我ながら思春期の頃の夢はませていて、
吟遊詩人になりたいと、
人に話したことがある。
きっかけは、ジョルジュ・ムスタキだった。
それは、この人をテレビで観たときからだ。
彼はいつも、
世界のどこかの街角で詩を書いていた。
キリストのような白い服を着ている。
手づくりの詩集が少し売れる。
それで暮らす。
決して沢山は売れない。
それがみじめだとか、
働かないとか、
そんな風には全く見えず、
私は、彼がまさしく
「自由に生きている」と感じたからだ。
ムスタキはヒッピーではない。
物乞いでもない。
風の詩人だ。
だがしかし、
実は本当のムスタキは、
著名なシンガーソングライターだった。
ユダヤ系フランス人で、
「異国の人」という歌でヒットを飛ばしていた。
当時、私がなにも知らなかっただけだ。
異国の人とは格好良い語感だが、
意味合いはよそ者とか、ガイジン。
そんなニュアンスだ。
この歌は、
世間の規律からはみ出した人やロマン主義者、
祖国を亡くした人々、無国籍者、
はたまた無銭旅行者たちを魅了した。
が、彼のこの歌への想いは、
ホントのところ、恋の告白だったらしい。
こうした勘違いって、いいなぁと思う。
詩には、ときに全く異なる解釈がつきまとう。
彼は「ヒロシマ」という歌もつくっている。
また、阪神大震災のときはいち早く日本へ来て、
チャリティーコンサートを開き、
集まった義援金を被災地の兵庫県に贈ったりもしている。
ウィキペディアによると、
彼は、日本人のことをこう評している。
―ヒロシマの敗者が、伝統と精神性を放棄している。
厳格さ、馬鹿丁寧にぺこぺこする、常に自制心を失わない、
能率のよさ、何が何でも時間を厳守する、
これらに対しては何の魅力も感じない
(略~しかし)
冷静な微笑の裏には本物の親切がある…と。
最後のことばが気にかかる。
ここにムスタキの気持ちが集約されている。
彼は日本を愛していたのだと、私は理解したい。
今年の5月、ムスタキは78才の生涯を閉じた。
勝手な勘違いとはいえ、
彼は、多感な時期の私をトリコにした。
中学生のとき、友人の家にみんなが集まり、
ストーブを囲み、
将来について語り合ったことがある。
誰かが社長になりたいと言った。
建築家になると語った友人もいた。
そして、
私はそのとき、吟遊詩人になりたいと…
当然、場がしらけて私は笑われた。
あれからいくつも時代は過ぎたが、
やはりいまでも、
吟遊詩人はいいなと思うことがある。
これって、
ムスタキさんの影響と思うのですが…