先日、NHKの金曜eyeという番組で、
「ひとり死」という内容を取り上げていた。
正直、観ていてだんだん憂鬱になり、
遂に耐えられずにチャンネルを回したが、
いまでも、どうもあのインパクトが消えない。
両親を送り、子供もとっくに成人しているし、
さあこれから気楽に生きよう、
とも考えていたがしかし、
現実に横たわるのはこういうことか、と自覚する。
私は配偶者も子もいる。
いわゆるおひとりさまではないのだが、
この私だって、
未来の事は神さましか分からないのである。
配偶者に先立たれ、
子供は訳あって遠くに行ってしまうとか…
そういうことが無いとも限らない。
そんなことを考えさせる
不安な時代でもある。
気分の悪いイマジネーションは、
人を果てしなく陥れる。
おひとりさまという環境は、
ひとり死という選択が、かなり身近となる。
ひとり死は、選択するものなのである。
そしてひとり死は、いわゆる孤独死とは異なる。
ここで、ひとり死の詳細を書こうとしたが、
更に憂鬱になってきたので、
詳しく知りたい方は、検索して調べていただきたい。
日本も、これからますます単身高齢社会となる。
この場合、孤独死はとにかく脇に置いておくとして、
ひとり死に関しては確実に増えてゆくと思うが、
正直、私にはちょっと怖い話であった。
思えば、
死とは想像でしか語れない、
誰も知らないところへ、
初めて一人っきりで、
旅に出かけるようなものである。
もちろん旅の仲間はいない。
まして、
ひとり死は、
見送りさえ誰も来ないということか。
さてこう考えると、
翻って、
単身でアフリカやアマゾンの奥地へ行くことなんか、
全然たいしたことはない訳である。
月へ行くのも、なんということはない。
更に金星や水星へ飛び出すことでさえ、
厳しいツアーだな、と思えてくるくらいである。
要するに、年をとると、
もっと凄い旅が大きな口を空けて待っているのだ。
まさに人生の最後は、
アドベンチャーというしかない。
さて、見送りが何人くらい来るか、
いや一人も来ないかは分からないが、
誰もが、
この旅には例外なく参加しなくてはならない。
ここは万人、変えられない。