木の枝葉の隙間から
静かに花火が上がるのが見える
それは視覚の中でとても小さく
あわれなほど可憐だった
会話を閉じ、じっと耳を澄ましていないと
その音は数秒後にさえ聞き逃す
二人のクルマは喧騒を避け
海から遠い山の中で花火を見ていた
辺りは鬱蒼とした木々に囲まれ
こんな所から花火を見ようなんて物好きは
他にいなかった
ラジオをかけながらエアコンを回す
1986年型のビュイックは、柔な足回りに
頼りないエンジン音をはき出す
虫が多いので窓は少ししか開けられない
湿度の高い夜だった
遠い浜からまた花火が上がる
海の上の漆黒の空に小さな花が咲く
時折目の前の葉が揺れ
そのわずかに見える花さえ隠すこともあり
そんなときはラジオで紛らわすことにした
ちょっと離れすぎたかな?
そうね、ちょっと花火が小さすぎるわ
調度1時間過ぎた頃だろうか
男はビュイックを遂に動かすことにした
クルマは草や枝を擦りながら
山道を走る
幅はほぼクルマ一台がやっとの未舗装道路なので
その道路からの突き上げも激しい
どうしても見たい?
うん
ウィンドウに虫がぶつかる
その度ごとに白いものが残り
視界は益々悪くなる
きっと蛾のりんぷんかなにかなのだろう
ワイパーを動かしウォッシャーを使う
足元からきしみが聞こえる
クルマのドアを擦る枝や草の音がひどくなる
もうラジオは聞こえない
訳も分からず走っていると草木も途絶え
急に視界がひらけて
夜の黒い海と遠くの灯台の明かりが見えた
クルマを止めて外へ出ると
そこは崖の上だった
ビュイックを置いて
二人で崖の端に立つ
そこはやはり誰もいない
ただ風が強く遠くに黒い海が広がっていた
そして崖の斜め遠くの下方に明かりが見え
そこから大きな花火がドドーンと上がるのだった
やったね!
凄い
でもここって何処?
わかんねぇーな
こんなとこってあるんだね?
絶景ポイント
でもなんで誰もいないの?
分からない
不思議ねぇ
花火が上がると
花が黒い海に映る
夜の空が彩られる
ここ、特等席ね
そういうことになるね
花火が終わっても
二人はずっとそこにいた
夜は静まり
ただ強い浜風だけが吹いていた
「冷えてきたね」
「帰る?」
二人はクルマに戻り
生ぬるい飲みかけの缶コーヒーを飲む
キーを回してキュルキュルとセルモーターが唸る
突然ラジオから激しいロックの音が響き渡る
「あっ、そうだ」
「なに?」
男が無造作にGパンのポケットから
何かを取り出すと
女の手を取り真顔になった
「なに、それ?」
「いや」
「なに」
「一緒にならないか、俺たち」
男は女の手に指輪をはめた
女は指輪をじっとみつめていた
「一緒になろう」
「………」
女の目が潤んだ
静かな漆黒の海に
灯台の明かりが規則正しく回る
「ありがとう」
女はずっと下を向いていた
「俺って駄目だと思うけれど
なんかそう、もっとうん頑張るよ」
ラジオの音に負けないように女が言う
「いまだって充分頑張っているじゃない」
男が女の髪をなでる
「こういう海の見える所に
いつか家を建てたいな」
「そうね、海いいわね」
フロントウインドウの向こうに
いつの間にか上弦の月が出ていた
古いビュイックが草むらをUターンする
女は窓を開けて腕を外に伸ばす
風が車内を吹き抜ける
指輪を夜空に向かって高く照らすと
暗闇のなかでそのリングが
一瞬何かの光を浴びて
キラリとした
男もそれを見ていて
「さっきの遠い花火みたいだな」
と言った
「そうね」
真夜中のビュイックは
今度はゆっくり慎重に動き始め
暗くて細い雑木の中を照らして
静かに走り出した