プールの帰りは
決まって風船型ミルク氷をかじりながら
炎天下のなかを近所の仲間とだらだらと歩いて帰る
大きな鉛筆工場を過ぎたあたりから
小さな工場の町並みが続く
いつも気になっていたのだが
冷えた体も温まってきた頃
炎天下以上の熱気の工場が僕らの目を惹いた
中ではおじさんたちが口に鉄の棒をくわえ
あれよあれよという間に
色とりどりのガラスが膨らんでいく
真夏の炉は一層の熱を帯びているようで
暴力的といえるほど僕らを近づけなくしていた
おじさんたちは一生懸命に炉に鉄パイプを突っ込み
次々にガラスを膨らませてゆく
それをじっと見ている僕らに気がつくと
「向こうへ行け」と怒鳴るのだった
仲間はひとりふたりと工場を離れてゆくのだが
僕はその工場の隅に山のように置かれている
ガラス玉に目を奪われていた
気がつくと僕以外に工場の前には誰もいない
僕がそのガラス玉を見てじっとしている様子が
おじさんたちも気になったのだろう
鉄パイプをそっと置くとひとりのおじさんが
僕に近づいてきた
僕は頭を両手で覆いおじさんに叩かれないように
後ずさりをして腰をかがめた
いまと違ってむかし大人は怖かった
悪いことをすると誰構わずひっぱたくのが
常だったので
僕もそのときは叩かれると判断したのだ
おじさんは白いヨレヨレのシャツに作業ズボン姿
赤黒い皮膚に玉のような汗がにじんでいたのをいまでも憶えている
少し間があった
僕を見下ろすと
「坊主、これが好きなのか?」
おじさんの大きなしわしわの黒ずんだ手は
なんともたとえようのないきれいな色をしたビー玉をみっつ
握っていた
それは透ける緑と透明のグラデーションだったり
赤と白が混ざり合ったカラフルな配色だったり
オレンジ色が扇状になって向こうの景色がみえるビー玉だった
気がつくと僕はすっかりその不思議な彩りに気を取られ
おじさんの手のひらに乗っているビー玉を手に取り
空に向けて一心にそれに見入っていた
おじさんは無造作にそのビー玉を僕によこすと
「帰れ」とにこにこしているのだった
こうして僕の夏休みは毎朝ビー玉を転がすことから始まった
ビー玉をいろいろな角度から眺め
顔を近づけたり遠ざけたりしながら
その透明感に浸っていた
あれから何十年
いまでも街を歩いているとデパートで駅で雑貨屋で
ガラスの装飾、オブジェ、工芸品などが目にとまると
必ずそれに見入ってしまう
クリスマスの彩りもそれなりに素敵だと思うし
夜空の花火もそれは美しくはかない趣があるのだが
僕の想いは
遠いむかしのその透明な色の不思議さに辿り着く
あの人工的で不思議な透明感と偶然がもたらす
色の混ざり具合は果たして僕の美の原点だ
こうしているいまも
エビアンのペットボトルの水の向こうに映る
テーブルにひかれたインド更紗(さらさ)を
じっと眺めている
僕がいる
ほのぼのした、いい話ですね。
今のスパンキーからは想像もつかない、ん十年前の話。
毎日、ビー玉を眺めていたなんて、ほんとに意外!
でも、この物語はスパンキーのルーツですよね。
その好奇心。
その純粋さ。
今も変わりません。
意外だなと思いながらも、
考えてみると、実にスパンキーらしいエピソードですね。
ホームページにガラス細工の要素を取り入れてみようかな。
そんなことを密かに計画中。
期待しててね。
このおじさん、素敵です!
おじさんが、怒るのではなく、「僕」に優しくしてくれるという展開は、事前に読めてしまうのですが、それでも素敵なおじさんにはかわりありませんね。
暴力的な熱さが充満している工場と、美しくて、涼しげなビー玉のもたらす遠近感が絶妙です。その対比が鮮やかなコントラストとなって、話に奥行きを与えているように思います。
>「人工的な不思議な透明感と、偶然がもたらす色の混ざり具合…」
そこに、人工と偶然の不思議な調和を感じたことが、後のライターとしてのスパンキーさんの立ち位置を定めたのでしょうね。
YU-SKEさん>コメント、ありがとう!
スパンキーにも子供時代がありました。いまは「変なおじさん」ですが、そのルーツをたどると納得できるでしょ?
YU-SKEさんもかなり変わり者?なので、その才ありと踏んでいます。
お互い、子供のような大人になろうじゃないか、ここからまた何か新しいものが生まれるような気がします、といい方に解釈しましょう!
町田さん>
私は最初、カメラマン志望だったんですよね。ほら、レンズを通していろいろなものを見ていられるじゃないですか?
表現の手段としても面白いかな?と。
しかし、家庭の事情で没。で、この世界に入ったのですが、「書く」というのもなかなか面白いものですよね。
町田さんにも同意を求めるのですが、同世代として、他とはひと味違うおっさんでいたいものです。
コメント、ありがとう!
『ビー玉』って、もうこの言葉自体が子どもらしさであふれている感じがします。
題名を読んで、すでにわくわくしていました☆
私は、スパンキーさんのイメージ通りだなぁと感じました。いや、スパンキーワールドに引き込まれていると言ったほうがしっくりくるかもしれません。
幼い頃はビー玉を宝物にして大事に自分の巾着袋に入れ、出して並べたり転がしたり、片目をつむって中を覗こうとしていたことを思い出しました。
子ども心を持ち続けられるって、すごくいいですね♪
chiakiさん>
聞いた話なんですけど、ビー玉って使えないものらしいんです。ビー玉のビーはB、対してA玉が一級品?らしいんですね。
で、B玉。
世の中、Aクラス、Bクラスなどいろいろ分かれていますが、自分が信じるのならBでもいいとゆうのが私流です。
なんせ、子供をワクワクさせるのですから、これはもう最高級ですよね!
自分の目を信じるって大切ですよね。
ありがとう!
私もこの話すごいいぃなって思いました☆
純粋さ。懐かしさ。
スパンキーさんの人柄からなのか、暖かさが滲み出てキラキラしたお話だなぁって思いました☆
ビー玉って、キレイですよね。私は小さい時、ラムネの中のビー玉を取り出したくてずっと、にらめっこしてましたw
あと、水槽の中のビー玉のキラキラと水に反射して見える虹が好きで、ずっと見てたりw
いつまでもビー玉の様に純粋で綺麗な心を持ち続けたいものです。
ゆかさん>
コメント、ありがとう!
いまのスパンキーは純粋じゃないけれど、幼少の頃はかなり純な少年でした?
こうした想い出の引き出しを最近ちょこちょこ整理しているのですが、気がついたことは、若い人でも昭和のノスタルジーってあるんだっていうことが分かりました。
これ、大収穫!
人って、いつもあまり変わりませんね。
では