船上の旅から3日目の朝だったと思う。
船内にアナウンスが流れた。
そろそろ目的地じゃないかと丸山がつぶやく。
船室からまあるい窓をのぞくと、
そこにはいままで見たこともない、
吸い込まれるようなきらきらとした海と空が、
まるで映画のワンシーンのように映し出されていた。
窓いっぱいに広がる、うまれて初めて見る
サファイア・ブルー。
それはボクたちがいままでみたこともない、
異国のような夏の海辺の景色だった。
沖縄がアメリカから返還された翌年、
僕たちはいち早く沖縄にでかけた訳だ。
車の通行はまだアメリカと同じ右側通行で、
街の中心にある国際通りを歩いていると、
聞き取れない言葉が飛び交っていた。
後年になって気づいたことだが、
この頃の沖縄は、タイのバンコクに
とても似ているような気がした。
当時のホテルといえば、
那覇の「都ホテル」くらいしかなかったように
記憶している。
そしてその「都ホテル」がボクらの宿だった。
船旅で一緒だった彼らも、
同じホテルに宿泊している。
ライトアップされたプール。
その四隅にはたいまつが焚かれ、
海からの強い風に大きな炎が揺れていた。
1973年、夏。
沖縄到着の第一日目は、
オリオンビールで南国の夜を満喫した。
翌日はひめゆりの塔へ出かけ、
島のおばあさんから戦争の話を聞かされる。
それは、申し訳のないほどに、
聞けば聞くほど非日常的な気がした。
話はとても悲惨な出来事ばかりなのに、
どこか自分の体験や生活からかけ離れすぎていて、
どうしても身体に馴染んでこないのだ。
おばあさんが話すことは、
ここ沖縄の人たちの肉親や知り合いや、
皆が実際に体験した事柄だ。
なのに、リアリティーがない。
その驚くほどのリアリティーのなさが、
かえって後々の記憶として残る。
それは、後年になって自分なりに
いろいろなものごとを知り、触れるにつれ、
不思議なほど妙なリアリティーをもって、
我が身に迫ってきたのだから。
そんな予兆のかけらを、
ボクは後年、グアム島とトラック諸島のヤップ島で、
体験することとなる。
(続く)