ちいさい頃、近所のぼうずっくりが言うには、
なんでも横浜のどこかにすげぇ遊園地ができたらしい。
「なんていう遊園地?」
「ドリームランド」
それを聞いて、わくわくしたのは私だけはない。
みんなで集まってドリームランドについて想像は膨らんだ。
「観覧車があるらしいよ」
「へえー」
みんなが一様にためいきを吐く。
ディズニーランドという遊園地が
アメリカにあるという話は知っていた。
なんかすごいらしいが、よく分からない。
毎週テレビで「ディズニー劇場」というのをやっていて、
白雪姫だとかダンボとかミッキーは知ってはいた。
しかし、なんといってもあの西洋のお城には驚いた。
ディズニー劇場の冒頭に、すごいお城が出てくるので、
私は驚嘆したのだ。
ぼうずっくりが言うには、ドリームランドというのは、
アメリカのディズニーランドにそっくりらしいのだ。
それは私たちにとってまさに「夢の国」だった。
それからいくら経っても近所では誰も行かないので、
ドリームランドが一体どんなところなのか、
誰も知らない。
そんな状態が何年も過ぎた。
私は中学生になり、横浜の反町公園とか東京の多摩川園とかへ
よく行くようになり、少しは遊園地に対する耐性もできつつあった。
ジェットコースター、マジックハウス、コーヒーカップ…
なんだかどれも初めてなので、妙に緊張し、感動したのだが、
その後、結局というか遂にドリームランドへは行かなかった。
クルマに乗るようになって、
初めてドリームランドの近くを通ったとき、
五重ノ塔のようなものが見えたので、
ちょっと感動したが、それだけだった。
その頃はもう誰も「ドリームランドすげぇ」なんて言わず、
そもそもドリームランドなど話題にものぼらないほど、
世の中にはいっぱい楽しいところが増えていた。
ドリームランドは過去のものとなっていた。
同時期、時代はどんどん移り変わって、
多摩川園や二子玉川園は閉鎖してしまい、
よみうりランドや向ヶ丘遊園が頑張っていた。
多摩テックも人気で、よくでかけた。
ドリームランドがなくなると聞いたのは、
一体いつの事だったのだろうと回想するも、
そこの記憶が飛んでいて覚えていない。
そして後年、ウチの奥さんとドリームランド跡地?の近く、
国道一号線の原宿の交差点の渋滞の最中に、
この幻の遊園地の話題になった。
そこで初めて分かったのは、
奥さんは親父さんのクルマで、
毎年ちょいちょい、この幻の遊園地である
ドリームランドへ出かけていた、
という衝撃の事実だった。
「えっ、ドリームランドって一体なかはどうなっていたの?
なにがあったの? ディズニーランドに似ていた?
あの五重ノ塔は一体なんだったの?」
もう、一気に質問攻めである。
時代を遡ると、
当時の道路事情はかなり寒いものだったのだが、
彼女の家にはクルマがあったそうな 驚
私の家には中古の自転車が一台ありまして、
毎日一生懸命磨いていました。
家の前を、よくリヤカーが通っていました。
この時代、まだ日本にカローラもサニーもなかった。
ヒルマン、日野コンテッサとかフランスのルノーの小型車とかが
たまにのんびり道路を走っていて、まだのどかだった。
一番台数が多かったのがオート三輪車というもので、
あれはなんというか、カーブでひっくり返りそうなので、
幼い私にも危なっかしく思えた。
そんな時代のドリームランドである。
私の近所はみんな貧乏人ばかり集まっていたので、
誰もドリームランドなんか行けなかったのだ。
後付けの感想ではあるが、ドリームランドは
どう考えても時代が早すぎた代物であったように思う。
時代の先駆けでありフロンティアであるのは確かなのだが、
その頃の日本はまだまだ貧しかった。
クルマがめずらしい時代に、
最寄りの「大船駅」から歩いていくことができないのが、
横浜ドリームランドだった。
(確かモノレールは不人気だったように思う)
園内はとにかく広大。
特大の観覧車が鎮座し、
ゴンドラが行き交い、
五重ノ塔の「ホテルエンパイア」がそびえ、
ジェットコースターでは歓声があがり、
アメリカのディズニーランドのジャングルクルーズを摸した
「冒険の国巡航船」が水路を巡り、
お伽の城が建ち、そのまわりをおとぎ列車が走り、
スワンボートが池の上をスイスイと浮かんで、
その上を飛行塔がまわっていた…
さらに園内ではヨーロッパの宮廷の庭園を模して、
そこかしこに四季の花が咲き乱れていたそうな…
(以上は悔しいけれど、最近調べて分かったことばかり)
いまさらだけど、なんか腹立たしいなぁ。
憎きはウチの奥さんである!