神奈川を一望する―湘南平

だだっ広くて見晴らしのいいところ、ないかな?

閉じこもっていてもいい加減、ストレスが溜まるし。

で、ここがアタマに浮かんだ。

湘南平は、標高約180メートルの高台。

360度のパノラマ。

富士山、丹沢、相模湾と、海も山も一望できる。

「夜景100選」に選ばれているので、夜は絶景だ。

テレビ塔展望台と高麗山公園レストハウス展望台と、

2つの大展望台がある。

春には桜の名所にもなっている。

大磯の海上を飛んでいるヘリコプターが、

展望台から見下ろせるなんて面白い。

木々の間から海がみえる。

普段はあまりないシチュエーションなので、新鮮。

山頂のタワーは、東京タワーからの電波を受けて、

神奈川の山沿いの家々に電波を届ける中継点。

ぐるりと見渡すと、

南はブルーな海がだだっーと広がり、江ノ島がポツンと浮かんでいる。

横浜のランドマークタワーがにょきっと見える。

振り返ると、大山・丹沢山塊に不気味な雲の塊。

富士・箱根方面は霞んでいるなぁ。

伊豆半島は海に張り付いているようだ。

(縁結びの鍵)

 

 

煙となんとかは高いところにのぼる…

とかなんとか陰口が聞こえてきそうだが、

高いところ、好きだなぁ。

そういえばムカシ、占い師にこう言われたことがある。

「あなたの前世は、モンゴルの或る部族の首長で、

いつも高地の平原を馬で駆け巡っていた…」

ホントかよ?

(梅が咲いていました)

 

天国への階段

初めてその夢をみたのは、

確か20代の頃だったように思う。

その後、幾度となくおなじ夢をみた。

その風景に何の意味があるのだろうかと

その都度、考え込んだ。

それとも何かの警告なのか?

 

30代のあるとき、友人と箱根に出かけ、

あちこちをクルマで走り回っていた。

心地のいい陽気。日射しの降り注ぐ日。

季節は春だった。

 

ワインディングロードを走り抜ける。

爽快だった。

が、カーブに差し掛かったとき、

私はこころのなかで「あっ」と叫んだ。

 

そのカーブの先にみえる風景が、

私が夢でみるものと酷似していたからだ。

 

夢のなかで私は、

アスファルトの道をてくてくと歩いている。

どこかの山の中腹あたりの道路らしい。

それがどこの山なのか、そんなことは考えてもいない。

行く先に何があるのかも分からない。

 

陽ざしがとても強くて、暑い。

しかし不思議なことに、全く汗をかいていない。

疲れているという風にも感じない。

 

カーブの先の道の両脇には、

或る一定の間隔で木が植えてある。

その木はどれも背が低くて、

幹が白く乾いている。

太い枝には葉が一枚もない。

 

そのアスファルトの道が、

どこまでも延々と続いていることを、

どうやら私は知っているようなのだ。

 

夢でみた風景が箱根の道ではないことは、

その暑さやとても乾いた空気からも判断できた。

現に箱根のその風景は、

あっという間に旺盛な緑の風景に変わっていたからだ。

 

しかし、それにしても夢でみた景色とそっくりなのが、

不思議でならなかった。

 

夢のなかのその風景は、

メキシコの高地の道路のような気もするし、

南米大陸のどこかの道なのかも知れないと、

あれやこれやと想像をめぐらすのだが、

私が知った風景ではないことは確かだった。

 

つい最近も、仕事の合間のうたた寝の際、

夢の中にその風景が現れた。

 

立ち枯れた木がずっと続くその道の先は、

きっとその山の頂上に続いているのだろうと、

ようやくこのとき私は想像したのだった。

 

酷似した箱根のあの道の先には、

瀟洒なホテルが建っている。

夢に出てくる景色ととても似てはいるが、

やはり違う。

 

ただ、現実にみたその景色が、

私のなかの何かを呼び出したことは、

確かなことなのだ。

 

そこに意味があるように思えた。

「あなたがみた夢を決して忘れないように」と。

 

夢のなかでは、怖さも辛さも感じない。

とても強い陽ざし。

暑さと乾燥した空気。

あたりに風は一切吹いていない。

それは異国のようでもあり、

とても穏やかで静かな時間だった。

 

覚醒した私は思った。

 

頂上にたどり着いた私は、

やがて、空へと続く一本の階段を発見する。

そして、誘われるように、

その階段をテクテクと昇ってゆくのだろうと。

 

もちろん、その階段は天国まで続いている。

 

コピーとかことばの不思議ばなし

広告の仕事をしていてよく思うこと。

それは、コピー軽視です。

特に、キャッチコピーを軽んじている人の

なんと多いことか。

 

対して、デザインは比較的分かり易いので、

みなさん、アレコレと口をはさみますし、

こだわっているようにも思えます。

デザインは、誰もが大筋は判断できるのでしょうね。

格好いいとか、都会的とか…

 

がしかし、デザインに於いても、

それがコンセプトに沿ったものかどうか、

本来、そこを考えなくてはいけない。

そんな観点で今一度デザインをみると、

なかなか難しいものです。

 

で、これがコピーとなると、

かなり粗末な扱いとなる訳です。

検討以前となってしまうことも、多々あります。

適当に誰かが書いて、それがそのまま最後まで残り、

掲載されてしまうことも少なくありません。

 

ボディコピーは、作文の添削と同じように考えるひとが多い。

よってそのコピーがその場に相応しいかどうかではなく、

一応、みな校正のようなチェックはしますが、

この場合も日本語として正しいかどうかのみで終わってしまう。

 

制作する側でも、一部でこのコピー軽視の傾向が、

増えているように思います。

 

よって、フツーの人はなおさらでしょう。

しょうがないといえばそんな気もします。

 

では、なぜ人はキャッチコピーを軽視するのか?

そう、答えは簡単。

分からないからです。

割とみな分からない。

で、私たちコピーライターの出番なのですが、

そもそもキャッチコピーの力を信じない人に

その重要性を説いても無駄でして…

 

私も無理強いはしないようにしています。

 

コピーが元々広告の添え物であり、

そこになにか書いてあれば良し、

要はどうでもいいもの…

そう思っている人は多いのではないか?

その理由は、前述したように分からないから。

 

が、これは甚だしい間違いです。

 

本来、人はことばで動いています。

たとえば、自らの日頃のコミュニケーションを

振り返っても、

ことばひとつで勇気づけられたり、

傷ついたりした経験はないでしょうか?

 

ものの言い方、ことば使いって、

実は難しい。

とてもデリケートなんですね。

 

或るひとことで愛しあう。

或るひとことで涙を流す。

或るひとことで怒る。

 

かように、人の心もことばで動くのです。

ことばって、わりとパワーがあります。

 

おおげさですが、

そのあたりを突き詰めたのが経典とか、

呪文なのかも知れませんよ。

 

人が本気で口にしたものには不思議な力が備わる。

また、そうしたことばが、ひとり歩きをしたりもする。

これを、人は言霊と呼ぶ…

 

コピーはいきものです。

活きもの!!

本気のことばには、魂が宿ります。

よって、コピーは添え物ではありません。

本気で考えたコピーには、不思議なパワーがあるのです。

 

このことを広告に携わる方だけでなく、

毎日を暮らす皆さんに知っていただきたい。

但し、考えすぎると、

不思議な世界に迷い込んでしまいますがね!

 

どすこい桃太郎の大冒険

 

桃からうまれた桃太郎は、

おじいさん、おばあさんにとてもかわいがられたのは良いが、

その度合いが過ぎたのか、わがままな少年に育ってしまった。

 

年をとったふたりの畑仕事や焚き木とりもいっさい手伝わない。

で、村の悪仲間のキジ夫やワン次郎と、

山のなかで一日じゅう相撲ばかりとって遊んでいた。

 

その頃、村に鬼があらわれた。

そして、年ごろの娘を次々にさらっていってしまった。

 

村人たちが集まって、緊急会議がひらかれた。

この村は年寄りばかりで、話は行き詰まる。

が、なんとしても娘たちを救わねばと、

一同は知恵を絞った。

 

そして腕っぷしの強い桃太郎の名が幾度かささやかれた。

 

家に戻ったおじいさんがその話を桃太郎に伝えると、

「鬼退治だって? そんな奴知らねえし…」と

むげもない返事が返ってきた。

 

「だけど桃太郎や、あの村のはずれの鶴さんとこの娘さんも

昨日の夕方から行方知れずなんだそうだ」

 

それをきいた桃太郎は驚いて顔をあげた。

「ええっっっ、ゆきちゃんがいない?

みつからないのか?」

 

「そういうこった。困ったこまった」

 

おじいさんが話している最中なのに、

既に桃太郎は家を飛び出し、

村の裏山へと走っていた。

 

猿仙人のすむ山奥の掘っ立て小屋まで半時、

桃太郎は全力で走った。

 

掘っ立て小屋の前で、

猿仙人は横の川で獲れたばかりのイワナを焼いていた。

 

「おお桃太郎、久しぶりじゃなぁ、これ食うか?

それとも相撲の奥義でも学びにきたか?」

 

「猿仙人さま、村でとんでもねえことが起きているらしいんだ。

ゆきちゃんがゆきちゃんが…」

 

桃太郎が泣きじゃくっている。

 

「ゆきちゃんがどうしたんじゃ?

あの娘はたしかお前と所帯をもつ約束をしたときいていたが…」

 

「そのゆきちゃんが鬼に鬼に…」

 

猿仙人はことの次第を知ると、

夜どおし桃太郎に激しい稽古をつけ、

相撲の奥義を伝授した。

 

そしてヘトヘトになりながらも

夜明けに村へ戻った桃太郎は、

悪仲間のキジ夫やワン次郎をたたき起こし、

鬼がすむという鬼ヶ島をめざすことにした。

 

道を急ぐ三人。

 

桃太郎がゼイゼイしながら口を開いた。

 

「キジ夫、鬼ヶ島ってどこにあるか知ってるか?」

 

「チョロいっすよ、この道を一日歩き続けると

あの山の峰のてっぺんあたりに着くっす。

そこから海がみえたら、

青々と木の生えた島がひとつぽかんと浮かんでいて、

それが鬼ヶ島って話っすよ」

 

「お前よく知っているな?」

「地理、誰にも負けないっす」

 

「桃太郎さん、これ!」

ワン次郎がさっきからワンワンとうるさく

何かを突き出していた。

 

「なんだよその包みは?」

ワン次郎が風呂敷を広げると、

なかにはおいしそうなきび団子が

びっしりと詰まって入っているではないか。

 

「おおワン次郎、すごいぞ! うまそうだ」

 

「話をきいて母ちゃんが急いでつくってくれてたっすよ」

 

一日じゅう山道を歩き続けた三人は、腹ぺこ。

 

やっと峠にさしかかり、そこから

確かに鬼ヶ島があることを確認した三人は、

切り株に腰をおろしてきび団子を一気にたいらげた。

 

さて、

キジ夫は腰に刀を差している。

相撲はからきし弱いが、もともと武家の出である。

 

あるとき一族のひとりが不始末を起こしてしまい、

家が落ちぶれて村にやってきたのだ。

が、剣術だけは心得ていた。

 

ワン次郎というとなんの特技もないのだが、

怒り出すとウウウッとうなりながら

噛みつくクセがある。

その噛みつきが痛いのなんのって。

 

そんな訳でワン次郎は怒りさえすれば、

すごく強い見方になってくれる。

 

陽が沈む頃、

浜で即席で組んだイカダを漕いで、

三人は鬼ヶ島をめざした。

 

三人が島に着く頃、

鬼ヶ島では酒宴の真っ最中だった。

 

村でさらった娘たちを木につるして火を囲み、

それを眺めながら鬼たちがベロベロに酔っ払っていた。

 

木の陰からそのようすをみたワン次郎が

ウウウッと唸った。

 

鬼の形相になったキジ夫が刀を抜いて、

刃をギラギラさせている。

 

そして、いつ後を着いてきたのか、

どうやってここまで来たのか、

猿仙人が白装束姿で立っているではないか。

アタマには、ロウソクまで立てている。

 

「わしも加勢しようぞ、一世一代の鬼退治じゃ!」

 

「おお、仙人さままで来てくださるとは!」

 

桃太郎は、感激で涙と鼻水がどっとあふれた。

 

そして鬼たちのようすを見計らい、

桃太郎が気勢をあげた。

 

「鬼たちをやっっけてやる、みんな行くぞ!!!」

 

 

ベロベロに酔っ払った鬼たちを、

キジ夫の剣が次々に切りつけた。

 

猿仙人はというと、大きな鬼を軽々と投げ飛ばしている。

 

その後をワン次郎が足といわず手といわず

ところ構わず鬼にかみつく。

 

その鬼たちを一匹づつ、

桃太郎が火のなかに投げ込んでいった。

 

それをみていた村の娘たちから、

感激なのか恐怖からなのか、

ギャーギャーと叫び声が島にこだまする。

 

炎が大きく舞い上がり、

鬼を焼く煙がモーレツな勢いで煙幕をはった。

 

そして島は巨大なバーベキュー場と化した。

 

 

鬼をひとり残らず退治した四人は、

吊された娘たちの縄をほどき、

島の木々に火を放った。

 

そしてイカダを3往復させて島を離れたのだった。

 

 

元きた峠まで戻った一行は、

丸焦げになった鬼ヶ島を遠くに眺めながら、

食べ残した鬼のバーベキュー肉を切り株に広げ、

皆で舌鼓をうった。

 

そして村には再び平和が戻った。

 

桃太郎はゆきちゃんと所帯をもち、

年老いたおじいさんやおばあさんに代わり、

畑仕事や焚き木とりに精を出すようになった。

 

相変わらずキジ夫やワン次郎と、

相撲稽古は続いてはいるが…

 

という訳で、めでたしめでたし

 

幸福な時間とは

 

最近、絵を描くことに挑戦しているが、

ぜんぜん上手くならない。

 

雑誌「一枚の繪」もかなり買い込んだ。

ぺらぺらと眺めていても、どれも上手い絵ばかり。

 

Pinterest(ピンタレスト)という画像アプリで、

仕事の空いた時間に世界の名画とか印象派の絵、

ニューヨークアートなどもけっこう丹念にみているが、

やはりため息しか出ない。

 

そのうち、何のプラスにもならないような気がしてきた。

 

そもそも小さいときから絵は下手だったし、

図画工作の時間も苦痛だった。

なのに、中学一年のときの美術の時間に

クリスマスカードを描くことになり、

そのときアタマにパッと絵が浮かんだのだ。

 

雪のなかをトナカイが、

サンタを乗せたソリを引いて疾走している。

背景には北欧の針葉樹が雪をかぶっている。

遠くに赤い家がポツンと建っている。

 

誰でも思いつきそうな絵柄ではあるけれど、

そのときは我ながら「すごい」と思ったのだ。

そして思いついたからには、それを必死で描いた。

こればかりはかっこよく描かなくちゃ…

 

必死で描く理由が他にもあった。

同じクラスの好きな女の子に、

その絵をプレゼントしようと考えていたからだ。

 

結果、先生にも誰にも褒められなかったし、

ひいき目にみても上手いとは言えない出来だった。

 

結局そのクリスマスカードは好きな子に渡すこともなく、

机の引き出しのなかにしまい込んでしまった。

 

けれど、この創作の時間というものには、

思いがけない収穫があった。

夢中で描いていたあの時間が、

あとでとても幸福だったと気づいたからだ。

 

あの濃密な時間は不思議なひとときだった。

 

それはギターの練習でも味わったし、

高校の吹奏楽部でのトランペットの練習でも、

拳法の鍛錬でも味わった。

受験勉強も仕事でも、たびたび感じることができた。

 

それがいわば集中力というものと同じなのか、

僕には分からない。

 

けれど、その基準はきっと、

「時の過ぎるのも忘れてしまう至福のとき」

だったような気がする。

 

 

そしてもうひとつ気づいたことがある。

 

絵が上手いとはどういうことなのか?

その疑問が今日まで続いている。

 

絵画教室というのもあるけれど、

どうも気が進まない。

そういうところで習ったひとの絵を

幾度となくみたことがある。

皆ホントにみるみる絵が上達するし、

上手いとは思うのだけれど、

どれも一様に惹かれるものがないのだ。

 

そこが分からないのだ。

そのあたりが僕の絵に対する謎であり、

いつまで経っても解くことができない

知恵の輪のようなものになっている。

 

幸福な時間の過ごし方の一端は

掴んだような気がするけれど。

 

 

 

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

新年明けましておめでとうございます

 

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

最近は、古い映画や音楽ばかり観たり聴いたりしています。

やはり感度のいい時期に接したものは忘れませんね。

 

映画では、クリント・イーストウッドの「許されざる者」が

良かったですね。

彼の当たり役である「ダーティーハリー」シリーズより

もっと古いけれど、まだ観ていない方にはおすすめです。

筋はシンプルだけど、見応えがあります。

 

音楽は、歌謡曲、フォークソングからグループサウンズ、

ソウルミュージック、ジャズ、フュージョンと、

テキトーというかデタラメに聴いています。

 

ここ数日は映画「フットルース」の主題曲にはまってます。

フットルースってどういう意味なのか気になって調べてみたら、

まあ「足のおもむくまま気ままな」でした。

あえて肉付けするなら、

 

―夢ばかり追いかけている風来坊―

―気ままな旅行者―

―好きな所へ行けて好きなことができて…―

 

というような英語の例文が出ていました。

なんかいいですね。

若かりし頃、まさに自身が描いた理想です。

この映画、余計に好きになりました。

 

と言うわけで、

みなさまにとっても良い年でありますように!

 

 

アウトドアで年を越したら…

 

家庭の事情により、若い頃から

年越しはほぼ外で過ごしていた。

(少し不良だった気がするけど)

 

初めて外で年を越したのは中学2年のとき。

学校の友達と二人で川崎大師に行った。

 

京浜急行の川崎大師駅は人で溢れていて、

朝のラッシュアワーと変わらない混み具合。

お寺までは、夜店や屋台がひしめいていて、

とても夜中とは思えない賑やかさだった。

 

ぞろぞろと歩いてようやく行列の最前列。

そこには巨大なさい銭箱があって、

白い布が敷いてある。

100円玉、10円玉、5円玉がどっさりとひしめいている。

そのなかにお札が幾枚もひらひらしていた。

 

あっけにとられてまごまごしていると、

後方からお金がビュンビュンと飛んでくる。

僕は大きなフードの付いたジャンパーを着ていて、

そのフードのなかに

お金がどんどん入ってくるのが分かった。

 

後で屋台のうどんを食いながらフードをのぞくと、

なんとお札も入っていたので、

このお金で横浜駅までタクシーで

帰ろうということになった。

うどんは自前で払った。

 

国道に出て、さてタクシーを拾う段になると、

僕と友人はなんだか急に後ろめたい気持ちになった。

そして、そのさい銭について話し合うこととなった。

 

話の内容はざっとこんなものだった。

このさい銭を投げた人たちのなかには、

必死の思いで年越しで願掛けにきた人たちも

いるのではないか。

そのお金を大師さんに届けることなく、

タクシー代に使ってしまうのは、どうも罪が深い。

これでは罰当たりになってしまう…

 

ということで、

二人はとぼとぼと川崎大師に舞い戻り、

再び行列に並んで

さい銭箱にそのお金を投げ入れた。

 

なんだか時間だけが過ぎてしまい、

時計をみるとすでに午前2時をまわっていた。

駅に行くと電車はすでに止まっていた。

しようがないので二人は横浜をめざして

国道を歩きはじめた。

 

横浜に着く頃には

夜が明けて電車も走り始めるだろうと、

あまい推測で歩いていたが、

国道に吹く海風があまりに冷たくて、

僕らの身体は冷え切ってしまい、

くたくたになってしまった。

 

お互いに話す気も失せてしまい、

だんだんもうろうとしてきた。

 

歩く体力も気力もなくなり、

僕たちはガードレールにもたれかかって、

途方に暮れていた。

 

と、一台のトラックが止まってくれた。

「ヒッチハイクしているのか?」

「いや、まあそんなもんですが」

「どこまで?」

「横浜駅までです」

「通るから乗せてってやるよ」

「ありがとうございます。助かります」

 

偶然というべきか、ラッキーなことって

起きるものなのだと思った。

 

そして相手がどんな人か疑いもせず、

僕たちは極度の疲れからか、

クルマに乗り込むと即、眠り込んでしまった。

 

「君たち起きなさい、横浜駅に着いたぞ」

あわてて僕たちは目を覚ます。

 

そしてそのドライバーさんに

深くお礼をいって駅をめざした。

 

始発が出るまで僕たちは、

プラットフォームで再び眠り込んでしまった。

 

という訳で外での年越し初体験は、

思わぬハプニングに見舞われた。

 

この一件で僕のなかでは、

後のいい教訓となった。

曰く、もう少し計画性をもてと。

 

その後、箱根の強羅付近を歩いていて、

年がかわったことがある。

また河口湖のスケートリンクで年を越したこともある。

いずれも酷寒だったけれど、

前もって防寒服と食料と飲料を準備していたので、

楽しく年を越すことができた。

 

エネルギーが溢れていた頃だから、

何かをしないではいられない。

そんな気持ちも、

外での年越しを後押ししていたような気がする。

 

にしても、さい銭泥棒にだけには

ならなくて良かったと思っている。

いまさらながら。

 

フジコ・ヘミングのコンサートへ行ってきた

 

 

 

クラシック音楽、好きですかと聞かれると、

それほどでもとこたえるだろう。

正直、クラシックという柄じやない。

 

以前のブログでも書いたけれど、

リストという作曲家のラ・カンパネラを弾く、

フジコ・ヘミングは別である。

 

イタリア語で鐘を意味するラ・カンパネラ。

 

ピアノの高音が魅力的でなければ、

あの美しく荘厳な欧州の教会の鐘の音は、

再現できない。

そして、その音に哀愁のようなものがなければ、

ただの音になってしまう。

 

僕は、ん十年前イタリアのフィレンツェでこの鐘の音を

間近で耳にしたことがある。

 

夕暮れだった。

 

それは、日本の寺院から聞こえる鐘の音と、

ある意味で双璧を成す、

美しくも厳かな響きだった。

 

フジコ・ヘミングは、その鐘の音に

心を宿したといっても過言ではない。

 

ラ・カンパネラという曲をピアノで弾くのは、

超絶技巧である。

それは演奏を観ているシロウトの私でも分かる。

 

リストは、この曲をピアノで弾く際に、

器用さに加え、大きい跳躍における正確さ、

指の機敏さを鍛える練習曲としても、

考えて作曲したというから、

天才のアタマは複雑すぎて分からない。

 

この難曲を正確無比に弾くという点では、

辻井伸行の右に出るピアニストはいない。

彼もこの曲に心を宿しているひとりに違いない。

 

 

では、フジコ・ヘミングの何が僕を惹きつけるのか?

 

それは、人生を賭けたピアニストという職業に

すべてを捧げたフジコ・ヘミングが、

ラ・カンパネラが自身に最もふさわしい曲と、

ある時期、確信したからと想像する。

 

真っ白なガウンのような豪華な衣装で彼女が登場すると、

当然のように満場の拍手がわく。

杖をついている姿はこちらも折り込み済みだけど、

もう90歳近いこのピアニストの演奏を

いつまで聴けるのだろうかと、ふと不安がよぎる。

 

しかし、彼女が弾き始めると会場の空気が、

いつものようにガラッと変わる。

これはどう表現したらよいのか分からないが、

とても強いエネルギーのような旋律が、

その場を別の次元にでも移動させてしまうほどの、

力をもっている。

 

興味のない人でも、たかがピアノなのにと、

平静を装うことはまずできない。

そんなパワーのようなものをこの人はもっている。

 

レコードやCDで聴くのとはなにかが違う。

いや、全く違う。

そっくりだけど別物の存在なのだ。

 

僕はクラシックがあまり好きではないし、

知識も素養もない。

 

だけどフジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは、

どういう訳か、とても深い感動を得ることができるのだ。

 

 

 

河原で久々のたき火です

 

例の騒ぎで閉鎖されていた河原がやっと解放されました。

 

 

近所の知人と、薪を5束と着火剤とイスとテーブルと

サンドイッチとコーヒーをもって、久しぶりに河原におりる。

 

この日の河原の気温は、推定3度くらい。

さっさと火をつけないと底冷えと湿気が身体にまとわりつく。

ユニクロのヒートテック、いまひとつのような気がしましたね。

 

 

火が安定するとホッとひと息つけます。

イスに身体を沈めて、コーヒー&サンドイッチ。

で、後は世間話をするだけなんですが。

 

 

僕がたき火に行ったと話すと、

たき火未経験の友人、知人は必ずこういうのだ。

 

「たき火だけ? なにか面白いことあるの?」

 

僕もそう思っていました。

 

 

たき火初体験は、丹沢の山の中でした。

アウトドア・ベテランの知り合いに連れてってもらいました。

このときは数人で夜中まで火を囲みました。

話すこともなくなると、みんなおのおの星空を仰いだり、

薪をくべながら火をじっとみていたり。

僕は、背後の木々のあたりから、赤い目がふたつ光っていたのが

忘れられません。

 

火をみていると、黙っていてもなんだか間がいい。

話し続ける必要もないし、それより沈黙がよかったりする。

 

 

刻々と変化する山のようすだとか空の色だとか、

時の移り変わりを身体で感じることができる。

 

火をじっとみていると、なんというか、

とても古い先人たちのことを僕はアタマに描く。

 

火を扱うことを覚えた古代のひとたちは、

肉なんかを焼いたりすることで、

とても感動したんじゃないか…

 

そんな遠い遠い記憶が、

僕たちにも刻まれているのだろうか?