「19才の旅」No.10(最終回)

 

 

中年にさしかかった頃、

丸山は、半導体関係の会社へ転職していた。

一時期、彼は松本へ転勤し、

そこで家族と暮らしていた。

 

ボクも東京暮らしに限界を感じていた頃だった。

不健康な仕事のサイクル。

息の抜けない人とビルばかりの都会生活。

そして不安定な経済状態。

 

子供の事も真剣に考え、

そこでボクら一家も早々に東京生活にわかれを告げ、

神奈川の郊外に移り住むことにした。

 

新たな土地での仕事の見込みは全くない。

が、ボクは精神的にも追い込まれていたのだ。

 

いまと違い、当時はまだネットもなく、

ましてフリーランスなど、

誰も鼻にも引っかけないような存在だった。

 

当初は、中目黒の知り合いのカメラマンの事務所に

机を置かせてもらい、

東京の仕事をそこでこなしていた。

そうするうち、運良く

神奈川県内の仕事が次第に広がりはじめた。

 

ボクは中目黒通いをやめることとした。

それはとても不安な決断だったが、

同時に、とても重い荷を下ろしたように、

気持ちが楽になった。

 

松本で支店長として赴任した丸山とは、

よく電話でお互いの状況を話した。

 

「フリーって食っていけるのか?」

と丸山が心配そうに口走った。

「まだよく分からない」

「お前は相変わらず博打のような生き方をするな。

そこは若い頃から変わらない」

「性に合っているのかも知れない」

 

丸山は、転勤先の松本の生活がとてもいい、

とよく話していた。

 

「セカセカしなくなった。

面倒な酒の付き合いも減ったしな。

あと、食い物もなかなかうまい。

冬になると、雄大なものも見られるぞ。

山のほうからタカだかワシだかが、

大きな翼を広げて飛んでくるんだ。

それが空を旋回する。

この光景は都会では味わえない。

なんだかすごく癒やされるんだよ」

 

数年後、丸山は横浜の本社へと栄転し、

肩書きは、系列会社の社長になっていた。

そして半導体を取り巻く世界の事情や、

デバイスに関する話題が増えた。

 

その頃、ボクも会社組織を整えた。

法人としての再出発だ。

そこでは半導体関係の取り引きもあったので、

彼の話題に興味は尽きなかった。

 

そしてお互い、仕事は徐々に激務になっていった。

音信不通が何年も続いた。

 

あるとき丸山から唐突に電話がかかってきた。

どこか、深刻な空気を感じたボクは、

時間をつくり、久しぶりに会う約束をした。

 

数年ぶりに会う彼は、驚くほどやつれて見えた。

(それはこちらも同様なのだが)

 

一通りの世間話のような話の後、

かなり酔ったようにみえた丸山が、

「なあ」と話題を切り替えた。

 

世間はバブル崩壊から全く立ち直ることもなく、

平成の世は相変わらず何もかもが低迷していた。

 

「いま実はオレ、社員のリストラ計画を作っていてな、

リストアップした社員の顔を思い浮かべるたびに、

心底自分にうんざりするんだよな」

 

そして、うつむいてもう嫌だよと吐き捨てた。

 

寿司屋を出たボクたちは気分を転じるため、

ジャズを聴かせるバーへ場所を移した。

 

お互い、もう若くはない。

ムカシのようにロックが鳴り響く店は遠慮した。

話もできないし。

 

店はライブの後らしく、人も引けて閑散としていた。

とても静かな店内に、女性シンガーのバラードが

流れている。

 

「ジャズってなんだか落ち着くよな」

「ああ、確かに。年をとったからかな」

「おとなの音楽、そんなところか」

「そのことをよく考えるんだけれど、

ジャズって、どうも正体が掴めないな」

「そう、ジャズには面倒な哲学があるからさ」

「面倒だ。いまはどうでもいいよな」

「ああ、でもいまはフォークソングよりいい。

フォークは湿度が高い。次回は、吉田拓郎でもいいけれど、なあ」

「そういうことだな」

 

 

酔い覚ましのコーヒーを飲む頃、

丸山がポツンと呟いた。

「戻りたいよな、あの頃に」

「横浜か、いや沖縄のあの旅か?」

「どちらもだ」

「いまは1時間ちょっとで那覇に到着らしい」

「そうか、そうだよな。ジェットだもんな」

「いまどきの船旅って贅沢らしいぜ」

「そういうことになるな」

 

「あの頃はあの頃で、なんだか悩んでいたのにな」

「いま思うと本当に懐かしいよな」

 

「ああ、しかし時間はもう戻せない、

しかも絶対的に止まらないしな」

「確かに。それは絶対的な真理だ」

 

「矢沢も歌っていた、時間よ止まれって」

「みんな思いは一緒なのかな?」

「そうだろうと思う…」

 

世の中が令和に切り替わった頃、

丸山は体調を崩した。

当初、風邪をこじらせたと思った彼は、

町医者に行き、

そこで大学病院へ行け、と言われた。

 

 

 

 

丸山は、いまは墓の下に眠っている。

去年、3回忌だった。

そこは横浜の北部の小高い丘の上で、

近くを国道が走っている。

 

かなりうるさいけれど、

墓のまわりだけは草花が生い茂り、

いろいろな虫も飛んでいる。

 

丸山の墓参りに行くたびに、

いろいろな出来事を思い出す。

そしてボクはこう話しかける。

 

「やっと落ち着けたな」

 

彼の旅は終わったのか、まだ続いているのか。

そんなことは分からない。

 

分かるハズもないけれど、

とりあえず残されたボクはまだ、

旅の途中であることは確かなことなのだ。

 

我々はどこから来て、何者で、どこへ行くのか?

ゴーギャンはその疑問に執着し、創作した。

 

それはとても不思議な絵である。

 

我々はどこから来て、何者で、どこへ行くのか?

ゴーギャンの遙か以前の旧約聖書にも、

この言葉があると言う。

 

結局ボクたちは、

あるいは、

この宇宙の旅人なのかも知れない。

 

それは、生と死に全く関係なく…

 

 

(完)

 

 

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