私が生まれ育った横浜の或る街は
物心ついた頃からいろいろ変な奴がいて
小学生の頃すでに同じ学校内に
万引きのグループが存在し
数々の悪行を繰り返していた
友達のなかの何人かは
ガキのクセにすでに学校をサボる奴や
毎年のように苗字が変わる奴とか
山を火事にしちゃうのとか
いろいろいた
外国籍の生徒も多く
そんな仲間同士の争いも多々あったし
女の子もとてもませていた
U
で
私も大きくなってその街を引っ越し
新しい街で学生を始めた頃
横浜は相変わらずヤバイところで
行くところ行くところで喧嘩が始まる…
ひとことで言えばそんなところだった
当時の私は、遊ぶといえば
横浜の街しか知らなかったので
ざっくりいえば
日本中どこもそんなもんだろうと思っていた
みんなでクルマに分乗し
行き着くところは厚木基地側のディスコか
本牧のディスコと相場は決まっていた
ジルバ、チャチャ
仲間はみなオドリが達者だった
ステージで一列に並んで踊る
とにかくぶんどって踊る
格好つけるだけの夜に
その頃は賭けていた
当時、私たちにとって
伝説と言われていた
ケンタウロスという集団は
ハーレーの野太い音を轟かせ
街を疾走する謎のグループだった
こいつらの正体が分からず
絶対に遭遇したくない存在だった
後に女優の余貴美子さんが
この方たちと遊んでいたときいて
ホントに驚いた
そのケンタウロスが
いまでも活動していると知ったのは
最近のことだ
本牧からほど近い中華街はその頃
夜ともなると豹変し
伊勢佐木町の裏通りと同じように
かなり危ないところだった
それでも私たちはここで酒を飲み
福富町の地下の店にしけ込み
何度も朝を迎えた
チンピラに絡まれ
マンションの屋上で争いになり
もう少しで刺されそうになったことがあるが
いま思えば私も相手のチンピラも
事件にならずにホントに良かったと思う
去年あの辺りを歩いたが
中華街は観光地として明るく生まれ変わったものの
伊勢佐木町の裏通りはやはり廃れ
別の意味で不気味な雰囲気が漂っていた
街の臭いとは不思議なものだ
横浜駅周辺も一歩裏へ入ると
とんでもない奴らが溜まっていた
チンピラに薬漬けの危ない奴
狂ったロックンローラーに
男か女かよく分からない格好をした集団
そんななかをかき分けて
私たちがいつもめざす場所は
横浜駅西口のディスコ「ソウルトレイン」だった
ここのステージも何度か仲間とぶんどって踊ったが
やはりと言うべきか
周りからいろいろ目をつけられ
狙われた
一度ここで他のグループから襲撃にあい
怪我を負った嫌な思い出がある
いまは結構な事件になることだろうが
こんなことが当時は割と多かった
このディスコで知り合った横須賀の友達が
俺の街へ遊びに来いよ、という
その街は横須賀中央駅近くのどぶ板通り
店は「サンタナ2」
名前だけは有名なディスコだった
ここでパーティーだったのだが
踊っているうちにどうも外の様子がおかしい
店にいる連中もザワザワしている
後で聞いた話だが
その日のパーティーを狙った他のチームの連中が
襲撃にくるという話がすでにあったらしい
私がなにも知らずにはしゃいでいると
いきなり入り口から数人のヤバそうな奴らがなだれ込み
そこからいきなり殴り合いが始まり
音楽が止まって騒然となったことがある
事はそれで終わったのだが
まあロクな事ではない
或る日
仲間うちの誰かが「東京ってどうよ」というひと言から
みんなで東京へ遠征することが決まった
国道246を北上し
きったないシャコタンのボロ車の集団が
夜の新宿へと繰り出した
事前情報では
めざす場所に東京の西部一帯を牛耳っている連中が
集まっているということだった
が
要はなにも知らないガキの集団が
新宿の或るディスコに乗り込み
敵さんと一戦交えて勝利し
調子に乗ってしまったということだ
以来
私はコイツらと距離を置き
自分に嫌悪し
焦り
塞ぎこみ
とにかくなにかを始めなくてはと考え始めた
数年後
私は奇跡的に就職試験で或る一社にパスし
自分を変えた
いや
このままでは絶対に世の中に受け入れられない
みんなに教えられ
いや怒られながら
必死に自分を社会へ馴染ませようと
毎日が必死だった
他からみればどうでも良いことでも
こっちは緊張の連続
精神的にも肉体的にも
追い詰められてゆく毎日だった
いまとなっては笑える話だが
私はここで別の世の中を教えてもらった
ガキの頃の友達も
就職してからの友人も
いまは良いつきあいをさせてもらっている
裏街から出てきた自分の価値観や世界観は
いまでも相当ズレていて
そこは自分でも承知しているつもりだ
しかし人生も後半を過ぎて
老後を考える時期に来た
このズレは死ぬまで治らないし
育ちは消せないものだと最近分かった
せめて残りの人生を
このズレが良い方へと誘ってくれないかと
いつも思っている