いざ、フルーツパーラーへ!

 

京橋あたりに千疋屋というフルーツ専門店があって、

ウインドウには確か2万円の値がついたメロンが

置いてあったっけ。

(まあ、みんなは知っていると思うけれど)

 

その近くで人と待ち合わせだったので、

早めに着いたのでウロウロしていたら、

そんなメロンをみてしまった次第だ。

 

で、仕事の打ち合わせの最中も、

2万円のメロンとは何ぞやという疑問が、

むくむくと頭をもたげる。

 

そういえば高校時代、

クラスにメロン農家の息子というのがいて、

全く自己表現をしない冴えない奴がいたけれど、

あいつって、実は大金持ちの息子だったのかとか…

 

うーん、京橋での打ち合わせはまったく身が入らず、

後日、電話で謝りながら、

再度打ち合わせをさせてもらった次第。

 

それにしても貧乏だった私のアタマを掻き乱した、

メロン2万円なのであった。

 

で最近、そんな事も忘れていて、

フルーツパーラーなる店に入ったのだった。

 

記憶の限り、こういう店って小学生以来かも知れない。

母に連れられて、横浜駅近くの大きな店だったように記憶し

ている。

 

店構えは、なんだかカラフル。

全然私の入るところではない感じがプンプンしている。

赤と白とかオレンジとか、とにかく入り口からカラフル。

店内明るすぎ。

(あー、コーヒーショップにすべきだった)

で、メニューを見て、緊張したね。

キラッキラッ!

 

目を凝らすと、例えばいちごパフェが1600円!!

こうしたスィーツ系なのかフルーツ系なのか、

よく分からないが、私はなにも考えず、

奥さんに誘われてふっと入った訳だ。

 

たまには甘いもんでも食う?

気を使った私が間違っていた。

「パフェ? そんなもんいくらでも食べなよ

おごってあげるから!」

見栄を張り、

フルーツパーラーをなめてかかっていた私が悪かった。

 

窓からは横浜港が見渡せるとてもいい景色。

店内は、若い女性、おばさん、おばあさんで

溢れている。

 

「えーなんでこんなに混んでいるの?」と私。

「ねー」って同調しているけれど、

君は知っていたのかな?

 

メニューを広げながらまわりを伺っていると、

パフェにかぶりついている女性たちの

なんと幸せそうな顔をしていること。

(ほほぅ、そういうもんかね?)

 

果物とかアイスクリームとか

生クリームとか、その他もろもろが、

山盛りに詰め込まれている。

ガラスの入れ物がすげぇデカい。

(えー、私はあんなもん絶対に食えないなぁ)

 

奥さんにひそひそと話しかける。

「おなか壊すよね?」

「そうかな」

「………」

 

少し離れた席に同年代のおやじが

若い女性を連れて話し込んでいる。

でだ、

話しながらチョコレートパフェをがんがん

口に運んでいるではないか。

ぜんぜん笑顔!

(うーん、あのおやじ、

どこからみても大酒のみにしかみえないし、

甘いもん、そんなに食べないと思うがね)

と、若い女性と笑顔で完食なのであった。

 

向こうのうるさいおばさんの団体に至っては、

話しながらときに大笑いで、

はしゃぐはうるせぇし、

果てはパフェのおかわり、なんと

おかわりを目撃してしまったのであった。

 

(うーん、この空間はなんかとても怖いな、

早いうちにさっさと切り上げて、

とっとと帰りたい)のであった。

 

奥さんがいちごパフェ、

私がフルーツケーキとコーヒー。

そんなところで手を打つ。

 

それにしても、冷房が効きすぎ。

冷房とめろよ!

と心のなかで怒鳴りましたね。

季節は秋である。

残暑とはいえ、そんなにクソ暑くもないし。

 

で途中、奥さんのパフェを少しいただくも、

その少しで、こっちは生クリームの油に

やられたって感じ?

コーヒーで口内を中和して、

何気に窓の外に目をやったりして、

平静を装う。

 

奥さんは何の違和感もなく、ペロッと完食。

(うん? こいつは普段から食は細いし、

さっきとんかつ食ったのになぁ)

 

店を出て「おなか、大丈夫?」

と「なんでもないよ、

あー、おいしかった。また行きたいね」

 

もう行かないだろうよの、

フルーツパーラー体験。

にしても、ん万円のメロンとかって、

なんだろう?の疑問が再び浮上する。

 

貧乏性の疑問って尽きないんだよね。

 

ふる里へ帰ろう

 

六つ年上の兄は

心臓を患って

そのまま帰らなかった

 

弔いの日

長い列の頭上を

カラスたちが舞っていた

 

その夜

残って崩れて散らかった

鮨の巻物と濃いみそ汁を

うつむいて食べた

 

それからよっつの秋が巡り

翌年学校を出ると

私の都会暮らしが始まった

 

それから26年が過ぎて

 

或る日

仕事帰りの空に

茜色が広がっているのをみた

 

もうカラスはいなかったけれど

兄のいなくなった母屋の

かたい畳の手触りが蘇る

 

ビルのあちこちに

うっそうとした森が現れる

車で溢れたアスファルトは

ゆるやかな川の流れとなって

 

「時計のねじを

もう一度

巻き戻そう」

 

私はあの日と同じ

詰襟を着た少年となって

地下鉄の降り口を

下っていった

 

神奈川、天空の丘

海岸線の長い湘南だが、

葉山、鎌倉、江ノ島、茅ケ崎を過ぎて馬入川を渡ると、

平塚、大磯、二宮と続く。

このあたりは割と地味な印象を受ける。

海岸沿いは西湘バイパスがどんと横たわっているし、

大磯や二宮は市ではなく町だけあって、

人口も少なく、静かでのったりとしている。

 

大磯は、吉田茂がこの地に住んだことから、

一躍有名になった。

その旧吉田茂邸は、いまでも健在。

国道一号線横の松林の間にどんと存在している。

もちろん、見学もできる。

 

その大磯町の背後に鎮座しているのが、高麗山。

この一帯は湘南平と呼ばれている。

背後の平塚は延々と平地が広がっっているので、

この高麗山だけが飛び出しているように思える。

いわば、神奈川の臍ともいうべきでっぱりで、

不思議なその地形は存在感がある。

 

古くは信仰の山だったそうだが、

いまは電波塔としての役割が強い。

東京タワーからの電波を受け、

神奈川の山間部へUHFを飛ばす。


てっぺんまで登ると、

と言っても車で行けるけど、

程よく整備された公園になっていて、

展望台や、売店もある。

展望台の上のほうには、

鍵のモニュメントがあり、

まあ、愛の誓いなのでしょうかね、

そんな約束を交わしたふたりの鍵がね、

ぎっしりとぶら下がっている。

若い人っていいねぇ。


ここからの景色はなかなかで、

遠く伊豆半島から富士山、

眼下には湘南の海岸線が一望できる。

横浜方面はランドマークタワー。

振り返れば、神奈川の丹沢山塊、

北東の方角には東京タワーやスカイツリー、

新宿の高層ビル群も望める。

 

ここは「関東の富士見百景」、「かながわの景勝50選」、

「かながわの花の名所100選」、「かながわ未来遺産100」、

「かながわの公園50選」、「夜景100選」、

「平塚八景」に選ばれているのだけれど、

平日は人も少なく、

ちょっと世間から忘れられた感がある。

 

そういう意味では、

絶景が拝める穴場である。

 

 

湯河原のお湯は熱かった!

 

1.小田原厚木道路の怪

 

小田原厚木道路を慎重に走る。

スピードを控える。

走りやすいのに、ここの制限速度は70キロ。

高速道路ではない。

有料道路。

気をゆるめていると、制限速度をオーバーしてしまう。

と、待ってましたと、どこからともなく覆面パトカー。

即、切符を切られてしまうハメに。

 

この道路の出口は箱根の麓なのだが、

手前2キロくらいからなぜか車線変更禁止だから、

ここも法令順守しないと、やはり即捕まる。

箱根方面に行こうか、伊豆方面はどっちなどと、

ふらふらしていると、痛い目にあいますから…

 

結局、小田原厚木道路って、

むかしからスピードの取り締まりが厳しい。

神奈川県警のドル箱路線として、

全くもって現在も変わっていない。

こっちもやむを得ないときしか使わないけど。

 

2.真鶴道路は景色壮観だけど…

 

さて、箱根の手前で道を海側へと進み、

真鶴道路へ入る。

海が青いなぁ。

白い波が高い。

荒れているぞっと。

 

この先から伊豆半島をぐるっと海岸線沿いに

道は延々と続くのだが、

どうも、早川~真鶴あたりが、

あまり好きじゃない。

箱根の道のほうが圧倒的によくできている。

常に交通量がかなりある道なのに、

来るたびにアスファルトがガタついているし、

道も細くて、整備がイマイチ。

ETCが使えない有料道路もいまだに残っている。

料金所で車がオロオロしているのをたまにみかける。

他府県ナンバーの車に顕著だ。

なんで有料なのか、その意味もよく分からない。

真鶴トンネルの工事代?

普通の海沿いの道なんだけどねぇ。

 

3.湯河原をめざす

 

箱根ではなく、熱海でもなく、

本日めざすは湯河原。

両者の一大観光地に挟まれて影の薄い温泉地だけど、

湯治にはもってこいと誰もが言うからには、

ここのお湯はさぞ良いのだろうと、

でかけてみた。

 

目的の宿は川沿いに建っていた。

立派な外観。

ウェルカムドリンクは冷たいゆずのジュース。

やはりここ湯河原も暑いなぁ。

 

部屋はバリアフリーでインテリアは簡素。

清潔そうな印象。

窓を開け放つと、山が迫っている。

水量の関係か、川の音がほぼ騒音レベル。

うるさい。

程よいせせらぎってなかなか難しいんだと、

再び窓を閉める。

あっ、ここは禁煙なんだ!

 

4.湯河原のお湯は熱かった

 

湯治というのがどうゆうものか、

実はぜんぜん知らない。

しかし、なんかむかしからあこがれがあった。

じじいになったら、湯治にでかけようなどとね。

 

で、夕食の後、期待を胸に、

そそくさと階下の浴場へでかける。

む、誰もいないではないか。

夕食の後に入浴する人っていないんですね。

まあ、どこでも宿に着くとまず風呂です。

どうもそういうことらしい。

しかし、私は馴染めない。

よって、飯の後になってしまう。

 

そういえば前年、

同じく伊豆の稲取にいったときも

夜の11時にホテルの屋上にある

露天風呂にでかけたときも、

私一人だったしなぁ。

あのときは、誰もいないのに、

遠くの湯船に誰かが浸かっている音、

したしなぁ。

あれ不思議。いまでも怖い。

 

で、湯河原の湯だけど、

沸かしていないのに、これがくそ熱いんだわ。

ぬるいお湯しか入れないこちらとしては、

まあ、身体なんか洗ったりして、

徐々に慣らそうと考える。

で、いよいよ足を突っ込んでうーとなり、

次にしゃがんでうーとなり、

肩まで使って限界までチャレンジとなる。

 

こうなるとリラックスとか関係ない。

温泉湯治ではなく、もうひとり我慢大会。

 

きっと数分だったと思う。

一度、立ち上がって脱衣所で水を飲む。

悔しいので、再度浴場へ戻り、

今度は高温のミストサウナ室に入るも、

数秒で出る。

ここは、真夏の炎天下に、

空からお湯が降ってくる。

そんなイメージ?

 

ふん、冗談じゃないよ。

熱中症になってしまうじゃないか。

危ないなぁ、湯治って。

 

この夜は冷房全開、

裸で寝ましたね。

 

 

南佳孝ライブへ行ってきた!

いまさらの報告だけど、

8月末の土曜日に南佳孝さんのライブへ行ってきた。

場所は、逗子のsurfersというカフェ。

いや、ビーチハウスというらしい。

 

とっても暑い日で、週末。

海沿いの134号線の混み方が凄かった。

途中、工事渋滞もあって、江ノ島~鎌倉間が、

嫌になるほどの渋滞でした。

 


surfersは、初めて。

岬の突端にあった。

ちょうど、披露山という住宅地の崖の下。

建物は、しゃれた海の家というところ。

食い物はうまい。

ドリンクもいける。


それにしても南佳孝さんの人気に驚く。

おおげさに言えば、

日本の隅々からファンがこの逗子に集結している。


年齢層は、想像のとおりそこそこ高いけれど、

皆さん、特に女性の表情がきらきらしている。

元ワルとおぼしきオヤジたちが、

ティーシャツにアロハ、コンバースあたりを踏んずけ、

海を眺めている。

当然、百害あるたばこをふかしているのが多数。


南佳孝さんも、湘南の住人とあって、

ホーム感覚。

地元や東京あたりから彼の友人・知人もかなり来ていて、

アルコールの力もあり、

かなりリラックス&熱いライブだった。

彼の一連のヒット曲はもちろん、

合間にビートルズやザ・ピーナッツ、

坂本九の「上を向いて歩こう」とかも披露。

音楽の好みや原点もみえてくるようだった。

意外だったのが斉藤和義の「お家へ帰ろう」。

結構仲良しとかで、この歌も盛り上がりました。

帰りに、知り合った方たちと、

「また来年もここで逢いましょう」と挨拶をして、帰路へ。

 

あれから、とんでもない台風が神奈川を直撃して、

あの海の突端にある逗子のsurfersは大丈夫だろうかと

危惧する。

店の近くのトンネルの土砂崩れをテレビで知る。

そういえば、車を停めたパーキングも、

がけ崩れで半分が使えなかったことを思い出す。

なかなかリスキーな場所。

 

そこであの強風のなか、

南佳孝さんがギターのみでみんなを魅了した。

なんか、いまさらながら感動した。

 

ジャズ喫茶「ノイズ」のこと

 

町田にノイズというジャズ喫茶があって、

でかけるとちょくちょくコーヒーを飲みに

行ってたんだけど、

突然なくなりまして、狼狽えました。

唯一の憩いの場だったのに…

 

ここは、昔ながらのカフェオレにピザトーストが食えて、

えっと、カフェラテじゃなくカフェオレ。

ここ大事。

 

いまどきのコーヒーショップはどこへ行っても

チェーン店ばかりで、

カフェオレくださいっていうと、

決まってカフェラテですかって

返答するんだよね。

イラッ!

カフェオレとカフェラテの違いくらい

知ってるよっていうの。

 

そういうんじゃないの。

まあいいや、腹立つなぁ。

 

ノイズは、最初から灰皿が普通に置いてあって、

いまどきの風潮を端っから無視している。

店内の音響はまあまあ。

で、スタンゲッツとか、

とてもいいアーティストがアナログで

店内に鳴り響いていて、

客層もみなラフな中年が多くて、

とてもリラックスできる。

 

コーヒーカップは肉厚のでかいやつ。

だいたい分かりますよね?

で、話しちゃいけないとか、

そんな超マニアの集まる

クソうるさい店でもなくて、

雰囲気は、超カジュアル。

ただ、店のある場所が

ギャルファッションが集まっているビルの最上階。

行きづらかったのは確かだった。

 

ネットで調べたら、店の再開めざして、

クラウドファンディングやっていた。

頑張って再開して欲しい!

下北沢の1号店もすでにないし、

やはり時代の趨勢なのかねぇと、

感嘆ひとしきり。

 

にしても、町田のノイズがオープンしたのが、

1980年だから、

なんだかんだで40年弱生きながらえてくれた。

また、あのピザトーストが食いたい、

あのカフェオレが飲みたい、

で、あのパイプ椅子で、ジャズが聴きたい。

 

最近では、こんなことばっかり言っているオヤジのこと、

エア読めないとか、

ワガママとか、

遅っくれているとかってよく見聞するけれど、

他人の青春をバカにする権利は誰にもないから、

放っといくれっていうの!

 

 

 

あやしい心理研究所

 

○○心理研究所って看板をみたら、

そしてそのビルがとても古かったりしたら、

その時点でなにかうさん臭いものが漂っています。

負けず、私はその研究所のブザーを鳴らしました。

 

とてもおだやかそうな白衣を着た、

そうですねぇ、年の頃なら40代とおぼしき

横分け頭の研究者らしき男の人があらわれ、

「××さんですね、さっどうぞ中へ」

と促され、中へ足を踏み入れる。

 

古い緑色のソファに座る。

「少し、待っていてくださいね」

やさしそうな笑顔はそんなにあやしそうではなかった。

 

ソファの前の本棚には、やはり心理学とか臨床…とか、

ハードカバーの書籍がずらっと並んでいる。

その部屋には私以外、誰もいない。

 

隣の部屋は、医者でいえば診療室みたいなものらしく、

女性の相談者が延々となにか話している。

話の中身は分からない。

が、とうとうと何かを訴えているようなのだ。

先生とおぼしき人の相づちだけが、規則正しく聞こえてくる。

 

15分ほどして、その患者さんも納得できたようだ。

先生のボソボソっとした声が聞こえ、

女性の笑い声が響いた。

なんかこっちまでほっとしてしまう。

 

ふたりの足音がこちらへ近づいてきた。

終わったようだ。

茶色のロングヘアの女性があらわれた。

やせ型の美しいひとだった。

続けて先生らしき人が、にこにこしながら、

小さな化粧品のボトルのようなものを、

その女性に手渡した。

 

にこっとして「いつものですね?」と言って、

それを受け取る。

とても自然なやりとりにみえた。

 

と、ここまで書いて、

この話はながーくなりそうなことに気づく。

私がなぜこの○○研究所にでかけたか、

という事情はやたらプライバシーにかかわるので、

割愛させてもらう。

いや、のちほど話すけどね。

 

私は、この研究所で出している、

小さな化粧品のボトルに入っている「水」について

書きたかった。

 

「この水は、一見水ではありますが、

私たちの知っている水とは全く違う水です。

味はもちろん無味無臭です。分子構造が全く異なります。

大事に扱ってください。必ず冷暗所に保存してください。」

………

ということなのだ。

 

この水の値段は、一本¥18,000もする。

とても高価なものなのだ。

 

毎食後に数滴なめる。

それだけで、あらゆる症状を軽減させる効果がある。

おっとなめる前にボトルを20回ほど振る、

という儀式があった。

これをやらないと効果があらわれない。

これは、先生とおぼしきひとが言ったことだけど。

 

私は、この水を合計3本購入した。

1本なんかあっという間になくなってしまう。

 

あるとき、この水について考えた。

そのときビールを飲んでいたので、

ボトルをさんざん振り回して

ヤケクソでとくとくとジョッキにたらし、

贅沢に飲み干した。

 

それ以来、その水を買うのをやめた。

そのうち、仕事が忙しくなって、

水のことはすっかり忘れていた。

その研究所のこともすっかり忘れていた。

私の症状はすっかり改善していた。

 

それはとても単純なことで、

辛い貧乏を脱出できたからだった。

簡単にいうとそういうことだと思う。

あんな高価な水の費用を

ひねり出す苦労もなくなった。

 

稼いだお金で、アパートを引っ越した。

今度は、縁起の良さそうな部屋だった。

 

実は、私はてっきり「うつ」だと思って

その研究所を訪ねたのだが、

よくよく思うに貧乏だった、

それしか分からない。

 

うーん、いまでも自らの症状も、

そして突飛な行動も、

全く分析できないでいる。

 

もう30年もむかしのこと。

 

 

金縛り

 

夜中にふと目が覚める。

 

ちょっと驚く。

いつもはそんなことないから。

 

ふとんをかけて寝ようとすると、

なにかがおかしい。

身体が動かない。

ウッと唸ってしまった。

 

どうもベッドのまわり、

部屋の気配が

いつもと違うことに気づく。

 

誰かがいる。

そう思う。

 

そういえば、

少し前にすーっすーっと、

スリッパを擦る音がしたことを思い出す。

 

動かない身体が、

余計に固まってしまっていた。

 

横向きで寝ていたので、

その何者かは私の背後にいる。

目だけは動くので、

目の前に誰もいないことは、

確認していた。

 

どのくらい経っただろうか?

数分間。

いや、ほんの数秒なのかもしれない。

身体は相変わらず動かない。

特に首と腕が顕著だ。

いくら力を込めても全く動かせない。

 

そうこうしているうちに、

今度は、

全くそれを怖がっていない自分に気づく。

 

(おふくろだろう?)

 

その勘は、瞬間的に確信へと変わっていた。

何も話しかけてはくれない。

触れもしない。

 

だけど、じっとこちらを見下ろしているのが、

笑顔で慈しむように見守ってくれているのが、

分かった。

 

この場合の分かった、というのは、

客観的に検証すれば、

私の思い違いなのかも知れない。

そんなことはどうでもいいことと、

いまでも思う。

 

(おふくろ!)

 

声が出ない。

 

もう一度だけ、顔がみたいと思った。

なんだかあったかいものが溢れ出て、

止まらない。

それがほんの一瞬だったのか、

とてもながい時間だったのか、

いくら思い返しても分からない。

 

そして身体がふわっと緩んできた。

 

(相変わらず水くさいなぁ、おふくろ)

 

友人からきいていた金縛りってこれかと、

なんだか深く納得してしまった。

そして、涙を拭いて、

ふとんを被った。

 

むしろというべきか、

サッパリとした心地になっている。

 

(おふくろ、ありがとう)

 

こうしてなにごともなかったように、

朝までよく寝た。

 

3年前の初秋こと。

 

 

カッコイイおとこの見分け方

 

小さなカバンひとつでどこへでもでかける。

そんな人を知っている。

近県でも海外でも荷物の量は同じ。

そこにどんな工夫や技があるのだろうと

あれこれと詮索するが、分からない。

 

着替えは? 髭剃りとか洗面道具は?

暑さ、寒さ対策はどうしているのか、

いろいろ想像するけれどね。

 

山歩きなどでリュックを背にする。

私の荷物は必ず重くてかさばる。

いろいろと詰め込み過ぎだと分かっていても、

それが最低必要なものと思っているから、

結果、いつも荷物が重い。

かさむ。

 

その度に反省などもするし、

今度はこうしようなどと改善を検討するのだが、

だいたい次回も同じ失敗に陥る。

さらに悪いことに、

必要なものを取り出そうとリュックを開くも、

それがなかなか見つからない。

相当に手間取る。

捜し物をがどのあたりにあるのか、

そもそも全く把握していない。

すっかり覚えていない。

 

そしてさらにまずいことに、

特定のところしか探そうとしない、

他は関知しないという癖が祟って、

結果捜し物がみつからないことが多々ある。

 

こういう自分に、結構うんざりしている。

 

ずっと以前、数人でイタリアに行ったことがあるが、

そのなかのあるおとこの荷物は極端に少なく、

私の大型スーツケースの3分の1ほどのバックのみで、

あとは、カメラの機材関係の荷物だけだった。

帰国して気が付いたのは、

私は、持って行った荷物の中身の、

ほぼ半分ほどしか使っていなかったこと。

そして、そのカメラマンは、

着替えは旅先で調達したり、

使い捨ての下着を使用していたことが判明した。

うーんと私は唸ったね!

 

で、それを経験と呼ぶのは簡単だし、

実際、経験を重ねて皆、旅慣れてゆくのだけれど、

考察を重ねるに、

どうもそれだけではないような気がしている。

よく分からないけれど、

そこにはなにか性格的なものも、

おおいに絡んでいるように思うのだ。

 

世界を飛び回っているメディアで有名なある人は、

紙袋にサンダル履きで飛行機に乗って、

そのまま世界各地へと出かけてゆくのだそうだ。

 

ほほぅと感心しましたね。

しかし、いくら経験を積んでも、

どうも私にはできそうもない。

荷物を小さいカバンひとつにまとめられたとしても、

そのかばんの中から、

やはり探し物は見つからないだろうし。

 

たとえば、コンビニである。

私はTポイントカードさえ出したことがない。

あらかじめ、カードを手に持ってなどと、

周到に準備しなくては、レジでサッと出せないのだ。

他のカードも同様。

小田急系列の店で高島屋のカードを出してみたり、

ここはVISAでしょ、というところで

MASTERを出してみたりと、

かなりひどい状況を生んでいる。

 

なにいってるかわかりますかね?

 

そんな私とて、

キャンプとかたき火が好きでよく行くが、

支度がのろい、荷物がやたらと多いと、

当たり前の如く、やはりここでも不評。

そして、必要なものをサッと出せない、

探せない。

 

病気かね?

経験も役に立たない性癖。

荷物肥大症。

いづれにせよ、

なにかの欠陥があると自分を疑っている。

 

という訳で、何はともあれ

旅慣れたおとこというのは、

私からすると実にカッコイイのである。

とにかく荷物が小さい。

潔い。無駄がない。

 

ああ、そのまま性格診断にも当てはまりそうで、

怖いですね!

 

MRI、怖い!

 

以前から、体のあちこちがしびれていたので、

一度検査しなくてはと思っていた。

脳のなかの何かの異常も考えた。

で、しびれクリニックなるものをネットで発見。

要は脳神経外科なのだが、

そこに行くことにした。

 

新しいビルのワンフロアは、

リゾートの雰囲気を醸し出している。

サーフボードや海にちなんだ小物。

静かに流れるBGMはハワイアン。

ちょっとホテルを思わせるようなリッチさなのであった。

 

血圧とか問診票の記入とか、なかなか忙しい。

で、じっと待つこと20分。

 

医者は、割とかっこいいひとだった。

ヒヤリングのあと、

手足や目の動きなどをチェックされた。

で、いきつくところ、

頭のなかをみないとなんとも、という結論。

で、MRIなのである。

 

これはすでに織り込み済みで、別に驚きもない。

最初からそのつもりで行った訳である。

 

MRIは脳内の血管を映すらしい。

ここに異常がないか調べるのである。

で、そのMRIがある部屋の前で

呼ばれるのを待つ。

 

大きな赤い字で注意書きがしてある。

無断立ち入りとか、あと禁止マークとか。

雰囲気として危ない印象のMRIであった。

ドアの向こうからは、ビーだかゴーだか、

なんかすごい音が聞こえてくる。

 

むむ、なんだこのすごい音は。

「うーん、なんか雰囲気がやばいなぁ…」

 

この体験は、実は今年の春のことで、

まだ肌寒かった。

私はユニクロのヒートテックを着ていた。

で、あとで知ったことだが、

MRIはヒートテックに反応するらしく、

汗をかいたりすると火傷の恐れもあるとか。

この真偽はいまだに定かではないが、

MRIに対する印象は、

さらに良くないものになっている。

私はこの日、結構汗をかいていました…怖

 

で、いよいよ私の番。

全く無表情のおんなに案内される。

広い部屋の真ん中にドーム状の筒のようなベッドがある。

これは、ネットでみて知っていた。

 

ベッドが細っそい。

その看護師だかが、なんだかメンドーそうに、

MRIの説明をする。

ふんふん。

で、ベッドに横になる。

ベルトで固定される。

ん、なんで結わくの?

で、頭部はもっとハードだった。

頭が動かないようタオルで狭くしてあり、

そこになおもぎゅぎゅとヘッドホンをだ、

無表情おんなが無理から押し付けてくる。

痛い痛い。

ちょっときついですねと言うと

無表情が「そういうもんです」

 

極めつけは、

最後にの仕上げに、

アメフトのような鉄仮面を顔に固定された。

視界が異様に狭まる。

(うーん、なんか体も頭も

窮屈だし、まわりがよくみえないなぁ)

 

さあ、そのまま筒状に入れられ、

そこで15分じっとしている訳だ。

 

(棺桶に入るってこんな感じなのかな?)

我ながら、いやーなことを考え始めた。

で、いやーなイメージはさらに加速をはじめる。

1.池の底に沈められているような圧迫感…

2.「そこからお前は二度と這い出すことができない」と、
誰かがつぶやいているような幻聴 汗!

急に脈が速くなる。

血圧もがんがん上がっているのだろう。

息が浅く荒くなる。

 

おっと忘れていたが、

私は元々閉所恐怖症だったのだ。

あの丸い筒状のなかに押し込められたら、

もう中止はできない。

誰も助けてはくれない。

いや、いまなら間に合うかも知れない。

 

「すいません!」

と大声で助けを呼んでみる。

「やめます、中止しまーす!」

 

MRIは既にうなり始めている。

それはヘッドホンをしていても、

そこから優雅なハワイアンを流していても、

消せるような音ではなく、

いままさに動く寸前のうなりだった。

 

私は、顔面鉄仮面を外してもらい、

固定ベルトを外してもらい、

まあその間いろいろあって、

汗を拭き、深呼吸をして部屋を出た。

 

結局、この日は、

検査をCTスキャンに切り替えてもらい、

結果は異常なしと言われた。

CTスキャンをやっている最中に技師の方が

話してくれたのは、

MRIを受ける人のほぼ3分の1くらいが、

中止を求めるとのこと。

彼は世間話をするように笑って話す。

「ホントですか?」

「そうですね。なかには、

ずっと寝ているひともたまにいますが…」

「ふふん」

 

残念ながら、MRI初体験は失敗に終わった。

よって脳内の血管の様子は、いまだによく分からない。

一応、医者に促されながら、

次回の予約をとり、真新しいビルを出る。

 

外は午後の日差しが降り注いでいて、

ビルからながい影が伸びている。

 

町ゆくひとが平和そうにみえた。

彼らは少なくとも、

いま体験してきたこちらの恐怖を知らない。

 

おもむろに目の前にあった喫茶店に入る。

コーヒーにミルクをたっぷり入れて口にする。

うーん、なんてうまいんだ。

なんだか、健康とか平和っていいなぁって、

つくづく思い知らされた午後なのであった。