先だって富士におもむき、
初冬の紅葉を見に出かけたことを書いたが、
思えば、あれはあれで綺麗で美しいが、
ちょっと寂しくも感じるのは、
己の行く先を暗示しているようでもあるからだ。
いきものは、滅する前にもういちど華開くという。
紅葉は、きっとそのようなものなのだ。
冬は、万物が眠りにつくとき。
または、いきものの死を意味する。
だからこの季節は美しくも、もの悲しい。
永く生きていると、
或るときから死を意識する。
残された時間をどのように過ごすか?
その問いは果てしなく哲学的でもあり、
宗教的でもあるように思う。
いきいきと生きている先輩諸氏がいて、
さっさとあの世に行ってしまう
友人や後輩がいたりする。
死は知らず知らずのうち、
身近なものとして、
いつも私のまわりをうろついている。
若ぶるか、しっかり老け込むか…
分岐点に立つ人間は、そんなことさえ問題なのだ。
滅する前にひと花咲かせるとは、
まさに色づく老木の紅葉の如き。
なかなか粋な演出とも思えるけれど。
だから、紅葉には死のにおいがする。
紅葉があれほど美しいのは、
「生」というものに対する賛歌でもある。
こんなことを考えてしまう私はいま、
まさに生と死の分岐点に立ち尽くす
迷った旅人なのか。
いや、
未知の道を行く無名の冒険者として、
考えあぐねている最中なのだと、
肝に銘じている。