「よう、これで遊んできなよ」
若い頃、良くない連中と付き合っていた時期がある。
と、その筋の先輩からポンと10万円入りの封筒を渡された。
そのときに言われたことば。
一瞬回りの空気が固まったのを覚えています(笑)
もちろん後日返却しましたが、
あのときもしあの10万円を使っていたら、
私の人生も間違いなく悪い方へ…と思うのですが。
「だってお父さんとお母さんが好きなんだもん」
ウチの長男が保育園に通っていた、ずっとむかし、
なんだか原因不明の登園拒否になりかけてしまい、
彼に「なんで?」と話したところ、
うつむいて発したことば。
あれから、うん十年。
いま彼は、一人前風で、デカい面をしている。
「今日まで、お疲れ様でした」
夏の暑い日の朝だった。
姉のマンションで突然亡くなった父。
電話を受け、飛んで行ったものの、
私は頭が真っ白になってしまい、
ただ父の遺体に頭を下げ、
無意識にこのことばを繰り返していました。
(もっと話しておけば良かった…)
後悔だけが残ります。
父は結局苦労人だったと思います。
「俺みたいな大人をなめるんじゃないよ」
中学生のとき、城ヶ島で散々泳いで民宿に忘れ物をし、
京急の三崎口で、たまたま通りかかったパトカーにその事情を話して
乗せてもらったことがある。
いわば、タクシー代わりにパトカーに乗ったことになる。
計器類をいじくっていたとき、かなりかんに障ったのだろう。
ドスの効いた話し方に、ガキながら権力を手にした親爺の怖さに、
返ってむっときた私でした。
「お天道様がみているよ」
小さい頃から、おふくろに散々言われ続けたことば。
おてんとうさまとは、太陽のこと。
人目にさらせないようなことは絶対にするなと、
おふくろは常に私の行動を信用せず、脅し続けていた?
だってお母さん、雨とか曇りの日はお天道様いないよ
と言い返し、何度か叩かれた覚えがあります。
「都会という森に棲む、ということ」
品川駅の海側の開発地区のビルを歩いていたときに、
思わず浮かんだフレーズ。
緑もあってとても素敵な空間だったのですが、
言いしれぬ閉塞感に突然息苦しさを覚えて、
そうした神経を鎮めようと思いつく。
だって、こうでも考えないと、
私はもう都会には出掛けられないなと…
人はことばで変る?
「もうプールで泳ぎたくないよ!」
娘が幼稚園の頃、風邪が長引いて数日寝込んでいたとき、
憂鬱顔を泣き腫らして、私たちにこう言いました。
うーん、いまは真冬だし、
スイミングスクールにも通っていないし…
ハテ?
「分かった、泳ぐの、やめようね。」
最近、娘にこのことを尋ねたら、
「私ってあの頃ネガティブだったのよね」
ふーん。
「産んでくれて、ありがとうございます」
おふくろを亡くしたとき、こんな陳腐なことばしか
出てこなかった。これってよく聞くフレーズですが、
考えるにやはりよくできたもので、
結局いまもこう思っています。
ある意味、普遍的なフレーズ。
これに尽きる! そう思います。