いきなりリテラシーなんていうと、
IT系とか情報に関するアレコレを思い浮かべるが、
ちょっと趣が違う。
飯である。
リテラシーという語は、
最近になって頻繁に使われてる。
元々は識字とかそんな意味だったようだが、
ジャパニーズイングリッシュにより、
「何らかの表現されたものを適切に理解・解釈・分析・記述し、改めて表現する」
という意味に使われている言葉である。(ウィキペディアより)
で、飯をつくるというテクニックも、
リテラシーという括りで捉えてみた。
この飯をなんとかするリテラシーが、
かなり低い私に、
先日、奥さんがこんなことを言った。
「私に何かあったら、
あなた食べるもの、何かつくれる?」
「ううん、駄目かな…」
「でしょ!、
少しつくる習慣をつけた方がいいわよ」
納得!
思えば、最近の自分は何もつくれない。
ウチの息子は、スパゲッティーくらい茹でている。
いや、中華鍋を振っている、という噂もある。
私はというと、即席ラーメンはつくれるが、
スパゲティの茹で方はおぼつかない。
茹で時間とか量がよく分からないのだ。
こんな私でも、
料理人をめざしていた時期があった。
小さな店の厨房に入り、
材料の買い出しから仕込み、
簡単な調理などもこなし、
店を仕切っていた時期もあったのだ。
思い出したが、
あの頃は魚も三枚に卸せたし、
イカもキレイにこわせたのだが…
そういえば、
私は調理師の免許を持っていたのた。
あれから、ん十年、
(きみまろ風に)
私の飯リテラシーは極度に衰えていた。
つい数年前まではやたらに早起きだったので、
せっせと凝った味噌汁ばかりつくっていた時期もあったが、
現在はなんというか、
起きてダランとしているだけ。
キャンプなどへ行っても、
私のアウトドア仲間は調理意欲が極度に低いので、
行きがけのコンビニで、
おにぎりやフライドチキンなどを買い込んで済ましてしまう。
しかし、焚き火とか火起こしリテラシーは高いのだがね。
思えば、料理はクリエィティブな作業である。
冷蔵庫をおもむろに開け、
すばやく目配りをして素材をチェックし、
瞬時にメニューを考える、という早業が要求されるのだ。
私はそもそも冷蔵庫とかに興味がないので、
あまり開けない。
用があって開けることはあるが、
何が入っていたのか、ほぼ覚えていない。
冷凍庫に至っては、
冷気の中に固まっているものに、
そもそも興味も出ない。
よってどこに何があるのか、
まずそのことがよく分からないのだ。
アタマに叩き込んであるのは、
床下収納庫に即席ラーメンとカップラーメンがあるということ。
あとは、ストッカーにレトルトカレーが時たまある。
必要時のみこれらを眺める訳。
しかし、いまどきの男たるもの、
これではイケナイ。
己に強い反省を促してる次第。
できれば、タケノコの酢味噌和えとか、
海の幸の三杯酢のひたしとか、
パルマ産ハムと本場フランスから取り寄せたトリュフをあしらったサラダとか、
手づくりの地中海ヨーグルトをまぶした国産第5等級の仔牛ステーキ、
こんな料理づくりをめざしたい。
切磋琢磨、精進しよう。
そのため、
まずは白米を炊くことからと思いついたが、
炊飯器の使い方さえ分からない己に、
改めて気づいた次第。
我ながら唖然とするね。