クラシック音楽、好きですかと聞かれると、
それほどでもとこたえるだろう。
正直、クラシックという柄じやない。
以前のブログでも書いたけれど、
リストという作曲家のラ・カンパネラを弾く、
フジコ・ヘミングは別である。
イタリア語で鐘を意味するラ・カンパネラ。
ピアノの高音が魅力的でなければ、
あの美しく荘厳な欧州の教会の鐘の音は、
再現できない。
そして、その音に哀愁のようなものがなければ、
ただの音になってしまう。
僕は、ん十年前イタリアのフィレンツェでこの鐘の音を
間近で耳にしたことがある。
夕暮れだった。
それは、日本の寺院から聞こえる鐘の音と、
ある意味で双璧を成す、
美しくも厳かな響きだった。
フジコ・ヘミングは、その鐘の音に
心を宿したといっても過言ではない。
ラ・カンパネラという曲をピアノで弾くのは、
超絶技巧である。
それは演奏を観ているシロウトの私でも分かる。
リストは、この曲をピアノで弾く際に、
器用さに加え、大きい跳躍における正確さ、
指の機敏さを鍛える練習曲としても、
考えて作曲したというから、
天才のアタマは複雑すぎて分からない。
この難曲を正確無比に弾くという点では、
辻井伸行の右に出るピアニストはいない。
彼もこの曲に心を宿しているひとりに違いない。
では、フジコ・ヘミングの何が僕を惹きつけるのか?
それは、人生を賭けたピアニストという職業に
すべてを捧げたフジコ・ヘミングが、
ラ・カンパネラが自身に最もふさわしい曲と、
ある時期、確信したからと想像する。
真っ白なガウンのような豪華な衣装で彼女が登場すると、
当然のように満場の拍手がわく。
杖をついている姿はこちらも折り込み済みだけど、
もう90歳近いこのピアニストの演奏を
いつまで聴けるのだろうかと、ふと不安がよぎる。
しかし、彼女が弾き始めると会場の空気が、
いつものようにガラッと変わる。
これはどう表現したらよいのか分からないが、
とても強いエネルギーのような旋律が、
その場を別の次元にでも移動させてしまうほどの、
力をもっている。
興味のない人でも、たかがピアノなのにと、
平静を装うことはまずできない。
そんなパワーのようなものをこの人はもっている。
レコードやCDで聴くのとはなにかが違う。
いや、全く違う。
そっくりだけど別物の存在なのだ。
僕はクラシックがあまり好きではないし、
知識も素養もない。
だけどフジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは、
どういう訳か、とても深い感動を得ることができるのだ。