●スカイラインのエンジンがベンツ?
最近のスカイラインって、
なんでかベンツのエンジンを積んでいるらしいのだ。
ガッカリ!
がしかし、私は一度もスカイラインを所有したことがない。
いや、そもそも日産のクルマを所有したことがないので、
大口は叩けないが…
思えば、若い頃のスカイラインは雲の上の存在だった。
先輩の改造スカGが疾走するのを、
私はただよだれを垂らして眺めていたのを覚えている。
愛のスカイライン、ケンとメリーのスカイライン。
日本が誇る名車のイメージは、コマーシャルによって、
更に若者を釘付けにしたのだった。
純国産GTはレジェンドなのである。
我が青春時代の憧れのスカイラインが、
よりによって、ベンツのエンジンはないだろうに。
心臓部だぞ!
なんか悔しいな。
●公の場でいちゃつくカップルは?
人前はばからずイチャイチャするカップルは、
ブスと醜男と相場が決まっている。
これが事実か都市伝説なのか、なのだが、
私も幾度か街で遭遇したことがあるので、
事実である。
思うに、誰にも振り向かれたこともない彼らに、
他人の視線は関係ねー訳で、
公の場でいちゃついても周囲の不快を感知できない。
これがひとつの推測。
で、もうひとつの推測だが、
全く逆の説として、
これ見よがしに自慢したいがために、
周囲の視線を集める手段として、
大袈裟にいちゃつく。
一応ふたつの推測を立てたが、
どうでもいいか?
●ケセラセラ
人生はケセラセラである。
くだけて言うと、なるようにしかならないのが人生、
成り行きに任せて明るく生きようぜ!
ということになるのかな。
無問題。
これ、モーマンタイと読みます。
ケセラセラと同じような意味の言葉です。
「全然問題ないじゃん」
そんな感じのときに使います。
にっちもさっちもいかないとき、
このどちらかの言葉を、
おまじないのように繰り返してください。
そのうち光明が差すのかも知れません。
いや、お陀仏になってしまうかも知れません。
それがケセラセラの神髄です。
それが無問題思想です。
私ですか?
私の場合は、
ハンドルを放せ!
この言葉ですべての呪縛から解き放たれたいのですが、
いまだに無理、
イケマセンね。
●たかがコピーと侮るなかれ
欲しがりません 勝つまでは
突け 米英の心臓を
進め一億 火の玉だ
贅沢は敵だ
太平洋戦争時の日本のスローガンである。
当時、大政翼賛会から発表されたこれらのスローガンが、
国民にジワジワと浸透していった。
いまもどこかの国が同じようなことをわめいているが…
こうした言葉の環境の中で生活をしていると、
人ってその方向を向いて、次第に変わってゆくのだろう。
これも一種のコピーであることに変わりない。
コピーって刃物とよく似ている。