で暮している。

ステラはいつも黄色のワンピースを着ている。

開いた胸元に、

きらきらと光るペンダントを

いつもぶら下げていた。

僕のカーラジオからは、ブルースが流れる。

FEN放送は、たまにこんなのも流すのか。

そんなことをぼんやり考える。

この歌は、黒人の労働の辛さを語った悲しみの歌。

南部テネシーあたりの歌だろう。

ゆっくりと流れる景色のなかに、

遠く貨物船が煙を吐いている。

運良く今日は赤信号にひっかかる。

45番の家の正面。

僕はフェンスの向こうをじっとみる。

ステラの弟が庭のプールではしゃいでいるのがみえた。

傍らで母親が、

じょうろで弟の頭に水をかけてあげている。

光る芝生と水のきらめき。

極彩色のビニールプールと、

淡い色の洗濯物が、

夏の陽ざしに鮮やかさを増す。

一度、ステラを

根岸の競馬場跡の近くの喫茶店で

見かけたことがある。

このときはどきどきしたが、

なんてことはない。

ステラはボーイフレンドと一緒で、

あのいつものワンピース姿ではなく、

派手な化粧にTシャツ姿で、

きらきらと輝くペンダントはしていなかった。

ステラとすれ違うとき、

彼女はふっと微笑んで、

どうした訳か、

僕にキャンディをくれた。

そのときのキャンディを包んでいた英字の新聞紙は、

まだとってあるというのに…

あれから一ヶ月。

ステラをみかけない。

この道を、昼夕と2度通るが、

今日もステラはいないようだ。

あの派手な化粧とボーイフレンド…

ステラが何処へ行ったのか、

誰か知らないかい。

まなざし

愁いた視線

気の強いまなざし

そのメッセージは

小動物の鳴き声のように

全身に絡みついて

離れず

いつからか

あなたを追う羽目になり

そうして巡る旅が

今日まで続いて

空虚だけが

私の宙に浮かんでいるけれど

過ぎた年月は

幾度となく

過去と絡み合って

混濁を生む

ああ

愁いた視線

気の強いまなざし

あの日

あなたは

素っ気なくて

だけど

僕は

そんな時を超えることもなく

今更する引き返すこともなく

記憶のなかで

あなたがわずかに微笑んだことも

知っているから

相も変わらず僕の宙には

空虚だけが

ぽかんと口を空けている