1970年代~80初頭の数年間、
僕はカリフォルニアのサンディエゴという都市に住んでいた。
交換留学生としてこの町に来たのだが、といっても、
私立で、ある程度お金を払えば、
だれでも行ける程度のものだったので、
まわりも遊び目的の留学生が多かった。
サンディエゴはこの頃、すでに街からヒッピーたちは消え、
新たなムーブメントがあちこちで花ひらいた頃だった。
さんさんと光が降り注ぐ太陽の元、サンディエゴの人たちは、
体にいい食事とスポーツにいそしむようになっていた。
なかでもヨガは一大ブームとなり、
海沿いにはヨガスタジオが林立し、
サーフボードを抱えた若者が、立ち止まって内部を眺めていた。
街ゆく彼らは、一様にオープンな性格で、
活動的だったのが印象的だ。
それが新たなムーブメントの影響なのか、
気候風土的なものから来ているのか、
リベラルを支持する土地柄からなのか、
僕には皆目分からなかった。
こう書くと、アメリカのお国柄じゃないかと言うひともいるが、
それは当たらない。
アメリカ中南部の保守的かつ内向的な人々と接すれば、
それは明白だった。
サンディエゴの海岸沿いの道は、年がら年中、
バハバグと呼ばれる改造車やバギーカーで、
クラクションを鳴らして疾走する若者たちで溢れていた。
アメリカ製のムスタングなどの改造車は極端に少なく、
大半がビートルだった。
なぜドイツのビートルだったのか、
そのルーツがナチス・ドイツにあることなど
誰も気にすることなく、単に構造のシンプルさから
人気に火がついたのだろう。
留学生の中でも、とりわけ地味な僕は、
彼らのあっけらかんとしたものの捉え方にかなり引いてしまい、
やはり同じ海沿いでも、
もう少し落ち着いたシアトルを希望すべきだったと後悔した。
一方で、そうした若者たちをさげすむ連中も次第に増え、
その彼らこそがめざしたものが、
もっとまじめで革新的な生活スタイルだった。
それがのちに一大ムーブメントとなってゆく。
彼らは、たとえば自転車を自分たちに相応しい道具と捉え、
CO2を排出する車を避けるようになる。
自転車のフレームデザインなどを個性的に作り変え、
次々とネイチャーカラーに塗り替え、
自然志向の暮らし方を模索し始めていた。
がぶ飲みしていたコーラをやめ、ハンバーガーを控え、
糖分や油について考察するようになっていた。
彼らは、ハーブティーなどのオーガニックな飲み物と
採れ立ての無農薬野菜のサラダをこよなく愛した。
新たなライフスタイルが、次第に形になり始めていた頃だ。
そんな彼らをみていて、僕はまだ、その意図がよく分からなかった。
そうした変化は、やがて思想や人生観までをも揺り動かし、
ニューヨークを中心とした東海岸の文化とは異なる、
これまでのアメリカにはなかったムーブメントが、
西海岸から生まれた。
そうした光景をまざまざと見せつけられ、
それでもなお、僕はハンバーガーとコークに執着した。
当時の、僕らの一種のあこがれが、
そうしたアメリカの食生活だったので、
アメリカ西海岸の新しいムーブメントの目的が、
当時はまだ理解できずにいた。
1982年に帰国した僕は、何かと湘南にでかけていた。
そこで目にしたものは、未完成ながら次第に形成されつつある、
いまに続く、湘南のカリフォルニア化だった。
海沿いに次々としゃれたレストランやカフェがオープンし、
そのどれもが自然派志向のメニューを取りそろえていた。
やはり、ハーブティーや無農薬野菜のサラダにこだわっていたのが
印象的だった。
サーファーたちの多くが、
移動手段を車から自転車に変えていたのもこの頃からだった。
麻の紐と貝がらなど、
自然素材でつくるアクセサリー類を売るショップも、
この頃からぽつぽつと目につくようになり、
そしてやはりというべきか、
海を一望できるヨガスタジオというのもオープンした。
「サンディエゴとまるで同じじゃないか…」
僕の素直な感想だった。
そのつぶやきをせせら笑うように、
湘南のそうした流れはさらに加速していった。
そして、いまに至っている。
湘南に住むひとたちは、
いまではそうしたナチュラル志向のライフスタイルが、
一見、自然と身に付いているように映る。
そして、東京や横浜とは価値観を共有しない独自の進化を
遂げている。
結果、湘南はブランドとなり、その人気は不動である。
しかし、日米のムーブメントをライブで目撃してしまった僕としては、
複雑な感情を抱かざるを得ない。
サンディエゴの街はいま、すでに先見性は薄れてしまったが、
そのライフスタイルはいまも確実に根付いていて、
かつてのムーブメントとは違った、
とても落ち着いた海辺の都市としての魅力を放っている。
一方、湘南である。
いまも言わずと知れた一大観光地として進化しているが、
かつてカリフォルニアをコピペしたこの地は、
この先、いったいどこへ向かおうとしているのか。
カリフォルニアスタイルは、湘南スタイルとして、
どこまで浸透しているのか。
いや、単なるスタイルだけでは危険な匂いがしないでもない。
それが問題だ。
ひょっとしたら、
或る日、私たちが目撃する湘南は、
古びた海岸沿いの田舎まちとして映るのかも知れない。
夢なら、いつかは醒めるのだから。