明けましておめでとうございます!

●初夢

今朝は、大きな鳥に頭を突っつかれる夢で

目覚めてしまいました。

今年初の夢だから、初夢でしょうね。

手足をバタバタしたらしく、枕元のスタンドが

床に落ちてしまいました。

家人にその事を話すと、「どんな鳥だった?」

「いや、分からない。必死で頭を抱えてたから」

「鷲なの、鷹なの?」

「うーん、見てないから。それにしてもどんな鳥なんだろう」

「大きいの、凄く大きな鳥?」

「うるせぇなぁ!」

●池坊保子って、でくのぼう?

個人的な恨みでもあるのでしょうか?

貴乃花に厳しい池坊保子ですが、

一見きれい系であった面影が…

しかし、性格は悪そうです。

若い頃裸になったのですがなぜ? という質問が

ネット上に転がってました。

回答は、きれいだと思ったからではないでしょうか?

↑突き放したような良い回答です。

しかし、大相撲ですが、

本当の事は誰も語らない…

特に、この場合のNHKって偏向も甚だしい。

もうだいぶ前だけど、受信料の事でもめたとき、

よくもまあヌケヌケとこの私ををだましてくれたなぁ。

わろてんかって、笑えるか!

●映画「ラ・ラ・ランド」って泣ける

もう去年の映画ですが、年末に観て感動しました。

ミュージカルということで当初ドン引きしてたんですが、

予想に反し、グイグイと引き込まれる。

女優をめざす主人公とミュージシャンの彼との

ちょっと遠回りなラブストーリーなんだけど、

愛し合っているふたりがおのおの夢を実現させるって、

やはり大切な何かを失ってしまう。

夕焼けの公園でのダンスのシーンが美しく

ジャズミュージックのライブシーンは、

本当に間近で聴いているような錯覚に陥る。

ロスの街で夢を実現させようと必死の二人がけなげで

それなのに、人生のタイミングが合わない。

人は立ち止まり、そして振り返る…

人生ってままならないって、ホントです。

●課税業者

この次期って、私の会社の決算時なのですが、

毎年顔が青ざめます。

自分のいい加減な性格が災いしているのですが、

消費税の支払い分をすっかり忘れていて、

税理士さんにそれを指摘され、

年末にハッとするのが恒例になってしまっている。

弊社は全員O型揃いなので、

だあれも気がつかないところが凄い。

支払い期限は2月末日。

使ってしまったものをひねり出すのは結構大変だ。

他社の対策を聞くと、事前に積み立てをしているらしい。

考えてみれば当たり前の事だし…

それをやらない自分が腹だたしい。

●SEKAI NO OWARI

これ、グループ名の事なんだけど、

「SEKAI NO OWARIの皆さんどうぞ!」

なんて司会者に振られてファンタジックな世界を歌う、

このSEKAI NO OWARIってグループ名ってどうなんだろうと。

最近になって結構恐ろしいグループ名だと気づいた。

平和な時代だと幾分余裕があるし、

語感もどこか現実味がない分、

遠く絵空事のように美しく響くけれど、

ミサイルとか地震とかが

どこかリアリティーをもって認識される昨今、

どうも笑えないグループ名になってしまっている。

(いや、SEKAI NO OWARIって、内面的なものとも解釈できる)

どちらにしろ、彼らの歌はもう夢心地のようには聴けないし、

更にはDJのピエロ君が悪魔にみえてくるのは、

被害妄想か。

彼らが守ろうとしている世界観って、

結構好きなんだけどね!

●アメリカン・ジョーク

核のボタンは私の机上にあると、言ったらしいのだ。

これに対してですね、

まあ、子供の喧嘩じゃないんだからとは思うのですが、

「私の核のボタンの方が大きい」

………とは、呆れる。

質の悪い冗談でしょうか?

マジだとしたらセンスゼロですね!

こういうのをアメリカン・ジョークというのかね?

まあ、確実に品質が落ちているメイド・イン・USA。

私たちには洒落にもなりませんが…

※遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

昭和39年(東京オリンピックの頃)

ウチの父が頼んだのだろう。

不動産屋の車に乗せられて新横浜まで来た。

10台以上のブルドーザーが出来たての駅のまわりを、

急いで必死に整地している。

幼い僕にはそうみえた。

「いまなら何処でも買えますよ」

父は黙ったまま、広大な土地を見てふーっとため息をついてから

「次のところを見せてくれないか」と頼んだ。

漠然としていたので、父には全く現実感がなかったのだろう。

父と母は、横浜の中心地を離れて少し引っ込んだところへ、

家を建てる計画だった。

実際に引っ越したのは、それから数年後だった。

この頃、東京オリンピックを控えて、

日本中がとても騒がしかったように思う。

躁状態だったのだ。

後に振り返って気づいた、当時の空気だ。

横浜駅には東口と西口があって、それらを繋ぐ暗い地下道には、

戦争で傷を負った元軍人がそこを住みかとして、

ずらっとおのおの座ったり横になったりしていた。

腕のない元軍人、両足がなくむしろに横たわっている元軍人。

彼らはアコーディオンを奏でながら物乞いをしていた。

そこを歩くとき、なんとも言えない憂鬱な気分にさせられた。

僕は、以前、日本が戦争で負けたことだけは知っていたが、

眼の前にその戦争で傷ついた生身の人間がいることが、

とても怖かった。

その怖さの正体が何であったのかは、いまでもよく分からない。

ただ、僕は心のどこかですいませんというようなニュアンスの心持があったことも

確かだった。

横浜駅の海側に出るとちょうど鶴見から川崎あたりが見渡せて、

煙突から黒や黄色や灰色の煙がもくもくと出ていた。

岸壁はゴミと洗剤の泡のようなものであふれかえり、

そのなかにネズミや犬の死体がぷかぷかと浮かんでいることもあった。

スモッグとか大気汚染という言葉がひんぱんに言われだしたのも、

この頃からだと思う。

だから今になって、アジアのどこかの国の大気汚染を、

実は僕たちは笑ってばかりいられない。

東京・横浜に連なる京浜工業地帯はかつて、

晴れた日でも空は青空ではなく、

薄くぼんやりとしていたのだから。

年末になると、僕は3.4人の友達と連れだって、

この街の商店街に繰り出していた。

きらきらとしたクリスマスの装飾が灯りに照らされ、

通りは人でごった返している。

ジングルベルの音楽は大音響で、いつまでも止むこともなく、

通りの人混みのなかに響き渡っていた。

福引きのガラガラの音が絶え間なく聞こえる。

そこに長蛇の列がいくつもできる。

誰もが大きな買い物袋を抱えていた。

商店街は夜になると屋台がずらっと並ぶ。

大人たちが酔っぱらって大声で叫んだりしていた。

男と女が抱き合っている影もみえる。

僕はそうしたものを見るたび、

心臓がどきどきして走って家に帰った。

玄関の擦り硝子の向こうに

赤と緑のライトが点滅している。

嫌なことが沢山ある家だけど、

母がつくる質素な夕飯とバタークリームのケーキが

とりあえず食べられる。

僕はこの街で生まれて、

まだ数えるほどしか遠方に出かけたことがなかったので、

世の中はあらかたどこもそんな風であり、

親子とか家庭というものも

だいたいどこも変わらないものだと思っていた。

そして東海道新幹線が開業し、

ウチの近くの国道を、オリンピックの聖火ランナーが走り抜け、

女子バレーボールで日紡貝塚が優勝し、金メダルを獲った。

エチオピアのアベベ選手が東京の街を疾走し、

テレビでみんなを驚かせた。

時代が、世の中が目まぐるしく、

みるみると変わっていったのだ。

横浜の郊外の小学校に転校した僕は、

新しい生活に馴染めず、

原因不明の熱と頭痛に悩まされた。

また、憧れのマイホームに移り住んだのに、

父と母の距離がどんどん離れていくのが、

幼かった僕にもハッキリと分かってしまった。

テレビでビートルズが来日したことを、

どこのテレビも興奮して中継していた。

加山雄三の「君といつまでも」がヒットしていた。

しあわせだなぁってはにかみながら

加山雄三が鼻に手をもっていって、

それをテレビで観た僕は、

それほどはっきり分かるしあわせってあるのかと、

ちょっと驚いた。

中学に進学していた僕は、

ようやく妙な発熱や頭痛も出なくなり、

水泳部に入部し、ギターを手に入れ、

そして何人かの女子を意識し始めた。

フォークソングも流行り出していた。

グループサウンズが隆盛を極めて、

どのグループもヒット曲を連発していた。

僕は好きなグループのレコードを、

なんとか小遣いから捻出して集めた。

そして中学3年のときには大阪万博が盛大に開催され、

日本は本格的に経済大国への道を突き進んだのだ。

2017年の今年の夏、

約50年ぶりに、僕は生まれた街の駅を降りた。

従兄弟(いとこ)に会いにいくためだ。

あの頃のにぎやかだった商店街はどこも閑散として、

なかにはさび付いた屋根やシャッターが崩れ落ちそうなほど、

老朽化している店もあった。

80才をとうに越した従兄弟はペースメーカーを付け、

それでも昔と変わらない笑顔で僕を迎えてくれた。

そして、やはりというべきか、

東京オリンピックの頃の話ばかりしていた。

その帰りにちょっと遠回りをして、

自分の生まれた跡地とでも言える所に立ち寄ったが、

当たり前のように全く別の家が建っていて、

しかしその真向かいと斜向かいの家には、

昔と変わらない表札が出ていた。

そしてその数軒先にいまも暮らしている

僕の幼なじみに会いたいと思ったのだが、

従兄弟の話によると、

彼はずっと独身で親の大工の仕事を引き継ぎ、

いまは酷いアル中とかで会わないほうがいいと、

忠告された。

あれからなんと50余年が過ぎてしまったのだ。

僕の時間が止まってしまっているこの街で、

僕は幼いころの自分に戻ってしまっていた。

もうすぐ、またあのオリンピックがやってくる。

あの頃、流行したものや音楽、ドラマなどが、

テレビなどで頻繁に放送されている。

それが懐かしいことに違いないのだが、

果たして楽しい記憶であるのか、

悲しいときであったのか、

それが判然としない。

ただ、水に溶いた墨のように、

どんよりとして見えるあの街の風景ばかりが、

しばし浮かんでは、消えてゆくのだ。

気持ちの良い日が続きますが…

3

寒くて風邪気味ですが、外の空気は澄んで爽快です。

例年と違うのは、景色に邪魔が入ること。

夏に飛蚊症を発症しまして、晴れた日に顕著に出現します。

青空に蚊が飛んでいる…イラッとします。

加齢による眼球の異常らしいのですが、

検査の結果、緊急性はないとのことでほっとしました。

年をとると、ふっとした景色に感動できます。

それが近所の何気ない日常だろうと、

街の雑踏であれ、イルミネーションであれ。

さて、なんでだろうと考えるのですが、

その答えはいまだみつからず、

ただなんていうか、そうすることで

いいなぁって思う訳です。

2

愛おしいといっても過言ではない。

こうして歩いている、独りで動いている。

家に帰ればなんか食える。

そして屋根のある寝床で寝ることもできる。

健康そして基本的文化生活って尊いです。

それすら叶わないひとたちが、世界中にごまんといる。

自ら病気をし、友人知人の死や闘病を聞く度、

いまこうしていることの不思議に、

やはり人生の垣根はできるだけ下げたほうが良い、

というのが私の辿り着いた、理想の価値観です。

いつもその基本を忘れて、つい欲を出しています。

何かを差別しています。

知らぬ間に差別することって、思えば割と怖いことです。

きれいごとをいくら述べたところで、

同じ過ちを幾度となく繰り返しています。

1

こう考えると、人って本来性善なのか性悪なのか、

よく分からない。

聖書もお経もコーランも、

良いことが書いてあるハズなのですがね。

やはり人ってその通りに生きられない。

この広い宇宙には

ブラックホールとホワイトホールがあるそうです。

またある説によると、この世界は必ずふたつあって、

それが対になっている。

パラレルワールドもそんな考え方が元になっているらしい。

太陽と暗黒。

白と黒、右と左。男と女。

そして善と悪。

どうもこの世の成り立ちが、

私たちの歴史にも関係があるのかも知れない。

そう思うと平静を保てます。

赤ちゃんが教えてくれた

赤ちゃんが泣いている

手足をひっしに動かして

全身で泣いている

ぎゅっと掌を握っているし

赤くなってるからだでいっしょうけんめいだから

赤ちゃん

ずっと狭いとこにいたから怒ってるのって

だまってきいてみたけれど

こんなに辛い世の中にとび出しちゃったって

怒って泣いているわけでもないよね

なんだか一人っきりで産まれてきたから

悲しくて泣いているの

これから生きてくのは悲しいこともいっぱいだから

とにかくまず泣いちゃおうかって

だけどね

君の全身から溢れ出るエネルギーをみて取ったら

それはワタシが産まれましたよって

なるべくたくさんの誰かに知らせているようでもあるし

「無事に産まれましたよ神様」って

とても遠いところに声を届けているのかな

そのみなぎるほどの生命って

お母さんとお父さんにやっと会えた

やっとだよと

とてもうれしいんだって

全身からほとばしる歓喜だって

そう思えたら

僕はようやくほっとした

誰も信じちゃいない

前の記事は、ホントの話です。

誇張なしのつもりだが、

何人かにブログ記事の真偽について聞かれた。

「ホントですよ」とキッパリ断言すると、

なんだか余計に嘘くさくなってしまった。

まあ、書き方が胡散臭いという反省もあるが、

これはどうしようもない。

こんな書き方しかできない訳だから。

で、この事件があった直後も数人に熱く話したが、

一様に「へーッ」って返答するんですね、みんな。

しかし表情は結構冷静。

或る方は「まぼろしでも見たんじゃないの?」

「………」

これが本音でしょう。

日が経つに連れ、

こちらも「まぼろしだったのかなぁ」と。

こうした話って本人が熱く語るほどに、

聞き手は落ち着きはらう傾向があることは分かっていた。

僕は中学時代にも「鬼火」というものを目撃したことがあるが、

(ほら、もうあなたは疑っているでしょ)

そのときは夜中にひとりで見たこともあり、

結果、やはり誰にも信じてもらえなかった。

翌朝、母に興奮気味に話したのだが、

母は笑顔で「そうなの」と言ってから、

くるりと向きを変え、表情も変えずに、

テレビのなんとかモーニングショーに見入っていたし。

サンプル例はまだある。

大学のとき、朝方に友人3人でいたときのこと。

横浜のとある開発分譲地のてっぺんあたりの草むらに

車を止めていた。

車中で、話は盛り上がっていた。

新潟から船でウラジオストックへ行き、

旧ソ連(ロシア・東ヨーロッパ)を横断、そして南下して…という

世界ヒッチハイクのプランを練っていたところだった。

ふと、徐々に近づいてくる空からの光の異様さに気づき、

3人で一目散に逃げ出したことがある。

逃げ出すほど驚いた訳は、

朝方の4時頃、夜明け前なのに、

音もなく空から私たちに近づいてきたかと思うと、

至近で強烈な光を浴びせられたからである。

この正体不明のオレンジ色の光は、

いま思い返しても、私たちを狙っていたとしか思えないのだ。

逃げながら振り返ると、それはブルーへと色を変化させ、

あっという間に相模原方向へと去っていったのだった。

翌日3人で、大学で他の友人たちに

興奮気味に語ったのだが、

やはりなんとなくしらーっとした空気になった。

余談だが、

後に、この「世界に飛び出せヒッチハイク計画」はやむなく頓挫した。

理由は3人が次々に病を発症したからだ。

僕が急性肝炎、他は十二指腸潰瘍、結核…

後にこのときの3人が顔を合わせると、

まずは挨拶代わりに、

「あれってホントだよな。だれーも信じないけどな」

であった。

ちなみに冒頭の或る方から、

「もっと凄いのがいるよ。レオタードおじさんって知ってる?」

「いや、知りません。初めて聞きました」

帰って早速ネットで検索すると確かにいました。

画像付きですげぇ変なおっさん。

そして原宿にはセーラー服おじさんがいる。

大阪にはブルマおじさんが…

うーん、これはなんというか、分析が難しいなぁと考えるも、

どうも僕の話とは種類が違うなと思い始める。

全く別の話題に擦り替わっている。

摩訶不思議な事って、

体験した本人でないとなかなか人には信じてもらえない。

そう語りたかったんだけど。

やっぱりレオタード…のあたりから、

この話はねじ曲がっている。

だから僕の話はやはり、

薄々あやしいんです。

黒づくめババアの恐怖

そろそろ話してもいいだろう。

今年の夏。

蒸し暑い或る夜のこと。

私は奥さんと小田急線某駅から10分ほどのところにある、

格安のイタリアンレストランで、

ピザとかスパゲティとかサラダとかをたらふく食い、

幸福な気分で車を止めておいたコインパーキングまでを

だらだらと歩いていた。

赤信号の交差点に立っていると、

いつの間にか後ろに人の気配を感じた。

まあ、交差点なので当たり前なのだが、

異様に至近距離にいる気配を感じた。

イヤーな感じがしたので、奥さんにひと声かけて、

速足で歩くことにした。

安心するのもつかの間、

後ろの気配も速足でついてくるではないか。

まだ、私たちは後ろを振り向いてはいない。

何者が後ろにいるのか振り向くほどでもなかったからだ。

しかし、ずっと至近距離でピタリとついてくるので、

いい加減に私たちは足を止め、

とぼけて脇にあった自動車展示場の車を眺めることにした。

と、驚くことにそのイヤーな気配もピタッと足を止め、

私たちの後ろにくっ付いて立っているではないか。

振り向くと、背の低い老婆とおぼしき影。

「何かご用でしょうか?」

私が話しかけると、その影が言うには、

「私は足が悪いんですよ。それでね、

誰かの後について歩こうと思ってね」

「うん?」

どうも理解しかねる返答だった。

この影をよくよく観察すると、

真夏だというのに、黒い頭巾を被り、

長袖の黒い衣服を身にまとい、

引きずるような丈のスカートに、

黒い手袋をはめている。

口をマスクで隠している。

そして雨も降っていないのに、黒い傘をさしていた。

夜だというのに大きなサングラスをかけたその奥に、

得体の知れない不気味なものを感じた。

先ほどからの事を振り返えってみた。

この人は途中から、相当の速足で私たちについてきたのだ。

話しながら老女らしき人は膝をさすっている。

上目づかいで、こちらの様子を伺っているのが分かった。

(この人って本当に老婆なのか?)

得体が知れないと思った。

はっきりしているのは、この人は多分女性で、

背が低い、ということ。

それしか認識できない。

日曜の夜の10時過ぎ。

繁華街の一本裏通りである。

人通りはまばらだった。

この至近距離でついてくること自体、

最初から不自然とは思ってはいたが。

私はとっさに手を振って、

「なんだかよく分からないけど、

どうぞお先に!」とジェスチャーをする。

「そうですか?」

この黒づくめ、不満そうなのだ。

少し間があく。

重い空気が張り詰めている。

黒づくめはようやく諦めたらしく、

しぶしぶと歩き出した。

歩く後ろ姿をみると、普通に歩いているではないか。

この場合、目が悪いのであれば、

私も少しは納得したのかも知れない。

いやしかし、いろいろと首をかしげるような印象から、

やはり不気味なことに変わりはない。

黒づくめの後ろ姿が徐々に遠くなり、

ようやくその姿が小さくなるまで、

私たちはなにかよく分からない恐怖感にさいなまれた。

あの人は一体何が目的で私たちの後ろについてきたのか、

歩きながら考えを巡らすも、全く分からない。

もし、あの老婆が、万一何か悪いことを企んでいたと考えると、

私たちは二人でいるので、相手も分が悪い。

それなら一人で歩いている人間を狙うのではないか。

やはりあの老婆の目的が分からない。

たださみしいのではないかとも考えたのだが、

であれば、人の嫌がるような行動をとるだろうか。

幸福な満腹感が、息苦しさに変わっていた。

車が止めてあるコインパーキングは、

鉄道の高架下のかなりの暗がりにあった。

あたりは人家はなく、田園が広がるのどかな一帯だ。

丸1日止めてもたいした料金ではないので、

そこにしたのだが…

汗を拭きながらパーキングに入ろうとすると、

高架下のずっと遠くから

小さな影が小走りでこちらに近づいてくるのがみえた。

目を凝らすと、なんとあの黒づくめババアではないか。

とっさの事で頭が混乱する。

私たちはコインを入れる余裕もなく、

低くしゃがんで車に滑り込んだ。

心臓がひどく鼓動しているのが自分でも分かるほど、

私たちは気が動転していた。

その恐怖の正体は、

相手の目的が不明だからなのか、

いや、あの姿なのかは、

いまでもよく分からない。

シートに深く沈み込んで、

恐る恐る外をちらっとみると、

あの背の低い黒ずくめが

私たちの車のすぐ横の道をゆっくりと歩いている。

まわりを伺うように用心深く歩いているのが

その姿からすぐ分かった。

一体あいつはなんなんだ。

本当に人間か?

ひどい汗をかいている。

息づかいが荒くなる。

時間がどのくらい経過したのか、

それさえよく把握できなくなっていた。

勇気を振り絞って上体を起こし、

ガラス超しに恐る恐る外の様子を伺う。

黒づくめは高架下に沿って続く道を

きょろきょろしながら歩いている。

「いまだ!」

外に飛び出した私は精算機まで走り、

なんとかコインを投入した。

もう高架下の不気味な姿はあえて確認しなかった。

車のストッパーが下がると同時にキーを回し、

エンジンをかけ、窓を閉める。

冷房を最強にする。

車内がむせるように暑いのを、

このときやっと認識する。

黒づくめは、私の車のライトに照らされ、

遠くからちらっとこちらを振り向いた。

わずかながら、あのサングラスが一瞬反射した。

その映像を、いまでも私は忘れることができない。

夢でみる情景

初めてその夢をみたのは、

確か20代の頃だったように思う。

その後、幾度となく同じ夢をみる。

その風景に何の意味、教え、警告とかがあるのだろうかと

その都度、考え込んでしまうのだ。

30代のあるとき、友人と箱根に出かけ、

あちこちをGTカーで走り回っていた。

心地のいい陽ざしの降り注ぐ日。

季節は春だった。

ワインディングロードを走り抜ける。

とても爽快だった。

が、カーブに差し掛かったとき、

私はこころのなかで「あっ」と叫んだ。

そのカーブの先にみえる風景が、

私が夢でみるものと酷似していたからだ。

夢で、

私はアスファルトの道をてくてくと歩いている。

どこかの山の中腹あたりの道路らしい。

それがどこの山なのか、そんなことは考えてもいない。

行く先に何があるのかも分からない。

陽ざしがとても強くて、暑い。

しかし不思議なことに、全く汗をかいていない。

疲れているという風にも感じない。

カーブの先の道の両脇には、

或る一定間隔で木が植えてある。

その木はどれも幹が白く乾いている。

背はどれも低い。

太い枝を付けているのだが、

葉はいずれ一枚もない。

そのアスファルトの道が、

どこまでも延々と続いていることを、

どうやら私は知っているようなのだ。

夢でみた風景が箱根の道ではないことは、

その暑さやとても乾いた空気からも判断できた。

現に箱根のその風景は、

あっという間に旺盛な緑の風景に変わっていた。

夢のなかのその風景は、

メキシコの高地の道路のような気もするし、

南米大陸のどこかの道なのかも知れないと、

あれやこれやと想像をめぐらすのだが、

私が知った風景ではないことは確かだった。

つい最近も、仕事の合間のうたた寝の際、

夢の中にその風景が現れた。

立ち枯れた木がずっと続くその道の先は、

きっとその山の頂上に続いているのだろうと、

ようやくこのとき私は想像したのだった。

なんの怖さも辛さも感じない。

ただ、暑さと乾燥した空気が心地いい。

相変わらず強い日差し。

それが身体にエネルギーを与えるようにも感じられた。

あたりに風は一切吹いていない。

とても穏やかで静かだった。

覚醒した私は思うのだ。

頂上にたどり着いた私は、

やがて、空へと続く一本の階段を発見する。

そして、誘われるように、

その階段をてくてくと昇ってゆくのだろうと。

もちろん、その階段は天まで続いている。

初冬のキャンプ

IMG_4239

初冬なので、軽めのキャンプに行ってきました。

軽めとする理由は、寝るとこが一応トレーラーだからです。

テントは、ホントに寒いです。

以前、晩夏の山中湖でテントに挑戦しましたが、

山中湖は夏でも夜は気温が急降下します。

Tシャツにヨットパーカーという軽装では、

震えがきました。

今回は相模湖近くとはいえ、初冬なので、

テントではなく、トレーラーにしました。

一応、ユニクロのダウンを持参しましたが、

結果、ペラペラのダウンではこの時期が限界でした。

IMG_4172

夜はまあまあ寒いという程度で、

火も使っているし、なんとか凌げました。

なんといってもキャンプ場近くのスーパーで、

奮発してステーキ用の肉を仕入れて来たので、

ガツガツ食いまくっているうちに寒さが遠のいた、

という表現が適当でしょうか。

IMG_4197

IMG_4189

問題は朝方。

やはり寒さで目が覚めてしまいました。

時計をみると4:50。

トレーラーのなかの息が白い。

歩き回ると床がぎしぎしと響いて、

車体が揺れます。

固定されてるとはいえ、下はタイヤですから。

ちなみにこのぎしぎし音って

ホントに憂鬱な気分にさせられます。

IMG_4198

ひんやりとしたカーテンをめくって窓ガラスに手を触れると、

外の風がスースーと入ってくるのが分かる。

四方の窓がほぼそんな感じ。

天井の換気口をよくよく凝視すると、

空が見えるほどに開いています。

閉めようにも中央の換気口のみ閉まらない。

ここから結構冷気が入ってくる。

ほほぅ、これじゃテントと変わりないじゃないか。

プレハブの建物よりまずいかも。

山の頂上付近には、昨夜から強風が吹いている。

スマホで現在の気温をチェックすると6度だ。

6度で強風は、やはり寒いよなぁ…

恐々と表に出てみると、月明かりに照らされた山並みが、

深い群青色で漆黒の空とは異質の存在感を示している。

まだ昨日の炭がくすぶっているあたりで

がさがさと物音がする。

反射的にライトを照らすと、

なんと大きなトラ猫が昨夜の焼き肉のたれらしきものをあさっている。

ビックリするし寒いし。

すぐにトレーラーに引っ込んでありったけの布団を被って

猫のようにうずくまる。

(さっきの猫は丈夫です)

やがてあたりがうっすらと明るくなる頃、

いやいやながら湯を沸かしてコーヒーをすする。

そういえば、昨日も今日も平日なので、

まわりのトレーラーハウスには誰もいないようだ。

今度はしっかりと着込んで再び表に出てみる。

快晴。

東のほうからゆっくりと陽が昇ってくるのがみえる。

遠い山並みが紫がかった色に染まる。

そこに陽の光がすっと一直線に走るのがみえる。

山間の谷間には、白いもやが大きな塊となって

ゆっくりと風下に流れている。

見上げると、月もその姿を次第に消そうとしている。

IMG_4223

さきほどまで、私のアタマのなかで、

ピーターの「夜と朝のあいだに」が流れていた。

いま、この希少な景色を眺めていたら、

いつの間にか岸洋子の「夜明けのうた」に切り替わった。

IMG_4206

IMG_4226

IMG_4229

遥か彼方に街らしきものがみえて、

人の日々の営みを思う。

そして我が青春の歌が流れている。

IMG_4211

丹沢の秘湯とたたかう

IMG_4150

連休の中日、神奈川・丹沢の秘湯へと向かうも、

最初の温泉は泊まり客優先ということで断られた。

かぶと湯温泉。

この宿の露天風呂は、川にせり出すような位置にある。

ちょっと熱いけれど、下に流れる渓流のせせらぎが良い響きで聞こえる。

木々の揺れる音も相まっていいんだよなぁ。

鳥のさえずりもなかなかいい。

残念!

まあ、こういうことには慣れているので、次をめざす。

広沢寺温泉。

IMG_4164

ここの宿は、泊り客とは別に湯場がもうひとつあるのですっと入れる。

夕方に行ったので、気温がだんだんと下がってくる。

さっさと湯に浸かろうと思ったが、

やはりというか、すげぇ熱くてどうしても浸かれない。

元々ぬるい湯が大好きで、熱いのが苦手。

着替えも外の吹きさらしなので、早く浸かりたいが、

どう頑張っても入れない。

体温がかなり低下しているのが分かる。

風がさらに冷たくなってきた。

IMG_4152

IMG_4153

IMG_4154

IMG_4155

頑張って腰まで浸かったが、肌が痛い。

湯が痛い。

かっぷくのいいおっさんが目をつむってじっと浸かっている。

顔が上気している。

その姿はまるで修行僧のようにもみえる。

他のふたりの中年もなんとか肩まで浸かっている。

こちらからは我慢しているようにみえる。

しかし、こういうときの自分がなんか許せない。

気合を入れても入れない。

しょうがないので洗い場でシャワーをずっと浴びる。

かなり危険なシチュエーションだなぁ。

身体がやけに冷えている。

そういえば、と思い出す。

今年の初めもここへ来て同じ目に遭っていた。

同じ過ちを繰り返すとは…

学習機能が働いていない己にあきれる。

シャワーをずっとかけていたら、

身体が慣れてきたのか、再チャレンジで胸まで浸かれた。

余裕。

外の笹の葉のすれる音に気づく。

近くの川の流れる音が聞こえてくる。

なかなかいいではないか。

見上げると、夕刻とはいえまだ青空が残っている。

ここで、ふーっと気が抜け、

いまさらリラックスですよ。

体温が徐々に上がってきたようだ。

己に笑顔と余裕の表情が戻る。

にしても、いい年をして熱い湯にも入れないことを、

自問自答する。

思えば、

自宅の風呂においても奥さんの後は熱くてそのままでは入れないし、

水をがんがん入れると後で娘に怒られるしなぁ。

丹沢山塊がシルエットになる頃、

湯を出て中庭でコーヒーをいただく。

やはり水が違うとコーヒーもひと味違う、

などとちょっと優雅かつ満足なひとときを味わう。

IMG_4156

IMG_4157

IMG_4159

IMG_4160

しかし、それにしてもである。

先ほどからまだあの熱い湯に浸かっている

修行僧のようなおっさん、

なんかかっこいいんだよなぁ。

IMG_4162

若い奴にはわからない格言

年をーとると…

年をとると、

歩くのがどうも遅くなるようだ。

ようだ…との曖昧な言い回しは、

たまたまビジネス街を歩いていて、

気がつくとまわりのみんなにドンドン追い越されていくことに、

後になって気づくのだが、

ビジネス街のあの人たちって、どうも速歩のような気がするなぁ、

という訳。

飲み込みが悪いというのは、理解するのが遅いの意でなく、

文字通り口にほおばる食品類を嚥下するのが遅いということである。

嚥下力の強さは、若さの象徴である。

年をとると、この力が低下する。

ときにむせたりもするから、食品摂取は命がけだ。

嚥下力のUpにはカラオケが良いということで、

先日カラオケに出かけるも、連続して歌ったら酸欠になる。

いずれ、危険!

老眼っていうのは簡単に言ってしまえば、

たとえば文庫本を読もうとするも、

眼鏡なしの裸眼だと、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと憂鬱。

だけど、いいところもある。

見たくないものは見ない、読まないで済む。

年を取るとは、いらぬ話を持ち込まないこと。

老眼の効用なんである。

禿げるとは、鏡を見てあっと気づいた時から

額やツムジに強烈な自意識が集中する。

これってある意味、老化する己の確認でもあるからして

或る人は頭痛持ちとなるも、

年々ひどくなる一方の物忘れが幸いして、

そのうち他人の禿げ頭を冷静に眺めるようになる。

これは嘘である。

では性欲はとなると、

3ヶ月前の忘れ物を何かの拍子でふっと思い出すようなもの―であるからして

若い頃のように毎日いっときも欠かさず意識するような面倒な事態に陥ることなく、

イキノイイ若い奴のように、

息荒くあからさまに、焦って忘れ物を取りに帰ったりはしないものである。

 

↓若い頃大好きだったゾンビーズの「ふたりのシーズン」
 歌詞の内容はヒドイけど…