老化についての考察

 

最近、歩くのが遅くなった気がする。

気がする…とのあいまいな言い回しは、

自分以外はそんなことはないのか、とも思ったからだ。

 

先日、早朝に横浜の官庁街を歩いていたとき、

後ろから来る人にドンドン追い越されていくことにハタと気づいた。

(年取ったのかなぁ)

けっこう嫌な気分になりましたね。

 

新宿駅でも以前、同じような経験をした。

がしかし、これは年のせいではなく、場所が悪いのではないか?

 

思うに、最近の歩く速度って、むかしよりスピードアップしていないか?

(競技の速歩のような気がするなぁ)

 

とこの話は他人のせいにしておくとして、

それでもなお老化に気づくことがある。

 

たとえば最近、どうも飲み込みが良くないなぁと気づいた。

さらにすぐむせたりする。

原因はよく分からないが、老化なのだろうと思う。

我ながら腹が立つ。

 

で、飲み込みというのは、

理解するとかそういう場合に使われることもあるけれど、

そのあたりはまだなんとか大丈夫のような気がする。

 

で、飲み込む力だが、これを嚥下力と言うらしい。

年をとると、この力が低下してくる。

よって、食いもんの摂取も真剣であらねばならない。

 

だって、命がけなんだぜ!

 

で、嚥下力向上のための方策などをいろいろと調べた。

結果、なんとカラオケが良いとか。

(ほんとかよ?)

 

という訳で、先日カラオケに出かけました (単純思考)

 

カラオケ専用のiPadのようなものをのぞくと、

懐かしのヒット曲というジャンルがあって、

年代別にヒットした懐かしい歌がずらっと出てくる。

 

「この順番でいこう!」とスタート。

初っぱなは1950年代に流行った坂本九の

「上を向いて歩こう」から歌いはじめた。

 

各年代の代表的なヒット曲を3曲熱唱。

そして順に年代を上げてゆく。

 

勢い西暦2000年まで歌い続けようと、

休むことなく歌い続けてみた。

 

途中、歌いながらパンをかじり、

アイスコーヒーを流し込み、

踊り始めて汗が噴き出し、

ソフトクリームを摂取する。

(なんか体に悪そう)

 

演歌、グループサウンズ、フォークソング、

ニューポップスとか懐かしい歌ばかりを、

その頃を思い出しながら歌っていると、

なんだか若い頃に戻ったようで、

不思議と心身が絶好調となり、

そのまま湘南に出かけても

泳げそうな気がしてくる。

 

が、しかしだ、

調子にのり過ぎたのか、

連続で30曲くらい歌ったころから、

疲労と酸欠でふらふらになってしまった 笑

(やりすぎるのも老化の特徴)

 

でかえって憂鬱になり、

やはり年をとるとなんか面白くないな、となる。

さらに心身のリスクもどんどん増えてゆくから危険なのだと、

この嚥下力向上企画を反省した。

 

で、あれから嚥下力がアップしたかどうかは、

まだ分からないけれど、

さっきの夕食のとき一回むせた。

 

あと、眼力も低下してきた気がする。

眼力とはいっても物事を判断する能力のことではない。

単なる老眼なんだけれど。

いや、判断力も落ちてきているかも?

 

いずれろくなもんじゃない。

 

で老眼だが、端的な症状として

たとえば文庫本を読もうとするも、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと気持ち悪い (おおげさかな)

 

いっぽう老眼のいいところも、あるにはある。

見たくないものはそもそも目を凝らしても見えないので、

さっさとスルーできる。

読みたくないものは読まないで済む。

 

聴力にしても同様で、

面倒な話なども聞こえてこないと良いのだが、

耳はまだ衰えていないので、

けっこう雑音が多いのがたまに嫌になる。

よって聞こえないふりをしたりしている。

 

あと年をとるとですね、

自然とアタマが光ったりする訳です。

(ああ、これはただ禿げてくるってゆうこと)

 

ある日、鏡を見てあっと驚いたとか、

家人に指摘されたとか、

禿げと薄毛は、或る日の午後、

稲妻のようにとつぜん訪れるのだった。

 

そして意識は額やツムジに集中するのだ。

これってある意味、老化する己の確認でもあるので、

これだけで、或る人は意識しすぎて

頭痛持ちとなってしまうらしいのだ。

(これは嘘です)

 

だかしかし、年々ひどくなる物忘れが幸いして、

己の禿げているのも忘れて、

他人の禿げアタマを冷静に眺める自分がいた。

(これも嘘です)

 

いずれ、つい最近まで他人事だったことが、

ある日とつぜん我が身に起こるのが老化である。

 

老化は対岸の火事ではない。

いつか己に確実に降りかかる災難のようなものなのだ 笑

 

君にも必ず訪れる老化。

よって老化をバカにしてはいけない。

これは誰もがいつか通る道なのである。

老化からは何人たりとも逃れることはできないのだ。

 

それは「死」とて同様…

 

老化も死も生命の単なる循環のひとつなのであり、

たとえば季節が巡るような自然なものごとだと思えば、

客観視でき、かつ冷静に受け入れることができる。

 

どうだろう?

このような思考が、

いわゆる年を取った者の

「智恵」なのではあるまいか?

と机上では言えるのだがね!

 

 

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