いまでは、どうということのない飲み物だが、
コカ・コーラを子供の頃に初めて飲んだときは、
ホントに驚いた。
それは味であり、色でもあったと思う。
当時の炭酸飲料といえばサイダー位しかなかったので、
コーラはなんというか、
表現しづらい不思議なインパクトがあった。
うまいといえばうまい、かな?
そんな初めての味が、みんなを虜にしていったと思う。
しかし、薬っぽい味といえば、そんな気もする。
そもそもコーラを発明?した人が薬剤師だったというから、
当初は疲労回復とか、そんな売り方をしていたらしい。
しかし、全然売れない。
で、この権利を買い取った人が飲み物として売り、
大ヒットした。
商品のポジションって重要だな。
中身に関しても、当時はいろいろな噂が飛んだ。
南米産のコカの葉(麻薬の一種)が入っているとか、
飲み過ぎると骨が溶けるとか…
これはいまでも都市伝説のひとつだろう。
コーラといえば、日本の場合はコカ・コーラなのだ。
ペプシが強い国もあるらしいが、
日本はペプシではなく、コカ・コーラ。
コカ・コーラが日本に根付いた理由は、やはりコマーシャルの力だと思う。
味ではない。
ペプシもそれなりに頑張ってはいたが、
コカ・コーラのプロモーションのうまさは、
当時から群を抜いていた。
この飲み物は、まずアメリカというリッチな国の生活を
体現させてくれた。
その頃は、
映画・若大将シリーズで大人気だった加山雄三が、
実にうまそうにコーラを飲んでいた。
もちろんCMでだが、僕らへの売り込みは成功した。
日本がこれからリッチになろうという時代に、
コカ・コーラはタイムリーに上陸したのだ。
贅沢な生活シーンとコカ・コーラ。
この憧れが、徐々に世間に広がりをみせた。
で、コピーはまずこんな具合。
♪コカ・コーラを飲もうよ
コカ・コーラを冷やしてね♪
実に単純なコピーだか、
当時はこの「冷やす」という行為が贅沢だった。
いまは冷えている飲み物は当たり前だが、
電気冷蔵庫が普及したての当時の日本では、
冷やすというのは、なかなかリッチなことだったのだ。
余談だか、この頃のコカ・コーラのボトルは、
個性的な曲線でつくられ、
それが独特の存在感を表していた。
一説では、
女性のボディラインを元にデザインされたということで、
後に、僕がいまの仕事についたとき、なるほどと思った。
その頃の僕らにしてみれば、
コカ・コーラは、ひとつのお洒落なアイテムだった。
これもコマーシャルの力だ。
夏場は、コーラとの付き合いも親密で、
海ではサンオイルじゃない、コパトーンじゃない、
コーラを振りかけて陽に焼くというのが、流行った。
で、夜はいまでいうカフェバーみたいた店に集まり、
アメリカンロックなんかを聴いて踊ったりしたが、
そのときの飲み物が、ウィスキー&コーラ。
要するに、コークハイだ。
冷静に味わえばうまくはない。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
バーベキューをしながらコーラを飲む、
というシーンをテレビで観たときも、
僕らは、その初めてのスタイルに驚いた。
肉をガンガン喰いながらコーラをグイグイ飲むーーー
これは贅沢の極み以外のなにものでもなく、
そのインパクトは日本中に伝搬したに違いない。
アメリカン・ライフ・スタイルは、
こうして世間を席巻し、
僕はぼんやりと、
ああ、アメリカという国には勝てないな、なんて思ったものだ。
ま、こうした驚きもインパクトも当然意図的だが、
それが素直に伝わったというのも当時の日本を映しているし、
コマーシャルにもパワーがあったといえるのだろう。
こうして時代も流れ、日本も豊かになると、
コカ・コーラもコマーシャルスタイルを変え、
日本という国に併せたコマーシャル展開となる。
町の魚屋さんのおっさんとかOL、
サラリーマンとか京都の舞妓さんとか、
普通に働く人と日常の生活シーンのなかにコカ・コーラがあるという
スタイルをとるようになる。
これで外資、
いや、コカ・コーラ文化が日本に確実に根付いてゆくこととなる。
僕らが大人になっても、
コカ・コーラのコマーシャルは相変わらず印象に残るものが多かった。
それは、
映像の秀逸さに併せるように、コピーに共感できるメッセージ性があったからだ。
スカッと爽やか、も素晴らしいコピーだが、
僕が凄いと思ったのは、単なるコーラのコマーシャルが、
愛だの自由だの、人間を語り出したことだった。
♪本当のひととき 本当の人生
生きている心
自然にかえれと誰かが呼んでる
そうさコカ・コーラ
この広い空の下
生まれてきてよかった
そうさ
人間は人間さ
コカ・コーラ♪
※この記事は、オールアバウトプロファイルコラム及び弊社ビジネスブログを転載したものです。
スパンキー様
面白い “コカ・コーラ論” でした。
おっしゃるように、 「コーラ」 という商品そのものが、アメリカ流文化とアメリカ流資本主義の “雄大さ” を物語っていますよね。
19世紀まで世界を牛耳っていたヨーロッパ文明も、けっきょく地球規模まで広がる商品というものを、何ひとつも生み出していない。
なのに、アメリカは、コーラやジーンズ、ディズニーランドあるいはハワイの原住民の遊びだったサーフィンを世界中に広げたわけで、20世紀はまさに 「アメリカの世紀」 だったわけですね。
>> 「単なるコーラのコマーシャルが、愛だの自由だの、人間を語り出した」 ことに対する衝撃。おっしゃるとおりだと思います。
たぶん、それは 「コーラ」 や 「ジーンズ」 が、われわれの日常生活のなかにすでに <内面化> されていたからこそ、すんなり受け止められるメッセージになったのではないでしょうか。
ヨーロッパ文明は、商品よりも前に 「愛だの自由だの人間だの」 といった思想を輸出する。だけど、そんなコムズカシイものはなかなか定着しない。
だけど、「コカ・コーラを飲むと、“人間” を取り戻せるよ」 といえば、誰もが肉体的に共感してしまう。
そんなコーラの商品戦略の巧みさを見事に描き出すなんて。
さすが、スパンキーさんは、業界人として、抜群のセンスをお持ちですね。
町田さん)
ブランドも数々ありますが、アメリカの企業のすごいところは、
低価格でチープなものをワールドブランドにしてしまうところでしょうかね?
サーフィンや野球はともかく、コーラもハーシーズもディズニーランドも、
どこかホンモノとか真実とかいうベクトル以外の魅力を放っていて、
それが人を惹きつける。
凄いことだと思います。
例のT型フォードができたくらいから、また家電が作られ始めたころからか、
アメリカの企業は、大量にモノを売ることを考え始める。
当然、アドバタイジングやマーケティングは洗練され、
こちらの力も他を圧倒するので、向こうの会社には、
歴史に刻まれるようなクリエーターが続々現れた。
こう考えると、やはり行き着くところ、商品に人間を語らせるというのは
当然の帰結かな、とも思います。
コメント、ありがとうございます。