私たちには、後悔するという習性があるらしい。
時間を遡る、ということ。
が、ものごとがやり直せる訳ではない。
後悔はそして、心に暗い影を落とす。
なので、
或る人はいつからか後悔しないと言い張るようになった。
後悔という心の動き。
すなわち、立ち止まり、立ち尽くすこと。
が、立ち止まることは、即ち思考のときであり、
自らの日々の点検にも適しているともいえる。
そして、立ち尽くすことは時間と思考の海原をさまようことであり、
ここから、創意する術が旅立つことに気づくべきだ。
さまようことは後に生きる糧となり、
自らを知ることと心得えたとき、
辛く、奈落のような時間も、
それをかみしめてこそ、救いとなるのかも知れない。
このように、閉ざされた時間には意味があり、
役割がある。
私たちはこうしたものを避けず、尽力すべきであり、
この思考なくして、
生きる意味を見いだすことはできない。
疾風のように過ぎる、たかだか百年幾ばくかの人生に、
息づかいを吹き込む術があるとするならまた、
時間の中に立ち止まることも悪くない。
そこに何があろうと、
過ぎてゆくものと来るべき時の中に身を委ね、
自身、消えそうな程小さい宇宙の生命なのかもしれないことを認識し、
それを感じ、味わい尽くすことで、
私たちは苦痛の中からでさえ、
生きていることの意味についての序章を、
新たにつくることができる。
こうして人は、立ち止まり、立ち尽くすことでのみ、
生きてゆく真意について考え、
やがてそれについての制作物のひとつとして、
自分というもの、そして人生についてのなにがしかを、
ぽつりぽつりと
語り始めるのかも知れないのだから。
スパンキーさんらしいですね。
本を書いてほしいなぁ~!!
などと読ませていただきました。
(仕事中ですが・・・)
おくが深いですね。
頑張っていこうという気持ちになりました。
ありがとうございます。
ももさんへ
ちょい、生意気に書いています。
が、一応本気モードです。
ネガティブなことが、すべていけないような
風潮に喝!ですね!
いろいろあっての人生ですからね。
いつも、コメントありがとうございます。