仕事ネタをひとつ。
ワープロ時代から仕事をしているというと、
とても古い人間のように言われることがある。
精神年齢は若い人とあまり変わらない。
これは強がりではなく、彼らといろいろ話していてそう思う。
反って、いまの若い人の方が、しっかりした人が多い。
ただ、古い人間はだいたい腹の肉とシワが多い。
能書きを垂れ、疲れ易くなり、もの忘れが激しい。
これは致し方ない。
そして、切り替わらないのが「かな入力」なのだ。
かな入力派は、割と中年に多い。
ワープロ世代と重なる。
この世代のかな入力技は、ワープロの普及と共に叩き込まれた。
いまさらローマ字入力といわれても、
どうも考えていることと書くことが、乖離しているように感じる。
いや、乖離しているのは事実で、簡単なメールなどは
さっとローマ字入力で書いているが、その文中にちょっと
意味深とか気の利いたことを書こうとすると、
とたんに筆?が止まる。
というか、次に書くものがなにも出てこない。
これは我ながら不思議だと思い、或る友人にそのことを尋ねると
やはり同様の答えが返ってきた。
これは思考回路の問題なのだろうが、
私自身、ローマ字ではたいした思考ができないことを認識した。
英会話を覚えるとき、英語で考えなさいなどと言われるが、
私は、一旦自分のアタマで日本語に変換しているように思う。
だから、こちらも上達しないのだ。
で、かな入力だが、最近iPadもかな入力対応となった。
これは私たち旧世代には朗報で、AppストアでATOKを手に入れ、
アップルのBluetooth(ブルートゥース)のキーボードを使うと、
鬼に金棒となる。
(ATOKは日本語変換力に優れているし、iPadのディスプレイキーボードは、
結構疲れる)
外出の機会が多いと、当然、出先でメールチェックの他、なにかしらを
書くこともある。こんなときiPadは、かな入力技を手に入れたことで、
私には、以前にも増してその魅力が光るものとなった。
内輪の話をすると、こうだ。
まず、外出時にiPadとWi-Hiルーターは必携。
で、本格的になにかを書くことを想定すると、
誕生日プレゼントで子供たちから貰ったポメラを持とうか、
いや新しくミニノートでも買おうかと、
そんなことを半年も考えていた矢先のことだった。
(ポメラも、狙っていたミニノートも、
軽量・コンパクトでかな入力が可能なのだ)
思えば、iPadはディスプレイに触れれば、
拡大・縮小は自在。老眼鏡世代にも都合良くできているので、
ユーザー層の年齢はかなり高いのではないかと推測していた。
で、その世代は当然「かな派」が多いので、
そこに配慮したものと思うが、
この小さなバージョンアップが、
タブレット市場全体を眺めるにつけ、
ユーザーの取り込みにも、良い配慮になったようだ。
そんな訳で、私のカバンは今日も重くてパンパンだが、
後は、カード(お金)とガラケーのケータイがあれば、
当分帰ってこなくても、仕事はこなせる。
便利な時代になったと思う。
iPadには電子書籍も幾つか入れてはある。
音楽もバッチリ。ラジオアプリも入っている。
が、なぜか出掛けるときに藤沢周平なんかの文庫本が
カバンに一冊入っていないと落ち着かないのだ。
ついでに、
使いかけの黒ずんだ消しゴムなんかを入れておくと、
さらに落ち着く。
これはアナログへの郷愁とでも言おうか。
思うに、この平成という激動の時代は
大げさに言えば明治維新にも似て、
ものごとの価値の変換の激しいときのような気がする。
大きなうねりの潮目なのだ。
こんなとき、明治のサムライが靴を履いていたように、
刀ではなく鉄砲がスタンダードになったように、
原稿用紙ではなくとも、
IPadと藤沢周平の文庫本の併用は必須なのだ。