タイムスリップ

夕方の渋滞はどこも殺気立っていて、

嫌な気が、この街には充満している。

車内にはFMラジオが流れているが、

いまひとつ優雅さに欠けるパーソナリティーが、

消費税のニュースに関して、

どうでも良いようなコメントを話している。

僕はコンソールに手を延ばし、

一枚のMDに触れる。

音はなんでも良かった。

MDをプレーヤーに入れると、

僕の憂鬱はすっと消え、

その古くてぼやけたメロディーは、

街の色を変えた。

そんな気がしたのだった。

交差点を越えるとクルマは流れ始め、

郊外へと続く道は、

その日の、僕の好きなルートへと変わっていた。

ウインドゥを少し開け、新鮮な冷気に触れる。

冬の気配がまだ残る冷たさだ。

車列が減り、前のテールランプが、

しなやかに動くように見える。

軽い登り坂。

アクセルを踏み込む。

そして、くねったような峠にさしかかると、

低速では乱れていたV5気筒のエンジン音も整い、

ストレスなく加速してゆく。

そのぼやけたメロディーは、

数本のエレキギターとドラムの音で構成され、

とてもわかりやすいリズムを刻んでいる。

歌詞は、おとぎ話のようなものばかり。

やはり、愛だとか恋だとかなのだが、

この音に、僕の想い出が眠っていた。

下りのワインディングをノーブレーキで走り抜け、

タイヤのきしみも幾分感じ取りながら、

いまはもう決してしないような走りを、

久しぶりに試してみる。

この曲が流行っていた頃。

あの頃は、まだ免許もなくクルマもなく、

僕はまだ未成年で、期末とか受験とかに忙しく、

それなりに勉強もしていた。

深夜のラジオからその音が流れると、

僕は、しばしシャープペンを止めた。

あの子は、今頃この音を聴いている。

石油ストーブで暖まり過ぎた部屋には、

サイケデリックなポスターが貼られ、

その頃流行った花柄のシールが、

ガラス窓にぺたぺたと張り付いていた。

窓を開け放つと、

夜空がきらめいていた。

星も月も、あの頃の冬の空は美しく、

家々のトタン屋根を、いつも静かに照らしていた。

街の、あの辺り。

あの子の家が、木々の黒いシルエットの向こうに、

かすかに見えるような気がした。

ラジオからは、やはりあの歌が流れていた。

…銀河に浮かべた白い小舟…

…僕がマリーに恋をする…

照れくさいことを平然と歌っていて、

僕はホントはストーンズが好きだったと、

記憶しているのだが…

なのに、

想い出に刻まれたその音とまるで絵空事のような歌詞は、

いまでも僕を魅了する。

とても単純なドラムの刻みと、

つたないエレキギターのテクニック。

そういえば、ボーカルがいつも、

四角い大きなマイクを握りしめていたっけ。

ポンピングブレーキを繰り返して減速し、

まだ門が開いている公園の駐車場へクルマを滑り込ませる。

がらんとした白線の真ん中にクルマを止め、

MDのボリュームをいつになく大きくすると、

暗い夜の公園に、その音が鳴り響く。

音は、そのボリュームのせいで、

ぼやけはさらにひどく、音は割れて、

もし、この広い駐車場に誰かがいたら、

とても迷惑だろうなどと考えてしまう。

キーをつけたまま僕は外に出て、

夜空を見上げる。

5気筒のばらけたアイドリングの音が、

僕は好きだと、そのとき初めて思った。

遠くの山の稜線のすぐ上に、

低い下限の月がぶら下がっている。

その上と下に、寄り添うように、

一等星がきらめく。

あのときも、夜空はいつも瞬いていた。

あの部屋で、僕はなにかを掴んだような気がした。

あのラジオから流れていた音楽を、

あの日の僕が聴いていた。

僕は、あの夜、

あの静かな夜の公園で、

どうやら時を超えることに成功したようだ。

「タイムスリップ」への2件のフィードバック

  1. 普段は、文章が苦手でコメントなど
     めったにしないのですが、懐かし
     い”音”に惹かれてコメントしま
     た。
                     私も若かりし頃、この”音は  大好きで毎日聞いていました。
     
     
     ~今はもう決してしないような
     走りを久しぶりに試してみる~
     よくわかります。私もあの頃の
     ”音”を聞くとパワーを貰えて
     やる気が出てくるのです。 
     不思議ですね!
     この詩は、あの頃と今がステキに
     混ざり合ってとても居心地よく
     一緒に タイムスリップさせて
     もらえました。
     ありがとうございます!
     
     

  2. SORAさん)
    同世代とお見受け致しました。
    そう、その声の主は、ご存じジュリー率いるザ・タイガースでした。
    沢田研二さんは、後、TOKIOとか沢山ヒットを飛ばしていますが、
    私の世代からすると、原体験としてグループサウンズのあの音が
    アタマから消えない。
    G・Sって、ほんの打ち上げ花火のような流行でしたし、
    でもなんだか、当時は斬新で、海外アーティストのコピーが
    ほんんどだったなんて、みんなも知らないし…ですね?
    後に、クルマはレビンであり、スカイラインであり、Zであり、
    コスモであり…、いやあ、今日も天気がいいし、箱根でも
    飛ばしに行きたくなりました。
    ご一緒にタイムスリップしてくれて、ありがとうございます。

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