愛しのビートル

大学時代、よく国道一号線を走った。

横浜の鶴見に友人がいたので、

そいつと遊ぶためにせっせと通った道だ。

あるとき一号線を走っていて、

視界のなかに中古屋が見えた。

いままで気がつかなかった店だ。

いつもの癖で、展示されているクルマをチェックすると、

気になるクルマが私を呼んでいる。

で、Uターンして、初めてその中古屋に顔を出した。

フロントフェイスの艶が良い、

そいつは、1303Sという型のフォルクスワーゲン・ビートルだった。

車体は綺麗なオレンジ色で、かなり珍しい。

窓から中を覗くと、メーター類のシンプルさに好感がもてた。

いいなぁ…

一目で気に入ってしまった。

街で理想の女の子にでくわした、そんな感じだ。

ワクワクする気持ちを抑えて、その日はその場を去り、

友人の家へ行く。

そいつにビートルの話をすると、

「ガイシャだろ、やめといた方がいいよ」

と軽くいなされる。

次の日も、鶴見のその中古屋へ出かけた。

クルマをじっと眺めていると、店の主人らしき人が出てきて、

「昨日も来たよね」と笑いながら言った。

なんだか見透かされたようで恥ずかしかったが、

そんなことはすでに私にはどうでもよく、

クルマの前にずっと立ち尽くした。

と、そのカウボーイハットを被った髭のおっさんが、

「昨日、キミの後に一人見に来ていたよ」とのたまったのだ。

「ええっ」

いきなり気が動転した。

現実的にこのクルマを手に入れる算段など、

私は一切考えていなかった。

が、血迷った。

悔しいなぁ!

学生の私にとって、そのビートルはかなり高額だった。

たいした持ちあわせもない。

中古車の気軽なローンの類いもなかった時代だ。

こんな学生に金を貸してくれる仏さまのような人も知らないし…

泣く泣く、振り切るように私はそこから立ち去った。

しかし、国道を走りながら、激しく計算を始める。

いま乗っているクルマを下取りに出すと幾ら。

銀行に預けてある金がわずかにあるのを思い出した。

こうなると意地になってしまうのが、

私の悪い癖だ。

最近はかなりこの性格も改善されたが、

私の金欠の根本は、きっとこんな所にあるのだろう。

このビートルのため、結果、バイトも換えてしまった。

それまで働いていた、のんきで時給の安いコーヒーショップを辞め、

すべて金で動くという、あざとい人間となった。

お陰で、前借りもでき、

当時のサラリーマン並みの稼ぎを得ることもできた。

あるときは、新車の陸送マン。

あるときは、関東一円を走るトラックドライバー。

が、他の散財も重なり、

遂には学校に行くこともままならず、

横浜港での日雇いもやるハメになってしまったのだ。

ああ、俺はなんでこんなキツイ仕事をしているのかぁ。

来る日も来る日も働き詰めなのに、

どうしていつも金欠なんだろ?

ま、答えは分かっていたが…

結局、卒業までオレンジ色のビートルは手放さず、

私はこいつとの付き合いが、学生時代の最大の思い出となった。

出かけるときはいつもビートル。

こいつとは軽井沢、信州、静岡とどこへでもでかけた。

不調のときは、夜中に修理した。

車体の綺麗なオレンジ色を保つため、

近くの板金塗装の親爺とも仲良くなってしまった。

また、ステアリングの他、クリーナー、マフラーと次々に改造を重ね、

借金があるにもかかわらず、

結局このクルマの改造に100万円以上も注ぎ込んでしまった。

前述の友人もこのビートルに惚れ、結局ビートルを買った。

大学ではビートル仲間が増え、

ビートルクラブなるものもできてしまった。

思えば自制のない自分に呆れるが、

良い思い出だけはつくれたような気がする。

「いい女といいクルマには気をつけよう」

これは、私が青春時代に身をもって得た格言だ。

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