天主さまに気に入られてしまったのだろうか?
8月のカッとするような暑い日の朝に
家内のお袋さんは
突然逝ってしまった。
最初の連絡を受けたとき
倒れていたお袋さんを義妹が発見、
慌てて119番通報し
救急車で運ばれて行った。と
家内は狂ったようにそのまま実家へ。
私は急いで家中の火の元と戸締まりをしながら
次の連絡を待つ。
第二報が入ったとき、もう駄目かも知れないという
つぶやきとともに、運ばれた病院を教えられた。
身支度をしつつ、パソコン開けている私がいる。
なにをしたらよいかわからない時間がどのくらい続いただろうか、
意味のないことをしていたと思う。
昼前だった。
私の嫌な予感は的中し、息子のケータイにやはり駄目だったという
知らせが遂に届いた。
急に体中の力が抜け、私はしばらく座り込んで手帳を見ていた。
そしておもむろに裸になりシャワーを浴びた。
なぜシャワーを浴びたのか、いまでもわからない。
急いでいたのかのんびりしていたのかわからない。
押し寄せるものが私を泣かせた。
涙なんて、というものがどんどん溢れ
シャワーの激しい勢いに混じって流れていったのだろう。
親父が逝ってしまったのも、やはり暑い夏の朝だった。
忘れられない夏の日が、
またひとつ。
しかし、いまでも漂う
この香りはどう説明したらいいのだろう?
お袋さんがねむっていた横に置かれた百合の花と線香の香りが
いまも、毎朝香ってくる。
そこにいるんだろう?
無言で語りかけると、香りは確かなものとして
私の鼻に届く。
最近、家内は夜中の2時に目を覚ますという。
気配を感じて、
いるんでしょ、というと置物がカタッと音をたてるという。
湯灌の日、私が見たものは
綺麗に洗った体に白い衣を着
わらじを履いて杖を持ち
首からぶら下げた袋の中に
六文銭の紙を入れた
お袋さんの姿だった。
これからお袋さんは修行の旅に出るという。
どうしても、三途の川を渡らなければいけない。
その船賃が六文銭なのだ。
七七日が近づきつつある。
朝晩はめっきり涼しくなり、秋の気配が侘びしさを増す。
七七日が過ぎてしまったら
あの百合と線香の香りも
どこかへ消えてなくなってしまうのだろうか?
人は強くて、
はかないものだと、つくづく思う。
そして
私は教えられた。
生きてゆく上で大切なものは
さほど欲かくものではなく
たとえば六紋銭さえあればよいことを。
すごい心にズシッときました。
人が亡くなる事で気がつく事って沢山ありますよね。
この世と言うか‥人間は、沢山の欲に溢れているけど、本当に大切なモノって実はそこまで多くないのかもしれませんね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント、ありがとうございます。
いまでも、ちょっと実感できないときがあります。
お袋さんとの付き合いは長かったし、とてもインパクトのある人でしたから、ちょっとリアリティがないですね。
いまでも、実家に帰るとどっから出てきて声をかけてきそうな気がします。
六文銭の話ですが、私はホントはこの事は以前から知っていました。
武田信玄の軍勢の旗にも描かれていたものと記憶しています。
ただ、今回改めて教えられた気がして。
とても私的な話で、失礼しました。
呼吸もままならなくなるほどの、
言葉にならないその感情が
そのまま伝わってくるようです。
毎朝香るその香りは、おばあちゃんの旅支度なのでしょうか。
おばあちゃんとおじいちゃんが愛を育んだから奥さんがいて
奥さんとスパンキーさんが出逢って恋に落ちたから僕と私がいて
結婚して子どもができて親になっても
みんないつまでも誰かの子どもですね。
ストレートな愛情もあれば
じんわりとしみこんでくる愛情もあって
スパンキーさんも、おばあちゃんにたっぷりと愛されていたんですね☆★
きっと、これからもあたたかな眼差しでスパンキーファミリーを見守ってくれますね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
お袋さんから愛されていたらうれしいけれど、ホントによくわからないんですよ。
けれど、いまでも確かに香りますから不思議ですね。
ウチの奥さんのダメージはかなりのもので、そのケアに重点を置いています。
いろいろな事があると、その人の本質がみえてきます。いまは、そこをじっくりと考えたいと思います。
コメント、ありがとうございます。
ご無沙汰です。しばらく自分のブログの更新だけで手一杯で、親しい人のブログを覗く余裕がなかなかありませんでした。久しぶりに訪れてみたら、この訃報。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。
親しい者が亡くなったとき、とりあえず何をしたらいいのか、茫然自失状態になることはよくあります。私も自分の両親、義父と恩になった人々をぽつりぽつりと失っていくとき、訃報に接したときはいつもどうすればいいのか、何も手につかない状態がありました。
家内も、義父を失って以来、ときどき看病に通った病院の帰り道などの風景を思い出して、いまだに泣いたりしています。
そんな失った者への哀悼の意が十分にこもった素晴らしい詩でした。
親父も、今回のお袋さんも突然逝ってしまいました。
なんというか、心の準備ができていないのに、いきなりというのは、もう沢山ですね。
これが後に残された者の心情というところでしょうか。
当の本人に聞いてみたいのですが、あなたはいまどこにいるのですか?と。
とても野暮なのは分かっていますが
、やはり人の死は、改めて私にいろいろな難問を突きつけ、そして教えられることの多い出来事です。
町田さんは、そこのところを充分に思索していると推察しますが、今度会ったときにでも…。
コメント、ありがとうございます。