葬儀屋の山本さんのこと

今年は叔母が亡くなり、

お袋のときと同じ葬儀屋さんにお願いした。

叔母は生涯独身だったので私が仕切ることとなった。

同じ葬儀屋さんに頼んだのは、

ここで働く若い青年の印象がすこぶる良かったからだ。

その青年・山本さんと初めてお会いしたのは、

当然というか、お袋が逝ってしまった日だった。

夜半に逝ってしまったので、急きょ電話を入れた。

病院でもうやることもない私たちは、

長いすにもたれて寝るでもなく、

じっと目をつむって時を過ごした。

やがて山本さんが通用門からそっとやってきて、

「お待たせ致しました。

この度はご愁傷様でした」

と深々と頭を下げ、私たちは挨拶を交わした。

簡単かつ要所滞りない打合せを済ませると、

山本さんは一人霊安室に向かう。

彼はまだ若いのに、言葉、所作なにをとっても

万事慎重で落ち着いていた。

昼間に街で出会えば、どこにでもいる二枚目の好青年

というところか。

霊安室からお袋を乗せた寝台車を静かに押し、

乗ってきた寝台車仕様のミニバンに丁寧に、

そして注意深くお袋を乗せる。

そして私たちに再び深々と頭を下げ、

クルマは冬の夜明け前の静かな街に

消えていった。

そして通夜の夜も翌日の葬儀も、

彼が中心となって取り仕切ってくれた。

火葬場へ向かう霊柩車の運転も、

これまた山本さんだった。

思えば小さい葬儀屋さんなので、

一人で何役もこなさなければならないのかと、

その頃になってようやく気づいた。

あれから4年。

叔母は施設で最後を迎えたので、

前もってお袋と同じ葬儀屋さんに連絡しておいた。

このときも山本さんが担当だった。

彼は例に漏れず、

丁寧な物腰で深々と挨拶を済ませると、

叔母を寝台車に乗せ、

すっと横浜の街中へ、

消えるようにクルマを走らせていた。

叔母の葬儀の日、少し時間が空いた。

山本さんという人が無性に気になった私は、

節操も無く、

「山本さんはなぜ葬儀屋さんになったのですか?」

と尋ねていた。

意外なこたえが返ってきた。

「何というか、こういう仕事が性に合っているんですよね」

首を少しひねって、彼が控えめに笑った。

「人の最後っていうのでしょうか、

ご縁で私が係わった方々をですね、

最善のやり方で見送ってあげたい、

そんなところでしょうか」

「………」

この話をきっかけに彼との距離がだいぶ縮まり、

お茶を飲みながら、

続けて私は失礼な質問をしていた。

「山本さんって、霊とか不可思議な事、

そういう類いのもの、

見たり感じたりしたことってありますでしょ?」

「いや、それが全くないんですよ」

彼が大きくかぶりをふった。

そして真面目な顔つきで話す。

「よく皆様に聞かれるのですが、

私の場合、そういうのが皆無なんです。

霊感とかそういうのですね、

私の場合全くないみたいなんです」

それから数ヶ月後の叔母の納骨の日、

お骨をとりに葬儀屋さんへ伺うと、

相変わらず山本さんが待っていてくれた。

「お忙しいですか?」

「ええ、今年は多いですね…

こういう仕事って当たり前なのですが、

だいたいが突然ですからね」

「今日は大丈夫なんですか?」

と私。

「まあ、ですがこの後が控えております」

「度々、申し訳ございません」

お骨と遺影を奥さんにもってもらい、

その足で墓地へ行く段取りだったので、

私たちが向かうこの日も、

彼は無理して待っていてくれたのが分かる。

帰り際、私が

「山本さんには当分お世話になりたくないですからね」

と冗談めかすと、

「当然ですよ」と、

彼が控えめに笑ってくれた。

そして山本さんは、

また何かありましたら…とは絶対に言わない。

当然と言えば当然な職業なのである。

「ありがとうございました」

とだけ言うと、

彼は例によって深々と頭を下げ、

私たちのクルマが信号を曲がるまで、

丁寧に見送ってくれた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.