検索からみる、コピーライターという職業

私はコピーライターなので、

たまにヤフーなどで「コピーライター」で調べてみる。

と、面白いことが分かる。

私の場合は、このキーワードで検索順位を上げようと努力していないので、

頑張っている人や企業に較べ、断然下の順位をウロウロしている。

で、検索の上位は、コピーライターの就職関係が飛び抜けて多い。

これらはだいたい大型サイトなので、SEOも強力です。

あとは、

コピーライターになるための講座や教室のサイトが上位にくる。

検索の上や横のリィスティング広告を眺めても、

ほぼこれらの企業が占めている。

さて、この状態が何を意味するかだが、

私が考えるに、仕事が欲しいからといって、

コピーライターが、

単体のキーワードで対策を施したところで、

無意味ということ。

何故なら、まず上位の大型サイトには勝てない。

そして、仮に上位に来たところで、

検索してきた人とは、マッチングしないということが考えられる。

要は、コピーライターというキーワードで調べる人は、

おおかた就職とか転職とかを考えている同業種の人が多い。

更に、これからコピーライターをめざし、

講座や教室を探している学生も多いと想像できます。

じゃあ、

コピーライターって仕事はどうやって成り立っているのか?

逆にいえば、どうすればネット上で営業するのかだが、

まず、念頭に置く必要があるのは、

素人さんがホームページなりパンフレットを制作したいとき、

まずコピーライターという単語は発想しないだろう、ということ。

卑下する訳ではないが、コピーライターという職業は、

現在、それほど一般化していません。

例えば、仮にですね、あなたが家を建てるとします。

このとき、ハウスメーカーや工務店、注文住宅 地域名などで、

かなりチェックするとは思いますが、

屋根職人とか壁工事とかでは探さないでしょう?

きっとコピーライターという職業も、

屋根職人や壁の工事をする人と同じような位置でみられている…

私はそのように思うのです。

パンフレット作成とかホームページ制作とか、

もう少し具体的に入れますね。

では? 

そうです。

コピーライターで仕事の匂いのする検索者は、実は同業者なのです。

それが、広告会社であったりコピーライターのいないプロダクションであったり、

それはともかく、いわゆるBtoBが圧倒的に多い。

要は、外注を探しているのですね。

めざすターゲットは、業界内ということがいえるのです。

前述のように、BtoCは、圧倒的に少ないと思われます。

では、BtoB向けにどのようなキーワード選定が最適かというと、

そこが難しいところというか考えどころでありまして、

複合、補足でいろいろ試して調査します。

ここまで話をすすめれば、後はだいたい想像できるとは思うのですが、

私たちの仕事は、一時より一般化していない、

また、広告を担う総力の一端を担当する職種。

そのように思われているようです。

しかし、現場ではかなりの負担と責任を任されている訳で、

その守備範囲は広い。

或る意味、報われない仕事といっても過言ではありません。

先方との折衝、コンセプトの構築、全体のデザインイメージ、

そしてコトバに求められる求心力…

私たちの仕事が、今後どのようにしたら理解されるのか?

どうしたら報われるのか?

それは、

とびっきりのキーワードを探し出すのと同じように、

難問かも知れませんが…

湘南・海辺のホテル

湘南ホテル

以前、鵠沼海岸沿いに湘南ホテルというのがあった。

新しくはないが、結構、建物が洒落ていたので、

私はかなり気に入っていた。

外観は洋風で、重厚。

しかし、威圧感のようなものがない。

薄い緑色の外観が美しかった。

窓からは、国道134号線を隔てて、海が見える。

静かな夏の早朝には、波の音も聞こえた。

小振りだが室内プールもあって、

真夏のカラダを冷やすのに最適だった。

実は、

この海岸沿いの道を学生時代からずっと通っていて、

ホテルの存在を、私は全く知らなかった。

中年になってふとしたきっかけで知ったのだが、

そのときはすでに閉館が決まっていた。

そこそこ繁盛していたように思うが、

このホテルは個人オーナーのものだったので、

閉鎖は、相続の問題も絡んでいたらしい。

とても残念だった。

現在、この跡地に瀟洒なマンションが並らぶ。

時折、前を通ると、

あの夏の日の、家族の笑顔が浮かぶ。

なぎさホテル

逗子のなぎさホテルの外観は小振りで、

見るからに古い洋館の造りだった。

海沿いを走っていると、こんもりとした緑の中に

ポツネンと佇んでいる。

若いひとから見ると、単なる古い洋館だ。

一見、時代に取り残されたように建っている。

しかし、一端中へ入ると、

黒光りする柱や漆喰の美しい壁が、訪れたひとを魅了する。

私はここを、自ら取材と称して選んで泊まったが、

ホテルのスタッフの方々の対応も、そして食事も、

とても満足のゆくものだった。

もうだいぶ前に取り壊されたが、

作家の伊集院静さんが若い頃、

このホテルの居候をしたことがあるという。

そして後年、「なぎさホテル」という本を出版している。

彼にして、それほど思い出深く、

居候になるほど癒やされる、

素敵なホテルだったのだろう。

ホテルパシィフィック

ホテルパシィフィックは、

茅ヶ崎の海沿いに忽然と姿を現すホテルだった。

古いホテルにしてはタワー型で、

当時としては画期的な建築物だったように思う。

このホテルを知ったのは学生時代で、

波乗りのポイントが近所だったことから知った。

高級ホテルだったので、

私は最上階の喫茶しか利用したことはないが、

ここからは、湘南の海が一望できた。

海を見下ろすという感覚は、ここが初めてだったように思う。

一時、あの加山雄三さんのもちものであったし、

また、サザンの桑田さんも歌っているように、

皆に思い出深い、存在感のあるホテルだった。

湘南から姿を消した名ホテルは、

ときを経て、私のなかでより美しさを増す。

現存しているホテルでいまでも気になるのは、

大磯プリンスホテルと鎌倉プリンスホテルだ。

大磯プリンスホテルはクラシックホテルになれず、

ただ建物ばかりが古びている。

まわりにこれといった観光地もない。

しかし、広い敷地がとても贅沢に使われていて、

空と海の広がりを堪能できる。

ここからの海の眺めは、湘南随一。

ホテルの前の西湘バイパスがなければ、

とても静かなのだが…

しかし、希有の景勝地に変わりない。

鎌倉プリンスホテルは、

七里ヶ浜の丘の上の高級住宅地に建っている。

プリンス系列のホテルにしては、こじんまりしている。

プリンスホテルは、どこも高台が好きなようで、

いまはもうない横浜の磯子プリンスホテルも、

横浜の海を見下ろす高台にあった。

鎌倉プリンスは、各部屋がビラのように、

丘の上に長く延びる3階建て。

正面の部屋は、海を真向かいに見て、

他は江ノ島方向を向いている。

どの部屋もハズレがなく、

山側という部屋がないので、たいした格差がないのが良い。

最近、ホテルをまるごとリニューアルして、

全室禁煙にしたので、もう私は行かないが、

あのホテルはなんというか、

隠れ家のような魅力がある。

海辺に建つホテルはどれも美しく、

私の湘南の思い出は、

海沿いの134号線を走る度、

それは潮の薫りに乗って浮かんではまた消えてしまう、

蜃気楼のようなものである。

愛しのビートル

大学時代、よく国道一号線を走った。

横浜の鶴見に友人がいたので、

そいつと遊ぶためにせっせと通った道だ。

あるとき一号線を走っていて、

視界のなかに中古屋が見えた。

いままで気がつかなかった店だ。

いつもの癖で、展示されているクルマをチェックすると、

気になるクルマが私を呼んでいる。

で、Uターンして、初めてその中古屋に顔を出した。

フロントフェイスの艶が良い、

そいつは、1303Sという型のフォルクスワーゲン・ビートルだった。

車体は綺麗なオレンジ色で、かなり珍しい。

窓から中を覗くと、メーター類のシンプルさに好感がもてた。

いいなぁ…

一目で気に入ってしまった。

街で理想の女の子にでくわした、そんな感じだ。

ワクワクする気持ちを抑えて、その日はその場を去り、

友人の家へ行く。

そいつにビートルの話をすると、

「ガイシャだろ、やめといた方がいいよ」

と軽くいなされる。

次の日も、鶴見のその中古屋へ出かけた。

クルマをじっと眺めていると、店の主人らしき人が出てきて、

「昨日も来たよね」と笑いながら言った。

なんだか見透かされたようで恥ずかしかったが、

そんなことはすでに私にはどうでもよく、

クルマの前にずっと立ち尽くした。

と、そのカウボーイハットを被った髭のおっさんが、

「昨日、キミの後に一人見に来ていたよ」とのたまったのだ。

「ええっ」

いきなり気が動転した。

現実的にこのクルマを手に入れる算段など、

私は一切考えていなかった。

が、血迷った。

悔しいなぁ!

学生の私にとって、そのビートルはかなり高額だった。

たいした持ちあわせもない。

中古車の気軽なローンの類いもなかった時代だ。

こんな学生に金を貸してくれる仏さまのような人も知らないし…

泣く泣く、振り切るように私はそこから立ち去った。

しかし、国道を走りながら、激しく計算を始める。

いま乗っているクルマを下取りに出すと幾ら。

銀行に預けてある金がわずかにあるのを思い出した。

こうなると意地になってしまうのが、

私の悪い癖だ。

最近はかなりこの性格も改善されたが、

私の金欠の根本は、きっとこんな所にあるのだろう。

このビートルのため、結果、バイトも換えてしまった。

それまで働いていた、のんきで時給の安いコーヒーショップを辞め、

すべて金で動くという、あざとい人間となった。

お陰で、前借りもでき、

当時のサラリーマン並みの稼ぎを得ることもできた。

あるときは、新車の陸送マン。

あるときは、関東一円を走るトラックドライバー。

が、他の散財も重なり、

遂には学校に行くこともままならず、

横浜港での日雇いもやるハメになってしまったのだ。

ああ、俺はなんでこんなキツイ仕事をしているのかぁ。

来る日も来る日も働き詰めなのに、

どうしていつも金欠なんだろ?

ま、答えは分かっていたが…

結局、卒業までオレンジ色のビートルは手放さず、

私はこいつとの付き合いが、学生時代の最大の思い出となった。

出かけるときはいつもビートル。

こいつとは軽井沢、信州、静岡とどこへでもでかけた。

不調のときは、夜中に修理した。

車体の綺麗なオレンジ色を保つため、

近くの板金塗装の親爺とも仲良くなってしまった。

また、ステアリングの他、クリーナー、マフラーと次々に改造を重ね、

借金があるにもかかわらず、

結局このクルマの改造に100万円以上も注ぎ込んでしまった。

前述の友人もこのビートルに惚れ、結局ビートルを買った。

大学ではビートル仲間が増え、

ビートルクラブなるものもできてしまった。

思えば自制のない自分に呆れるが、

良い思い出だけはつくれたような気がする。

「いい女といいクルマには気をつけよう」

これは、私が青春時代に身をもって得た格言だ。

赤のベレG

高3の秋に免許を取った。
学校をサボって通った教習所だったので、
免許証を手にしたときは久々の充実感があった。

しかし、クルマがない。
友人は皆、親のクルマを乗り回していたが、
私の父はクルマはおろか、免許さえ持っていなかった。

ヒロシという遊び仲間は家が農家だったので、
日産のトラックを二人で夜な夜な乗り回した。

が、いい加減に飽きてきた。
なんか、格好良くない。
泥だらけのダッシュボードに足を乗せ、
スカGとか欲しいなぁ、といつも二人でつぶやいていた。

或る日、道路沿いをトボトボと歩いていたら、
キュキュキュキュといいながら交差点を曲がって
こっちへ向かってくる赤いクルマがあった。

「○○先輩!」
「よう!」
先輩は全開にした窓から、手を挙げて、急停車した。

その赤いクルマこそ、当時私たちが憧れていた
いすゞのベレットGTだった。

すでに、当時の時点で新車はすでになく、
生産が打ち切られていた。

スカGよりも伝説のクルマ。
フェアレディよりも深く、
117クーペよりも味のあるクルマ。
それが赤いベレットGTだった。

先輩のその赤いペレGにはバックミラーがなく、
意図的に外してあった。

当時から、フェンダーミラーは格好悪いとの
共通認識があった。

ボンネット他、くすんだ赤い塗装はかなりヤレていて、
全体にボディが疲れていた。

「先輩、ワックス塗らないっすか?」
「ワックス?んなもんする訳ねぇーだろ」

「オールペンは?」
「んな金ある訳ねーだろ」

中を覗くと、黒いシートがひび割れ、
いい味が出ている。
かなり使い込んでいるのだろうなと思った。

ヘッドレストもなく、ギヤを触ると、
カチッとキマらない。

私が戸惑っていると、先輩が
「勘よ、勘。勘でいま何速か分かる訳よ」

それを見てから、
私も必死にバイトをして金を貯め、
赤いベレGをほうぼう探した。

しかし、中古屋の前で憧れのクルマの
値札を見て愕然とする。
私の資金では全く手が届かなかったのだ。

しょうがないので、
私はベレGに少しでもフォルムが似ているホンダのクーペ7を手に入れた。

水平対向空冷エンジンはよく回ったし、
このエンジンが奏でる独特の音が好きだった。

このクルマは、当時ホンダが満を持して世に送り出した4輪だった。

が、いまにして思うと、
何故もっと頑張ってペレGを手に入れなかったのかと、
時折自分に腹が立つことがある。

記憶のなかでそれは、
ベンツやポルシェ、いやフェラーリなんかより格好良く、
永遠に輝いている、
いすゞの赤いベレット1600GTなのである。

命知らずの西湘バイパス

先日、野暮用で小田原方面へ行くことになった。

ざっと考え、西湘バイパスが一番早いだろうと思い、

海方面に走り続けた。

どん付きでT字路。

左が鎌倉方面、右が小田原方面。

西湘、なので、湘南の西になる。

で、右折の後、久しぶりに西湘バイパスに乗る。

風の強い日で、曇天。海も濁って荒れている。

普通に走っていると、まわりのクルマにビュンビュン抜かれる。

うん?と思ってメーターを見ると、私のクルマは遅くない。

が、ビュンビュン抜かれる。

なかには、バックミラーに小さく確認できたバイクが、

あっという間に私のクルマを抜き去り、

小さく消えてしまったという例が数例。

えぇっ、この道路ってなんなんだと思った。

とにかくみんな飛ばしている。

西湘バイパスの制限速度は、確か70kmだった。

私はそれを少しオーバー気味に走っていたので、

だいたい80km弱だろうか?

となると、前述のバイクはさておき、

みんな普通に100km以上で走行している。

海からの強風にしぶきが混じる。

クルマが横風をモロに受けているのが、

ハンドルに伝わる。

西湘からの景色は、片方が荒れ狂う海。

片方は崖が多い。

ふと崖のほうを見ると、その崖から迫り出すように、

小綺麗な家が建っているのが見えた。

いやぁ、この道路も凄いところを走っているが、

あの家に住んでいる人も凄いなと思った。

私だったら、ここより、

都会の超高層マンション最上階に住んだ方が気が楽だと思った。

で、国府津というインターで降りるのだが、

ウィンドウの向こうは海しか見えない。

そこをクルリと走って一般道へ出る。

ということは、海上に造られたインターチェンジらしい。

その感覚は、ほぼ遊園地のジェットコースターのようだ。

この道路の位置しているところもほぼ海上なので、

視点を変えれば、非日常が存分に味わえる道だ。

しかしだ、ここを走っている人たちは飛ばし屋が多い。

みんないろいろ分かって、ここを走っている。

ああ、若い頃に感じたことのない恐怖を覚えた。

これって、要するに年のせいなのかなぁ。

そこが未だによく分からない。

エキサイティング・マーケット

関東圏の或る都市のファッションビルを運営している会社から、

代理店経由でプロモーションを依頼されたことがある。

施設としての規模は小振りで、若者志向のテナントが多く、

来店者数が落ちているとのこと。

で、早速現地にでかけてみた。

事前に、この地域の人口と構成比、人の流れ、施設、

競合他店やその傾向、地域性などを調べた。

また、過去の広告類も見せてもらい、予備知識を蓄積した。

現地で地図を広げると、駅からかなり遠い。

さらに、メイン道路から少し引っ込んでおり、

道路づけも良くない。

要は、入り口付近に広がりがないように思えた。

更に、各階のフロアを歩いてみると、各テナントの殺風景さが目立った。

これは、ディスプレイの問題の他、

広々とした通路が逆に仇となっていた。

売られている商品の品質やトレンド性、プライス等もチェック。

館長さんや各店長さんにヒヤリングを開始する。

いろいろと聞くと、どうもこのデパートに蔓延しているものが、

「諦め」という空気だった。

諸条件の悪さはあるが、オープン時は良かったという。

広告もかなり打ったらしい。

その後、徐々に売り上げを落とし、

幾つかのプロモーションを仕掛けたが、

なにをやっても駄目ということで、

館内に「諦め」ムードが広がっていた。

オープン当時からの広告を更に細かくチェックすると、

ずっと新規オープンを謳っている。

時間の経過とともになにを語るでもなく、

このデパートは、ずっと新しさで推していた。

後に残るウリは、どこを見ても、やはり値段の安さのみだった。

事前に分かってはいたが、これはひどいなと私は思った。

どこの広告会社が手がけたのかを事前に聞かなかった私は、

そのとき初めて東京の某大手広告代理店の仕事と聞いて驚いた。

季節やシーズン、いろいろな節目のなかで広告は打たれるが、

館内のポスターやサイン、まかれたチラシ、

外にかけられた懸垂幕を見ても、

問題はそれ以前と判断し、店長会を呼びかけることにした。

私が企画したテーマは、当然のように、にぎわい、だった。

それを「エキサイティング・マーケット」と名付けた。

アタマのなかで、アジアの活気溢れる露天をイメージした。

店長会の会場で、

リニューアル・コンセプトを私は熱く語った。

その具体案として、通路に並べるよりどりの商品や陳列のノウハウ、

時代の先端をゆくその店の服装や小物を身につけることの徹底、

そして館内の全員には「笑顔」をお願いした。

このとき、私もちょっとヒートアップしてしまい、

店長さんたちの反応も考えず、

その企画内容がホントに伝わったのかどうか、

後日心配になってしまった。

広告関係もこのノリを踏襲して制作し、

私としてはかなりの手応えを予想していた。

リニューアルオープン前に、

確認のため、もう一度現地で店長会を開いた。

そこで、再度、当然のように私の企画意図を話すと、

数人から手が挙がった。

彼らからの質問は、おおむねこういうものだった。

「アジアに行ったことがないので、どうも分からない。

イメージできない」

それを聞いて、ええっと私はのけぞってしまった。

言い遅れたが、この話はいまから20年くらい前の話である。

ネット以前だが、

みな情報はもっていると私が勝手に思っていた。

その会場で、私はアジアの市場について、

その様子を細かく語ったが、

いくら話してもピンとくる人は少ないように思われた。

で、その夜は徹夜で各店舗を見て回り、

一店一店アドバイスして回ることとなった。

数日後のオープンは、上々の入りだった。

売り上げも伸びた。

私は一応安堵したが、

これはなにかが欠けていると思った。

長続きはしない予感があった。

それは、館長から聞いた財務面の憂鬱な話と、

各店舗の従業員のモチベーションの問題だった。

後日聞いた話だが、

私の考えた店舗づくりのせいで従業員の手間と作業が増え、

店長さんが数人、店員さんから吊し上げをくったと言う。

「やってられない」という嫌な声も耳に入った。

財務面の心配も、現実のものとなった。

結局、後にこのデパートは人手に渡り、

安売りの大型スーパーになってしまったのだ。

去年、旅行の帰りにここに立ち寄ったが、

見る影もないほど閑散とした疲れたビルが

そこにひっそりと建っていた。

結局、この仕事に次はなかった。

私は、中途半端な気分になった。

このやるせなさは、後も引きづった。

しかし、後年、あるテレビで、

とても人気のあるお店の特集をしていて、

そのひとつが、当時、急伸していたドン・キホーテだった。

中年になった私は、店内の映像を見て驚いた。

以前、あのデパートで展開しようとしていたビジュアルが

再現されていたのだ。

あの猥雑さ、あの賑わい。

ああっと、私は溜息をついた。

そして、思った。

時代の読みの難しさというもの。

とにかく、これが身に染みた。

※このエントリーは、弊社ビジネスブログを転載したものです。

風の街  (小説)

5時を知らせるチャイムが鳴る。

いつものように、

いち早く職場の連中に軽く手を挙げ、

上着を掴んでビルの外へ出る。

「相変わらず息が詰まるな…」

いま自分が出てきたビルを見上げる。

古いイギリス様式のエントランスと、

その様式で飾った外観だが、

高く伸びたそのビルは、

県の機能をひとまとめにした

インテリジェントビルだ。

こんな一等地に派手なものを建てるから、

税金泥棒などとみんなから非難を浴びるんだ…

気がつくと、いつもの癖で、

私は苦虫を潰したような顔になっている。

ガス灯を模した灯りが並ぶ通りの雑踏を一歩脇に逸れ、

海方面へ向かって歩き出す。

今日はいつになく、浜風が強いな…

私は襟を立て、早足で歩く。

やがて人もまばらになり 

その店の灯りが見えると

私はポケットの煙草をまさぐる。

重い木のドアの真鍮の飾り物が

その店のオーナーの趣味だと聞いた。

龍が首をもたげているその姿から、

きっと縁起の良い昇り龍だと察する。

入口のドアを開けると、

囁くようなテナーサックスと

控えめなドラムの音が心地よい。

煙草をくわえ、店内を見渡す。

長く延びる床板の向こうは

客がまばらだった。

皆くつろいだ様子でソファに深く沈み込み、

グラスを手に、この店でのひとときを楽しんでいるようだった。

私は、年季の入ったアメ色の木のカウンターに座り、

ラムとトニックウォーターを頼んで

煙草に火を点ける。

海岸通り2丁目にあるこの店は、

ふと思い出すように、仕事の帰りに立ち寄る。

特別ジャズが好きな訳ではないが、

この店は気に入っていた。

本で少し調べると、どうもこの店で演奏されているものは、

スムースジャズというものらしい。

いつも静かに落ち着く音楽が流れている。

以前から居酒屋の煩さには辟易していたし、

そうかといって

勤め帰りに独りで飲む喫茶店のコーヒーも味気ない。

そんなときは此処へくる。

独り身の暇潰しには、恰好の店だった。

通い始めて半年後の夏、

私はこの店で、或る女性と知り合った。

その女性は若くて

私と不釣り合いとは思うが、

何故か気が合い、ここで逢うようになった。

彼女は栄子という名で、

近くの繁華街の片隅で

宝石とアクセサリーのお店をやっていた。

或る時、いつものように

私がカウンターでラム&トニックウォーターを飲んでいると、

入り口のドアが開き、

独りの女性が私の横に座った。

それが栄子だった。

彼女は座るなり、私と同じものを頼むと、

煙草を吸いながら

じっと音に聞き入っていた。

そして突然私に話しかけてきたのだ。

「このお店の名前、なんていう名前か知っています?」

「いや、そういえばなんという店だったかな」

「やっばりね、知らない人が多いんですよ」

彼女の話し方には屈託がなかった。

私は店の入り口を改めて思い浮かべたが、

看板のようなものは見当たらなかった。

そして気にもしなかった。

「名無しのお店でしたかね」

「いいえ、ちゃんとあるのよ」

「そう、なんていう名前かな」

「東風」

「トンフウ?」

「そう、東の風と書いて、東風」

彼女は、ここから東の方向は

海なのよね。そして、

海の向こうにはアメリカ大陸があるのよ、

と言った。

「しかし、東風って中国語の名前だね」

「そうよ、この店のマスターは

華僑、二世なのよ。

で、ジャズに溺れたってことらしいの」

「詳しいね」

「ええ、私ここのマスターの奥さんに

占いを教えてもらっているの」

「占い」

「この店の奥さんってね、大陸生まれで、

北京大学卒の超エリート。なのにお役人にもならず

ビジネスのチャンスも捨てて、

中国に古く伝わる占いの勉強ばかりしていたらしいのよ」

ところで、占いはお好きと、

彼女が突然尋ねたので、

まあとだけ応えて、

私は暇な時間を潰した筈だったが、

話はとても興味をそそるものだった。

栄子の話によると、

私の存在は、会う以前から知っていたと言う。

栄子がここのオーナーの奥さんから借りた

「華源」という鏡にある呪文を唱えると、

近く出会える人として、私がその鏡に

映し出された、と言うのだ。

「ほう、それは驚きだね?

その鏡に映った私というのは、

どんな恰好をしていたのかな?」

栄子が上体を引いて、

改めて私を眺めて笑った。

「だから、この恰好よ。

ちょっと冴えないグレーのスーツに、

紺のレジメンタル、

で、このカバンでしょ。

全く同じなのよ」

「では、なぜ私が

この店に居ることが分かったのかな」

「入り口の龍の真鍮が見えたわ。

それに、このアメ色のカウンターも。

ね、ここに間違いないのよ」

「まるで、FBIの透視捜査官だな」

「まあね、そういう訳で、あなたの隣に座ったの」

屈託なく、栄子が笑う。

私は、うなずくしかなかった。

その日、店を出ると、

店の横の橋げたに降り、

海に続く運河を独りで眺めてた。

風は相変わらず強く、

水面も揺れ、

映し出すビルの灯りがゆらゆらと

蝋燭のように揺れていた。

10月の風は、涼しく、

酔い覚ましにはもってこいの心地よさだった。

公務員を長く続けていると、

仕事の中身も、職場への行き帰りも、

すべてがパターン化されていた。

幾度か転職を考えた時期もあったが、

特別になにがやりたいというものもない。

一度、貿易というものに興味をもち、

幾つか資料を探しに本屋や図書館にでかけてはみたが、

覚えるものが多すぎて、

自分の手には負えないなと思った。

去年別れた妻は、

いま同じこの街で働いている。

私たちに子供はいなかったので、

2匹のミニダックスフンドを可愛がっていた。

その犬も妻に連れて行かれ、

現在私のマンションは、がらんと静まりかえっている。

私たちが別れた理由は、

いわゆる性格の不一致だろう。

彼女は、なにもかもが派手で、

一緒にでかけるときなど、

いちいち私の服装にケチをつけ、

それを直さない私に呆れ、

ついに離れて歩くようになった。

しまいには二人してでかけることもなくなり、

彼女はより派手さを増していた。

しかし、元々そうした女性ではなかった。

どちらかというと、

家に閉じ籠もり、

のんびり家事をこなしているのが好きな性格だった。

そんな彼女を表に出させたのは、

私がつまらない人間だったことに起因する。

なんの趣味もない、会話もロクにしない男が、

毎日毎日、朝8時に家を出て、狂いなく5時半に家に帰ってくる。

そして、楽しい話題を口にするでもなく、

食事を摂る他は、寝るまでテレビを観ていた。

こんな生活を15年も繰り返していて、

遂に彼女が反旗を翻したのだ。

積もり積もったうっぷんが一気に噴き出したのだろう。

いま思えば、

彼女は平穏な生活を望んでいたのは確かだが、

そこには、何か満たされたものがなければならなかったのだろう。

私には、その才覚ががなかったということだ。

メロウなピアノの音が退けると、

店内のどこからともなく静かな拍手が起こり、

BGMが流れて、少し明かりの数が増した。

振り向くと、一番奥の席で、

栄子が中腰でこちらに手招きをしている。

近づくと、

「先に来ていたのよ」

と私の鞄をとってお疲れ様と言う。

見ると、テーブルの上にずらっと石が置かれている。

「なに、これ?」

私が石をとって眺めていると、

栄子はジン・ライムの氷をかき混ぜながら、

「あなたのこれからを、今夜占おうと思って、

わざわざ店から持ってきたの」

「そう」

栄子の説明によると、

この石の占いは‘最後の判定’と呼ばれ、

一生に3回しか当たらないということだった。

私が職場のことで悩んでいたことを、

気にかけてくれての決断だったらしい。

どうする、という栄子のことばに、

私はすぐさま反応した。

「いいよ、観てくれよ。

その通りにするよ」

「本当にいいの?」

「いいよ」

タバコの火を消して、

私はその占いとやらを眺めることにした。

そして、他人事のように眺めてはいるが、

私はその結果に従うつもりでいた。

複雑な模様柄が彫られた銀製の皿に、

サファイヤ、トルコ石、メノウ、

水晶、ルビーの他、

名の知らない石も幾つか置かれている。

栄子が呪文のようなものを唱える。

私がぼんやり見入っていると、

心なしか、水晶がわずかに動いた気がした。

いや、酔ったかなと思う。

が、今度は透き通って光るルビーの小粒が、

心なしか動いているように見える。

そして、次第に皿の中のすべての石が動き出した。

呪文が終わる頃、

サファイアがジッジッと音を立てて、

それはハッキリと分かるほどに移動した。

気がつくと、

栄子の顔から流れるほどの汗が光っている。

それは不思議な感覚だった。

そして、栄子が銀の皿をみつめて、

話し始めた。

「あなた辞めたら、会社。

元々お役人が性に合っていないのよ。

本当はね、そういう人。

あなたは本来、とても自由なの。

自由な生活と自由な仕事が合っているの。

仕事でずっと辛かったのは知っていたけど、

あなたがこのままいまの所にいると、

そうね…

ハッキリ言うわ。

あなた、あと数年で、

あのインテリジェントビルから飛び降りることになるわよ」

あのことがあってから一ヶ月後に、

私は役所を早期退職した。

いまは、あのマンションも引き払い、

栄子のマンションに居候をしている。

この結末が後にどう出るか私にはよく分からないが、

いまは気が楽になり、笑い顔も増えたと栄子が言う。

そして、最近分かったことだが、

栄子は見た目ほど派手ではなく、

どちらかというと、暮らしは地味だった。

そしてなにより、

私といると心が落ち着き、

更に私といると楽しい、と言ってくれたことで、

私は救われた。

私も栄子と暮らすようになって、

少しづつ楽しみが増え、

また宝石やアクセサリーというものを知るようになり、

いまでは石の判別やその価値、

デザイン性なども分かるようになってきた。

年が明けたら、私も栄子に同行して

ふたりでネパールへ行き、

現地での石の初買い付けを経験することになっている。

自分の生活が、あの日から一転し、

すべてが移り変わってゆく。

このことがどうであるのかはさておいて、

自分の人生の転がり様が、自分でもおかしかった。

生まれて初めて、

ジャケットの下にピンクのシャツを着て、

昼間に、あのインテリジェントビルの横を通り過ぎた。

昼時とあって、あのエントランスからゾロゾロと人が吐き出される。

私はその風景を眺めながら、あの人たちが皆何を考えているのかが、

すでにさっぱり分からないようになってしまった。

そして、久しぶりに苦虫を潰したような、

かつての自分の表情を思い出し、

それがなんとも懐かしく思われた。

この道から、

いつも歩いていたように、

海風が吹いている海岸通り2丁目を過ぎて、

今日はその先のとあるビルの一室で、

インドから来た青年実業家と、

宝石の商談がある。

タバコをくわえ

ジャケットの襟を立てて歩いていると、

いつもの「東風」の店内から、

甘くやさしいジャズの音が、漏れ聞こえてくる。

橋のたもとの、

突堤に横付けされたボートが揺れているのを眺めながら、

私は生まれてからずっと海の近くにいたことに、

ふと気がついた。

沖に浮かぶ豪華客船の鮮やかな船体にはじける、

潮の動きの美しさを、

私は初めて見た気がした。

(完)

お前の夢は金で買えるのか?

いきなり偉そうな奴にこう問いかけられると、

こちらも返答に困る質問ではあります。

金で解決できそうなものもあれば、

そうでないものもポツポツあるような…

で、

この宝くじの新商品「ロト7」のTVCMのシーンは、

走るハイヤーの車内から始まる。

車中で、部下の妻夫木君が、

上司の柳葉さんに話かける。

「部長はロト7って知ってます?」

「知らないな」

つれない返事を返す柳葉。

が、なおも熱心に説明する妻夫木。

ここで、なにげにロト7の特長が語られる仕組み。

うまいな。

で、みるみる柳葉の顔がこわばる。

そして、

いい加減にしろとばかりに、柳葉がこう返答する。

「なあ…。お前の夢は金で買えるのか?」

……………!

カッコイイ!

ここんとこは、柳葉の見せ場である。

クールにキメテイル。

が、あめ玉を入れているような口が、やはり尖っている。

眼光鋭く、あれっ、室井さんか?と思いましたが、
妻夫木君が「部長」と問いかけるので、あっ部長なんだなと…

で、キャラ全く同じ。

柳葉は、もうずっとこれでいくのだろうと。
これで食っていけると思いますよ。

このキャラは、権利と同等の価値がある。

著作権ビジネスにも相通ずるものがありますね。

さて、1人になった妻夫木が、つぶやく。

「かっこいい。やばい、涙出そう」

と、ふと見た先の宝くじ売り場に、

なんと、

あの柳葉部長がいるではないか?

バツの悪いシーン。

双方の驚きの表情が印象的だ。

で、ここんとこが笑える。

で、一体このコミカルさはなんだろうと。

思うに、

建て前がもつおかしさなのではないかと…

部下の手前、カッコつけた柳葉部長の見栄も、

渋さとなる。

が、根本は建て前がもつ胡散臭さか。

私たちは、本音と建て前を使い分ける。

そこんとこは、痛いほど分かる。

ムカシからそうしてきた。

幼い頃、母が「つまらないものですが」と言って、

誰かに折り詰めを渡していたのを思い出した。

つまらないものか?

私は、このやりとりは変だと直感したが、

後々やはりこれでいいんだと…

そうして育ちました、ハイ。

そんな国の建て前を凝縮したような柳葉部長だが、

その彼の本音が丸見えになったとき、

下世話な私たちは笑えると同時に、

心底安堵する。

世の中、夢というか、

まあ、金でなんとかなるものもあれば、

そうでない奥深いものはいくらでもある。

そんなこと、観ている側は、当然織り込み済み。

が、ロト7という商品を鑑みるに、

このCMが観る人を笑わせ、油断させ、

本音のところを引き出して、

あわや宝くじ売り場へ向かわせようとする。

つくり手の、ある意味自虐的な発想も、

功を奏している。

充分、喚起力がある作品。

ちょっと褒め過ぎか。

※このエントリーは、弊社ビジネスブログより転載したものです。

届く、パーソナル・マーケティング例

沖縄地方の特産には、いろいろなものがある。

シークァーサー、サーターアンダギーとか、

チンスコウ、ソーキそば、海ぶどう、そしてもずくなど…

以前は、沖縄の泡盛もよく飲んだ。

残波という泡盛は石垣島のものだが、

これはうまいしネーミングが気に入っていた。

残波…リーフで波が砕ける様子が目に浮かぶ。

雰囲気からしてうまい。

久米仙という酒もまた、名前良し、味良し。好きだったな。

沖縄には一度しか行ったことはない。

隣の与論島という島も行ったが、

ここはサトウキビ畑と珊瑚礁のリーフが美しい。

この島で泡盛を初体験した。

ベロベロに酔ったが、何故か翌朝は爽やかだった。

で、飯もうまい。

この辺りの食い物とか酒はいいね、という印象から、

後年通販を利用していろいろ試したことがある。

あるときウコンのDMが来て、

これはなんだかカラダによさそうと、頼んだことがある。

当時は酒ばかり飲んでいたので、ウコンはいいですよと、

確かそんなことが書かれていた。

で、ときは流れて私も酒を飲まなくなり、

こうした特産品も飽きた。

が、相変わらず電話がかかってくる。

DMも届く。

これは他でもよくあることだが、

ここの売り込みの特徴は、

なんだか他と違っていやらしさがないのだ。

DMの中身を取り出すと、直筆の手紙が入っている。

印刷かなとよく確かめると、直筆である。

うーん、やるな。

で、ふんふん感心していると、頃合い良く、

わざわざ沖縄から電話がかかってくる。

○○さん、お元気ですかとか、

最近おからだの具合は、とかコチラが買う意思がなくても、

嫌みなく話してくる。

こうなると私の警戒心も解かれて、

一応話しますよね。

それがマニュアルに沿った話でなく、

世間話なんかを織り交ぜ、

気がつくと沖縄の知り合いの人と話している。

そんな気になってしまう訳。

アドリブが利いているのだ。

DMの中身一式は、あるひとつの流れに沿ったもので、

そのセットに目新しさはない。

が、直筆の手紙というのは、どこも面倒なので避けて通る。

電話にしても、テレマーケティングのテーゼというのがあって、

それに則ってかけている。

が、他はもっと事務的かつスピーディーである。

そのあたりが他と違う。

まるごとひっくるめて沖縄なのである。

ビジネスにしては、かなりユルイ。

が、しっかり私に届く。

いまはまるで欲しくないものばかりなのに、

なんか買うものはなかったかなと、

再度DMをながめていた。

今度はきっと買ってしまう、だろう。

快く無駄金を使うであろう、

パーソナル・マーケティングの仕掛けなのでありました。

カリブの休日

ハードワークをこなし、

予定どおりに休暇をとった。

行き先は、もちろんカリブ。

これで3度目だ。

浜辺に腰を下ろすと、

一面の青い景色が私を出迎える。

冷えたカリブーンで喉を潤す。

ホワイトラムの香りが景色を揺らす。

フルーツの味わいが深い安堵感を生む。

程よい炭酸が喉を刺激する。

強すぎる光線が、心地よい。

椰子を吹き抜ける風の音が、

胸に染みわたる。

ゆったりと過ぎる時間。

波のささやき。

これは、日頃の疲れを癒やす、

自分へのご褒美なのだ。

心身から街の気配が消え、

私がまるごと自然のなかに溶けてゆく。

あぁ、

人はこんなにもおおらかになれるものなのか…

ちょっと酔ったかな?

私は冷えたカリブーンを、

再び口に運ぶ。