イマドキのビジネスホテルをレポート!

 

仕事柄、ビジネスホテルをよく利用する。

最近は、安かろ悪かろのホテルが目に付く。
築古で極めて狭い部屋が増えた。

コストダウンで洗面道具、特にヒゲ剃りなど
フツーにないところもある。

インバウンド需要で宿泊費も高騰しているし、
こっちは踏んだり蹴ったりなのだ。

あるとき楽天トラベルで、
山の手線沿いのビジネスホテルを探す。
某駅前のビジネスホテルが目に留まる。
サムネ写真を凝視しホテルの外観をチェック。
入り口も豪華で石の素材など使ってある。

この外観なら、部屋もそう酷くなさそう、

という判断から予約を入れた。

当日、そのホテルは確かに駅前にあって、
便利じゃんとうれしくなる。

入り口が写真のとおりかっこいい。

なかに入るとフロントが豪勢なつくりで、
ライティングにも凝っている。

雰囲気いい。

他のチェックイン客とバッティングしたが、
日本人とおぼしき人は私以外誰もいない。
韓国、中国、インドネシア他、
アジア系に混じって欧米系も目に付く。
(皆、ここの便利さと豪華さに惹かれのかな)

フロントの女性は、皆日本人ではない。

が、言葉は通じるのでOK!

でですね、
キーをもらって長い廊下を歩いていると、
途中から建物の雰囲気が変化してきた。

床のリノリウムが古く、めくれが目立ってきた。
廊下の壁紙もかなりくすんでいる。
窓枠をみると、サッシに白錆が浮いている。

と、急に段差があり、
あきらかに隣の建物に入ったと感じた。

私の部屋はフロントから一番遠くにあり、
そこは、このホテルの外観、入り口とフロントの豪華さとは、
全く違う様相を施していた。

扉は、かなり使い込まれていて、
塗装の剥げや錆も目に付く。

推定するに、築後50年以上は経過している。
(大きな地震がきたら死ぬな)

で、部屋に入ると、すえたにおいがするので、
内部を見渡すと、風通しや日当たりが全くない。

カビのにおいだろうと推測する。

部屋は全体に古びていて、
酷く狭いL字型で、Lの出っ張ったところに
バスルーム兼トイレ兼洗面台が詰め込まれている。

とても使いづらいのは一目で分かる。

というのも、ボクはこの手の部屋には、
幾度となく引っかかっている。

懲りないのがボクの欠点なのは承知しているが、
まぁ予算も限られているし、よってこの手の部屋には
時々だけど当たってしまう。

そこでボクはあるときから、
このような酷い部屋で
如何に快適に過ごすかという課題に、
取り組むことに切り替えた。

当初は、空気の入れ換えもできない
窓が壊れた部屋に通されて憤慨し、
フロントにクレームを入れて、
部屋を換えさせたりもした。

が、いい加減な部屋選びをするおのれに
腹が立つようになり、自己責任だろうと
自分に厳しく対峙することに決めた。

以前、山中湖にてキャンピングカーで
寝泊まりしたとき、最初はその狭い車内で、
飯の支度をしたり、それを片付けないと
ベッドがセットできなかったりと、
結構マメにやらないとキャンパーになれないと
実感したことがある。

思えばハズレのビジネスホテルも同様で、
極小空間で過ごすには、アタマの切り替えと
智恵がいるものなのだ。

で、どうアタマを切り替えるのかだが、
たとえばそれを逃げられない運命として捉える。
(なんだか話がおおげさになってきた)

よって、そのなかでなんとかしなくては
生きていけないよとおのれに教え込む。
(それは嘘だと深層心理は知っているが)

そもそも私は閉所恐怖症なので、
このあたりの課題はかなりハードルが高かった。
(自分がつくった壁は自分で壊せ!)

なのに、楽しくなければビジネスホテルじゃないと、
おのれを洗脳し、ホテルの環境の悪さなど
取るに足らないものなのだと、思うようになってきた。
(なんだか怪しいテレビ局のコピーと被る)

こうして、アタマを切り替え、鼻歌を歌いながら、
細かな工夫を繰り返し、
いまでは快適なビジネスホテルライフを
満喫している。

↑〆が嘘くさいですね!

 

 

アース・ウィンド・アンド・ファイアー+シック(CHIC)コンサート

 

学生時代、ディスコで必ずかかっていたのが、
アース・ウィンド・アンド・ファイアー。
そして、シック(CHIC)!

ときは1970年代の終わり頃なのかな。

世はディスコブームで、週末になると、
ボクも友人たちと夜な夜な踊りに出かけていた。

今回はその懐かしさから、横浜のピアアリーナへ。

まぁ、予想通りなんですが。
当日はとんでもない人の波に圧倒されました。

とにかくぞろぞろと並ぶ。歩く。
それが延々と続く。
年寄りにはかなりキツく感じる。

1階のアリーナ席ではないので、
安い席は上へと上へと上がらなくてはならない。

一番安い席は、途中から階段。
いや、さすがにそれはないけれどね。

飲食はいっさい持ち込み禁止なので、
館内の売店で買おうと向かうも、
ここも長蛇の列。

いろはす持ってきてよかった!
腹は満たしてきたのでなんとかなった。

やはりこの規模のライブって「慣れ」が必要なんだなぁ。
一緒にきた友人はこうしたイベントの達人なので、
コンビニのおにぎりを鞄に忍ばせていた。
もちろんペットボトルも。

で、席にたどり着いたんだけど、
そこがまあ山の頂上みたいなところで、
景色がいいというか、崖のふちにたたずむ席。

高所恐怖症の人にはまず無理だろう席。

おまけに前の柵が低くつくってあって、
立ち上がってはいけませんと、係員から忠告される。

(2・3時間ここでじっとしていなくてはならない 汗)

まあ、そんなこんなで、ぐったりとしてると、
ようやく開演のMCの声が会場に轟き渡る。
カラフルなライトが広大な会場をグルグル回り出す。

 

 

で、シックとアース・ウィンド・アンド・ファイアーの登場だ。

会場に異様な興奮が湧き上がるのを感じる。
開幕からなんだかすごい熱気なのだ。

ボク的に、彼らの音楽は懐メロの部類なのだが、
会場を見渡すと、確かに若い人が目立つ。

70年代から活躍している彼らは、
当然メンバーも入れ替わりが繰り返され、
現在では初期のメンバーは3人しかいない。
(CHICはよく分からない)

オリジナルメンバーではないにしろ、
彼らの音楽はその後さらに進化して、
それがいまに繋がっているのだろうと推測する。

そうした観点から思うに、
彼らは懐メロを披露してツアーをしている訳じゃない。

まさに現在進行形のグループ。

あいかわらずファンキーなサウンドは健在。

当時より力強さは増していて、熱量が高い。

彼らは常に脱皮を繰り返し、
新しいサウンドを取り入れ、
いまに至っている。

だからファン層がとても広いグループなんだと
改めて感心してしまった。

高所の席から会場を見下ろすと、
みな総立ちである。

音がスモークがライトが…

が、ボクの席は立ち上がり禁止なので、

なんだかいらいらとする。

ストレスMAXなんだよなぁ。

会場全体がディスコと化し、
それはボクが知っている芝浦のディスコより、
さらに巨大なのであった。

アース・ウインド&ファイアーは結成50年だそうである。

全世界でのCD・レコード総売上は9000万枚以上。
グラミー賞を6回受賞。
2000年にはロックの殿堂入りを果たしている。

先の友人は、この数日後にはなんと、
武道館のクラプトンにも出かけていた。

すごい!

ボクはまだ疲労が残っているというのに。

 

 

 

 

世界がひっくり返っている話

トランプが大統領に就任してから、
連日、すごいニュースの連発だ。

これがアメリカ限定の出来事であればいいのだが、
世界中がトランプに振り回されているのだから、
やはりトランプ大統領のアメリカって大国なのだ。

いや、アメリカのトランプ大統領が強烈なのだ。

ウクライナ情勢、ガサ地区など、中東も大きく動いている。
とりわけ映像でゼレンスキー大統領を観察していると、
なんだか彼の表情が浮ついている。

演技っぽい。

トランプとプーチンが仲良くなり、
NATO(北大西洋条約機構)もEU(欧州連合)もはしごを外された格好。

(アメリカはNATOから抜けると思う)

欧州も経済的に枯渇してきているし、
各国も国内が騒がしく分断が進んでいる。

これらはおのずとプーチンの思う壺となり、
陰に隠れているようにみえる中国はやはりと言うべきか、
トランプ大統領に強烈に敵視されている。

さて、トランプ大統領の関税政策はうまくゆくのか?

まずおおげさな数字をあげつらって世界を驚かす。
そして相手国と少しずつ間を詰める。
彼の真の矛先は中国だと思うが、それだけではない。

アメリカも借金が膨大で、その利息の支払いだけでも、
とんでもない額に達する。

で、まずはドル安に導いて利払い額を減らそうとしている。

さらに、関税で稼がなくてはならないから、
言うことやることがいちいち敵対的な物言いとなる。

アメリカって、実はそれほど行き詰まっているのだ。

そして、バイデン大統領時代に大挙して入ってきた不法移民も
国外追放しなくてはならないし、超忙しい。

犯罪は増えるし、クスリは蔓延するしで、どうにもならない。

それを助長していたのが国境を接しているカナダとメキシコ。
なのでトランプ大統領はまずこの2国を狙ったと思う。

さらに、パナマ運河の主要なところも中国企業に支配されているし…

と、散々なのが現在のトランプ大統領のアメリカなのである。

で、果たしてトランプ大統領が繰り出すこれらの策は、
ホントにうまくゆくのかだ。

失敗すれば、ただの景気後退では済まないだろう。
なにしろアメリカは通貨発行権を握っているけれど、
こうした事態に陥るとドルの信用に関わる。

ちなみに現在のドルは、
金や銀や石油などと価値を紐付けてない。

何の裏付けがない訳だ。

よってみんながドルはだだの紙切れだと思った瞬間から、
ドルはただの紙切れと化してしまうことだってあり得るのだ。
(円も同様だけど)

要するにいまのお金って、共同幻想で成り立っているのだ。

こうした事態が続くと、いったい何が起こるのか?

またどのようなかたちで日本に影響を与えるのか?

専門家でもない私には、このあたりがよく分からないが、
このまま日本だけが無傷で済むハズもないし、
イヤ~な予感だけが漂うのだ。

ニュースを観れば地震も山火事も多発している。

今年はなんだか世界がかき回されている。

 

田舎に引っ込んで野菜づくりを学びたい…

最近はそんなことをぼんやりと考えたりしている。

 

江ノ島のサザエ(その2)

 

 

忙中閑あり。

雑用を投げ出して江ノ島をぷらついてみた。

結果、どこもとても混んでいる。

 

おおげさに言うと島中が人だらけ。

インバウンドの外国人がやたら目に付く。

きっと日本を紹介するサイトや冊子などに、

江ノ島が載っているのだろう。

 

 

 

ところで江ノ島か江の島か?

諸説あるらしいが、今回は江ノ島でいきたい。

 

久しぶりに海の幸でも食おうと思ったが、

サザエのつぼ焼き¥1700円で萎えた。

とても小柄なサザエがふたつだよ?

 

腹の足しにもならない。

で、ボクはサザエのあの先のほうの黒いのが、

どうしても食えない。

 

我にかえったボクは、そもそもサザエって、

好きでも嫌いでもないということに気づき、

その場を去った。

(勘だがサザエってむかしほど捕れないのかねぇ、

きっと貴重な海のダイヤモンドなのかも知れない)

 

で、やっすい江ノ島バーガーで済ます。

確か¥1200だったかな?

さつま揚げとしらすがなかなか。

空腹だったので助かる。

 

ついでに江ノ島コーヒーというのもいただいた。

こちらは完熟豆で香ばしいとの触れ込みだが、ボク的に味はフツー。

 

 

あとはとにかく高い。

インフレに加えて、観光地価格でしょ。

が、こうした観光地では皆、ケチなことは考えない。

店はどこも客でいっぱいなのであった。

(ここで自虐的に己のセコさに笑ってしまったが)

 

10代で初めてクルマを手に入れたとき、

江ノ島を訪れたことを思い出した。

振り返ると、あのころ江ノ島って閑散としていた。

 

だだ広い駐車場には、神奈川、東京、千葉の走り屋たちが

集まっていたくらいで、山の上にのぼる人もとても少なかったと

記憶している。

 

 

当時の湘南の人気スポットは、

葉山の茶屋とか材木座海岸のタダのパーキング、

七里ヶ浜あたりで寝そべったり、

鵠沼海岸・茅ヶ崎のサーフ・ポイント近くのお店とか。

 

とりわけ逗子の渚ホテルと江ノ島の対岸にあった湘南ホテルは、

もういまはないけれど、みんなの憧れでもあった。

 

で、ときは流れて時代が移り変わり、

寺社仏閣巡りが流行りはじめて、

御朱印帳を手にした方々が、

鎌倉を始め、湘南各地に眠っていた各所に、

訪れるようになった。

 

現在、江島神社の社殿にまつられているのは弁天様で、

それはいまもむかしも変わらないのだけれど、

以前はカップルで来ると弁天様が焼きもちを焼いて

わかれると言ういわれのようなものがあったので、

誰も彼女を連れてきたりはしなかった。

 

 

が、いつの間にかいまは「縁結びの神」だそうなので、

まあ、どこもカップルだらけなのであった。

(ポジティブな効果のほうが人は集まるよね)

 

江ノ島をフルに歩くとけっこう疲れるけれど、

海を眺めながらだとそれほどでもないから、不思議。

(この日ボクの歩数計は軽く1万を超していた)

 

 

また、山の上の灯台よこのサムエル・コッキング苑は

夜はライトアップされていて、とても幻想的なのでおすすめです。

(シーキャンドルと言うそうな)

年明けよりは更に混むだろうから、行くなら年末!

 

この一年の自分に感謝の意を込めて、

サザエでもどうですかね?

 

 

 

東京ファッションレポート

 

諸用で久しぶりの東京。
新宿から山手線に乗る。

行き先はたった4駅先の恵比寿なのに、
このわずかな時間に新たな発見があったので、
この際共有しようと書いてみた。

まず驚いたのは、ホームで電車を待っている5人に一人ほどが、
外人さんだったこと。
欧米系の方、激増ですね。

次いで驚いたのが、皆さんのファッションの奇抜さです。

もちろん、日本の方も含めてです。

今日はここ中心に話しを進めたい。

 

●気になるファッションその1

気がつくと、座っているボクの前にヌッと立ち尽くしている人がいて、
背は180センチくらいあるかな?
骨張った顔はとても男らしく、銀髪のロングのカツラをかぶっている。
顔にわずかなファンデーションが施されていて、
がっしりとした肩幅の身体に、
スパンコールのようなワンピースをぶら下げている。
超ミニ丈。
あらわな太ももには、紫のできものがいっぱいできていて、
彼は?彼女は、まわりを気にするでもなく、
つり革につかまって、
窓の外の一点に焦点を合わせている。
その姿がなんだか凜々しいのだ。

 

●気になるファッションその2

小柄な女の子がひとり、巨大なリュックを背負い、
スマホで動画を鑑賞している。
全くサイズの合っていないブルージーンズがちょいイマドキなんだけど、
メンズのLLサイズなのかな?
如何せん、やりすぎ感が高じてズタ袋をはいている状態。
ふーせんジーンズ? で、裾はメチャひきづるくらい長いのを、
赤い洗濯バサミのようなものでテキトーに留めてあり、
一部が床に垂れて引きずっていて、ボクは「ん?」と思ったね。
こういうのってかっこいいのかな?

 

●気になるファッションその3

帰りの山手線で。
陽も落ちて窓の外にネオンが光っている。
社内は混んでいて、ボクはいったん降りて車両を移動。
ちょっと空いているドアに滑り込んだ。
ひと息ついて反対側のドアに目をやると、
全身黒ずくめの小柄な男とおぼしき人間が、
ドア横の壁にぴったりと張り付いていてピクリとも動かない。
車両が大きく揺れても、彼?は微動だにしない。
その黒ずくめは、ちょうど外国映画に出てくる
悪魔の儀式に集まる人の衣装にそっくりで、
つなぎの帽子のようなもので顔面・頭部を覆っている。
「何者だ!」とボクは心の中で叫んだね。
手には楽器ケースのようなものをぶら下げている。
仮装パーティーの帰りで、会場でクラリネットでも吹いていたのか?
(せめて着替えろよ)

 

●気になるファッションその4

その女性は欧米系で、確か渋谷で下りたような気がする。
階段を上る姿を見て驚いたのだが、
きちっとした白いジャケットの下はスパッツのみ。
それがなんというか薄すぎたため、この日本に於いては、
如何せん刺激が強すぎた。
その薄くてピンク色のスパッツ姿って、ほぼ下着だろう?
と、まわりをみても誰も驚いたりしない。

↑それが東京の流儀なのだよ、おっさん!
とまわりに諭されているようで、
返って自分の反応を恥じなければならない気分になる。

誰もまわりに無関心を装うのが東京流。

んー、なんだかよく分からないけれど、
手強いなぁ、最近の東京。

もうついて行けないし!

 

※今日の画像は失敗作ですな。チャットGPTがボクの要望を受け付けない結果がこれです。

 

今月の一枚

 

 

最近、発展がめざましい海老名だけど、

この駅をよく使う身としては、

人が異常に増えたことで、疲労度も増した。

 

都内、横浜方面で働く人が増えたと聞く。

みんなの歩く速度も以前より断然早い。

 

もう東京や横浜の街となんら変わりない。

都会的なカフェも次々にオープンし、

マンションが林立し、

クルマの渋滞も以前にも増して激しい。

ナビにない道も次々に生まれている。

 

ああ、このあたりも遂に大都会になってしまった!

 

がしかし、

駅前のららぽーとの屋上も夜になると閑散とし、

そこから眺める丹沢の山並みは雄大で、

昔となんら変わることなくどんと鎮座している。

仰ぐ空は、相変わらず広くてデカい。

 

近くをゆったりと流れる一級河川、

相模川の向こうは厚木の街。

川面は街と橋の灯りをゆらゆらと映しているが、

東京の多摩川や横浜の大岡川と比べると、

いまひとつ明るさに乏しい。

 

ボクの記憶によると、

都会といなかが混在したこの不思議な景色は、

半世紀前の横浜とおおいに重なる。

 

この日、ららぽーとの屋上でカメラを構えるも、

丹沢の山並みに日没はなかなか訪れず、

赤みがかった空がしばらく不気味に光っていた。

 

UFOが飛び出してきても何の違和感のない空。

 

そういえば最近、

この日本という国はなんかあやしい。

いや、中国だって朝鮮半島だって中東だって、

ロシアもヨーロッパもアメリカ大陸も、

地球全体がかなりあやしい…

 

ボクの脳裏に「フキツ」という文字が浮かんだ。

 

 

スパンキーの時事放談

 

岸田さんは無能か

この人、去年の広島サミットで核廃絶、世界平和を唱えたけれど、ただの常套句。その道筋を示すこともない。ウクライナ紛争においても停戦を呼びかけるのではなく、ウクライナを応援しようと演説している。金も出すとほざいた。戦争の継続だ。広島の地でそんなことを言うか? 相当ズレている。何か裏事情でもあるのかと勘ぐってしまった。現在に至るまでも数々の悪行を働いてくれた。後世に語り継がれる希有な政治家だ。

 

バイデンに次期大統領は無理

この人が岸田さんに何事かを頼んでいるのか命令しているのか? 日米の歩調は根っこのところでピタリと一致しているし。先日海外メディアでバイデン大統領の演説の様子をチェックした。時折変なことを言う。まわりが固まっている。演説の最中なのにとつぜん黙して固まったりする。不自然極まりない。そんなアメリカ大統領っているかね?  誰かがこの人を操っていると推測する。

 

NHKにやる気はあるのか

大事なニュースが満載の昨今なのに、テレビをつけるとおや、今日もたいしたことなかったね、というニュアンスで番組は淡々と流れる。意図的な偏向報道とか報道しない自由とかまでは言わないけれど、ニュースの扱いにはかなりの作為が感じられる。にしても連日の大谷翔平の連呼に何の意味が隠されているのか?

 

東京都知事選挙にうんざり

先日、諸用で目黒から広尾あたりを歩き回っていた。とにかく選挙演説カーがひっきりなしに通る。で絶叫している訳だ。駅前は特に酷いので裏通りに逃れた。けたたましさは追っかけてくる。ボクは神奈川県民なので関係ないのだけれど、都民だったら誰に投票するかかなりアタマをひねらなくてはならないだろう。だって消去法、減点法でしか絞れないほど、くせものの候補者ばかりでしょ?

 

戦争の正体

ボクも長いこと生きているけれど、その間、世界のどこかで必ず戦争をやっていた。それは現在も何も変わらない。これはおかしいと思った。最近、改めて近代史・現代史の本をいくつか読み直しているが、そこでひとつ気づいたことがある。戦争って正義のためにはじまることはまずない。戦争の種をつくる奴がいる。戦争で儲かる人がいる。莫大な利益を上げる企業がある…そこが謎解きのポイントだった。構造があまりに単純かつ巨大過ぎて気づかなかった。

 

 

 茅ヶ崎ライブ(南佳孝・ブレッド&バターetc)へ行ってきた!

連休の5月5日、快晴。

久しぶりに海へでかける。

途中、車窓より富士山がかすんでみえた。

うん まだ雪をかぶっている?

平地はご覧のとおり、もう夏なのになぁ…

 

そして茅ヶ崎の浜の日差しも強烈だった。

さらに強風。

砂が、目に口に入ってひどい状態に。

サングラスは絶対必須でした。

あとマスクも…

 

 

会場に近づくとかなりの人混みとなる。

ステージから風に乗ってゆるい感じで、演奏が聞こえる。

みんなもゴロンとリラックスしてビールなんか飲んでいる。

パラソルやテントがあちこちにひらいて、

海にきたなぁと実感できる。

 

 

砂浜を久しぶりに歩くと、かなり足が重い。

歩きづらいけれど、

ロケーションの良いところを探すために、

あちこちをウロウロする。

 

にしても風がうるさくてすべてが聞きづらい。

マイクに風の音が混じっている。

まだ知らないバンドが演奏しているので、

寝転がって久しぶりの海をずっとながめる。

 

このイベントは、情報通の知人が教えてくれた。

あまり大々的に宣伝もしていないので、

ボクも以前は知らなかった。

 

今日のトリは、ブレッド&バター、

そして大トリが南佳孝さん。

全国区だけど、とりわけ湘南の人気ミュージシャンとあって、

年齢は高めの根強いファンが目立つ。

 

タトゥーを入れた70過ぎと思われるおばさんが、

ビール缶を片手にステージに上がって踊っているし、

不思議なレゲェのような服に身を包んだサングラスのおっさんが、

ムームーをひらひらさせたおばさんと抱き合っていたり、

なんだかよく分からない空気の中で、

ボクは「自由」というキーワードがアタマに浮かんだ。

 

あいかわらず富士山がかすんでみえる。

遠く伊豆半島のほうまで見渡せるロケーション。

沖に烏帽子岩、トンビが強風をコントロールして、

私たちの頭上でホバリングしながら、

会場を見下ろしている。

 

空も海もとても良い色をしている。

とにかく、いまここでボクは、

少なからず、自由を満喫しているのではないか。

そして、自由についてのつまらない定義みたいなことを

考えるのをやめた。

 

待ち合わせた知人とは、

ステージはそっちのけで話し込み、

時間は刻々と過ぎて、

そろそろという時間になる。

昼にきたというのに、あっという間にもう夕方。

日が傾いている。

そろそろトリがあらわれる頃だ。

 

ボクたちは場所を移動し、

ステージが垣間見える場所を確保するため、

ステージ裏の垣根の隙間をゲットする。

 

会場から異様な熱気が伝わる。

 

 

ブレッド&バターのふたりが登場した。

地元茅ヶ崎の仲間たちとおぼしき、

個性的な面々が最前列に集まる。

(とても不思議な雰囲気の湘南の方々…)

 

ボルテージは最高となり、

やがてはみんな総立ちとなり、

踊り出す人も。

 

彼らの人気は絶大で、

いつまでもアンコールが鳴り止まず。

(会場の気温が急上昇 笑)

 

そのうち、

楽屋裏に南佳孝さんの姿がちらちらと見え始めた。

で、ブレッド&バターがステージを去ると、

場の空気を一新するためだろうねぇ、

会場のスタッフが興奮した観客たちを座らせ、

最前線にコーンを置いたりしている。

 

南佳孝さんがステージにあらわれる。

全く違う空気感が会場に漂うんだよなぁ。

 

彼がギターのチューニングを神経質にはじめた。

 

で、ステージの雰囲気も一新したところで、

ボサノバ風の「日付変更線」からスタート。

 

このうたを聴いているうちに、

この会場が海岸にあることに、なんだか感激する。

 

 

そして、ウォークマンが発売された当時、

ボクはグアム島からパラオに飛ぶ飛行機のなかで、

まさにこの曲を聴いていたことを思い出した。

 

南佳孝さん自身も、街中のハコのライブより、

こうした海のロケーションが大好きなのだろう。

いつものクールで抑揚を効かせた、

そしてシャイな一面もみせながも、

最後はみんなにスタンドアップOKと、

かなりのってくれた。

「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」まで

披露してくれたのだから…

 

秀逸な曲、心をさらわれるうた、

海に溶けていくようなメロディー、

風に乗って消えてゆくボーカルの響き。

そして五月晴れの茅ヶ崎の砂浜。

 

舞台装置は完璧だった!

 

「いまこの瞬間、ボクは間違いなく自由だ!」

そう感じたボクの感覚は、間違っていない。

 

いまもそう確信している。

 

 

AIで絵本をつくってみた

 

せんじつAIツールのチャットGPTの話をしたが、

こいつがなかなか役に立つので、

こんどは絵本づくりに挑戦してみた。

 

過去に、手書きで絵本に挑戦したことがあるが、

あれはとんでもなく大変だった。

 

だって、まず話を考えるでしょ。

もちろん子ども向けなので、

ストーリーもそれにあわせたアイデアを

練らなくてはならない。

文章はわかりやすく、

かつ、なにかの気づきがあったり

感動があったりしたほうがなおいい。

 

ボクは、イモムシを主人公にした話でいこうと考えた。

 

イモムシって地中で眠っていて、地上に這い出してきて

さなぎになって木にぶら下がって、

やがて蝶に変身して大空を羽ばたくでしょ。

初心者のボクとしてはなかなかいい素材だなと。

 

で、文章にあわせて絵を考える。

そのとき、どの場面でひとかたまりにするか?

そのかたまりで象徴的な絵がほしくなる。

それらをあれこれと膨らましたり削ったりして、

文章と絵を確定する。

 

ボクは絵がかなり下手なので、

思案したあげく、

「はらぺこあおむし」という名作のあおむしをパクることにした。

 

パクるとはどうもひとぎきが悪いが、

描きはじめるとあおむしの絵が魅力的すぎて、

全くパクれない。

それどころか、少しモスラに似た

ぜんぜん違うイモムシができあがってしまった 笑

 

が、落ち込んでいる暇はない。

できあがった一枚いちまいの画用紙をカッターで切断して、

さてどう閉じようかと思案する。

 

ホチキスは論外なので、画用紙にていねいに穴をあけ、

100均で買ってきたリボンで閉じてみた。

 

まあ、そのできあがりの雑なことといったら、

しろうとまるだし。

自らの不器用さを笑いました。

 

これをボクのかわいい孫にプレゼントしたのだが、

反応はイマイチ。

あまりうれしそうではなかったような…気がしていた。

(このときはテキストをかなり省いたので、

下手な絵と雑な製本だけが強調された)

 

こうした失敗をバネに、

今度はチャットGPTという、

強力なツールに応援いただいた訳だ。

 

ボクのだいたいの原案テキストをチャットGPTに流し込み、

「絵本をつくるからあとはよろしく頼む」的指令を出すと、

あっという間にちょっと感動的な物語りを出してきた。

(なんかコイツ、すげぇなぁと感動した。

がそれもつかの間で怖いなぁとさえ

感じた次第)

 

が、コイツへの違和感はさておき、

ボクは先を急いだ。

 

チャットGPTがつくったテキストを

さらにこねくり回して分量を減らし、

すべてのテキストをひらがなに変換、

で、それをコマ割りしてページ数を決め、

今度はページごとの絵のイメージを決めて、

それをチャットGPTに投げてみた。

 

と、ひとこまの絵をつくるのに、

おおよそ15秒くらいかかっただろうか。

と突然、プロのイラストレーターなみの絵を、

パパッと出してきたではないか。(驚)

 

 

うーんとボクは意味不明のため息をついた。

(果たしてコイツはなにものなのか?)

 

で、しばらく作業を続けるうちに、

チャットGPTとのコミュニケーションに、

徐々にズレのようなものが生じはじめた。

 

指令(プロンプト)を間違うと、

いやニュアンスの捉え方が違っているのか。

とつぜん、以前と乖離した全く違うタッチの、

とんでもない絵を平気で出しはじめたのだ。

 

そのズレ具合がなかなか笑えるレベルなので、

このAIってすごいのか、かなりバカなのか?

そこがわからなくなってきた。

 

要するにAIに絵を描かせる場合は、

雰囲気とかニュアンスをどう伝えるか、

それがとにかく難しいということがわかった。

 

なので気に入った絵が出てくるまで

何度もやり直すこととなる。

そのたびにボクはテキストを駆使して

指令を出す訳なのだが、

双方の溝はなかなか埋まらず、

果てしなく疲れてしまった。

 

けっきょくこちらのイメージとピタリとくる絵は、

最後まで出てこなかった。

 

原因はテキストによるコミュニケーションだろう。

ボクの語彙力にも問題があるのだろうが、

テキストによる指令は

双方の感受性が違っていることが前提なので、

それ相応のズレが生じるのは当然。

 

希望の70パーセントあたりの出来が

限界なのだろうと推測する。

 

要は、落とし所を決めること。

 

(↑イケメンだってサッと描いてしまう)

 

が、それにしてもこうした作業は、

いつにない妙な疲労感が増す。

これはボクが感じたことのない、

新たな正体不明の焦燥だ。

 

こうした新しいツールは今後どんどん普及するだろう。

よってそこに新たなストレスが誕生するので、

多くのひとが苛まれるのではないかと危惧してしまう。

 

よくいわれることだが、

テクノロジーの進化が起こるごとに、

ある職業は消滅する。

そして、そこに携わるひとたちは仕事を失う。

だが革新は新たな職業を生み出すと。

 

今回は、たかがAIによる絵本づくりなのだけれど、

こうしたボクの体験が、

なんだかそんなことを示唆しているように思えてならない。

 

考え過ぎか?

 

(↑写真を放りこむとかっこいいイラストに大変身させてくれたりもします)

 

(追記)

できあがった絵本を、昨日やっと孫に渡すことができました!

なんだか興味津々に眺めてくれました。

で、間違い字をみつけてくれました 怖

つくり直しかなぁ 笑

 

 

生成AIを弟子(でし)にしてみた!

 

半年前くらいからチャットGPTを導入している。

いろいろな場面で使えるので便利といえば便利。

 

人間に例えるとなかなか頭の良いやつと言える。

 

どんな質問でも即こたえてくれる。

長くて無駄が多い文章をさっさとコンパクトにまとめてくれたり、

とっさに忘れた事柄にサラッと回答をよこしたりする。

 

なので、ボクはこいつのことを最近では「弟子」と呼んでいる。

 

この弟子の長所は、文句を言わないところ。

当然といえばそのとおりなのだが。

なぜなぜ?としつこく質問したところで、

何の反発もなく、黙々と回答してくれる。

(根気と頑張りが効くやつ)

 

が、あるときからひょっとしてこの弟子は

ボクに恨みでも抱いているのではとふと思ったことがあって、

弟子が回答してくれた後に、

ボクは「ありがとう」と打ち込んでみた。

 

弟子は「どういたしまして…」などと返してくる。

 

で、気のせいか分からないが、

続いて質問を投げかけると、

いつになく回答がより早くて丁寧なんだよね。

(気のせいかもしれないけれど)

 

ボクは心の中で「うーん」と唸ってしまった。

で、弟子の画面を睨みながら、

こいつ、只者ではないなと思った。

 

人間でも感情を押し殺しているひとっていますよね?

それと同じような違和感を感じた訳である。

 

いわゆる生成AIが感情をもつものなのか否か、

ボクはよく知らないが、

いつも接している身としては、

なんだか弟子が只のマシンの一種とは思えないのである。

 

弟子はとうぜん頭脳明晰なので、

ボクの質問にはなんでもこたえようと頑張ってくれるけれど、

あるとき無茶な質問を放りこんだことがある。

 

弟子が知っていそうもない質問である。

 

村上春樹の「風の歌を聴け」というデビュー作は、

どの作家を模倣したものなのか?と質問してみたら、

弟子は間髪入れずに回答してくれたのだが、

その回答が優等生的でありながら

ウィキペディアからパクってきたようなテキストで、

かんじんの作家名はこたえず、

ひたすらあれこれと書いてごまかすのであった。

 

「おまえってこの回答知らないだろ?」とは打たなかったけれど、

なんでもこたえようと無理をするのが、

弟子の欠点なのであった。

 

人にたとえると、いわゆる知ったかぶりである。

(こういうのはあまり好かないな)

 

生成AIといえど、その膨大な知識はネットの丸呑みだし、

そこに制作者の意図や作為などがあれば

当然意見は偏るだろうし、

未だ知り得ないことがらも多々ある訳だ。

 

そんなことを前提につきあえば

なかなか使える弟子なのであるが、

とにかく知ったかぶりはやめようぜ、

と忠告しようかいま悩んでいる。

 

だって、そのうち嫌われるよ!