山カフェ

コーヒーの道具もだいぶ揃ってきたので、

外カフェしてきました。

コーヒーだけを飲むためだけに野山や河原にでかける―

以前からね、これを狙っていました。

湖畔2

BBQは、いつでもどこでも誰でもって感じでフツーだったので、

あえて別の理由で戸外へ出かけたいと。

私はさほどのコーヒー通ではないけれど、

どこのコーヒーも結構飽きていまして、

それは味ではなく、屋内の閉塞感とでも言おうか。

自分なりのちょっとした贅沢がこれです。

煎れる

外でいただくコーヒーは格別の味がします。

たとえば、川のせせらぎの音が、

ジョージ・ベンソンの歌声より心地良く聞こえるとか。

頬を通り過ぎる風は、マイホームのエアコンより上質。

鳶がグルリと旋回し、獲物はないかとときどき急降下をしてくる。

ミルを持ち出すほど通ではないが、

一応湯を沸かし、丁寧にドリップするも、

炭焼きの豆になんだか嫌な苦みが混じる。

なのにちょっと薄い味わい。

微妙な味なんだけど、

サンドイッチとチーズパンを頬張りながら、

少しづついただき、周りの景色を眺めるにつけ、

やはり美味いなぁと。

コーヒーセット

雨がポツポツと降り出してきたので、

道具類をさっとトランクへ仕舞い、

帰路は霧雨のなかをドライブ。

こんな時間が、

最近ではなんだかとても貴重に思えて、

心底ほっとするんだなぁ。

湖畔

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45年目の夏

この夏の高校野球はなかなか面白かった。

本来、野球というものにあまり興味がないので、

地元神奈川の代表校が東海大相模高校で、

甲子園に出場していることさえ、夕方のニュースで知った次第だ。

興味本位で、第2試合あたりから幾つかのゲームをテレビで眺めた。

プロ野球とはまた違うドラマがそこに繰り広げられているなぁ、と思った。

やはりというべきか、高校野球は面白い。

だって、選手一人ひとりが、一生に一度の舞台だものな。

45年前の夏、私は甲子園でトランペットを吹いていた。

この年の夏、母校の東海大相模高校が神奈川県地区大会で優勝し、

甲子園行きが急きょ決まると、

私たち吹奏楽部内もにわかに慌ただしくなった。

吹奏楽部のこの夏の最大の目標は、

秋の神奈川県コンクールで優勝することだった。

私も、課題曲と自由曲の楽譜と格闘しながら毎日練習を繰り返していた。

しかし、唇から血が出るほど練習していたにもかかわらず、

すべてが一端中止となる。

部活のメンバーは急きょ、高速バスで甲子園入りとなった。

そして連日の炎天下のなか、

私たちは甲子園名物のかち割りをかじりながら、

猛烈に演奏した。

かの有名な甲子園での応援演奏であるコンバットマーチは、

私たちが最初に演奏した、らしい。

真偽のほどは定かではないが、

私はそのように先輩から聞いた。

しかし、甲子園に来て一週間ほど経った頃、

心底、家に帰りたいと思った。

まず、家のベッドでゆっくり寝たかった。

そして海かプールで、思いっきりはしゃぎたかった。

気にかかっていたのは、コンクール曲の練習不足だ。

連日粗い吹き方もしていたので、唇がバカになっている。

応援を離れ、基礎からじっくり練習し直さなければ、

という不安もアタマを駆け巡っていた。

帰りたかった理由はまだある。

好きな子に遭いたかったからだ。

甲子園近くの赤電話から一度だけ電話をしたことがある。

10円玉を相当用意したにもかかわらず、

たいした話もしていないのに、

10円玉がジャジャラとなくなってゆく。

「いま甲子園に来ているんだ」

「エッ、ホントに?」

そんなことしか話せなかった。

我が校の野球部は私の意に反し、次々に勝ち進む。

そして遂に、決勝まできてしまった。

こうなったら、もうヤケクソである。

我が校に勝ってもらうしかないと、遅まきながら本気でそう思った。

決勝の相手はPL学園。

噂通りの強豪校だった。

このときの東海大相模のエースは上原投手。

キャプテンは確か津末という選手だった。

客観的にみて、負けると思っていた。

しかし、甲子園ってやはり魔物が棲んでいるとはよく言ったものだ。

運は、東海大相模に向いていた。

結局、私たちは10日以上を甲子園で過ごし、

その夏は燃え尽きてしまっていた。

そして、吹奏楽部の最大の目標であった秋の神奈川県コンクールは、

結局3位だか銅賞だったか、そんな感じで終わった。

いま思えば快挙と思うが、優勝を狙っていた先輩達の悔しい顔が、

いまも思い浮かぶ。

訳あって、私は一年でこの吹奏楽部を退部した。

あれから母校へ顔を出したのは、若い頃にたった一度だけ。

卒業証明書を取りに行っただけである。

大学の付属校にいながら、そこへは進まず、

結果、大学も別のところを選んだ。

あの夏から45年経った今年の夏。

私は母校の校歌を久しぶりに聴いた。

果てしも知らぬ平原に
   
相模の流れせせらぎて
  
天に星座の冴ゆるとこ
   
これ我が母校我が母校

天に星座の冴ゆるとこ、

という表現がとてもロマンチックだなと、

初めて気づいた。

記憶の底に眠っていたものが突然目を覚まし、

アタマの中を忙しく駆け巡る。

意図せず、目頭が熱くなった。

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無印良品的彼女の場合(マーケティングストーリー)

A子の休日は、最近では、とにかく歩くこと、

そしてその帰りは買い物と、

ほぼルートが決まっている。

いつものように河川敷きを小1時間歩いたA子は、

その足で、隣町にあるフェアトレード紅茶をいただける喫茶店「マル」で、

ゆっくりとした時間を過ごす。

店を出ると、マルの並びにある青空市場で、

地元の農家が卸す無農薬野菜を幾つか手にとり、

気に入ったものをセレクト、

今夜のメニューに思いを巡らす。

そして最後に立ち寄るのが、

最寄りの駅ビルに入っている無印良品だ。

女子大を出て4年、現在A子に彼氏はいない。

もとより結婚ももう今更面倒と思うようになり、

現在は自分磨きに精を出していると言った方が的確か。

無印では自然派化粧品を定期的に買う。

特にここのスキンケア類をA子は気に入っている。

冬になると、ディフューザーに入れるアロマオイル類も

ここへ買いにくる。

A子は、ことのほかライムの香りが好きで、

部屋にこの香りが満たされると、

いろいろ鬱屈した嫌な事を忘れることができる。

そういえば、ここのチキンカレーも、

A子のお気に入りだ。

マクロビオテックにはまり出してからは、

肉類を食べることもほぼなくなったが、

たまに良質の鶏肉を買い、

無印のチキンカレーに煮込んで食べるのが、

A子のたまの休日の夕飯でもある。

A子は以前、

男とは2度ほど付き合ったことがあるが、

付き合う度に、

なにかピンとこないことに気づく。

最初の彼は、高校時代の先輩。

その頃はちょっと崩れた感じに惹かれ、

デートではよくドンキへ連れて行ってくれた。

そういえば、先輩のクルマは、

古いクラウンをレストアした年代物。

改造他に数百万円はかかったというが、

A子にはどうもピンとこなかった。

先輩からその話を幾ら話を聞かされても、

そのクラウンの良さがA子には分からなかったのだ。

いい加減、ドンキにも飽きた頃、

A子は先輩に別れ話を持ち出した。

先輩は気のいい人だったが、

いつの間にか、

ピンとくるものが無くなっていたというべきか。

それが証拠に、

お互いの価値観が何から何まで違っていたのだ。

先輩はA子と結婚まで考えていたようだが、

A子はその要望を、申し訳ないと思いながらも絶つことにした。

大学を出ると、A子は都内の大手IT系企業に就職。

そこでニューヨーク・デザインに目覚めた。

その職場の上司だったディレクターが、

2番目の彼だった。

A子は彼のやさしさとアタマの良さに惹かれた。

彼とは、会社からの帰りなど、

よく都内のカフェやレストランに立ち寄り、

デートを重ねた。

彼のスマートさは社内でも有名で、

他の女子社員の憧れでもあったようだ。

或る日、彼とつまらないことから諍(いさか)いになり、

A子も久しぶりにいらいらしていたので、

いつもは口にしない口ぶりで彼に言い返した。

諍いの発端は下らない事だったが、

彼と言い争いをしているうちに、

彼の勝手な言い分を並べ立てる姿勢に、

A子は、このときはじめて辟易した。

そしてA子の論理に彼が行き詰まると、

いきなり訳の分からない事を口走って、

なんとレストランの中でどなり始めたのだ。

驚いたA子は、それから2週間後、

彼にメールで別れを告げた。

最初の先輩と付き合っていた頃、

A子は最初、

周りに合わせてギャル系の格好をしていたが、

次第に何かが違うと思い、

ワンピースを好んで着た覚えがある。

就職してからは、コンサバ系を好んだが、

彼と別れてから、

このファッションともおさらばした。

この頃からだ。

A子はブルージーンズに白いTシャツばかりで過ごした。

ユニクロもZARAも何度も足を運んだが、

どうも違うな、と感じていた。

なにかがピタッとこないのだ。

A子は焦るたび、

行きつけのジーンズショップで

名も無いメーカーのブルージーンズとTシャツを買い足した。

A子の部屋は7畳のフローリングのワンルームで、

或る日カーテンを換えたくなったA子は、

3駅先のニトリへ行ってみることにした。

ニトリのカーテンは品数も多く、

どれも一見よさげに思うのだが、

その質感、そしてデザインを検討するほどに、

なんだか訳の分からない違和感を覚えていた。

その日の帰りに駅前のビルをブラついていたA子は、

或るひとつの店に釘づけになった。

その店は以前から知ってはいたが、

A子は、店内で商品のひとつひとつを確かめ、

改めてその店の虜になった。

それが無印良品だったのだ。

寝具コーナーへ行くと、

生成りのベッドカバーは肌触りが良く、

タグで原材料を確かめると、

国産の麻とエジプト綿の比率が、

程よい構成比てであると、

A子は思った。

文房具もA子の趣味のひとつではあるが、

無印のノート類のあのシンプルなデザイン、

そしてその質感と生成り色に惹かれた。

A子は改めて店内をぐるっと見回す。

すると店内の至る所がキチンと整理され、

ギラついた色のものはひとつとして無く、

すべての商品が、

シックな生成り色を基調としていた。

そろそろ都内のIT企業を辞め、

地元の埼玉の田舎町に帰り、

フリーのデザイナーとして独り立ちしようと考えていたA子にとって、

デザインとは、いろいろな要素を足す作業ではなく、

削いで削いで、基本的に骨太であること、

そして簡潔でシンプルなデザインこそ、

人を感動させる…

こうしたデザイン感がこれからの主流と、

A子は考えていた。

生活も然り。

毎日の暮らしとは、賢く質素であること、

例えば、質の良い食材を料理し、

程々の量をいただく。

着るものはシンプルかつ機能性に富み、

永く使えるものにのみ価値をみいだしていた。

無印は、そんなA子の欲求を充分に満たす存在だった。

今日の休みも、A子は買い物の帰りに、

駅前の無印へと足を運ぶ。

なにも買うものがないのだが、

ついつい店内を覗いてしまうことが習慣になっている。

美人と誉れ高いA子は、

よくいろいろな所で声をかけられるが、

そういう男たちには一切口を開かない。

そういえば、いまの会社でも、

同僚の男と、

仕事の相手先の担当から交際を申し込まれているが、

A子はこれらに回答する気もなく、

さっさと退職の準備を進めている。

「もっと知的でギラギラしていない男って、

いないのかしら…」

最近のA子の呟きである。

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自由が丘のオッサン

自由が丘へは所用で時たま行くので、

その度、コーヒーを飲む店も決まっていて、

窓際から行き交う人たちを眺めるにつけ、

やはり自由が丘は格好良い老若男女が多いなぁと、

都度、感心する。

東横線でも近隣の繁華街である武蔵小杉とは、

だいぶ人のようすが違う。

武蔵小杉には私の幼なじみが暮らしているが、

彼にしても、極めてフツーのオッサン。

お洒落度も並である。

オバサンもみな庶民的。

武蔵小杉はムカシからそういう街である。

一方、自由が丘のオッサンである。

彼らは、何故かお洒落度がグンと高い。

もちろんキッタナイのもいるが、

逆に格好良いオッサンも際立って多いのが興味深い。

なぜか、

横浜・元町のフクゾーのシャツでキメているオッサン、

リネン素材の鎌倉シャツにトートバッグ、

白のデッキシューズで闊歩しているオッサンなどなど、

この街には格好良いオッサンがゴロゴロいる。

まあ、ユニクロ、イオン、ヨーカ堂シャツ仕様もいるだろうが、

自由が丘のオッサンは総じて、

着こなしが上手いのが特長だ。

私の目を惹いた極めつけのオッサンは、

大型犬を連れ、遊歩道を悠々と歩いていた。

なんというか、

あの独特の赤い発色のポロは、イタリア製と踏みました。

そしてたっぷりした太い自然素材のスラックスは、

パパスであろう。

パパスブランドは、やたら値が高いんで、

私なんぞは店の前を素通りするのみと決めている。

なのに、そのオッサンは

そんな服で遊歩道の何処にでも腰掛け、

犬の機嫌にのみ集中。

汚れたって関係ねぇようすなのである。

その大型犬がなんという種類なのか、

私は初めて見た犬なので全く分からない。

レトリバーであるとかハウンド種であるとか、

そうしたワンコは私にも分かるが、

スラッと伸びた足に程よい小顔。

ウーン、利口そうだ。

うむ、いかにも高そー、

希少ですよ的大型犬であった。

そしてこのオッサンだが、

犬を連れているからには、

ご近所からやってきました、

歩いてきましたよと誰の目にも明らかなように、

適当に人混みを悠々と闊歩したのち、

奥沢方面へとゆったりと去って行ったのであった。

こうした感じのオッサンは早朝の山下公園とか

みなとみらい地区にも現れるが、

なんというか、

自由が丘のオッサンと較べると極めて自然、

ナチュラル、フツーに感じるのである。

何故か自由が丘のオッサンの場合は、

異彩を放っていたなぁ。

この違いが何であるのか、

未だ私には解明できていない。

街が醸し出す個性、犬とオッサンの相乗キャラ、

こんなことをいろいろ考えるのだが、

いまだ結論には至っていないのが悔しい。

分かることといえば、

この自由が丘のオッサンの場合、

金も暇もありますよ、と

暗黙のうちにアピールしているということである。

このオッサンを思うにつけ、

自由が丘の特異性が浮かび上がる。

と同時に、

世の中の生活の格差というものも、

街中においても歴然と露出している訳で、

自由が丘という街は、そうしたサンプルとして、

結構面白い。

まあ、ひがみ根性も混じった私見に満ちた話ではあるが、

こうしたサンプルは、

日本中、いや世界中の至る所にゴロゴロしている。

救われるのは、こうした方々が成功者であるかどうか、

それは分からないが、

そんなことはどうでもいいのであって、

幸せかどうかは、

いずれ知らぬことであるということ。

なんたって、幸せの尺度っていうのは、

外見では分からないどころか、

本人の主観でしか計れないのだから、

やはり世の中は不思議に満ちているのだ!

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漢方的生活ー夏の漢方薬をセレクトする

今年は予想以上に暑い夏になりました。

先日、屋外で35℃を体験しましたが、

あれは焚き火を囲む拷問のようなものですよ。

埼玉とか群馬は神奈川よりもっと暑いので、

あちらの方々にはホントにアタマが下がります。

さて、こう暑いと冷たいものが欲しくなる。

私も以前は冷たいものをガンガン飲んでいましたが、

なんというか、年をとると用心深くなる、というか、

結構カラダが冷えるのが分かる。

アイスコーヒーもほどほど、

かき氷なんぞは怯えながら喰っています。

さて、

汗をかいたカラダに冷房の風があたると、

いや、寒い。

これは良くないですね。

夏風邪って、こんなところから始まります。

あと、就寝中も要注意です。

真夏の就寝中は熱中症も恐いので、

エアコンは良しというのが、最近の考え方だそうです。

私の場合、だいたい28℃設定にして寝ていますが、

こんなときは風向きに注意します。

扇風機も同様ですが、

直接カラダに風があたるのは、

やはり良くないですね。

夏風邪は、上記の要因が絡み合っています。

また、夏風邪の主原因が冷えであるとは、

漢方的な考えです。

だからといって、こういう場合、

葛根湯ではないんですね。

私のオススメはなんといっても、

カッ香正気散(かっこうしょうきさん)です。

カッ香正気散がなぜオススメなのか、ですが、

漢方的な夏風邪の直し方は、

まず内臓を温めることから考えます。

そして内臓の機能を上げ、

カラダ全体の気・血・水の巡りを良くし、

抵抗力をあげることをめざします。

夏って結構内臓が冷えていますから、

そうした不調が続くと、夏パテになってしまします。

こんなとき、今度は

補中益気湯(ほちゅうえっきとう)などに切り替えると

かなり体力も戻ります。

補中とは、中が内臓という意味。

これを補うと言うことです。

そして益気は気を巡らせ、元気を出させるということ。

西洋薬とか栄養ドリンクばかりに頼らず、

漢方的な夏の乗り切り方も、

実はなかなか理に叶っていると思います。

さて、コピーライターの私がなんで漢方なのか、ですが、

もうかれこれ30年前ですか、

社会に出て人生初のカラダの不調に悩んだのが、きっかけです。

いまでは、自分の薬方は自分でチョイスしています。

もちろん、私には

漢方他いろいろな知識をもっていらっしやる師匠がおりまして、

その方の知識は途方もなく凄いです。

漢方は幾ら勉強しても分からないことが後から後から出てきます。

なので、後は自らの体験と検証の繰り返しです。

町の薬局の薬剤師さんと話をしていても、

漢方の分かる方は非常に希です。

もしくはデスクの上の知識のみの方が非常に多い。

漢方は西洋の学問のように、

ピシッとした回答が出ない場合が多いので、

ファジーなアタマで望むのがベスト。

そうして少しづつ学ぶと、心身に関する面白い事例などが、

芋づる式に分かることがある。

こういうところが漢方を学ぶ醍醐味でしょうか?

さて、少しはお役に立てたでしょうか?

次回は、

えーっと漢方的ストレス解消法にいたします。

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夕暮れ

そろそろ年金が気になる年になった。

アタマはハタチそこそこだが、

年齢的に人生の第2幕が開いた訳だ。

いままでと目標を変え、

新たなチャレンジでもしてみようかと、

最近になって、

ようやくそう思えるようになった。

ここ数年、

ずっと人生の終い方ばかり考えていた。

会いたい人に会っておく

行きたい所へ行っておく

なるべく後悔の減る方へ行動しようと…

この件にいまでも異論はないが、

積極的な終い方へと変わったのが

我ながら進歩だ。

ビジネスもまだ半端なままで、

未だ或る企て事を成してはいないので、

もうひと仕事やってみるかと

やはり最近になって動き始めた。

それにしても夕焼けが美しい。

この夕暮れを歩いていると、

とても穏やかな気持ちになれる。

この空をあいつも見ているかな

そしてあの人も見ているのかな

もうすぐ陽が落ち、

あたりの風がやみ

今日という日が暮れようとしている。

終い

せめて星よ月よ、

美しく輝いておくれと、

自分事のように想いを重ねる。

IMG_0180

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1974/モラトリアム(ショートストーリー)

この先、

一体、自分はこのままでいいのか?

20歳になろうとする悟は、

最近、自問自答するようになった。

冷凍食品の配送が、いまの悟の仕事だが、

ルートセールスは毎日同じ客筋を延々と繰り返して廻り、

カチカチに凍ったコロッケとか海老の箱詰めを、

肉屋やスーパーへ届けている。

しかし、

高校を卒業して最初に就いたバーテンダーよりマシだと、

悟は思っていた。

酔っ払いの相手はいい加減に馬鹿臭いと思ったからだ。

昼夜逆転の生活も、悟に暗い将来の暗示と映った。

途中、関東一円に荷を運ぶトラックの運転手もやってみたが、

夏の暑い日に、延々と田園が続くアスファルトの道を走っていると、

このまま海へ続けばいいなと、よく思った。

この仕事も日雇いと同じで、日給月給だった。

人生で初の正社員として採用してくれたのが、

いま働いている冷凍食品の会社だったが、

悟の自問自答は、日増しに膨れあがり、

避けて通れない難問となって立ちはだかる。

思えば、この問題は、高校時代まで遡るとことに気がついた。

悟の選んだ高校は私学で、

入学して分かったことだが、

すべてにスパルタが徹底していて、

何事に於いても、個人の自由は削がれていた。

そうした情報を知る術を、

当時の悟には知る由もなかった。

校内では、竹刀を手にした体育会系の人間がうろつき、

ちょっと気に入らない態度の生徒を、

規律を乱すとの理由で容赦なく叩いていた。

悟は、高校に息苦しさを覚え、

2度ほど辞めようと思ったが、

もう少し続けてみようと思ったのは、

担任の先生との関係だった。

その先生が何度も悟を説得してくれたのだった。

「悟、もう少し頑張ってみようよ」

悟は退学届けは出さず、

無断で高校を何日も休んだ。

その行為はいろいろと問題とされたが、

担任の先生の計らいで、難を切り抜けた。

その私学は大学の付属校だったが、

悟はその大学へも、勝手に失望してしまった。

学校へ行かない日は、

地元の配管工をしている友人の家で、

寝泊まりを繰り返した。

昼間はその遊び仲間のアパートで過ごし、

よくフォークソングを聴いた。

みんながいいという井上陽水をどうしても好きになれなくて、

悟は、吉田拓郎ばかりを聴いていた。

「人間なんて」という歌がステレオから流れると、

悟は心底その歌詞に共感した。

誰もいない日は、

そのLPレコードの「人間なんて」の部分を、

何度も繰り返して聴いた。

結局、高校はなんとか卒業したものの、

トコロテン式に上がれるその大学への進学は、

早々に辞退していた。

悟以外は、クラスの全員が、その大学へ進学した。

他の大学をめざしたクラスメイトも、

学校の内申書の意図的な操作で、

結局その大学へ行くしかなかったと、

後に噂で聞いた。

こうして、

高校時代から悟の軸は少しづつズレが生じ、

荒れた生活へと傾いた。

そして、

地元の遊び仲間たちとの行動が、

いろいろな歪みを生んだ。

警察の世話になるようなことも、

一度や二度では済まなくなっていた。

自問自答の原因は、

こうしたズレの集積であることに、

悟自身はようやく辿り着く。

悟は考えた末、

冷凍食品の会社に辞表を出した。

突然の辞表に驚いた所長は、

「お前は一体何を考えているのか?」と問われた。

「いまはまだ分かりません」

悟は中学校時代に親しくしていた友人を、

久しぶりに訪ねた。

しばらく会っていなかった友人は、

大学の法学部で、

法律の勉強に勤しんでいると話してくれた。

悟は思い詰めたように、

或る想いをその友人に話した。

「俺さ、なんだか分からないけど、

いまの自分が自分でないようで、

いたたまれないんだよね。

本当は、何かをつくりたい。

たとえば、新聞とか雑誌とか…

そういうものに携わりたいんだ。

才能とかって自分でもよくわかんないけど、

ただやりたいなって…」

「………」

「いや、いまの俺に必要なのは、

時間なのかも知れない。

要するに、

もう一度、やり直したいだけなんだ」

友人はためらった後、

そうした仕事に就くには、

まず学歴もないとな、とも話してくれた。

悟の最も嫌いな学歴という経歴が、

やはり現実の世界では、依然幅を利かせていた。

そして友人はモラトリアムという言葉の意味を、

悟に教えた。

大学の願書も偏差値も赤本も、

そして中学からの勉強のやり直しが最も有効だということも、

その友人が教えてくれた。

秋の気配が広がる頃、

悟は家に籠もって勉強を開始した。

両親は悟の行動を訝しがったが、

特に触れることもせず、

生活費をよこせとだけ、小言を繰り返した。

試験は翌年の2月14日。

友人もときどき徹夜で応援してくれた。

正月の元旦を除いて、

悟は受験勉強に集中した。

1974年の春、

とりあえず悟は自らの人生を再起動させた。

クルマの借金返済と生活費に学費か…

先に何が待っているかはよく分からないが、

悟は、なにより執行猶予期間を手に入れた。

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フリー入門

広告関係に関してだが、

フリーになる人、またなりたい人というのは、

どんな方々なのか?

私もフリーを経験したひとりだ。

幾つかの会社を渡り歩き、

まず友人と会社を始めたが、

あえなく空中分解。

で、もう会社には戻りたくないので、

フリーになった訳。

そもそもクリエーターというのは、

ほぼみんなワガママなので、

組織づくりが難しいともいわれている。

よってムカシも現在もフリーは多い。

フリーは、

何はともあれ一国一城の主であるので、

文字通り自由である。

しかし、同時に責任もすべて本人に帰結する。

ここを覚悟する必要がある。

そして生活していけるか否か、

ここが大問題である訳だ。

経済的結果は誰のせいでもない。

すべて自分のやり方次第で決まる。

これを面白いと感じるか否か?

フリーに向いている人は、

この辺りがポイントだろう。

フリーはなにより、

経済的にも社会的にも不安定である。

これをどう捉えるかが、

大きな分岐点なのである。

また、

自分の仕事は自分で完結したい、

会社に属してチマチマとした人間関係のなかで、

特につまらない上司の下らない命令に従うのはご免、

自分のスキルで勝負したい…

幾つかのハードルを飛び越え、

こうした自我の強い人間が辿り着くのが、

フリーという社会的立場なのだろう。

しかし、フリーでも、

片手間でやっている人、

例えば同居人等が生活費を稼いでくれるとか、

前もって収入のメドをつけて独立するのは、

フリーとして、結構ラクではある。

そこに経済的不安定さがなければ…

恐いのは、

たいしてお客さんのメドもないまま、

エイッと独立する人間が、

実際にいるということである。

これは無謀と言わざるを得ない。

私自身が経験済なので、

身をもって分かっている。

かなりの地獄をみさせてもらった 笑

そしてその記念に、

相当の借金をさせてもらった。

また、

一部、サラリーマンみたいなフリーを、

私は数人知っているが、

あれはなんというか、

面白くもなんともない。

○○株式会社専属みたいな。

社外社員のようなもので、

単なる受注したものをこなすのみとなると、

技術的にみても、たいした向上も見込めない。

こうしたルーティンワークは、

フリーのクリエーターにとっては、

安定という甘い条件と引き換えに、

なにかとんでもないものを失ってしまうからである。

フリーは、なにしろ旅人のように構えるのがよろしいと、

最近になって思うようになった。

しかし、フリーというネーミングとは裏腹に、

フリーはフリーではなく、

忙しくなれば、ほぼ休みがない。

だから、長期の旅行となると、

予定も予約も取りづらく、

なかなか難しいのである。

そして皆が、

旅先に仕事を持って行く、

というあたりがが面白い。

良い意味で、

仕事と私生活を公私混同できない人間は、

フリーになれない。

表現を変えるなら、

フリーは毎日が休みであり、

24時間片時も仕事を忘れない、

そんな感じだ。

フリーとは名ばかりで、

自由とは程遠い責任と不安を抱え、

生活を確立しなければならないのもまた、

フリーなのである。

以上がフリーの醍醐味?なのだが、

冷静に考えるに、

フリーに良い点がないようにも思える。

思えば、フリーとは、

生き方として、経済的冒険者、

なのかも知れない。

組織名、肩書きは不要。

しかし、スキルを積めば、

実績を積めばなんとかなる、

かも知れない。

なにもない草原、

行き先の分からない地図に、

新しい道をつくるのが、

フリーの生き方のようにも思えるし…

精神的、経済的に幾つもの関門をクリアし、

なおかつ自分らしさを貫くことはかなり難しい。

しかし、フリーとして一人前になった者のみに、

神さまは微笑んでくれるように思う。

まあ、仕事だからいろいろしがらみはあるが、

それでも紐付きの自由を手に入れることができる訳ではある。

アーティストはもっと自由ではあるが、

そこには更に恐ろしい何かが待ち構えていると聞いている。

そこそこの自由こそフリーの特権。

この辺りは、鼓舞すべき要と思う。

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空をあげよう

この絵の真ん中に

一本道があるだろ

その遙か先に

実は

薄く水色にのびる地平線があってね

その上に大きく広がっているのが

僕の空なんだ

想像してくれないか

だって僕には描けないから

空って

泣いて笑って

怒ったりね

ホント忙しい

あの丘から

いつも空を眺めていると

ああ

僕の心と同じだって

空は気まぐれで

面倒だ

ときに心変わりだってする

でも

空ってね

おひさまも

おつきさまも

星もあるだろ

どんな人だって輝くものを

きっと幾つももっていて

それと同じなんだと

そして空はね

宇宙へと続く

僕には到底描けないけれど

そんな僕の空を

受け取ってくれないか

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テネシーワルツ

最近、テネシーワルツをよく聴きます。

なんというか、じんとくる。

私の幼い頃、

江利チエミさんがよく歌っていたのを記憶していますが、

あの頃はなんとも思わなかった。

ただ、のんびりした曲だなぁと。

柳ジョージさんが亡くなられ、

彼のテネシーワルツを聴いたのがきっかけですが、

パティ・ペイジが歌うのを聴いて、

更に感動。

その意味が知りたくなりました。

テネシーワルツの歌詞を、ざっと書いてみます。

私の愛する彼と、テネシーワルツを踊っていたのよ。

そこで古い友人とバッタリと会い、彼にその友人を紹介した。

彼がその友人と踊ることになり、

そして友人は彼を、私から奪っていったの。

あの夜の出来事とテネシーワルツの調べを、

私はいまでも決して忘れない。

私の失ったものが如何に大きかったか、

いまになって、痛みと共に心に沁みるわ。

そうなの、私はあの夜、とても大切な彼を失った。

二人が、

テネシーワルツの素敵なメロディーに合わせて踊っていた、

あの夜にね。

歌詞を知るに至り、

結構ヘビーな内容なんだなと…

が、よくよく思うに、そんな男って

同性からみても怪しいと言わざるを得ない訳で、

「彼」を想い続ける主人公の純情さに、

更に悲しみが増す、という具合。

この曲の良さって、

メロディーの美しさに加え、

やはり歌詞の意味を知るほどに、

改めて更に深く好きになります。

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