君の流した涙が
僕の腕に落ちる
その涙は皮膚に染みて
僕の体に溜まり
悲しみは
やがて
僕の憂鬱になる
世界は
そういう悲しみに
満ちている
君の汚れのない笑顔が
僕の瞳に映る
その笑顔は視床下部を通り
僕の大脳を刺激し
喜びは
やがて
僕を幸せへと導く
世界は
そういう「たおやかさ」に
満ちているべきだと
いつも僕は
思うのだ
君の流した涙が
僕の腕に落ちる
その涙は皮膚に染みて
僕の体に溜まり
悲しみは
やがて
僕の憂鬱になる
世界は
そういう悲しみに
満ちている
君の汚れのない笑顔が
僕の瞳に映る
その笑顔は視床下部を通り
僕の大脳を刺激し
喜びは
やがて
僕を幸せへと導く
世界は
そういう「たおやかさ」に
満ちているべきだと
いつも僕は
思うのだ
最近は、自分さえよければいいと、いう人がとても多いように感じます。欲求を満たすために人殺しまでしてしまう。 この詩のように愛されていればそんなこともないのでしょうね。
短い言葉のなかに、とても情熱的な思いがたくさん詰まっているような気がします。私も ”たおやかさ”を忘れないように生きていけたらと思います。また次回期待してますよ!(^_^)v
最近、みんな余裕がないようでイライラがつのり、フラストレーションが沸点まで達しているような印象を受けるのは僕だけか?
戦争も犯罪も、悲しみしか生産できない。ですよね?
根底にあるのはエゴイスティックな社会の仕組みとか偏った経済格差など、考えればキリがりませんね。
でも、逃げるんじゃなくてひとつひとつ変えていく、少しずつ前へ!
こうして個人レベルから改革してゆかないと、私たちの明日に幸せはないと思いますが、いかがでしょう?
“食と農業~里山論~”という研修を受けたことがあります。
群馬にある、自主財源100%という村のお話から、現在の日本の社会の仕組みについて受講者に問いかけるという内容だったのですが。
“生命の結びつきの回復”が必要であるというお話が印象的でした。
その村に住む人々は、お金はないけれど、貧乏ではないとおっしゃっていました。
お金がなくても、幸せな暮らしをしているんですね。
村全体でお互いを信用し、助け合って生きているそうです。
でも、”あ~そういう村があるんだ!”で終わってしまっては、いけませんね。
これから必要になってくるのは、農村と都市をうまく結びつけることなのだそうです。
二つをつなぐものの一つ「流通業者」がかなりおおきなポイントで、”等身大の仕組み”が必要であると聞きました。
正直、研修の内容は少し抽象的で、ぽかーん…という感じではありましたが、自分には何ができるんだろうと考えるキッカケにはなった気がします。
“自分さえよければそれでいい”という感覚の背景には、”自分自身の想いが大事にされていない”ということがあると思うんです。
だから、食べ物にしても、何かのサービスにしても、自分の手元にやってくるまでの過程にある誰かの”想い”を粗末にしないようにしようと、おもいましたです。
“食と農業~里山論~”
これはいいですね!
私も聞きたかった。
お金の話は幾らでもありますが、根本は巡り巡ってこうゆう話に辿り着くのがホントの幸せへの近道と思いますよ。
しかし、ゆったり生きてゆくって結構むずかしい現代です。流通がカギなのは確かでしょう。そして、国内自給率をせめて70%位に引き上げないと、とも個人的には思います。
偉大な農業国家を世界中が目指すようなら、ある意味逆転の発想ですが
結構面白いと思っています。
自分さえよければというエゴイズムは、行きつくところ、疲弊した都会と異常な競争社会、そこで疲れ切った家族の崩壊からうまれるのかも知れません。
その解決策をマクロで考えるのが政治家や官僚、ミクロで考えるのが私たちひとりひとりなのかも知れませんね。
いやいや、話がひろがりすぎてしまいました。スイマセン!
でも、こうした横道の話って結構好きですよ!
コメント、ありがとうございます。