東京ファッションレポート

 

諸用で久しぶりの東京。
新宿から山手線に乗る。

行き先はたった4駅先の恵比寿なのに、
このわずかな時間に新たな発見があったので、
この際共有しようと書いてみた。

まず驚いたのは、ホームで電車を待っている5人に一人ほどが、
外人さんだったこと。
欧米系の方、激増ですね。

次いで驚いたのが、皆さんのファッションの奇抜さです。

もちろん、日本の方も含めてです。

今日はここ中心に話しを進めたい。

 

●気になるファッションその1

気がつくと、座っているボクの前にヌッと立ち尽くしている人がいて、
背は180センチくらいあるかな?
骨張った顔はとても男らしく、銀髪のロングのカツラをかぶっている。
顔にわずかなファンデーションが施されていて、
がっしりとした肩幅の身体に、
スパンコールのようなワンピースをぶら下げている。
超ミニ丈。
あらわな太ももには、紫のできものがいっぱいできていて、
彼は?彼女は、まわりを気にするでもなく、
つり革につかまって、
窓の外の一点に焦点を合わせている。
その姿がなんだか凜々しいのだ。

 

●気になるファッションその2

小柄な女の子がひとり、巨大なリュックを背負い、
スマホで動画を鑑賞している。
全くサイズの合っていないブルージーンズがちょいイマドキなんだけど、
メンズのLLサイズなのかな?
如何せん、やりすぎ感が高じてズタ袋をはいている状態。
ふーせんジーンズ? で、裾はメチャひきづるくらい長いのを、
赤い洗濯バサミのようなものでテキトーに留めてあり、
一部が床に垂れて引きずっていて、ボクは「ん?」と思ったね。
こういうのってかっこいいのかな?

 

●気になるファッションその3

帰りの山手線で。
陽も落ちて窓の外にネオンが光っている。
社内は混んでいて、ボクはいったん降りて車両を移動。
ちょっと空いているドアに滑り込んだ。
ひと息ついて反対側のドアに目をやると、
全身黒ずくめの小柄な男とおぼしき人間が、
ドア横の壁にぴったりと張り付いていてピクリとも動かない。
車両が大きく揺れても、彼?は微動だにしない。
その黒ずくめは、ちょうど外国映画に出てくる
悪魔の儀式に集まる人の衣装にそっくりで、
つなぎの帽子のようなもので顔面・頭部を覆っている。
「何者だ!」とボクは心の中で叫んだね。
手には楽器ケースのようなものをぶら下げている。
仮装パーティーの帰りで、会場でクラリネットでも吹いていたのか?
(せめて着替えろよ)

 

●気になるファッションその4

その女性は欧米系で、確か渋谷で下りたような気がする。
階段を上る姿を見て驚いたのだが、
きちっとした白いジャケットの下はスパッツのみ。
それがなんというか薄すぎたため、この日本に於いては、
如何せん刺激が強すぎた。
その薄くてピンク色のスパッツ姿って、ほぼ下着だろう?
と、まわりをみても誰も驚いたりしない。

↑それが東京の流儀なのだよ、おっさん!
とまわりに諭されているようで、
返って自分の反応を恥じなければならない気分になる。

誰もまわりに無関心を装うのが東京流。

んー、なんだかよく分からないけれど、
手強いなぁ、最近の東京。

もうついて行けないし!

 

※今日の画像は失敗作ですな。チャットGPTがボクの要望を受け付けない結果がこれです。

 

今月の一枚

 

 

最近、発展がめざましい海老名だけど、

この駅をよく使う身としては、

人が異常に増えたことで、疲労度も増した。

 

都内、横浜方面で働く人が増えたと聞く。

みんなの歩く速度も以前より断然早い。

 

もう東京や横浜の街となんら変わりない。

都会的なカフェも次々にオープンし、

マンションが林立し、

クルマの渋滞も以前にも増して激しい。

ナビにない道も次々に生まれている。

 

ああ、このあたりも遂に大都会になってしまった!

 

がしかし、

駅前のららぽーとの屋上も夜になると閑散とし、

そこから眺める丹沢の山並みは雄大で、

昔となんら変わることなくどんと鎮座している。

仰ぐ空は、相変わらず広くてデカい。

 

近くをゆったりと流れる一級河川、

相模川の向こうは厚木の街。

川面は街と橋の灯りをゆらゆらと映しているが、

東京の多摩川や横浜の大岡川と比べると、

いまひとつ明るさに乏しい。

 

ボクの記憶によると、

都会といなかが混在したこの不思議な景色は、

半世紀前の横浜とおおいに重なる。

 

この日、ららぽーとの屋上でカメラを構えるも、

丹沢の山並みに日没はなかなか訪れず、

赤みがかった空がしばらく不気味に光っていた。

 

UFOが飛び出してきても何の違和感のない空。

 

そういえば最近、

この日本という国はなんかあやしい。

いや、中国だって朝鮮半島だって中東だって、

ロシアもヨーロッパもアメリカ大陸も、

地球全体がかなりあやしい…

 

ボクの脳裏に「フキツ」という文字が浮かんだ。

 

 

スパンキーの時事放談

 

岸田さんは無能か

この人、去年の広島サミットで核廃絶、世界平和を唱えたけれど、ただの常套句。その道筋を示すこともない。ウクライナ紛争においても停戦を呼びかけるのではなく、ウクライナを応援しようと演説している。金も出すとほざいた。戦争の継続だ。広島の地でそんなことを言うか? 相当ズレている。何か裏事情でもあるのかと勘ぐってしまった。現在に至るまでも数々の悪行を働いてくれた。後世に語り継がれる希有な政治家だ。

 

バイデンに次期大統領は無理

この人が岸田さんに何事かを頼んでいるのか命令しているのか? 日米の歩調は根っこのところでピタリと一致しているし。先日海外メディアでバイデン大統領の演説の様子をチェックした。時折変なことを言う。まわりが固まっている。演説の最中なのにとつぜん黙して固まったりする。不自然極まりない。そんなアメリカ大統領っているかね?  誰かがこの人を操っていると推測する。

 

NHKにやる気はあるのか

大事なニュースが満載の昨今なのに、テレビをつけるとおや、今日もたいしたことなかったね、というニュアンスで番組は淡々と流れる。意図的な偏向報道とか報道しない自由とかまでは言わないけれど、ニュースの扱いにはかなりの作為が感じられる。にしても連日の大谷翔平の連呼に何の意味が隠されているのか?

 

東京都知事選挙にうんざり

先日、諸用で目黒から広尾あたりを歩き回っていた。とにかく選挙演説カーがひっきりなしに通る。で絶叫している訳だ。駅前は特に酷いので裏通りに逃れた。けたたましさは追っかけてくる。ボクは神奈川県民なので関係ないのだけれど、都民だったら誰に投票するかかなりアタマをひねらなくてはならないだろう。だって消去法、減点法でしか絞れないほど、くせものの候補者ばかりでしょ?

 

戦争の正体

ボクも長いこと生きているけれど、その間、世界のどこかで必ず戦争をやっていた。それは現在も何も変わらない。これはおかしいと思った。最近、改めて近代史・現代史の本をいくつか読み直しているが、そこでひとつ気づいたことがある。戦争って正義のためにはじまることはまずない。戦争の種をつくる奴がいる。戦争で儲かる人がいる。莫大な利益を上げる企業がある…そこが謎解きのポイントだった。構造があまりに単純かつ巨大過ぎて気づかなかった。

 

 

 茅ヶ崎ライブ(南佳孝・ブレッド&バターetc)へ行ってきた!

連休の5月5日、快晴。

久しぶりに海へでかける。

途中、車窓より富士山がかすんでみえた。

うん まだ雪をかぶっている?

平地はご覧のとおり、もう夏なのになぁ…

 

そして茅ヶ崎の浜の日差しも強烈だった。

さらに強風。

砂が、目に口に入ってひどい状態に。

サングラスは絶対必須でした。

あとマスクも…

 

 

会場に近づくとかなりの人混みとなる。

ステージから風に乗ってゆるい感じで、演奏が聞こえる。

みんなもゴロンとリラックスしてビールなんか飲んでいる。

パラソルやテントがあちこちにひらいて、

海にきたなぁと実感できる。

 

 

砂浜を久しぶりに歩くと、かなり足が重い。

歩きづらいけれど、

ロケーションの良いところを探すために、

あちこちをウロウロする。

 

にしても風がうるさくてすべてが聞きづらい。

マイクに風の音が混じっている。

まだ知らないバンドが演奏しているので、

寝転がって久しぶりの海をずっとながめる。

 

このイベントは、情報通の知人が教えてくれた。

あまり大々的に宣伝もしていないので、

ボクも以前は知らなかった。

 

今日のトリは、ブレッド&バター、

そして大トリが南佳孝さん。

全国区だけど、とりわけ湘南の人気ミュージシャンとあって、

年齢は高めの根強いファンが目立つ。

 

タトゥーを入れた70過ぎと思われるおばさんが、

ビール缶を片手にステージに上がって踊っているし、

不思議なレゲェのような服に身を包んだサングラスのおっさんが、

ムームーをひらひらさせたおばさんと抱き合っていたり、

なんだかよく分からない空気の中で、

ボクは「自由」というキーワードがアタマに浮かんだ。

 

あいかわらず富士山がかすんでみえる。

遠く伊豆半島のほうまで見渡せるロケーション。

沖に烏帽子岩、トンビが強風をコントロールして、

私たちの頭上でホバリングしながら、

会場を見下ろしている。

 

空も海もとても良い色をしている。

とにかく、いまここでボクは、

少なからず、自由を満喫しているのではないか。

そして、自由についてのつまらない定義みたいなことを

考えるのをやめた。

 

待ち合わせた知人とは、

ステージはそっちのけで話し込み、

時間は刻々と過ぎて、

そろそろという時間になる。

昼にきたというのに、あっという間にもう夕方。

日が傾いている。

そろそろトリがあらわれる頃だ。

 

ボクたちは場所を移動し、

ステージが垣間見える場所を確保するため、

ステージ裏の垣根の隙間をゲットする。

 

会場から異様な熱気が伝わる。

 

 

ブレッド&バターのふたりが登場した。

地元茅ヶ崎の仲間たちとおぼしき、

個性的な面々が最前列に集まる。

(とても不思議な雰囲気の湘南の方々…)

 

ボルテージは最高となり、

やがてはみんな総立ちとなり、

踊り出す人も。

 

彼らの人気は絶大で、

いつまでもアンコールが鳴り止まず。

(会場の気温が急上昇 笑)

 

そのうち、

楽屋裏に南佳孝さんの姿がちらちらと見え始めた。

で、ブレッド&バターがステージを去ると、

場の空気を一新するためだろうねぇ、

会場のスタッフが興奮した観客たちを座らせ、

最前線にコーンを置いたりしている。

 

南佳孝さんがステージにあらわれる。

全く違う空気感が会場に漂うんだよなぁ。

 

彼がギターのチューニングを神経質にはじめた。

 

で、ステージの雰囲気も一新したところで、

ボサノバ風の「日付変更線」からスタート。

 

このうたを聴いているうちに、

この会場が海岸にあることに、なんだか感激する。

 

 

そして、ウォークマンが発売された当時、

ボクはグアム島からパラオに飛ぶ飛行機のなかで、

まさにこの曲を聴いていたことを思い出した。

 

南佳孝さん自身も、街中のハコのライブより、

こうした海のロケーションが大好きなのだろう。

いつものクールで抑揚を効かせた、

そしてシャイな一面もみせながも、

最後はみんなにスタンドアップOKと、

かなりのってくれた。

「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」まで

披露してくれたのだから…

 

秀逸な曲、心をさらわれるうた、

海に溶けていくようなメロディー、

風に乗って消えてゆくボーカルの響き。

そして五月晴れの茅ヶ崎の砂浜。

 

舞台装置は完璧だった!

 

「いまこの瞬間、ボクは間違いなく自由だ!」

そう感じたボクの感覚は、間違っていない。

 

いまもそう確信している。

 

 

AIで絵本をつくってみた

 

せんじつAIツールのチャットGPTの話をしたが、

こいつがなかなか役に立つので、

こんどは絵本づくりに挑戦してみた。

 

過去に、手書きで絵本に挑戦したことがあるが、

あれはとんでもなく大変だった。

 

だって、まず話を考えるでしょ。

もちろん子ども向けなので、

ストーリーもそれにあわせたアイデアを

練らなくてはならない。

文章はわかりやすく、

かつ、なにかの気づきがあったり

感動があったりしたほうがなおいい。

 

ボクは、イモムシを主人公にした話でいこうと考えた。

 

イモムシって地中で眠っていて、地上に這い出してきて

さなぎになって木にぶら下がって、

やがて蝶に変身して大空を羽ばたくでしょ。

初心者のボクとしてはなかなかいい素材だなと。

 

で、文章にあわせて絵を考える。

そのとき、どの場面でひとかたまりにするか?

そのかたまりで象徴的な絵がほしくなる。

それらをあれこれと膨らましたり削ったりして、

文章と絵を確定する。

 

ボクは絵がかなり下手なので、

思案したあげく、

「はらぺこあおむし」という名作のあおむしをパクることにした。

 

パクるとはどうもひとぎきが悪いが、

描きはじめるとあおむしの絵が魅力的すぎて、

全くパクれない。

それどころか、少しモスラに似た

ぜんぜん違うイモムシができあがってしまった 笑

 

が、落ち込んでいる暇はない。

できあがった一枚いちまいの画用紙をカッターで切断して、

さてどう閉じようかと思案する。

 

ホチキスは論外なので、画用紙にていねいに穴をあけ、

100均で買ってきたリボンで閉じてみた。

 

まあ、そのできあがりの雑なことといったら、

しろうとまるだし。

自らの不器用さを笑いました。

 

これをボクのかわいい孫にプレゼントしたのだが、

反応はイマイチ。

あまりうれしそうではなかったような…気がしていた。

(このときはテキストをかなり省いたので、

下手な絵と雑な製本だけが強調された)

 

こうした失敗をバネに、

今度はチャットGPTという、

強力なツールに応援いただいた訳だ。

 

ボクのだいたいの原案テキストをチャットGPTに流し込み、

「絵本をつくるからあとはよろしく頼む」的指令を出すと、

あっという間にちょっと感動的な物語りを出してきた。

(なんかコイツ、すげぇなぁと感動した。

がそれもつかの間で怖いなぁとさえ

感じた次第)

 

が、コイツへの違和感はさておき、

ボクは先を急いだ。

 

チャットGPTがつくったテキストを

さらにこねくり回して分量を減らし、

すべてのテキストをひらがなに変換、

で、それをコマ割りしてページ数を決め、

今度はページごとの絵のイメージを決めて、

それをチャットGPTに投げてみた。

 

と、ひとこまの絵をつくるのに、

おおよそ15秒くらいかかっただろうか。

と突然、プロのイラストレーターなみの絵を、

パパッと出してきたではないか。(驚)

 

 

うーんとボクは意味不明のため息をついた。

(果たしてコイツはなにものなのか?)

 

で、しばらく作業を続けるうちに、

チャットGPTとのコミュニケーションに、

徐々にズレのようなものが生じはじめた。

 

指令(プロンプト)を間違うと、

いやニュアンスの捉え方が違っているのか。

とつぜん、以前と乖離した全く違うタッチの、

とんでもない絵を平気で出しはじめたのだ。

 

そのズレ具合がなかなか笑えるレベルなので、

このAIってすごいのか、かなりバカなのか?

そこがわからなくなってきた。

 

要するにAIに絵を描かせる場合は、

雰囲気とかニュアンスをどう伝えるか、

それがとにかく難しいということがわかった。

 

なので気に入った絵が出てくるまで

何度もやり直すこととなる。

そのたびにボクはテキストを駆使して

指令を出す訳なのだが、

双方の溝はなかなか埋まらず、

果てしなく疲れてしまった。

 

けっきょくこちらのイメージとピタリとくる絵は、

最後まで出てこなかった。

 

原因はテキストによるコミュニケーションだろう。

ボクの語彙力にも問題があるのだろうが、

テキストによる指令は

双方の感受性が違っていることが前提なので、

それ相応のズレが生じるのは当然。

 

希望の70パーセントあたりの出来が

限界なのだろうと推測する。

 

要は、落とし所を決めること。

 

(↑イケメンだってサッと描いてしまう)

 

が、それにしてもこうした作業は、

いつにない妙な疲労感が増す。

これはボクが感じたことのない、

新たな正体不明の焦燥だ。

 

こうした新しいツールは今後どんどん普及するだろう。

よってそこに新たなストレスが誕生するので、

多くのひとが苛まれるのではないかと危惧してしまう。

 

よくいわれることだが、

テクノロジーの進化が起こるごとに、

ある職業は消滅する。

そして、そこに携わるひとたちは仕事を失う。

だが革新は新たな職業を生み出すと。

 

今回は、たかがAIによる絵本づくりなのだけれど、

こうしたボクの体験が、

なんだかそんなことを示唆しているように思えてならない。

 

考え過ぎか?

 

(↑写真を放りこむとかっこいいイラストに大変身させてくれたりもします)

 

(追記)

できあがった絵本を、昨日やっと孫に渡すことができました!

なんだか興味津々に眺めてくれました。

で、間違い字をみつけてくれました 怖

つくり直しかなぁ 笑

 

 

生成AIを弟子(でし)にしてみた!

 

半年前くらいからチャットGPTを導入している。

いろいろな場面で使えるので便利といえば便利。

 

人間に例えるとなかなか頭の良いやつと言える。

 

どんな質問でも即こたえてくれる。

長くて無駄が多い文章をさっさとコンパクトにまとめてくれたり、

とっさに忘れた事柄にサラッと回答をよこしたりする。

 

なので、ボクはこいつのことを最近では「弟子」と呼んでいる。

 

この弟子の長所は、文句を言わないところ。

当然といえばそのとおりなのだが。

なぜなぜ?としつこく質問したところで、

何の反発もなく、黙々と回答してくれる。

(根気と頑張りが効くやつ)

 

が、あるときからひょっとしてこの弟子は

ボクに恨みでも抱いているのではとふと思ったことがあって、

弟子が回答してくれた後に、

ボクは「ありがとう」と打ち込んでみた。

 

弟子は「どういたしまして…」などと返してくる。

 

で、気のせいか分からないが、

続いて質問を投げかけると、

いつになく回答がより早くて丁寧なんだよね。

(気のせいかもしれないけれど)

 

ボクは心の中で「うーん」と唸ってしまった。

で、弟子の画面を睨みながら、

こいつ、只者ではないなと思った。

 

人間でも感情を押し殺しているひとっていますよね?

それと同じような違和感を感じた訳である。

 

いわゆる生成AIが感情をもつものなのか否か、

ボクはよく知らないが、

いつも接している身としては、

なんだか弟子が只のマシンの一種とは思えないのである。

 

弟子はとうぜん頭脳明晰なので、

ボクの質問にはなんでもこたえようと頑張ってくれるけれど、

あるとき無茶な質問を放りこんだことがある。

 

弟子が知っていそうもない質問である。

 

村上春樹の「風の歌を聴け」というデビュー作は、

どの作家を模倣したものなのか?と質問してみたら、

弟子は間髪入れずに回答してくれたのだが、

その回答が優等生的でありながら

ウィキペディアからパクってきたようなテキストで、

かんじんの作家名はこたえず、

ひたすらあれこれと書いてごまかすのであった。

 

「おまえってこの回答知らないだろ?」とは打たなかったけれど、

なんでもこたえようと無理をするのが、

弟子の欠点なのであった。

 

人にたとえると、いわゆる知ったかぶりである。

(こういうのはあまり好かないな)

 

生成AIといえど、その膨大な知識はネットの丸呑みだし、

そこに制作者の意図や作為などがあれば

当然意見は偏るだろうし、

未だ知り得ないことがらも多々ある訳だ。

 

そんなことを前提につきあえば

なかなか使える弟子なのであるが、

とにかく知ったかぶりはやめようぜ、

と忠告しようかいま悩んでいる。

 

だって、そのうち嫌われるよ!

 

夏は高原でしょ!

 

酷暑なので避暑にでかけました。

山梨~長野のやまなみを横断です。

 

八ヶ岳高原はそこそこ涼しい。

いつもは寒いくらいなのですが、

異常気象ですよね。

 

泊まったログハウスは標高1200㍍くらいの

林のなか。

エアコンはないけどなんとか過ごせました。

というか、朝は長袖を着ないと冷える。

 

都会の喧噪はないけれど、蝉がうるさい。

鳥の声はなかなか心地いい。

夜中に虫と思われるけれど、

なにかが窓ガラスにぶつかってくるのでぎょっとする。

 

日頃は朝食は米まっしぐらだけど、

高原の朝食は窯焼きのパンとジャムとウインナと

卵焼きとレタスとコーヒーとなります。

(どうでもいいけれど)

 

 

清里はなんだか廃れているように思えます。

標高が1500㍍なので、特に冬枯れが酷いのではと思います。

清泉寮は、みるみる高級宿泊施設として、盛況です。

以前は牛がふらふらしていましたが、

最近は土日のみの開放だと知りました。

 

 

途中、中央高速の山梨県内の双葉SAで休憩をとりましたが、

37℃という暑さで焚き火の横にいるようでした。

 

長野県の富士見高原にある

「キース・ヘリング美術館」へも足を運びました。

この報告は次回!

 

 

 

 

ボクの楽園

 

すでにTシャツは汗ばんでいた

 

久しぶりにデイパックを肩に

川辺へ出かけた

 

野辺の草を踏むと

いっせいに虫が跳ねた

飛び立った

 

手をついて土手にカラダを伏せてみた

目の前に無数のアリが行列をなしている

 

ここに無数の命が

さりげなくうごめいている

 

 

川沿いをさらに歩いていると

丹沢のやまなみに

うっすらと白い雲がのっかっている

 

晴れの空は当分続きそうだ

 

 

頭上の空は

深く澄んだコバルトブルー

 

光のコントラストが強い

 

目の前では

モンシロチョウが踊るように

黄色の花に近づいてはまた舞い上がる

 

 

 

川面をのぞくと

思いのほか澄んだ水

黒と赤のブチもようのコイが

ゆうゆうと泳いでいる

 

そんな景色を眺めながら

ひざしのなかを歩いていると

水面をなでたひやりとした風が

全身を通り過ぎる

 

雑そうが意気揚々と

背丈ほどまで伸びている

 

ここかしこで

きょうのこの日を祝福しているように

いきものたちは生命力に溢れていた

 

それは少し胸の高鳴るような発見だった

 

 

田園の向こうでは

日陰った森が黒々と鎮座する

その中に見える石の鳥居が

どこか異世界への入り口のようにも

思えてくるから

真昼の暗部はなぜかミステリアスだ

 

 

川沿いの桜の花はすでに終わりを迎え

風に舞う花びらが雪のように吹雪いて

まるで舞台劇のエンディングを思わせる

 

 

とても身近で

つい通り過ぎてしまうような川沿いの道

 

ボクは日常のわずかな時間の中で

極上の体験をしたように思う

 

それは楽園と呼ぶにふさわしい

 

 

東京さんぽ

 

久しぶりに東京へでかけた。

人に会うためとの大義名分のもと、

結局は息抜きの時間が欲しかった。

 

普段は神奈川の山間部で暮らしているので、

街の空気がたまに恋しくなる。

 

久しぶりに新宿駅で降りる。

なかなかの雑踏ぶり。

誰もあくせく急いでいる。

これぞ都会だ。

 

青山一丁目駅へは大江戸線が最短とわかり、

乗り場を探してウロウロするも、

気がつくと新宿3丁目あたりに来てしまった。

表示板に従って歩いたのになぁ。

 

で、大江戸線をあきらめる。

至近に千代田線の乗り口を発見。

そこから乗り換えて

青山へと向かうことにする。

 

それにしても大江戸線だ。

ネットで調べると

新宿駅から大江戸線に乗り換えるのは、

かなり難しい、

分からないとの書き込みが多い。

 

いつも思うのだが、

この国の鉄道をはじめ道路の標識サインなど、

とても不親切かつ分かりづらい。

そのくせ余計なサインが氾濫し、猥雑。

大切なサインを見逃してしまう原因になっている。

 

文句はこのくらいでやめにする。

 

久しぶりの青山・ツインタワービル。

地下のラーメン屋で、

野菜たっぷりの塩ラーメンを食す。

 

ここのラーメン屋は

かれこれ30年以上営業している。

ボクが友人3人と初めて会社を興したのが、

この青山一丁目なので、

ここはかなりお世話になった店だ。

 

そのオフィスは、赤坂郵便局の裏手にあった。

ラーメン屋を出て、そのビルへ足を運ぶ。

が、既に新しいビルに建て替えられていた。

 

当時を思い起こしても、

そのときからかなり古びていた。

夜はねずみの巣のようなビルだったので、

もうないだろうな、とは思っていたが。

 

付近を見渡すと全く見知らぬ街の風景が

広がっていた。

 

アジア会館で人と待ち合わせていたので、

そこで打ち合わせを2時間で済ませ、

早々に六本木方面へと歩く。

 

元防衛庁があったあたりは、

東京ミッドタウンとして、

なかなかハイカラな街に変貌している。

 

テナントをのぞきながら歩くも、

なんだかこちらに全く縁の無いブランドものの店が

ズラッと並んでいる。

 

↓イルミネーションもしゃれている東京ミッドタウン

↑東京ミッドタウンのビルはデカい

 

居心地がすこぶる悪いので、

六本木交差点を右折し、

霞町方面へとぷらぷらする。

 

すでに陽は落ち、

街は仕事帰りのひとひとひとで、

ごった返している。

 

外人率が異常に高いことに気づく。

歩道を疾走する自転車通勤の人も、

相当数いる。

皆、かなりおしゃれにみえる。

 

ムカシはこのあたりものんきで、

安い焼き鳥屋なども数件あったが、

いまはそんな商売は成り立たないのか、

とにかく単価の高そうな高級店ばかりが目立つ。

 

走るクルマは、ベンツ、BMW、アウディが、

なんのプレミアム感も感じないほど

普通に走っている。

我が家のまわりを走っている軽自動車率は、

ほぼ皆無。

 

なんか変だぞ、東京。

 

↓乃木坂あたりから見える六本木ヒルズ

 

翌日は朝から根津美術館へ足を運ぶ。

開催中の企画展に興味はないので、

かなり長い間、館のまわりをうろつく。

 

以前から、この美術館の建物に興味があったので、

やっと現物を見ることができた訳だ

 

↓根津美術館の軒下はなかなかの風情

 

 

↑都会にあってなかなかいい雰囲気

 

ここの外観を嫌というほど見分して

ふたたび表参道へ戻り、

待ち合わせた友人と昼飯を食う。

どこも人出が多くて、

そろそろうんざりする。

 

友人はこのあたりを根城にしている

アパレル系のバイヤーなので、

一年中このあたりに生息している。

 

ボクがこの街の感想を述べると、

ふふっと笑うだけだった。

 

ボクもかつてこの街で3年働いていたが、

そのころはとても良い街だった。

コーヒーは伝説の店「大坊」があったし、

四つ角の交差点近くには、

サンマ定食を500円で食わせてくれる、

おばあさんの経営する定食屋があったし、

夜食は「青山ラーメン」があったしなぁ。

 

同潤会アパートは表参道ヒルズとなり、

道路沿いはハイブランド店がズラリと並ぶ。

 

神南に用があったのでそのまま原宿まで歩くも、

やはり異常ともいうべき人の波に、

いい加減いらいらしてきた。

 

↑いちばん派手なプロモーションはやはりルイ・ヴィトンだった

 

山の手線の陸橋を越えて

明治神宮までくると、

ようやく静けさが戻る。

 

いやぁ、疲れる東京さんぽである。

 

神南の知り合いの店で、

特製の緑茶をいただいて、

しばらく歓談。

どうやらやっと肩の荷が降りたように

思えてきた。

 

疲労こんぱい。

 

そろそろ山へ帰ろう。

それが性に合っていると、

改めて自覚した。

 

↓マリオカートのようなゴーカートが公道を走っている。みな外人。あやしい。

 

↓裕福な知り合いのポルシェ。かっこいいよなぁ

横浜みなとみらい探訪

   

 

山岳部に住んでいると

時に海が見たくなる。

それも都会の海。

 

ボクが生まれ育ったところも、

横浜の工場地帯で海が近く、

しかしその海は

とても汚れていた。

 

今回はその対岸である

みなとみらい地区。

 

海をのぞくと澄んで底がみえる。

ここも以前はゴミが結構浮かんでいたのに、

最近はきれいになった。

 

みなとみらいは、

ボクが若い頃に突然あらわれた。

ここは以前、造船所だったので、

その印象が消えない。

 

当時、このあたりをクルマで通ると、

ものすごい金属をたたく音が、

鳴り響いていた。

 

日本が造船大国として、

世界に名をとどろかせていた、

そんな時代。

 

よって、みなとみらい地区は、

ボクにとっては、

新しいヨコハマである。

 

 

 

 

山下公園あたりの古い建物も、

まだ幾分残ってはいる。

が、保存する価値のある建物は、

手厚く守られているようだが、

それ以外は、スクラップ&ビルドの

憂き目に遭っている。

 

 

 

横浜公園は横浜スタジアムになり、

元町商店街は古びてかなりさみしくなり、

伊勢佐木町もなんだか勢いがない。

 

横浜駅の東口の海沿いから、

ここみなとみらい地区にかけては、

ほぼ未来都市の様相を施している。

夜に通るとそれは顕著だ。

 

 

で中華街で店をさがすときの話。

 

ボクは必ず裏通りをほっつき歩く。

毎回そうしている。

 

なるべく質素なたたずまいの店。

観光客がのぞこうともしない店。

セットメニューなどないし、

年寄りがのんびりとやっていると、

なおいい。

 

そこで適当なものを頼んで

のんびりと食う。

どれも必ずうまい。

なのに安いから、つい頼みすぎてしまうけれど、

ほぼハズレはない。

 

食後は、

伊勢佐木町の片隅にある小さなお店

アローザでコーヒー。

学生時代によく通った店だ。

 

ここは中華街からはちょっと離れている。

がこうしたコースを辿っていると、

懐かしい古い友人たちのことを思い出す。

 

だからと言う訳ではないけれど、

この新しい地区、みなとみらいは、

ボクのなかでは依然、実態の掴めない

幻のような地区であり、

それはそのまま東京のお台場や、

浦安のディズニーランドと一体を成す、

仮想都市のように思えて、

違和感のようなものが残ってしまうのだ。

 

多分、年のせいだとは思うけれど…