横浜駅より、JR(当時は国鉄)でふたつ目の駅あたり。
私が生まれ育った町だ。
いまではかなり都会だが、
昔は山あり田んぼありで
自然も満喫できた。
春も真っ盛りになると、
あぜ道にノビロという草が生える。
これを採って家に持って帰ると、おふくろは喜んだ。
なにしろタダで手に入るし、美味い。
水路にはタニシがいて食用ガエルも泳いでいた。
ヘビもカエルもバッタもモンシロチョウもみんないっぱいいた。
レンゲの花があぜ道に咲き誇っている。
周りの景色が綿菓子のようにやわらかい。
と、想い出をここまで書いたら郷愁が迫り、
少し悲しくなってきた。
みんな何処へ行ってしまったのだろう?
あの、私がいた時間は本当に存在したのだろうか?
私の記憶の断片は、ひょっとすると私のつくりものなのか?
自信がない。
いや、その風景は確かに存在した、と思う。
あんなに美しい春の風景は、私には描けない。
私の記憶の断片は、あの春の日の一日を描いている。
春は、だから私は桜ではなく、田園の春を思い出す。
私の春の原風景だ。
私は姉に連れられて、あぜ道を歩いていた。
私も姉も、ふたりしてニコニコしていたような気がする。
笑顔しか出てこないのだ。
私が足元に咲いている赤い実を摘もうとすると
姉が「だめっ!」と慌てて言う。
毒があるからダメなのだ。
その実はヘビ苺と言い、最近は見かけなくなったが
毒だらけなのだ。
その事の真意は、実は私はいまだに知らないでいるが、
ホントだと、いまでも思っている。
霞がかかった暖かい景色の中を、姉と私はずっと歩く。
やがてあぜ道が終わると、こんもりとした緑に覆われた森が表れる。
神社は、森の中程に隠れるようにして、鎮座する。
鈴なり神社。みんなはそう呼んでいた。
夜中に、誰もいない境内に鈴の音が聞こえるから、鈴なり神社。
ちょっと怖いのだ。
陽の高いうちは、みんなそこで遊んでいた。
姉は友達をみつけると、ゴム跳びの仲間入りをした。
私はいつもの缶蹴り仲間に入ろうと思ったのだが
その日は、
なだらかな斜面の中ほどに咲いている花の色に
目を奪われてしまった。
「ちょっと待って!」と言い残して、私はその花に近づいていた。
花は、太くねじ曲がったトゲのある枝に、たっぷりと咲いていた。
だいだい色をした、とても気になる美しい色だ。
私はこの木を引っこ抜いて、どうしても持って帰りたくなった。
最初は手で土を掘るのだが、トゲがあるし、根っこがみえない。
性がないので、近くに落ちていた木片をシャベル代わりに
周りの土を掘る。
しかし、掘っても掘っても根に辿り着かない。
なんだ、この木はどうなっているのだ?
私は、全身に汗をかいていた。
仕方なく、木片でトゲを削って、枝を力任せに引っ張る。
体重をかけて引っ張るのだが、枝はビクともしない。
疲れ切った私は座り込み、しばらく花をじっと見ていた。
その花は小さいのだが、花びらは厚く、とてもしっかりとしていた。
当時の私にとって、このだいだい色は、かなりめずらしい色だったらしい。
ほんわりとした春の日に咲く花。
あれから今日まで、あの花は数度しかお目にかかっていない。
それは、野生のボケの花、と後で知った。
季節も、そろそろ冬が終わろうとしている。
春になったら、私も田園地帯をめざそうと思う。
しかし、あの頃の田園風景は、もうどこにもないのではないのか。
記憶の中にしかない春なのではないのか?
せめて、花屋さんに行ってみよう。
造園にでもでかけてみようか?
もう一度
この眼で、ボケの花がみたいのだ。