ツィッターやmixi、フェイスブック等のSNSを除くと、
ネットはほぼ検索の世界である。
で、検索をしていて思うことだが、
目的に辿り着く前に、
アレコレと売り込みが始まる。
ポータルサイトをぼぉ~っと眺めていても、
クリックの先で、
いつの間にか、なにかを売り込まれている。
油断も隙もない。
そういう私も、サイトづくりなどの仕事をしているが、
それが楽しいかと聞かれると、
最近は正直「うーん」と考えてしまう。
企画・制作者として売り上げに貢献できるのは、
素直に嬉しい。
が、表現する一人として思うところもあり、
ムカシのほうが良かったと思うこともしばしばだ。
ネットは、
検索で辿り着く先の情報を見聞し、
その親切で事細かな説明に納得したりして、
ちょっとその気になったりもする。
また、知り得ない情報を発見することもあり、
思わぬ勉強にもなる。
しかし、
キーワード検索で訪れた先のリスティング広告は良いにしても、
或る記事などの内容に連動する目的でつくられたコンテンツマッチ広告は、
追いかけ過剰の感もある。
バズの類いに至っては、
商品や事柄にまつわる噂や推薦で溢れていて、
文字通り、もう視覚の騒音だ。
ネットの特質といえばそれまで。
そういえば広告の性格もひと昔前と違い、
マーケティングテクニックを駆使した広告やサイトも多く、
いまは、いわば延々の説得型が主流となっている。
そして、それを証明するかのような数字と、
お客様の声の数々が、コンバージョン(成約)を後押しする。
考えてみれば、検索で辿り着く先は、
自ら探す、いわば能動的な行動であり、
その先に納得させられるものがあるのだから、
当然コンバージョン率(成約率)も高くなる。
このとき、広告やサイトはロジックで構成され、
後述する手法を完全にマスターすれば、
サイトの持ち主は、億万長者も夢ではないのかも知れない。
最も、世の中はそんなに甘くはない。
いまの時代の広告づくり、サイトづくりは、
苦労が絶えないのだ。
サイトの仕掛けの裏はいま、
数字やグラフで詳細をチェックできる。
アクセス解析は、
訪問客の入り、滞在、離脱等を、すべて記録する。
裏を返せば、
リスティングなどのキーワード広告は、
このアクセス解析に則って各所を改善すれば、
より高い売り上げをめざすことも可能である。
それはコピーの改善であり、デザインであり、
値付けの的確さを追求するものでもある。
いろいな角度から、広告の検討を加えることができる訳だ。
こうした効果測定は売り上げを改善し、
同時にクリエーターや制作者に、
科学的アプローチに基づいたチェック(文句?)を入れることもできる。
要はビジネスなので、
そこに昭和の匂いのするような文学的表現は不要と思われる。
そして、美しいデザインではなく、売れるデザイン。
いまの広告は、すべてがこのように動いている。
視点を変えれば、
ムカシに較べて味も素っ気もない。
売り込みに優れた表現だけが生き残り、
そうした表現が蔓延するいまのネット広告に文化があるのか、
と問われれば、
そんなものがあるのかどうか、怪しい。
いまのネット広告は、感覚ではなくロジック。
遊びではなく、計算。
文学・アート的ではなく、説得が多勢を占める。
そして、余韻と余白。
ここが実はムカシの広告の面白いところなのだが、
これを無駄といわれるのが、
いまという時代の広告の姿なのだ。
的確に時代の匂いを嗅ぎ取り、
人の心を反映するのが広告である。
あなたも私のように、
いまの広告を世知辛いと感じたなら、
きっとこの時代は、
そのような世の中なのだろう。