だいぶ寒くなってきた。
我が家は、居間のエアコン他、
トイレや洗面所に電気ストーブや電気パネル、
寝室にはオイルヒーターを使っているが、
こう寒いと必殺技として、石油ストーブを出す。
当初はガスか石油か迷ったが、
ランニングコストを考えて石油に決定。
で、2年前にアラジンの石油ストーブを買った。
ブルーフレームというこのストーブは、
名の通り、炎の青い色が特徴。
見ていて、とても落ち着くのだ。
が、芯の手入れが良くなかったり石油が古かったりすると、
途端に赤い炎に変わり、不調ですよとヘソを曲げる。
そこでアレコレ手入れをするのだが、
その手間と言ったら、面倒なことこの上ない。
今年は芯の交換とやらで、
マニュアルを見ながらゴム手袋をはめてチャレンジ。
おかげでめっきりカラダが冷えてしまった。
このアラジンのストーブは、元々イギリス製で、
基本設計はなんと70年前から変わらないという。
これをいじっていて思い出すのが、
若い頃のクルマいじりである。
いまは皆どのクルマも電子部品の塊でブラックボックス化しているが、
当時は、エンジンルームの中もメカニカルなもので構成されていたので、
時間がたっぷりあった私には、興味が尽きなかった。
1973年型のビートルのリヤを開けると、
コンパクトなエンジン、プーリー、ファンベルト、
そしてキャブやエアクリーナーなどが、
むき出しで見える。
勉強もせず、バイトだけに全力を出していた当時の私は、
いまよりずっと暇な人間だったので、
どうしてもこういうものには手を出してしまう。
で、働いた金をすべて注ぎ込み、
足回りはショックしか変えなかったが、
エアクリーナーを吸い込みの良いオープン型に変え、
電圧が落ちないように、
ディストビューターからの配線をすべて新品に交換。
そしてキャブを調整する。
ここが、実は一番面白い。
ドライバー一本でガスの吹き出しを変化させ、
空気との混合比をみながら、
最適と思われる位置を探し当てる。
また、エンジンを回しながらライトを照らし、
その点火時期を見て、タイミング調整を行う。
これは寒い冬にはこたえる作業だったが、
キャブ同様、クルマの好・不調が決まる、
なかなかデリケートな作業だった。
ビートルはドイツ製だが、先のアラジンのストーブはイギリス製。
まあ、どちらも理屈っぽい造りになっているが、
そこに欧州の人間が考えた面白さが詰まっているように思われる。
しかしである。
最近はなんでもメンテナンスフリー化している。
もう少し経てば、クルマの運転も自動化になるらしい。
こうなると、メカに強い奴とか運転がうまいとか、
そんな価値は一蹴される。
そして、人間の持ち場がますます狭くなる。
極端な未来予想をすると、暇な人間が増える。
暇な人間は、当然余暇に進むだろうが、
きっとその余暇というのが、どうした矛盾からか、
カラダを動かしたりアタマを使ったりして時間を潰すこととなる。
例えば農業体験だったり、アタマを捻るクイズの類だったりと、
労働が余暇という名の消費に変わる訳だ。
だから、お金を払って…となる。
さて、皆がそれぞれ経済活動をしなければ、
行く先さえ、生きてゆくのもままならない。
このままだと、さまざまな作業の自動化は更に進むだろうし、
人工知能もまた進化し、人間の領域を脅かす存在として加速してゆく。
医学の進歩などは、あらかた人を幸せに向かわせることと思うが、
寿命が伸びが、この社会をどう変えるかは議論の余地もあるだろう。
そして、職業の選択肢も相当狭まるだろうから、
やはり考えられるのは、生き残りゲームが始まるということである。
一方、暇な人間たちが向かう先は、より人間らしさを求めて、
というお題目で、原点回帰に基づいた宗教や哲学、
そしてアートなどが、より進化・深化するのだろうが、
実はそこが楽しくもあり怖いところだと、
私なんかは思うのだ。
だって、アルカディア(理想郷)がこの地上にあるのかどうか、
私にはちっとも分からないし、
増して、火星への片道切符を手に入れた人に於いてさえ、
そこが最高の地なのか以前に、私には理解不能だからだ。
少なくとも、
小綺麗な地上の街並みに溢れる世知辛い労働者の共食いと、
暇で裕福なのに、実は悩み深い人の群れが同居している未来が、
私には透けて見える訳で、
こういうのを簡単にいうと、「不幸」というのではなかろうかと。