こうして、夕焼けの空の下を歩いていると
母を想い出す
遊び疲れ
泥で汚れた服を叩きながら家路へ着くと
薄暗い台所で、いつも煮物を煮ていた
腹が減って疲れてゴロゴロしていると
母は振り返っていつもこう言うのだ
「楽しかった?」
夕げは粗末なものばかりだったが
僕は腹いっぱい喰った
恐いけれどやさしくて丈夫で
剛気な母だった
その頃の母の辛さや苦労を
僕は知る由もないから
ただ毎日が平和で幸せで
それが永遠に続くように思えた
夜中に
父と母が別れ話をしているのを聞いてしまった僕は
ひどく動揺した
布団の中で微動だにせず
脂汗をびっしょりとかいたのを
いまでも鮮明に覚えている
僕は突然の出来事に情緒不安定になってしまい
それから予定外の変な成長をしたように思う
結局両親はその後も別れることはなかったが
後年ずっと僕を励まし
物心共に支えてくれたのも母だった
秋の空の夕焼けをみると
幼い頃を想い出す
それが懐かしくて悲しくて
結局母へと繋がっている
ベルです。
お邪魔します。
拝読して、御文章をもの悲しくは受け止めませんでした。
あぁ、綺麗、美しい、和らかい、等々。
親を失った成人孤児としては、
時間の経過と共に、悲しみの度合いとその色合いが変わってくるのでしょうかね?
その悲しみに色があるとしたら?
洗い流せない暗褐色のぎとぎととした悲しみ色も、数年と云う時の流れのうちに
”夕焼け色釤に洗い流されて変わるのでしょうか?
何故って?
夕焼けを見ると失った愛する人達を思い出すから!
20代、30代で読んだ三好達治。
御ブログを読んで、これを再度読んでみました。
これも又、70歳で読むと色合いが変わってきたことに気が付きました。
乳母車 三好達治(詩集「測量船」)
母よ―
淡(あは)くかなしきもののふるなり
紫陽花(あぢさゐ)いろのもののふるなり
はてしなき並樹(なみき)のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
泣きぬれる夕陽(ゆふひ)にむかって
轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ
赤い総(ふさ)のある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額(ひたひ)にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡く(あは)かなしきもののふる
紫陽花(あぢさゐ)いろのもののふる道
母よ 私は知っている
この道は遠く遠くはてしない道
人間の反応は齢と共に変わるようです。
奪われた愛、身を割かれ悲しみ。
今、夫々の歴史が夕焼け色で描かれているのでしょうかね?
この美しい詩を70歳の観点で読むと、、、・
達観。
ベルさん)
私も3年前に成人孤児となりましたから、
まだちょっと日が浅いのかな?
ベルさんのいわれる綺麗、美しい、和らかい、
このような心情は私にも確かにありまして、
一方である種のもの悲しさは
いまだ引きずっているという自己診断です。
時間というものは良くしたもので、
経験したもの捉え方も変化し、
記憶さえ塗り替えるのですから、
きっとこれは神さまのマジックに違いない!
年齢もありますね?
三好達治のこの詩は、難しいですね?
乳母車は、異界へと続くものとして私は理解していますが、
あの世にいる母にそれをお願いしているようで、
私としてこの詩はある種の「宇宙』を感じざるを得ません。
雪
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
↑この人で私が好きなのはこの詩です。
度々、コメント、ありがとうございます。