幻想キャンプ

アコースティックな弦の音が

朝もやの霧に乗って

山あいの湖畔にひろがり

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僕は心底から深呼吸をし

椅子に座りながら

目の前に寄せるさざ波を

ずっとみつめていた

前夜は満月

木々の間からこぼれるように

覗き込むような光りを放ち

僕らの話に聞き入っていたようだが

その中身のなさに

呆れただろうか

そんな時間が珠玉で

晩夏の水を撫でる風は

テーブルあたりの熱気を程よく冷やしてくれた

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その夜は簡易ベッドにもかかわらず

とてもよく眠れたのだ

あんな悲劇から半年余り

何をできるものでなく

何をしたら良いのかもみえないまま

不安な日々が続き

耐えられない話をいくつも聞き

こたえもみつからず

先の見えないまま

それでも日々は続いていた

そこそこ日常を取り戻しても

時折ヒリヒリとする何かが

僕を周りを取り巻いていて

それは耐えられない毎日だったように思う

対岸の霧が

やがて一塊の雲のように

ふわっと流れてゆく

視界はすっと遠くまで見渡せるようになり

腹に光を受けた山体は

赤々と輝いて

大きな空のもと

堂々と浮かび上がるのだった

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根気

コツコツと…

それが生きてゆくということ

勇気

これからの時代に欠かせない

これまで以上に必要なこと

希望

生きてゆく糧であることに

改めて気づかされる

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湖畔にはもう

アコースティックな弦の音は

消えていた

僕は

ありきたりなことばのフレーズを

今更ながらかみしめた

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一枚の絵

遠くにポカンと浮かぶ雲を

思いつきでふたつほど描き

手前の海岸線に人影をひとり

白い砂浜が広がり

その向こうの青い海を描くため

水平線をペンで引く

空もやはり青がいい

青い海と空

水平線を境に

上と下の絵ノ具の色に迷い

どこまでも似た色のような気がしたので

同じ色を選んで筆を運ぶと

海は主張し空も主張するので

僕は次第に水平線をあきらめて

思うがままに描く

できあがった絵は

人影に雲がふたつポカンと

後は一面の青い世界に仕上がった

遠近法も何もない描き方だったので

不思議な青い絵ができあがっただけで

一見とても下手なつまらない絵だった

思えば

僕は海も空も大好きなモチーフなので

どちらも同等に考え

想い

同じ素敵なカラーを選んだに過ぎない

海も空も

僕のなかでは同じように青く

それは命のように尊い青だった

そこに嘘はなく

人影は僕で

雲は過ぎ去った僕の想い出

そう言いたかっただけなのだ

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断酒とチョコレート

アルコール類をやめて、なんだかんだ10年以上になる。

最近は、なめる程度だが、

再びアルコールに興味をもつようになった。

不思議なのは、舌が酒の味を覚えているということ。

顕著なのは日本酒で、ひとくちで「あぁ、この味ね」と、

飲んでいた頃のことまで思い出せる。

アルコールをやめた訳は面倒なので割愛するが、

アル中になったとか飲酒運転で捕まったとか、

そんな物騒な理由ではない。

以来、飲み屋へでかけることも激減し、

ヤバイ場所へも行かなくなった。

付き合い程度だけとなったが、

そうした席でも、ノンアルコールの飲み物しか飲めなくなってしまった。

相手に飲めない、というとまず返ってくる言葉が

「ウソだろ!」だ。

が、本当に飲めない、飲みたくないのだから、

仕方がない。

酒は飲んでいないとメッキリ弱くなるものらしい。

一時は蔵元まで酒を買いに行ったりしていたのだから、

いま思えば不思議だ。

で、アルコールをやめると、

なぜか甘いものに手を出すようになる。

若い頃から甘いものは一切口にしなかった質なのだが、

アイスクリーム、チョコレート、ケーキなど、

節操なく食すようになった。

甘いものは、よく健康を害すと言われている。

そしてよく太る。

これは間違いない。

いまだチョコレートが切らせない私は、

太るだけでなく、

いい年をして、虫歯の治療に通うようになった。

結果、現在の私は、

チョコにやたら詳しい人間である。

当初は森永とか明治、ロッテの安いものばかり摂取していたが、

あるときから、これらのチョコはカカオの含有量が少ないことが、

カラダで分かるようになった。

同時に香料とか混ぜ物が気になってきた。

こうなると、高級品に手を出すようになる。

先のメーカーの上級品、ロイズ、ハワイ産、

スイスのチョコレート、

果てはベルギーのものまで取り寄せ、

いろいろ食い散らかしてみた。

結局、現在では味も価格的にもほどほどのものだが、

そろそろやめようと思っている。

酒代は浮いたが、チョコの代償は高く付く。

歯医者の治療費、

そして、痩せなきゃという強迫観念。

が、おいしいので、やめられない止まらない!

脳が疲れると、どうしても甘いものを欲す。

冷蔵庫を開け、摂取してしまうのだ。

血糖値も急に上がるので、健康上も良くない。

ターミネーターは強くそして再び蘇るが、

私は現在、チョコレーターである。

チョコレーターは、不健康に太るだけである。

蘇りはしないし。

そこで全然甘くないチョコに挑戦したが、

これがまずいんだなぁ。

ほとほと参った。

いま、再びアルコールに戻ろうか、

真剣に検討している最中である。

チョコレーターを続ける代償が、

余りに重いんでね。

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飯リテラシーを上げろ!

いきなりリテラシーなんていうと、

IT系とか情報に関するアレコレを思い浮かべるが、

ちょっと趣が違う。

飯である。

リテラシーという語は、

最近になって頻繁に使われてる。

元々は識字とかそんな意味だったようだが、

ジャパニーズイングリッシュにより、

「何らかの表現されたものを適切に理解・解釈・分析・記述し、改めて表現する」

という意味に使われている言葉である。(ウィキペディアより)

で、飯をつくるというテクニックも、

リテラシーという括りで捉えてみた。

この飯をなんとかするリテラシーが、

かなり低い私に、

先日、奥さんがこんなことを言った。

「私に何かあったら、

あなた食べるもの、何かつくれる?」

「ううん、駄目かな…」

「でしょ!、

少しつくる習慣をつけた方がいいわよ」

納得!

思えば、最近の自分は何もつくれない。

ウチの息子は、スパゲッティーくらい茹でている。

いや、中華鍋を振っている、という噂もある。

私はというと、即席ラーメンはつくれるが、

スパゲティの茹で方はおぼつかない。

茹で時間とか量がよく分からないのだ。

こんな私でも、

料理人をめざしていた時期があった。

小さな店の厨房に入り、

材料の買い出しから仕込み、

簡単な調理などもこなし、

店を仕切っていた時期もあったのだ。

思い出したが、

あの頃は魚も三枚に卸せたし、

イカもキレイにこわせたのだが…

そういえば、

私は調理師の免許を持っていたのた。

あれから、ん十年、
(きみまろ風に)

私の飯リテラシーは極度に衰えていた。

つい数年前まではやたらに早起きだったので、

せっせと凝った味噌汁ばかりつくっていた時期もあったが、

現在はなんというか、

起きてダランとしているだけ。

キャンプなどへ行っても、

私のアウトドア仲間は調理意欲が極度に低いので、

行きがけのコンビニで、

おにぎりやフライドチキンなどを買い込んで済ましてしまう。

しかし、焚き火とか火起こしリテラシーは高いのだがね。

思えば、料理はクリエィティブな作業である。

冷蔵庫をおもむろに開け、

すばやく目配りをして素材をチェックし、

瞬時にメニューを考える、という早業が要求されるのだ。

私はそもそも冷蔵庫とかに興味がないので、

あまり開けない。

用があって開けることはあるが、

何が入っていたのか、ほぼ覚えていない。

冷凍庫に至っては、

冷気の中に固まっているものに、

そもそも興味も出ない。

よってどこに何があるのか、

まずそのことがよく分からないのだ。

アタマに叩き込んであるのは、

床下収納庫に即席ラーメンとカップラーメンがあるということ。

あとは、ストッカーにレトルトカレーが時たまある。

必要時のみこれらを眺める訳。

しかし、いまどきの男たるもの、

これではイケナイ。

己に強い反省を促してる次第。

できれば、タケノコの酢味噌和えとか、

海の幸の三杯酢のひたしとか、

パルマ産ハムと本場フランスから取り寄せたトリュフをあしらったサラダとか、

手づくりの地中海ヨーグルトをまぶした国産第5等級の仔牛ステーキ、

こんな料理づくりをめざしたい。

切磋琢磨、精進しよう。

そのため、

まずは白米を炊くことからと思いついたが、

炊飯器の使い方さえ分からない己に、

改めて気づいた次第。

我ながら唖然とするね。

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メディアななめ切り

●ケミカルの方が危ないぞ!

あなたのまわりにはバイ菌がいっぱい、

などと脅かすテレビコマーシャルに、

最近は憤慨している。

薄汚いぞと言わんばかりのイラストなどで、

風呂もまな板もバイ菌だらけですよ、

清潔にしましょう、

コレを買いましょうなどと。

これではもはや宣伝ではなく、恐喝である。

そもそも卑怯。

同じような仕事をしている人間として、

ホント、許せないな!

●元時代の寵児

ワタミの元社長とか日本マクドナルドの元社長とかって、

一時は時代の寵児のように扱われていたよね。

私は、この方達、

かねがね怪しいと思っていたが、

やはり露呈しました。

どちらも売上げがガタ落ちどころではなく、

かなりの危険水域だという。

企業そのものがブラックとか、

そんなことの信憑性を私が知る由もないが、

直感として、

私はこういう奴等がキライでなので。

●確立に関する感覚

大地震のくる確立というのが発表され、

私はいま、その捉え方に戸惑っている。

関東地方、特に南関東においては、

この先30年以内に30㌫以上の確立で来る、

ということなんですが、

この数字ってどう体感したら良いのか、

それがまるで分からない訳。

30年後に私はとうに死んでいるだろうし、

その確立のほうが遙かに高いので、

安心?!

若い人に、この数字に対する感想をぜひ聞いてみたい。

●バカな太郎

三太郎っていうんですか?

桃太郎、浦島太郎、金太郎が出てきて、

皆揃ってみんなバカっぽく話しているCM。

いまどきの若者を演じているのだろうか?

先日、話している内容をよくよく聞いてみたが、

やはりバカだった。

若者よ、こうした人を小馬鹿にしたようなものって、

しっかり怒ったほうがいいよ!

がしかし、

CM好感度が高いというデータを見て唖然とした。

時代の肝っていうんですか、

私もそれが掴めなくなったので、

そろそろ、この仕事辞めようかなって思いましたね。

●ヒロミ郷の若さ

郷ひろみってほぼ私と同じ年なのだが、

さすが芸能人っていうか、

若いし、腹も出ていないしね、動きも機敏。

アレはアレでヒロミ、大変だろうなぁ…

毎日、半端なく鍛えているだろうし、

食事制限とかも相当ストイックにやらないと、

あんな若さと体力を保つことはできない。

が、テレビを観ていて思ったのだが、

この人の立ち位置って、

いまでも果たしてカッコイイのかってこと。

なんだか、司会の人もまわりも笑っているし、

本人もその辺りを分かっているフシがあるなぁ。

スター錦野の前例もあることだし、

早く70歳のヒロミ郷を見てみたい!

この話を扱ったのは、

実は己の老化が発端なんだけどね!

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人生という名の契約

フリーとか自営業者、

中小の会社経営者というのは、

長患いをしてはいけない。

なぜなら、早々に喰っていけなくなるからである。

資産を蓄えている、

多額の保険に入っている人は別であるが…

永年、病欠をしたことがないのが自慢であった。

それが2年前に患い、あえなくダウン。

経済的には、なんとか乗り切ったが、

短期間ではあるが、

生活をしていく上での不具合を少々体験した。

特に車椅子に乗って分かったのは、

この国は道路や建物は弱者にはやさしくはない、

ということ。

なにより健康なのが一番だが、

個人的な感想としては複雑で、

多様な人の位置を知る上で、

学ばせてもらったというほうが正しい。

更に本音を言えば、傲慢だった己の反省だ。

そして、その件から遡ること数年、

身内や友人を送り出した頃から、

改めて死という、

その不可思議を深く考えるに至った。

幾ら想いを巡らしても、

この得体の知れないぼんやりとしたものへの不安は、

そもそも幼い頃から取り憑いていた。

最も、20代は仕事や恋愛にもがいていたので、

生きてゆく辛さが身に堪える時期ではあった。

ここで一端、死への不安から解放されるが、

換わりに、生きてゆく或る違和感、

というものを知ることとなる。

それは感覚というか、

価値観のようでもあり、

突き詰めるほどに未だに分からないのだが、

人とズレているという実感。

群衆のなかの孤独、

たった独りという意識の芽生え、

こういうものに気づいたのも、この頃だ。

やがて世間並みに家族というものができ、

孤独感から解放されたのは良いが、

子供が育ってゆく様をみて、

なにがしかの重圧が、

どっと躰を覆っていたのも事実だ。

それは単純に金があれば解決するというものでもなく、

しかし金がなければおぼつかないのは確かで、

馬車馬のように働くのだが、

むなしさなどというものを感じているほど、

暇ではなかった。

そして、

人生も後半にさしかかる頃に、

ひと息ついていたら患った。

いや、自ら求めて患った、

という表現が正しいのかも知れないと、

最近になって思うようになった。

それは、死への不安が、

再び頭をもたげたからに違いない。

かように、生きるとは疲れる。

気がつくと、

行く先には「死」がぱっくりと口を広げ、

にやにやと舌舐めづりしているではないか。

ああ、また死という不可思議である。

やはり、幾ら想いを巡らしても、

この得体の知れないぼんやりとしたものへの不安は、

全く拭えないことを理解する。

そこで、

或る日、私は意図的に

夢をみることにした。

その夢は、

私がこの世に飛び出すとき、

或る契約書を差し出され、

それに夢中でサインをした、という代物。

そのとき、契約書を差し出したのがまた、

摩訶不思議な相手であった。

あの閻魔大王によく似ていたのだから…

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半日で会社をクビになる。

前項に続き、会社を辞めたシリーズ。

いや、今度は辞めさせられたケース、なんですがね。

若い頃はなかなか職場が安定せず、

ふらふらしていた時期がありまして、

短期間に数社を渡り歩きました。

まあ、今回の会社の話も応募者多数だったのですが、

一応、試験をくぐり抜けて入社できたのですが。

出社初日に合格証みたいな紙切れをいただきまして、

ありがとうございますと、まずはおめでたい朝でした。

で、この会社は一般広告だけでなく、

就職関係の雑誌の巻頭カラーページを請け負っていたりと、

煩雑な会社でして、

その雑誌の巻頭には著名な会社がズラリと並んでおり、

我が社はこんなにすげぇ会社なんです、

あなたの夢が叶いますよ、

福利厚生に手厚いんです、

などと美辞麗句が面々と綴られる訳なんですが、

どうもハッキリいってウソ臭いんですね。

そのなかで内情を知っている会社も幾つかありまして、

これから私は毎日毎日ウソコピーを書くハズでした。

ちょっと嫌ですが、

私にはズシンとくる生活というものがありまして、

キレイ事はいってられない事情があった訳で。

東京のマンションの家賃は高いです。

子供が産まれそう~

いろいろな悩みを抱えていまして、

なにはともあれ頑張ろうと意気込んでいた私なのですが、

直属の部長というお方がお得意様のところへ出かける前に、

私にひとつ、その就職関係の雑誌の巻頭コピーを書いておいてくれと、

用を頼んで出かけたのですが…

で、ここからが苦痛となりました。

資料を片手に良いものを書こうと頑張るのですが、

初めて担当した会社がですね、

たまたま良くない噂をかねてから聞いておりまして、

それがどうも上手く払拭できない。

格好良く書こうと思えば思うほど、

冷や汗が噴き出すんですね。

もう格闘です。

確か、部長は昼前に帰ってくるので、

すぐ原稿をチェックするぞと、確かに言い残して出かけました。

こうなると強烈なプレッシャーに弾みがつき、

いよいよ書けない。

しかし、そこはプロとしてですね、

時間ギリギリにとにかく体裁を整え、

キッチリ仕上げたのであります。

が、読み返してみると、

まるで自分のことばになっていない。

結果、空々しい単語の羅列となってしまい、

どうも自分が書いたものとは思えない、

白々しい作文ができあがった次第です。

予定どおり、

サッサと帰ってきた部長が私の原稿に目を通すと、

不機嫌な顔をしたまま、

いきなり部屋を出てどこかへ行ってしまいました。

そして、昼休みに社長室に呼ばれた私は、

問答無用に「辞めてくれないか」と促され、

怒る気もなく、なんだかほホッとして、

その目黒駅近くのキッタナイビルを後にしました。

クビではありますが、

その開放感というのが嬉しくて嬉しくて、

権之助坂商店街で旨いラーメンを食したのを、

いまも鮮明に覚えているのです。

まあ、

あまり自分に無理をかける仕事はイケマセンよ、

ということでしょうか?

この出来事は、後の良い教訓となったのでありますが、

いま思い返しても自虐的に笑えます。

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半日で会社を辞める。

4月になると、新社会人とおぼしき、

初々しい姿を街で見かけるにつけ、

どうしても思い出してしまうことがあります。

或る会社にやっとこさ、入社できたときのこと。

私の場合は中途入社、転職、

それもムカシの話ですがね。

が、気持ちだけは初々しかったと記憶しています。

西麻布のとある広告会社でした。

で、初出社した朝にマイ机をいただき、

なんでかじっとしている訳です。

やることがあるようなないような、

私も廻りもちょっとした緊張感がありましたね。

しょうがないので、

社内の先輩方の仕事ぶりとか、

壁に貼ってある制作済みのポスターなんかを眺め、

まあ、ヒマでそろそろうんざりしてきまして、

午前11時を過ぎたあたりから、

なんだかクソ面白くもねぇーと

内なる私が呟く訳です。

コピーライターとかデザイナーとかディレクターとか、

そうだ、この会社では或る業界の月刊誌も出していまして、

編集の人間も混じってウロウロしている。

要するにみんな忙しいんですね。

で、「私」という即戦力?を使えば良いのに、

そういうことを考える余裕さえないような、

つまらない職場のように思えましてね。

とにかく各自が仕事に没頭しているのか知らんが、

対照的に私は超ヒマでして、

ざっとこれから毎日ここで働いている自分というものに

想いを巡らすのですが、

どうも笑顔のオレさまがいなのであります。

昼になって、朝一で紹介されたなんとかという先輩上司が、

笑顔で私に近づいてきて「メシ、行こう!」っていうのですね。

「ハイ!」

とりあえず良い返事。

(腹減った~)

都会の雑踏のざわついた部屋の片隅で、

寡黙な私は、数時間ぶりに声を発したのです。

その瞬間、天から声が降りて参りまして、

「辞めちまえよ」ってささやくんですね。

ホントは天ではなく、

私の直感のような内なる声なのでありますが、

まあ、そんなことはどうでもいい。

先輩と私と数人が連れ立って、

夜は酒を出しているとおぼしきスナックのような店で焼き肉定食を喰いまして、

帰りに用があると言い残し、

みんなと別れてそのまま日比谷線に乗り、

恵比寿で山の手に乗り換え、

目黒で目蒲線(現在は目黒線)に乗って、

外をぼぉーっと眺めておりました。

その頃、妻がつわりで大岡山の病院に入院していまして、

真っ直ぐ行こうかなとも思いましたが、

心配させるのもなんなので、

大井町線で自由が丘へ出まして、

くたびれた映画館で「パンツの穴」という映画を眺めていたのですが、

さすがにこれはまずいなと思い、

さきほどの西麻布の会社へ電話を入れ、

正式に辞めさせていただきますと…

で、そのまま妻の病院へ行きまして、

「パンツの穴」の話をざっと致しまして、

ついでに会社辞めましたと正直に話しまして、

ゲラゲラ笑っていたのを覚えています。

こうした勝手な決断の反動は、

後々の我が家の経済に大きく響くことになるのですが、

思うにいま同じ境遇にあっても、

私はやはり同様の判断をするのだろうと…

「三つ子の魂百まで」

諺ってホント、

真実を語るなぁ。

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昨晩は 満月、月食、夜桜でした。

昨晩は、

頭痛を抱えて桜を見に出かける。

皆既月食の夜らしく、桜の写真も妖しく撮れる。

妖しく、というより下手。

FullSizeRender

皆既月食は不吉だ。

不吉だろうと勝手に思っている。

太陽、地球、月が一直線に並ぶと聞いただけでも、

訳もなく不吉だ。

こういう日は、なんだか憂鬱。

だから頭痛なのだ。

春は、寒暖の差も激しいから、よく不調をきたすのか。

万物が芽吹く季節なので、そちらが原因なのかとも思うがね。

にしても、満月って何かと障るのである。

そんな感情を抱きながら

はらはらと散る夜の桜の花びらを見るにつけ、

「人生ははかないなぁ」

などとため息を吐くのだが、

翌日目が醒めるとそんなことはすっかり忘れて、

「さて!」とメシをかき込む。

でないとやってられない、というのが、

目下の私の信念ではある。

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速いクルマに乗ろうと思う。

だいぶ年を喰ったなぁというのが、

この頃の実感。

それは、ぼんやりとだが、

身近に死というものを意識するようになったからなのかも知れない。

しかしだ、

また速いクルマに乗ろうかと、

最近、再び思い始めている訳。

速いクルマといったって、

矢のような早さを求めているのではない。

スポーツカーのようなあの流線型に乗りたいとも思わないし。

カタチは、やはりセダンがいい。

求めているのは、最高速度や高速巡航速度ではない。

いわば加速感。

胸の透くような伸びで、すっと心が軽くなるような…

最近突然そう思い始めた。

ジジィが大型車とかスポーツカーにふんぞり返ってゆったり走る、

思えばこんなのは、かなりつまらない。

ステレオタイプのドライビングスタイルである。

クルマ選びにしても、

速そうで速いクルマっていうのは、カッコ悪い。

速そうで遅いクルマは、更にカッコ悪い。

遅そうで遅いクルマは、そのままで良いが…

普通のナリをしたクルマが突然他を圧倒して、

瞬く間に遠くに消え去ってゆく。

私はそんなクルマがカッコイイと思っている。

かつての栄光もなく、

いまじゃその名も忘れられたクルマの中に、

そんな私のめざす名車が眠っている。

去年、修復不能で泣く泣く手放したクルマが、

そのような1台だったように思う。

VW社のBORA。

このクルマはほとんどの人が知らないか、

または耳にしてもすぐに忘れられてしまうような存在。

車体は小さく、そこそこ軽い。

が、2.3リッター、5気筒のエンジンを搭載し、

足回りは少し柔で不安だったが、

箱根ターンパイクの急な勾配を難なく加速し、

息継ぎすることなく滑らかにグイグイと上る。

パワーウェイトレシオが高く、

5気筒のバラツキ感がまた独特の音を奏でる。

それは全くストレスを感じさせず、

初夏の箱根の爽やかさをより際立たせてくれた。

みてくれは、

トヨタカローラにどことなく似ていたのだから、

ちょっと冴えないし、外観から伺うに全然速そうじやない所もまた、

魅力のひとつだった。

しかし面構えだけは良かった。

また、夜間になると260Km/hまで刻んであるメーターが、

赤く妖しく浮かび上がるから、最初は驚く。

コックピットの些細な演出のみが、

このクルマが実はGTカーであることを、

控えめに誇示していた。

私が考えるに、

名車とは、思わぬ加速で気持ちのズレを修正してくれる

とでも言おうか。

または、相手に瞬時のうちに想いを届けてくれそうな美しさ。

いわば、老いをカバーするように、

若気の勢いを深く宿しているクルマが良いと。

さて、

―こんなクルマをまた手に入れ、

仕事を放っぽり出して、

カミさんと日本一周の旅にでかける―

そんな妄想を最近また抱き始めている。

ムカシのように、

何処へ行くかは気分次第なので、

あらかじめの宿は決めない。

そしてナビは使わない訳だ。

換わりに最新の地図帳を持って行く。

それをいちいち丹念に見たいので、

その時間だけ手間どるが…

そしてLEEのGジャンを後部座席に放り投げておく。

そうだ、ビーチサンダルも積んでおこう!

うん、これじゃ若い頃となにひとつ変わらないじゃないか?

いや、

ホントは、なにひとつ変わりたくないんだと、

最近になって気がついた。

年をとったって、なにひとつ…

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