モノではなく、物語を売る

少々前だが、

日産のセレナというクルマのテレビコマーシャルは、

「モノより思い出」というコピーで締めくくっている。

セレナはクルマ。当然モノだが、このクルマを買うと、ファミリーで

楽しい思い出がつくれます

ーーーそんなメッセージが込められている。

セレナの売り上げに関して、私は資料を持っていないので

分からないが、悪くはないと思う。

というのも、街中を走っていて、よくセレナをみかけるので、

そう思っているだけではあるが…

最近、モノが売れなくなっている、とはどこでもよく聞かされる話だ。

不況というモノサシで計ると、なるほどと理解できる。

だが、その逆の事例も数多くある。

曰く、商品の売り方を変えたら売れるようになったという化粧品や

健康食品、観光地のおみやげまで、

そうした現象は、現実に起きているのだ。

では、その売り方とは、どのようなものなのか?

それが今回のテーマである。

例えば、スーパーにキャベツがズラッと並んでいるとする。

あなたはどれにしようかと迷い、アレコレ手にはするが、決め手がない。

が、ひとつ、早起きの朝どりキャベツ! というカードのついたキャベツに目が止まる。

よくよく見ると、栽培した農家のおじさんの顔写真が添えられ、

このキャベツは柔らかい歯ごたえの品種で、

その良さを引き出すために、

私が早起きして収穫し、

さきほど私が直接納品致しましたーーー

というメッセージが書かれている。

あなたは、すっとこのキャベツをカゴに入れ、

さっさと、次の買い物に精を出すことになるだろう。

モノをセレクトする際の基準は、こうした工夫にある。

この仕組みはすでに使われてはいる手法ではあるが、

こうしてモノの背景を語ることにより、

売り上げを伸ばす方法は、他でも転用可能である。

まず商品ではなく、その背景を語ることに終始するということ。

いま、消費者は、商品の向こうにあるなにかに期待している。

それが物語であり、いわゆる付加価値なのかも知れない。

今後、商品にまつわる背景、物語のニーズは、

より重要になってくるだろう。

スパンキーの気まぐれ随筆

もののけ

焚き火をやろうということになり、

数人で丹沢の山奥へでかけたことがある。

薪と斧とランタンやシチューや鍋、

ディレクターチェアや防寒具など、

クルマの荷室は満杯だ。

谷を見下ろす崖っぷちの細い道を、

奥へ奥へと入り込む。

もうこれ以上奥へ行くと、きっと帰れない。

そんな予感がアタマをかすめる頃、

わずかな膨らみのある道端にクルマを止め、

そこを一夜の宿にすることにする。

陽が沈むと、急に冷え込み、

辺りも、暗幕を降ろしたように

視界が閉ざされる。

木が燃えるパチパチという音が懐かしい。

炎を囲んでいるだけで、とても落ち着く自分がいた。

やはり、来て良かった。

やがて、月に雲がかる。

晩秋の夜だった。

数㍍先に、何ひとつ見えない漆黒の闇が広がる。

清水が湧き出る音が、かすかに遠くから聞こえる。

時折、小石らしきものが崖から落ちてくる。

小動物も近くにいるらしい。

私は、なぜか背後の森を凝視していた。

そして、なにか得体の知れないものが、

こちらの様子をうかがっていると感じてしまった。

ああ、やはりここは私たちの来る所ではないのだ。

以来、その場所へは行ってはいない。

カレーについての考察

日本を訪れたインド人が、

レトルトのボンカレーを食べて、こう言ったという。

「こんな美味いカレーを初めて食べました」

「?」と私。

この話をどこで仕入れたのか忘れたが、

それがホントなのかどうか、ずっと気になっていた。

後年、これを裏付けるような番組をたまたま観た。

秋葉原を歩いているインドの方に、

CoCo壱番屋(だったと思う)のカレーを食してもらい、

その感想を尋ねたところ、

「インドのカレーよりおいしいね」と確かに言ったのだ。

私はインドでカレーを食べたことはないが、

日本でインド人がつくるカレーは何度か味わった。

やはり、本場仕込みはうまいと思う。

がしかし、

日本のカレーとどちらがうまいかと問われると、

そこがよく分からない。

別物と考えれば納得がゆくが、

自分には、その明確な基準がないのだ。

だが以前、

二子玉川のカレー店「モティ」で食べたカレーが、

生涯で一番おいしかったように思う。(おおげさ)

ちなみに、この店は、全員インドの方で構成されていた。

思えば、カレーは、ラーメンやビザ・パスタ以上に、

奥深くて不思議な料理だと思う。

それは、香辛料のせいかも知れない。

以前、香辛料メーカーの仕事をしたことがあって、

少しだけ知識をかじったことがあるが、

とにかくその種類は多種多彩であり、

幾度かアタマが混乱したことがある。

結果、私的に香辛料は不思議、とインプットされている。

先日、街でインド人とすれ違ったが、

彼は、香辛料に詳しそうなインテリな眼差しをしていた。

だが、

「チョットイイデスカ?

世界に分布するカレーの味に関する傾向とその素材構成や

香辛料について、私とじっくり考察しませんか」 

とは、絶対に言えなかった。

すっぴん美人

もう、すでにオリンピックが懐かしい。

その位、時の流れを早く感じてしまう。

今回の大会でも、

当たり前のように、というか、

圧倒的な強さで金メダルをとった

レスリングの吉田沙保里選手。

なぜか、彼女のことが脳裏から離れないのだ。

好きであるとかファンだとか、

そういうものではない。

以前から、ALSOKのテレビコマーシャルを観る度、

この人は動物っぽいな、とは思っていた。

強いだけでなく、勘のようなものが、

人並み外れているようにみえるのだ。

試合後、この人をどこかのテレビでみかけたが、

割と濃い化粧をしていた。

そのとき、私はなにかとても奇妙な感覚に襲われ、

違う、なにかが違う、と混乱した。

それは、彼女の素養を知るにつけ、

すっぴんが一番似合う人と、

私が勝手に決めつけているからに違いない。

シンボル

横浜のシンボルといえば、

いまはランドマークタワーということになる。

が、私にとっては、山下公園前に建つマリンタワーとなる。

小さいときから眺めていたので、今更、心変わりもない。

但し、

塔の色が赤と白の縞模様からグレーに変更されたのはいただけないが…

同じく、東京の人にとっての東京タワーも同様のような気がする。

いまは東京スカイツリーが幅を利かせているようだが、

当然、ノスタルジーに欠ける。

特別の人を除き、そこには思い出も思い入れも、

まだない訳だから…

で、マリンタワーだが、

いまでもたまに横浜へでかけると、

まず、中華街の萬来亭で肉ソバを食して、

腹ごなしにマリンタワーまで歩くことにしている。

そして、エレベーターでてっぺんまで昇って、

関東平野を見渡す。

望遠鏡で覗くと、

東京タワーも六本木ヒルズも、丹沢の山並みも、湘南の海も

一望できる。

マリンタワーの高さは、たかだか100㍍ちょっとだが、

そんな高さでも、私は充分満足できるのだ。

対岸のみらとみらい地区に、憎きランドマークタワーと

インターコンチネンタルホテルが威風堂々と鎮座しているが、

あんな新参者に、私の心は乱れたりはしないのだ。

そして、近くの老舗ホテルである

ホテル・ニューグランドの旧館のカフェで、

カフェオレを頂く。

ここのカフェオレは、なんとポットで出てくるので、

とてもおいしいのに、2・3杯は頂ける。

で、つい長居をしてしまいます。

このコースを私は、

「横浜ノスタルジーコース」と勝手に呼んでいます。

記憶に変更のない限り、

当分の間、このワンパターンで行きたいと思います。

現役

風呂上がりにテレビを点け、

適当にザッピングしていると、

NHKのEテレに風吹ジュンさんが出ていたので、

ここを観ることにする。

内容より、風吹ジュンさんなのだ。

この方は現在60歳だが、とても綺麗。

遠いムカシは、私たちのアイドルだった。

で、番組タイトルは「団塊スタイル」。

私より年上の方をターゲットにした番組らしいが、

内容は心に残るものだった。

97歳の現役フォトジャーナリストである笹本恒子さんが、

この日のゲスト。

この方の半生を追って番組は進行する。

50代でカメラマンで喰えなくなり、一旦離職。

洋裁やフラワーアレンジメントの仕事に転職したが、

どうしてもカメラの事が忘れられず、

なんと70代で現役復帰を果たす。

古くは、井伏鱒二を始め、

日本の名だたる作家達をフィルムに収め、

近年では、イギリスのサッチャー元首相など、

歴史に名を刻んだ人たちも、多数撮っている。

で、この日の番組のサブタイトルが、

「再出発は何度でも」。

いいタイトルだな、と思った。

外交

いま、日本の領土(島です)を、

中国、ロシア、韓国がちょっかいを出している。

これは単なる偶然なのか連携なのか?

私的には、中国とロシアには密約があると睨んでいる。

お互いは、潜在的に仮想敵国同士だが、

対アメリカということで、利害は一致する。

中国と韓国に関しては、国内情勢も絡んでいるようだが、

ロシアは、アメリカの出方をチェックしているようにも思える。

いずれも不愉快な事柄だが、

野田総理が先日、日本の毅然とした態度を表明した。

先方に言わせると、拳を振り上げたとも受け取れる

メッセージらしい。

で、このままヒートアップすれば、

ひと昔前なら、いざ紛争、

悪くすれば戦争となりかねない様相となる。

が、皆、戦争の愚かさを知らない訳ではない。

外交は、こうした争いを粘り強く解決へと導く、

最も堅い手段だ。

では、明治維新以来、日本の外交はどうだったのか?

第二次世界大戦の勃発の発端、

太平洋戦争の終結の遅延、

戦後の日本に於いて、

外交がどこで貢献し、なにを失敗したのか。

その検証を重ね、後に活かすことが、

この国にとっての急務だと思うのだが。

イマドキの会話

今日一日が面倒くさいと思うあなたが

友人と約束をしている。

気が重いが、まあ、

だいたいこんなことばを発していれば

なんとかなるらしい。

ヤバイ

超ウケル

意味わかんない

ハンパない

マジで?

これは、ネットで拾った話なので、

早速我が娘に聞いたところ、

そうね、なんとかなるよ、うふっ、との

回答を得た。

ダルイときは、

これで乗り切りたいが、

この場合は当然、超若い子限定!

そこで年を喰ったあなたは、

少し工夫とアレンジを加えたい。

そこに知性が感じられればOK。

例えば

その辺りは考える予知があるね

なかなか的を射ていると思うよ

ふむふむ、というと?

それは凄いことだ

で、事の真意は?

とまあ、こんなところ。

ホントに乗り切れるか、

私には自信がありませんが…

以上、会話は中身が薄まり、

ことばはどんどん粗末になり、

貧困なボキャブラリーが、

いまの時代を席巻している。

しっかり考える習慣を身につければ、

色とりどりのことばが見つかりそうなのですが…

では、ことばの鮮度はどうか?

例えば、

そんなの関係ねぇ!

海パン姿の小島よしおがアタマに浮かびますが、

忘れていましたね。

ゲッツ!

きっと幾ら酔っても、イマドキまず言わないギャグ

ラブ注入

気味の悪い顔が浮かんでは消えまして、

うっすら寒い感じがしました。

おっはー

爽やかに起きた朝は、つい口から飛び出しそうな台詞ですが、

言ったその後が辛そうですね。

以上のように、ことばにも鮮度があり、

ここを間違えると失笑を買います。

がしかし、

ガチョーン!

とか

「わたすが変なおじさんです」

とか、恥ずかしげもなく

堂々と言い放つと、

これはまたいぶし銀のような光を放つものです。

化石のようなことばのなかにも、

いまでも通用するものはあるものです。

それは、

パリコレで異彩を放つアフリカの民族衣装のようでもあり

ニューヨーカーに人気のベントーのようでもあり、

日本人の海外旅行に欠かせない梅干しのようなものでもあります。

たとえがいい加減ですが、

なんとなく真意は伝わると思います。

じっといまという時代をみつめ、

そして考える習慣をつけると、

きっとあなたはいつでも、

的確かつ素敵なことばを発する、

ことばのプロになっていることでしょう。

私がコピーライターに成り立ての頃、

いつもこんなことに注力するよう、

先輩に言われていたような気がします。

○○仲間に関するレポート

それを仲間というのか、

甚だ疑問ではありますが、

最近新しい集団を発見致しまして、

その様子をご報告したいと思います。

が、その前に仲間というのは如何なるものなのか?

この定義は難しいのですが、とにかく仲間たちは、

最近、富に広範多岐に広がりをみせ、

各各が寄り添う傾向を示しております。

仲間やコミュニティづくりは現在全盛でありまして、

人々は何かに付け、集うのであります。

それは、例えば仕事や趣味だったり、

性癖他、いろいろですが、

要は集まってそこのライブ感を満喫することにより、

仲間意識は更に深まるものと思われます。

そこで得た知識や情報はお互いの共感を呼び、

ステップアップも望めるのであります。

とにかく人は集う生き物なのです。

また、ネットの世界も例外ではありません。

バーチャルではありますが、

ネットは元々仲間で集うのに適した環境であり、

昼夜を問わずいろいろなコミュでは仲間が集い、

熱く語り合っております。

で、ここで本題です。

最近、私が目撃した集団なのですが、

こういうのは果たして仲間なんだろうかと?

その幾つかの例をご報告致します。

○マッサージチェア仲間

地元の有名電気量販店で遭遇したのですが、

ずらっと並ぶマッサージ・チェアにみんなが気持ち良さそうに座り、

絶対に立ち上がる気配もなく、ずっと語っている集団がおりまして、

見るからに彼らは初対面ではなさそうに見えます。

最初は気がつかなかったのですが、その店に何度か訪れる度に、

ほぼ同じような人が、マッサージチェアに座り、

並んでくつろいで語りあっている。

ほほぅと、私は思いましたね。

で、観察していると、後から来た仲間らしき中年に、

みんなが一斉に「いよっ、今日は遅いじゃん」と発したとき、

私は確証をもちました。

その仲間は、ほぼおっさんで構成されていますが、

何故かギャル風の子も混じっているのが印象的でありました。

話題は天気概況とか今朝のニュースの話題の他は、たいした話題もなく、

特に健康に関する話が皆無だったのが印象的でした。

彼らがどんな仕事をしていて、いやしていなくとも、家族とか

何処に住んでいて毎日なにをいているのか気になるところですが、

見たところ、彼らにそうした会話は一切なく、今日もきっとあの店の

マッサージチェアで集っているのであります。

○パチンコ敗退仲間

或る公園に、いつも5~10人が集まっていて、私は前々から、

あの人たちは何の集まりだろうと思っていまして、

その日もたまたまその公園のベンチで手帳を付けておりました。

で、気がつくとこの人たちが集まっていて、

自然と会話が耳に入ってくる訳ですが、

その話題はとにかくパチンコ台に関する話一辺倒であり、

如何にその台が駄目か、その台のつくられた背景から、

台に関する事細かな情報ほか、とにかく、そのすべての話が、

駄目なパチンコ台の話にフォーカスされておりました。

メンツは主に中高年のおっさん。が、たまに若いのやおばさんも

混じっていて、

印象としてはみんな一様にダルそうな表情をしていました。

働けよ、とつまらない突っ込みを口走りましたが、

まあ誰しも事情のようなものがあるので、

私は、島倉千代子の人生いろいろという古い歌を口ずさんで、

その場を去りました。

○バーゲン仲間

とある居酒屋で、私と友人が語っていたときの話ですが、

いや、

私はいま酒が飲めないのでウーロン茶を飲んでいました。

そこで隣り合わせたおばさんの集団の話題がまたまた

耳に入ってしまい、気が散って困ったことがありました。

で、その内容から察するに、このおばはんの面々は、

或るバーゲン会場で偶然遭遇した間柄らしく、

どうも、お互いの名前も住んでいる場所も知らない様子。

で、どういう訳でこの人たちがここで酒を飲んでいるのか、

その経緯を話す一人の威勢のいいおばさんの話が聞こえたそのとき、

店の女の子が「今朝、三陸から取り寄せた新鮮な鰹が

お安くなっておりますが…」の売り込みにかき消されてしまい、

とても残念な結果に終わってしまいました。

以上、三つ程の報告をさせて貰いましたが、

この例が果たして仲間なのかという疑問が、

私のなかでふつふつとわいて参りまして、

ちょっと考え、結果、

こういうのもアリとの結論に至りました。

とにかく、人は集うものなのでありまして、

その瞬間瞬間に生きている証なんぞを

欲しがる生き物なのかも知れません。

何処に住んでいるのかとか、なんの仕事をしているとか、

まして家族構成やその人の過去など、

考える私が野暮というものです。

そして、

そうだ私も○○仲間を探しに出掛けよう、

そんな結論に至ったのであります。

羊の群れを追いかけていくと

メェェェェッーと僕を歓迎してくれた

一匹の羊が何の用だい

と言うので

実は、と僕が話すと

そう君もなのと

羊たちが僕を取り巻き

あのやさしく眠くなるような毛を

擦り寄せてきて

つぶらな瞳で

大丈夫さ

大丈夫だよと…

そして羊たちは

相変わらず呑気に草を食んでいる

夕べも寝てしまった僕は

そんな訳で

忙しすぎる彼女に

今夜も

羊を届けることができないでいる

残された時間の中で

そうだね

出会った頃を想い出して

ごらん

その風景に

つまんない隙間なんてあったかい

どんな季節も

僕たちは

精一杯だっただろう

いまは手探りで

その不確かな部屋の

ひとつひとつを確かめ

消えそうなものから

ありがとうと言って

そして

別離を告げよう

人の記憶の中は

いつも永遠で

そこには暮らしやすい国があり

毎日毎日

なんの苦もなく

みんなで

食卓を囲んでいる

それは

まるで楽園のように

昨日も明日もなく

まして

ことばなんていらなくて

だけど

時間は残酷だよ

記憶は曖昧で

楽園も消えて

残ったものは

目の前のテーブルの上の

チーズと飲みかけのコーヒー

でも

目の前に君がいて

君の真向かいに

僕がいて

そんな風景でいいかい

さあ

今日から

心の丈に

泣いてみよう

笑ってみようよ

残された時間は短いのよと

女神がささやく

そして

愛しなさい

強く愛しなさいと

女神がささやく

モーレツなコマーシャル

Oh! モーレツ

その昔、小川ローザという素敵なモデルさんがいて

クルマが通り過ぎるとスカートがまくれ上がった。

軽快な音楽に乗って、Oh! モーレツ

となる。

このCMは60年代後半に大ヒットして、

それは幼少(?)の頃の私の記憶にも残っている。

商品は、ハイオクガソリン。

丸善石油のCMで、確か「ダッシュ」というハイオクを入れると、

クルマが格段に速くなる、というもの。

それがホントなのか否か、真偽の程は不明だが、

当時はそんな広告が多かったたように思う。

広告表現も途上だったが、このTVCMはインパクトがあった。

当時の日本は高度成長の真っ最中で、景気も年々良くなるばかり。

文字通り、どこのお父さん方の誰もが、猛烈に働いていた。

そこには明日への夢があり、よりよい未来が約束されていたように思う。

きっと現在の中国の景気に似ているのかも知れない。

当時のサラリーマンは、憧れの職業。

みんな自信に満ちていて、数多くの猛者サラリーマンが、

世界に繰り出していた。

そして、日本で売れそうなものを世界の果てまで探しに行って仕入れ、

また、日本の製品を地球の隅々にまで売りに行ったりしていた。

こうして後、この国は世界から、

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるまでに成長したのだ。

まさに日本の経済事態がモーレツに急伸していた時代だ。

「モーレツ」のコマーシャルは的を射ていた。

時代背景をも、的確に表現していたと言える。

私と同世代のサザンの桑田さんも、

このコマーシャルの印象が強かったらしく、

小川ローザの白いミニのワンピースとヘルメット姿がアタマから消えないとみえ、

茅ヶ崎の実在したホテルの思い出を歌った「ホテルパシフィック」で

当時の彼女と同じ格好の女性を登場させている。

これぞ、印象に残るモーレツなコマーシャル。

昔のテレビコマーシャルが如何に影響力があったかという、

典型的な例だ。

旧型人間のデジタル戦略

仕事ネタをひとつ。

ワープロ時代から仕事をしているというと、

とても古い人間のように言われることがある。

精神年齢は若い人とあまり変わらない。

これは強がりではなく、彼らといろいろ話していてそう思う。

反って、いまの若い人の方が、しっかりした人が多い。

ただ、古い人間はだいたい腹の肉とシワが多い。

能書きを垂れ、疲れ易くなり、もの忘れが激しい。

これは致し方ない。

そして、切り替わらないのが「かな入力」なのだ。

かな入力派は、割と中年に多い。

ワープロ世代と重なる。

この世代のかな入力技は、ワープロの普及と共に叩き込まれた。

いまさらローマ字入力といわれても、

どうも考えていることと書くことが、乖離しているように感じる。

いや、乖離しているのは事実で、簡単なメールなどは

さっとローマ字入力で書いているが、その文中にちょっと

意味深とか気の利いたことを書こうとすると、

とたんに筆?が止まる。

というか、次に書くものがなにも出てこない。

これは我ながら不思議だと思い、或る友人にそのことを尋ねると

やはり同様の答えが返ってきた。

これは思考回路の問題なのだろうが、

私自身、ローマ字ではたいした思考ができないことを認識した。

英会話を覚えるとき、英語で考えなさいなどと言われるが、

私は、一旦自分のアタマで日本語に変換しているように思う。

だから、こちらも上達しないのだ。

で、かな入力だが、最近iPadもかな入力対応となった。

これは私たち旧世代には朗報で、AppストアでATOKを手に入れ、

アップルのBluetooth(ブルートゥース)のキーボードを使うと、

鬼に金棒となる。

(ATOKは日本語変換力に優れているし、iPadのディスプレイキーボードは、

結構疲れる)

外出の機会が多いと、当然、出先でメールチェックの他、なにかしらを

書くこともある。こんなときiPadは、かな入力技を手に入れたことで、

私には、以前にも増してその魅力が光るものとなった。

内輪の話をすると、こうだ。

まず、外出時にiPadとWi-Hiルーターは必携。

で、本格的になにかを書くことを想定すると、

誕生日プレゼントで子供たちから貰ったポメラを持とうか、

いや新しくミニノートでも買おうかと、

そんなことを半年も考えていた矢先のことだった。

(ポメラも、狙っていたミニノートも、

軽量・コンパクトでかな入力が可能なのだ)

思えば、iPadはディスプレイに触れれば、

拡大・縮小は自在。老眼鏡世代にも都合良くできているので、

ユーザー層の年齢はかなり高いのではないかと推測していた。

で、その世代は当然「かな派」が多いので、

そこに配慮したものと思うが、

この小さなバージョンアップが、

タブレット市場全体を眺めるにつけ、

ユーザーの取り込みにも、良い配慮になったようだ。

そんな訳で、私のカバンは今日も重くてパンパンだが、

後は、カード(お金)とガラケーのケータイがあれば、

当分帰ってこなくても、仕事はこなせる。

便利な時代になったと思う。

iPadには電子書籍も幾つか入れてはある。

音楽もバッチリ。ラジオアプリも入っている。

が、なぜか出掛けるときに藤沢周平なんかの文庫本が

カバンに一冊入っていないと落ち着かないのだ。

ついでに、

使いかけの黒ずんだ消しゴムなんかを入れておくと、

さらに落ち着く。

これはアナログへの郷愁とでも言おうか。

思うに、この平成という激動の時代は

大げさに言えば明治維新にも似て、

ものごとの価値の変換の激しいときのような気がする。

大きなうねりの潮目なのだ。

こんなとき、明治のサムライが靴を履いていたように、

刀ではなく鉄砲がスタンダードになったように、

原稿用紙ではなくとも、

IPadと藤沢周平の文庫本の併用は必須なのだ。

ショートショート「人間、如何に生きるべきか」

或る占い師が言うには

水の近くに住みなさい

水はあなたに欠かせないもの

そして足りないの

水の近くに住みなさい

同じようなことを

他の占い師数人にも言われたので

インターネットで

水の近くの物件を探すと

ここから遠いところばかりだった

みんなさよなら

僕は湖の見える高台に引っ越した

そしてそこで暮らすことにしたが

毎日が退屈だったので

釣りを始めたりボートに乗ったりもして

知り合いもできて

僕は満足だった

その湖が見える高台の家の隣には

初老の女性が住んでいて

或る時

その方と立ち話をする機会があって

とある高名な哲学者の奥さんだそうで

僕のいきさつを話すと

あなた

そんな人生がありますか

哲学を持ちなさい

あなたは本当はなにがしたいのと尋ねるので

そうですね

熱中できるようななにかがしたいですね

こう話すとご婦人は

とにかくウチの主人の大学へいらっしゃい

僕もそうだなと思い

再びこの家を引き払い

小さな町のアパートを探して

この町の大学へ通うことにした

大学の哲学の講義は

僕にはとても新鮮で

人は如何に生きるべきかを

論理的に分かり易く教えてくれた

こうして私の人生は

その意味が明確になったようだったが

そうこう哲学しているうちにお金が底をつき

人生は如何に生きるべきかなど

呑気なこともいってられず

住み込みの職を得るため

地下鉄が張り巡らされた街へ出て

一軒の中華料理屋で働くことになり

水のことが少し気になったり

如何に生きるべきかと

考え悩みながらタンメンを運んでいたら

お客さんにうっかり熱いツユをこぼしてしまい

店のご主人に

今度こぼしたらクビだぞと

言われてしまった

その中華料理屋は私鉄出口のすぐ前にあって

夜中まで繁盛しているが

毎週月曜の休みの日は

どこからともなく人が集まって

みんなでお経を読む会が開かれていた

僕は休みなのにこの会に駆り出され

みんなにお茶を配ったり

線香の煙を絶やさないようにと言われ

そのことばかりが気になり

ずっとみんなのお経を聞いていたが

そのうちお経を丸覚えしてしまい

じゃあというんでみんなが僕を前へと引きづり出し

君のお経への理解は並ではないねと言われ

自分なりの解釈を恐る恐る話すうちに

「この青年はただ者ではないぞ」と中のリーダーが

なんと私を本部へ推薦してしまった

そこで丸3年の修行のようなものを積まされ

次に君がこのお経を広めるべきところはここだ!と

地図で指さした所は私が以前ずっと住んでいた町だった

僕はその町でお経を広めることを始めた頃

幼なじみの同級生は僕をよし坊と昔のあだ名で呼び

馬鹿にしていたがやがて

僕の哲学的お経の解釈や

占いを混ぜたような予言をつぶやくと

次第に僕を先生と呼ぶようになっていた

そして人間として如何に生きるべきか

その意義と尊厳と題して聴衆に話す度に

僕は日に日に有名人になってしまった

僕は8年ぶりに生まれ育った町に

再び住み着いたのだが

このように先生先生と呼ばれるようになり

いまではテレビでも引っ張りだこの

全国的な人気者になってしまったが

僕の人間如何に生きるべきかという悩みは依然消えず

相変わらず

以前の占い師さんに

結構なお話を頂く日々なのだ

夏休み

ダリア カンナ グラジオラスが

重なるように

鮮やかに濃く

学校の花壇で揺れていた

陽射し かげろう

校舎と電信柱の

深い陰

絵日記はいつも群青で

空の絵と

水まきの虹

最高気温30度

プールの喧噪と

浮き袋のビニールの匂い

まぶたを閉じて広がる

オレンジ色とジリジリと鳴る

真夏のお陽さまの

おしゃべり

ヨーヨーキャンディー

ひやっとして

子安 大口 工場の鉄を叩く音の帰り道

玄関を開けると

金魚と水草

ガラスの紫のふちどり

昼寝したいな

けだるさと畳の匂い

午後3時

ブリキのたらいに

水鉄砲を浮かべて

スイカも浸けて…

赤いかき氷 

黄色いかき氷 

そして

メロン味のかき氷

もくもく入道雲が

山の上にのっかって

長い石段の上の

森に佇む

神社の夏祭り

ミンミン蝉 クワガタ 

不思議な玉虫 竹の虫かご

そしておはじきとビー玉の色 

夏の色

それは

遠い昭和の記憶

私のいろ