私を育ててくれた?会社

私も最初から会社を興した訳ではなく、
コピーライターとして幾つかの会社を渡り歩き
育ててもらった。
そのなかで、とてもユニークな会社があったので、
ちょつとご紹介しておこう。

その広告制作会社は表参道にあり、取引先も一部上場の会社をはじめ
名だたる企業がクライアントだった。

いま考えると不思議なのだが。

私は制作チームにいた。
コピーライターとデザイナーは、部屋が分かれている。
お互いに用のあるときは、自らラフを持ったりして相手を訪ね
喧々囂々やり合う、と言いたいところだが、
何故かこの職場に気難しい奴はひとりもいなかった。

その頃、「気まぐれコンセプト」という本が売れていた。
広告代理店を舞台にしたマンガなのだが、タイトルどおり
かなりいい加減な会社が描かれている。

私のいた会社が、まさにそういう会社だった。

夏のある日、気温がガンガン上昇していた昼下がり。
私は食後ということもあって、眠気を催していた。
やる気がでない。と、ふと隣をみると
コピーライターのE君が、いきなりお香を焚き
何かを唱えだしてた。
彼のデスクには、白紙の原稿用紙が置かれている。

わぁーと思って席を立ち、隣のデザイナーの部屋へ行くと
ロックの音楽が大音響で鳴り響いていた。
「うるさいな」とわめきつつ、ヘッドチーフデザイナーと
午前の案件の話をしようと思ったのだが、彼がいない。

その部屋の入り口には、通勤に使われているサイクリング車が
2台置かれていた。世田谷から通勤しているデザイナーのものだ。
このふたりは、いつも遅刻していたように記憶している。

さてヘッドチーフだが、灼熱の屋上にいた。しかも短パンひとつの
裸。カラダにオリーブオイルを塗り、甲羅干しをしている。
ラジカセからレゲェの呑気な音楽が流れている。

結局、私も服を脱いで甲羅干しをすることになるのだが。

で、経理の女性を除いて、この会社はほとんどいい加減な人間で
構成されていた。

営業のB君は、なにかにつけ意味不明な用をつくり、愛車のアルファロメオに乗って
どこかへ出掛けて行った。帰社はいつも夜中。
何処で何をしていたか?なんて聞く人間は、誰もいない。

上司は上司で忙しいのだ。と言っても、自らの離婚問題やサイドビジネスの
ねずみ講のようなものにはまっていて、仕事どころではないのだ。

ある時私は難しい案件に悩まされ、最後の手段と思い、社長を尋ねた。
この人は、早稲田を出て、広告界では天才肌と呼ばれている凄い人だった。
彼はコピーも書き、一瞬にしてラフも起こしてしまう。
結果、ほほぅと唸るような広告の素ができあがる。

マルチな才人だった。

私がある案件について、コピーの表現方法が分からない箇所を
社長に相談しようと話しかけた。
社長曰く
「いま僕はモーレツに忙しいんだよ! 君と話している時間は30秒しかない」
と言ったと同時に私のラフに目をやり、殴り書きをして何処かへ消えていった。

まあ、よくよく後で考えるとこういうキャッチフレーズに落ち着くんだろうな
と納得できたが、社長はすでにその頃、仕事に意欲を無くしていたらしい。

じゃあ、何に忙しいのか?

笑っちゃうのだが、結局この会社は最後は潰れた。

社長は、その頃流行の「愛人バンク」なるものにはまっていたのだ。
若い女性に夢中になり、ほぼ骨抜き状態の社長が会社を経営していたのだ。

いま思えば、あの会社のダルい感じは、社長自らが醸し出す空気なるものが社内にまん延し、
社員の一人ひとりに伝染していったものなのだろう。

経営的にみれば、いま考えても恐ろしい。

私としては、後学のいい勉強にもなった。

しかし不謹慎だが、ああいう会社が存在していたこと自体が不思議だ。

いまでも時々思い出すのだが、やはり笑っちゃうのだ。

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