締め切りのある仕事ばかりしていると、
いい加減に耐性ができてしまい、
辻褄合わせだけはうまくなる。
若い頃、締め切りが近づくと、
胃がキリキリと痛んだ。
寝ていても、パッと目が醒めて、
突然、仕事のことが浮かぶ。
ああしよう、こうだろうかと、
思い倦ねる。
そんな日々が続いた。
しかし、耐性は割と早く形成され、
習慣とは凄いものだと思ったことがある。
その深層には、「なんとかなる」、
という確信めいたものが、
ぼんやりではあるがつくられている。
でなければ、そんな気持ちになれない。
なんとかなる…心境は、経験から掴んだ。
だから、いまでも何事もなんとかなると、
まず考える。
確かな根拠などなくても、
なんとかなると思っている。
そうして事にとりかかる。
これは仕事だけでなく、すべてのことがらが対象だ。
経済的に困窮しても、具合が悪くても、
なんとかなる、だ。
そのようにして、いままで切り抜けてきた。
しかし、このところ、
なんとかならない事象が増えた。
言い換えれば、どうにもならない事態が続いた。
肉親を亡くしたときも、
古い友人がいなくなったときも、
私は、気がつくとうつむいて
「しょうがない」とつぶやいていた。
これは、
不遜かつ非礼な言葉を吐いているなと反省もしたが、
他の失敗や取り返しのつかないことも、
しょうがないとしか考えなかった。
思うに、しょうがないとしか他に言いようがないのだ。
亡くなった人は、絶対に帰ってはこない。
取り返しのつかない失敗も、
ただ嘆くのではなく、
今後はなんとかなるようにしなければならない。
それだけのことだ。
そうは言っても、日々アレコレと思い返し、
あの時ああしてあげていればとか、こうすればとか、
ウジウジしている自分がいる。
がしかし、
今日もなんとかなると思って生きている。
すべて、なんとかなる。
物事は、そのようにして私に与えられている。
でなければ、私の努力が足りないのだ。
だから全力でなければならない。
誠実でなければ後悔する。
真剣でなければ虚構となる。
後はすべからく、
「しょうがない」ことばかりが残るのだ。
これは、日々生きているのだから、
どうしようもない。
しょうがないと思っている。