あるときは目黒川で、
またあるときは大田区の洗足池あたりで、
桜の咲く時期になると、
アルコールを煽っていた。
いまは一切飲まないが、
若い頃は、花見で酒を飲むというのは、
普段は孤独なフリーにとっては、
仲間で集うことで救いにもなっていた。
そんな気がした。
しかし、あるときから、
そんなことはどうでもいいことと、
少し強くなった自分がいた。
自分の立ち位置を掴んだ時期でもあった。
そして後に全く別の理由だけど、
アルコールをやめることとなった。
酔いというものがどうゆうものか、
いまではすっかり忘れてしまった。
あのむせるようなソメイヨシノが満開の下で、
濃いアルコールをグイグイと飲んでいたのは、
あれは実は私ではないのでないか、
と思ったりもする。
あれはきっと、夢なのだ。
そう思うことにしている。
こうして桜を眺めていると、
実にいろいろな春を思い出す。
とても辛い思い出は小学校のときの転校だった。
親の都合で3月の中頃に引っ越したので、
編入したクラスでも
中途半端な転校生と言われた。
知らない町で友達もできないまま、
3学期も終わってしまい、
やることも話す相手もいないので、
自宅のある新興住宅地の裏の山道を
ひとり歩いていると、
木々の間から可憐な山桜がのぞいた。
その淡い色あいや小ぶりな花が、
寂しい私を少し励ましてくれた、
ような気がしたものだ。
先日、桜祭りで有名な観光地を通る機会があった。
そこに人気はなく、無駄に大きな「中止」の看板が、
立てられていた。
満開の桜の木々の間を車で通り抜けるとき、
前方の景色が、
ほぼピンクの世界に染まっているように思えた。
やたらとまぶしい派手なピンクの世界…
ううん、やはりこういうのは苦手なんだと、
改めて気づいた。