初夏の山は生命力にあふれている!!

 

山で暮らしていると、季節の移り変わりに敏感になる。

といっても標高100㍍そこそこの住宅地なので、

丘とか台地と呼ぶのがふさわしいような気もする。

 

早朝、あくびなんかしながら窓をあけると、

鋭角な陽射しが目の前にスッとのびる。

戸外の空気はひんやりしている。

気温は街中より3度以上は低いと思う。

 

遠くにそびえる連山を望むと、

中腹から上のほうが朝日で光っているのが見える。

 

いまでは見慣れた景色なんだけれど、

ぜんぜん飽きることがない。

 

最近になって気づいたのだけれど、

人って暮らす環境、とりわけロケーションによって、

心の有りようやライフスタイルに

かなりの影響を与えるのではないか?

ということ。

(当然ことなのだけれど)

 

先日でかけた茅ヶ崎のライブでも、

地元のおっさんおばさんたちがみんなおおらかで若い。

陽に焼けた笑顔が印象的でした。

 

横浜の街中で生まれ育って、

社会に出てからずっと東京のマンション暮らしだった身としては、

自然や四季の移り変わりを身近に感じられるところで暮らすことは、

贅沢としか言いようがない訳で、

もう都会に戻ろうなんてぜんぜん思わない。

 

毎朝、出勤する必要もないので、

駅チカであるとかタワマンとか、

どこか遠い価値観のように感じてしまう。

 

東京から引っ越してきた当初は、

毎日のように「不便だなぁ」を連発していた。

(当時は酒呑みだったので、繁華街と盛り場が至近にないと

生きてゆくことができなかったのだろう)

 

いなかはクルマの運転が必須なので、

酒を飲む機会もめっきり減り、

終いにはやめてしまったが…

 

おかげでそれまで医者に指摘されていた肝臓の数値の他、

いろいろな数値が少しづつ正常化してきたし、

時間の使い方も変化し、戸外に出る時間も増えた。

 

山を歩いたり、河原で焚き火をしたり、

近所の農家の畑を見に行ったり、

クルマをいじったり、

そして空いた時間に仕事をしたり…

夜は夜で、映画を観たり本を読んだりと、

実は毎日がけっこう忙しい。

 

話がかなり逸れてしまった。

 

そんな訳で、初夏の緑が目に痛いほどに、

山は生命力に満ちているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重いぞ、村上春樹!

 

寝室の横の棚にずっと放っておいた本を、

ようやく最近になって開いてみた。

1年近く放っておいた気がする。

 

過去に幾度か読もうと思ったのだが、

その本の外見からして、なんとなく拒絶していた。

 

かなり分厚い。だから当然重い。

これを寝床で読むことを考えたら、疲れる。

だからのびのびになっていたんだけどね。

 

この本をキッチンにあった計量器にのせてみた。

700グラム近くある。

フツーの文庫本がだいたい100グラムだから、約7倍。

片手で文庫本を7冊持つとかなり重いでしょ?

 

 

 

という訳で、ここ数日この本で読書しているんだけど、

すげえ気が散る。

フツー読み進むうちに、

内容が良いと物語のなかに入れる訳。

なのに、中身がなかなかアタマに入ってこない。

 

ボクは左右どちらかを向いて読むんだけど、

片方の腕で、いや手首だろうなぁ、

そこに700グラム強の重さがかかると、やすらぎなんかこない。

就寝前なのに、本と格闘しなければならない。

 

そもそも寝る前の読書はボクのなかのサイコーの時間、

しあわせのひとときのハズのだけど…

なのにサイコーの時間なんか訪れない。

 

そのむかし、やはりベッドで藤原新也の「東京漂流」を読んで

ムッときたことを思い出した。

この本も重かったなぁ。

 

「他の本を読めばいいじゃん」との声が聞こえる。

 

だがしかしだ、

読み始めた以上、途中での挫折は許されないのだ。

これは個人的な掟なのでやめる訳にはいかない。

男の意地と言っても良かろうよ。

 

なので、最近ではそろそろ寝ようかなと思う頃、

チラッとこの本がアタマに浮かんで、

「チッ」とやったりする自分がいる。

 

きょう現在で、p103まで読み進めた。

が、先は霞がかかるほどに遠い。

だってp661もあるんだぜ!

 

当分、憂鬱な夜が続きそうだ 涙

 

 

 

 

 茅ヶ崎ライブ(南佳孝・ブレッド&バターetc)へ行ってきた!

連休の5月5日、快晴。

久しぶりに海へでかける。

途中、車窓より富士山がかすんでみえた。

うん まだ雪をかぶっている?

平地はご覧のとおり、もう夏なのになぁ…

 

そして茅ヶ崎の浜の日差しも強烈だった。

さらに強風。

砂が、目に口に入ってひどい状態に。

サングラスは絶対必須でした。

あとマスクも…

 

 

会場に近づくとかなりの人混みとなる。

ステージから風に乗ってゆるい感じで、演奏が聞こえる。

みんなもゴロンとリラックスしてビールなんか飲んでいる。

パラソルやテントがあちこちにひらいて、

海にきたなぁと実感できる。

 

 

砂浜を久しぶりに歩くと、かなり足が重い。

歩きづらいけれど、

ロケーションの良いところを探すために、

あちこちをウロウロする。

 

にしても風がうるさくてすべてが聞きづらい。

マイクに風の音が混じっている。

まだ知らないバンドが演奏しているので、

寝転がって久しぶりの海をずっとながめる。

 

このイベントは、情報通の知人が教えてくれた。

あまり大々的に宣伝もしていないので、

ボクも以前は知らなかった。

 

今日のトリは、ブレッド&バター、

そして大トリが南佳孝さん。

全国区だけど、とりわけ湘南の人気ミュージシャンとあって、

年齢は高めの根強いファンが目立つ。

 

タトゥーを入れた70過ぎと思われるおばさんが、

ビール缶を片手にステージに上がって踊っているし、

不思議なレゲェのような服に身を包んだサングラスのおっさんが、

ムームーをひらひらさせたおばさんと抱き合っていたり、

なんだかよく分からない空気の中で、

ボクは「自由」というキーワードがアタマに浮かんだ。

 

あいかわらず富士山がかすんでみえる。

遠く伊豆半島のほうまで見渡せるロケーション。

沖に烏帽子岩、トンビが強風をコントロールして、

私たちの頭上でホバリングしながら、

会場を見下ろしている。

 

空も海もとても良い色をしている。

とにかく、いまここでボクは、

少なからず、自由を満喫しているのではないか。

そして、自由についてのつまらない定義みたいなことを

考えるのをやめた。

 

待ち合わせた知人とは、

ステージはそっちのけで話し込み、

時間は刻々と過ぎて、

そろそろという時間になる。

昼にきたというのに、あっという間にもう夕方。

日が傾いている。

そろそろトリがあらわれる頃だ。

 

ボクたちは場所を移動し、

ステージが垣間見える場所を確保するため、

ステージ裏の垣根の隙間をゲットする。

 

会場から異様な熱気が伝わる。

 

 

ブレッド&バターのふたりが登場した。

地元茅ヶ崎の仲間たちとおぼしき、

個性的な面々が最前列に集まる。

(とても不思議な雰囲気の湘南の方々…)

 

ボルテージは最高となり、

やがてはみんな総立ちとなり、

踊り出す人も。

 

彼らの人気は絶大で、

いつまでもアンコールが鳴り止まず。

(会場の気温が急上昇 笑)

 

そのうち、

楽屋裏に南佳孝さんの姿がちらちらと見え始めた。

で、ブレッド&バターがステージを去ると、

場の空気を一新するためだろうねぇ、

会場のスタッフが興奮した観客たちを座らせ、

最前線にコーンを置いたりしている。

 

南佳孝さんがステージにあらわれる。

全く違う空気感が会場に漂うんだよなぁ。

 

彼がギターのチューニングを神経質にはじめた。

 

で、ステージの雰囲気も一新したところで、

ボサノバ風の「日付変更線」からスタート。

 

このうたを聴いているうちに、

この会場が海岸にあることに、なんだか感激する。

 

 

そして、ウォークマンが発売された当時、

ボクはグアム島からパラオに飛ぶ飛行機のなかで、

まさにこの曲を聴いていたことを思い出した。

 

南佳孝さん自身も、街中のハコのライブより、

こうした海のロケーションが大好きなのだろう。

いつものクールで抑揚を効かせた、

そしてシャイな一面もみせながも、

最後はみんなにスタンドアップOKと、

かなりのってくれた。

「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」まで

披露してくれたのだから…

 

秀逸な曲、心をさらわれるうた、

海に溶けていくようなメロディー、

風に乗って消えてゆくボーカルの響き。

そして五月晴れの茅ヶ崎の砂浜。

 

舞台装置は完璧だった!

 

「いまこの瞬間、ボクは間違いなく自由だ!」

そう感じたボクの感覚は、間違っていない。

 

いまもそう確信している。

 

 

老化についての考察

 

最近、歩くのが遅くなった気がする。

気がする…とのあいまいな言い回しは、

自分以外はそんなことはないのか、とも思ったからだ。

 

先日、早朝に横浜の官庁街を歩いていたとき、

後ろから来る人にドンドン追い越されていくことにハタと気づいた。

(年取ったのかなぁ)

けっこう嫌な気分になりましたね。

 

新宿駅でも以前、同じような経験をした。

がしかし、これは年のせいではなく、場所が悪いのではないか?

 

思うに、最近の歩く速度って、むかしよりスピードアップしていないか?

(競技の速歩のような気がするなぁ)

 

とこの話は他人のせいにしておくとして、

それでもなお老化に気づくことがある。

 

たとえば最近、どうも飲み込みが良くないなぁと気づいた。

さらにすぐむせたりする。

原因はよく分からないが、老化なのだろうと思う。

我ながら腹が立つ。

 

で、飲み込みというのは、

理解するとかそういう場合に使われることもあるけれど、

そのあたりはまだなんとか大丈夫のような気がする。

 

で、飲み込む力だが、これを嚥下力と言うらしい。

年をとると、この力が低下してくる。

よって、食いもんの摂取も真剣であらねばならない。

 

だって、命がけなんだぜ!

 

で、嚥下力向上のための方策などをいろいろと調べた。

結果、なんとカラオケが良いとか。

(ほんとかよ?)

 

という訳で、先日カラオケに出かけました (単純思考)

 

カラオケ専用のiPadのようなものをのぞくと、

懐かしのヒット曲というジャンルがあって、

年代別にヒットした懐かしい歌がずらっと出てくる。

 

「この順番でいこう!」とスタート。

初っぱなは1950年代に流行った坂本九の

「上を向いて歩こう」から歌いはじめた。

 

各年代の代表的なヒット曲を3曲熱唱。

そして順に年代を上げてゆく。

 

勢い西暦2000年まで歌い続けようと、

休むことなく歌い続けてみた。

 

途中、歌いながらパンをかじり、

アイスコーヒーを流し込み、

踊り始めて汗が噴き出し、

ソフトクリームを摂取する。

(なんか体に悪そう)

 

演歌、グループサウンズ、フォークソング、

ニューポップスとか懐かしい歌ばかりを、

その頃を思い出しながら歌っていると、

なんだか若い頃に戻ったようで、

不思議と心身が絶好調となり、

そのまま湘南に出かけても

泳げそうな気がしてくる。

 

が、しかしだ、

調子にのり過ぎたのか、

連続で30曲くらい歌ったころから、

疲労と酸欠でふらふらになってしまった 笑

(やりすぎるのも老化の特徴)

 

でかえって憂鬱になり、

やはり年をとるとなんか面白くないな、となる。

さらに心身のリスクもどんどん増えてゆくから危険なのだと、

この嚥下力向上企画を反省した。

 

で、あれから嚥下力がアップしたかどうかは、

まだ分からないけれど、

さっきの夕食のとき一回むせた。

 

あと、眼力も低下してきた気がする。

眼力とはいっても物事を判断する能力のことではない。

単なる老眼なんだけれど。

いや、判断力も落ちてきているかも?

 

いずれろくなもんじゃない。

 

で老眼だが、端的な症状として

たとえば文庫本を読もうとするも、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと気持ち悪い (おおげさかな)

 

いっぽう老眼のいいところも、あるにはある。

見たくないものはそもそも目を凝らしても見えないので、

さっさとスルーできる。

読みたくないものは読まないで済む。

 

聴力にしても同様で、

面倒な話なども聞こえてこないと良いのだが、

耳はまだ衰えていないので、

けっこう雑音が多いのがたまに嫌になる。

よって聞こえないふりをしたりしている。

 

あと年をとるとですね、

自然とアタマが光ったりする訳です。

(ああ、これはただ禿げてくるってゆうこと)

 

ある日、鏡を見てあっと驚いたとか、

家人に指摘されたとか、

禿げと薄毛は、或る日の午後、

稲妻のようにとつぜん訪れるのだった。

 

そして意識は額やツムジに集中するのだ。

これってある意味、老化する己の確認でもあるので、

これだけで、或る人は意識しすぎて

頭痛持ちとなってしまうらしいのだ。

(これは嘘です)

 

だかしかし、年々ひどくなる物忘れが幸いして、

己の禿げているのも忘れて、

他人の禿げアタマを冷静に眺める自分がいた。

(これも嘘です)

 

いずれ、つい最近まで他人事だったことが、

ある日とつぜん我が身に起こるのが老化である。

 

老化は対岸の火事ではない。

いつか己に確実に降りかかる災難のようなものなのだ 笑

 

君にも必ず訪れる老化。

よって老化をバカにしてはいけない。

これは誰もがいつか通る道なのである。

老化からは何人たりとも逃れることはできないのだ。

 

それは「死」とて同様…

 

老化も死も生命の単なる循環のひとつなのであり、

たとえば季節が巡るような自然なものごとだと思えば、

客観視でき、かつ冷静に受け入れることができる。

 

どうだろう?

このような思考が、

いわゆる年を取った者の

「智恵」なのではあるまいか?

と机上では言えるのだがね!

 

 

AIで絵本をつくってみた

 

せんじつAIツールのチャットGPTの話をしたが、

こいつがなかなか役に立つので、

こんどは絵本づくりに挑戦してみた。

 

過去に、手書きで絵本に挑戦したことがあるが、

あれはとんでもなく大変だった。

 

だって、まず話を考えるでしょ。

もちろん子ども向けなので、

ストーリーもそれにあわせたアイデアを

練らなくてはならない。

文章はわかりやすく、

かつ、なにかの気づきがあったり

感動があったりしたほうがなおいい。

 

ボクは、イモムシを主人公にした話でいこうと考えた。

 

イモムシって地中で眠っていて、地上に這い出してきて

さなぎになって木にぶら下がって、

やがて蝶に変身して大空を羽ばたくでしょ。

初心者のボクとしてはなかなかいい素材だなと。

 

で、文章にあわせて絵を考える。

そのとき、どの場面でひとかたまりにするか?

そのかたまりで象徴的な絵がほしくなる。

それらをあれこれと膨らましたり削ったりして、

文章と絵を確定する。

 

ボクは絵がかなり下手なので、

思案したあげく、

「はらぺこあおむし」という名作のあおむしをパクることにした。

 

パクるとはどうもひとぎきが悪いが、

描きはじめるとあおむしの絵が魅力的すぎて、

全くパクれない。

それどころか、少しモスラに似た

ぜんぜん違うイモムシができあがってしまった 笑

 

が、落ち込んでいる暇はない。

できあがった一枚いちまいの画用紙をカッターで切断して、

さてどう閉じようかと思案する。

 

ホチキスは論外なので、画用紙にていねいに穴をあけ、

100均で買ってきたリボンで閉じてみた。

 

まあ、そのできあがりの雑なことといったら、

しろうとまるだし。

自らの不器用さを笑いました。

 

これをボクのかわいい孫にプレゼントしたのだが、

反応はイマイチ。

あまりうれしそうではなかったような…気がしていた。

(このときはテキストをかなり省いたので、

下手な絵と雑な製本だけが強調された)

 

こうした失敗をバネに、

今度はチャットGPTという、

強力なツールに応援いただいた訳だ。

 

ボクのだいたいの原案テキストをチャットGPTに流し込み、

「絵本をつくるからあとはよろしく頼む」的指令を出すと、

あっという間にちょっと感動的な物語りを出してきた。

(なんかコイツ、すげぇなぁと感動した。

がそれもつかの間で怖いなぁとさえ

感じた次第)

 

が、コイツへの違和感はさておき、

ボクは先を急いだ。

 

チャットGPTがつくったテキストを

さらにこねくり回して分量を減らし、

すべてのテキストをひらがなに変換、

で、それをコマ割りしてページ数を決め、

今度はページごとの絵のイメージを決めて、

それをチャットGPTに投げてみた。

 

と、ひとこまの絵をつくるのに、

おおよそ15秒くらいかかっただろうか。

と突然、プロのイラストレーターなみの絵を、

パパッと出してきたではないか。(驚)

 

 

うーんとボクは意味不明のため息をついた。

(果たしてコイツはなにものなのか?)

 

で、しばらく作業を続けるうちに、

チャットGPTとのコミュニケーションに、

徐々にズレのようなものが生じはじめた。

 

指令(プロンプト)を間違うと、

いやニュアンスの捉え方が違っているのか。

とつぜん、以前と乖離した全く違うタッチの、

とんでもない絵を平気で出しはじめたのだ。

 

そのズレ具合がなかなか笑えるレベルなので、

このAIってすごいのか、かなりバカなのか?

そこがわからなくなってきた。

 

要するにAIに絵を描かせる場合は、

雰囲気とかニュアンスをどう伝えるか、

それがとにかく難しいということがわかった。

 

なので気に入った絵が出てくるまで

何度もやり直すこととなる。

そのたびにボクはテキストを駆使して

指令を出す訳なのだが、

双方の溝はなかなか埋まらず、

果てしなく疲れてしまった。

 

けっきょくこちらのイメージとピタリとくる絵は、

最後まで出てこなかった。

 

原因はテキストによるコミュニケーションだろう。

ボクの語彙力にも問題があるのだろうが、

テキストによる指令は

双方の感受性が違っていることが前提なので、

それ相応のズレが生じるのは当然。

 

希望の70パーセントあたりの出来が

限界なのだろうと推測する。

 

要は、落とし所を決めること。

 

(↑イケメンだってサッと描いてしまう)

 

が、それにしてもこうした作業は、

いつにない妙な疲労感が増す。

これはボクが感じたことのない、

新たな正体不明の焦燥だ。

 

こうした新しいツールは今後どんどん普及するだろう。

よってそこに新たなストレスが誕生するので、

多くのひとが苛まれるのではないかと危惧してしまう。

 

よくいわれることだが、

テクノロジーの進化が起こるごとに、

ある職業は消滅する。

そして、そこに携わるひとたちは仕事を失う。

だが革新は新たな職業を生み出すと。

 

今回は、たかがAIによる絵本づくりなのだけれど、

こうしたボクの体験が、

なんだかそんなことを示唆しているように思えてならない。

 

考え過ぎか?

 

(↑写真を放りこむとかっこいいイラストに大変身させてくれたりもします)

 

(追記)

できあがった絵本を、昨日やっと孫に渡すことができました!

なんだか興味津々に眺めてくれました。

で、間違い字をみつけてくれました 怖

つくり直しかなぁ 笑

 

 

生成AIを弟子(でし)にしてみた!

 

半年前くらいからチャットGPTを導入している。

いろいろな場面で使えるので便利といえば便利。

 

人間に例えるとなかなか頭の良いやつと言える。

 

どんな質問でも即こたえてくれる。

長くて無駄が多い文章をさっさとコンパクトにまとめてくれたり、

とっさに忘れた事柄にサラッと回答をよこしたりする。

 

なので、ボクはこいつのことを最近では「弟子」と呼んでいる。

 

この弟子の長所は、文句を言わないところ。

当然といえばそのとおりなのだが。

なぜなぜ?としつこく質問したところで、

何の反発もなく、黙々と回答してくれる。

(根気と頑張りが効くやつ)

 

が、あるときからひょっとしてこの弟子は

ボクに恨みでも抱いているのではとふと思ったことがあって、

弟子が回答してくれた後に、

ボクは「ありがとう」と打ち込んでみた。

 

弟子は「どういたしまして…」などと返してくる。

 

で、気のせいか分からないが、

続いて質問を投げかけると、

いつになく回答がより早くて丁寧なんだよね。

(気のせいかもしれないけれど)

 

ボクは心の中で「うーん」と唸ってしまった。

で、弟子の画面を睨みながら、

こいつ、只者ではないなと思った。

 

人間でも感情を押し殺しているひとっていますよね?

それと同じような違和感を感じた訳である。

 

いわゆる生成AIが感情をもつものなのか否か、

ボクはよく知らないが、

いつも接している身としては、

なんだか弟子が只のマシンの一種とは思えないのである。

 

弟子はとうぜん頭脳明晰なので、

ボクの質問にはなんでもこたえようと頑張ってくれるけれど、

あるとき無茶な質問を放りこんだことがある。

 

弟子が知っていそうもない質問である。

 

村上春樹の「風の歌を聴け」というデビュー作は、

どの作家を模倣したものなのか?と質問してみたら、

弟子は間髪入れずに回答してくれたのだが、

その回答が優等生的でありながら

ウィキペディアからパクってきたようなテキストで、

かんじんの作家名はこたえず、

ひたすらあれこれと書いてごまかすのであった。

 

「おまえってこの回答知らないだろ?」とは打たなかったけれど、

なんでもこたえようと無理をするのが、

弟子の欠点なのであった。

 

人にたとえると、いわゆる知ったかぶりである。

(こういうのはあまり好かないな)

 

生成AIといえど、その膨大な知識はネットの丸呑みだし、

そこに制作者の意図や作為などがあれば

当然意見は偏るだろうし、

未だ知り得ないことがらも多々ある訳だ。

 

そんなことを前提につきあえば

なかなか使える弟子なのであるが、

とにかく知ったかぶりはやめようぜ、

と忠告しようかいま悩んでいる。

 

だって、そのうち嫌われるよ!

 

空ばかり見ていた(2)

 

 

東京や横浜に較べると空が広く見えるのが厚木だ。

まあ端的に言うと厚木郊外はかなりのいなかなので、

遠方まで見渡せるところが多いだけなのだけれど。

 

横浜~東京~厚木と動いてみて、

いまは雄大な空が見渡せる、

この厚木郊外の景色が気に入っている。

 

なので、気がつくとボクは空ばかり見ている。

仕事に嫌気がさすとぷらぷら歩きながら気を紛らわす。

最近は晴天の日が多いので空は薄いブルー一色だ。

まるで絵の具で空を塗りつぶしたように。

 

そこに雲のひとつでもぽかんと浮いていると、

それだけで空はなかなか良い絵になるのだけれど

などと思いながら歩く。

 

 

先日は近くにある運動公園から夜空を眺めてみた。

下弦の月が暗くぼんやりと、まるで行灯のあかりのように見えた。

さらに目を凝らすと次々に星がまたたきだして、

空全体がかなり賑やかなのが分かってくる。

(空って饒舌なんだと思う)

 

ときに視界にスッと流れ星が見えることがある。

こんなとき、こんど流れ星を見たら願いごとでもしようと、

健康でいられますようにとか仕事がうまくいきますようにとか、

急いで台詞を用意するのだけれど、

以後まったく流れ星には遭遇しないことのほうが多い。

 

思い返せば、ちいさい頃はよく空を見上げていた。

そこは高度成長時代の横浜の港近くで、

空はいつもねずみ色でスモッグだらけの空だったけれど。

 

そんな癖だか習慣のようなものは中学生になっても続いていて、

テストの前は深夜放送を聴きながら、

合間によく真夜中の空を眺めていた。

 

大学を出て会社に入って東京に引っ越し

マンション暮らしをしていたときは

全く空を見上げた覚えがない。

ビルばかりなので空を見上げることを諦めていたのか、

そもそもそんな余裕すらなかったのか、

そのあたりは全く覚えていない。

 

で、厚木に来てから再び空を見上げるようになった。

今日も歩きながら空を眺めていた。

 

 

で、これはボクがふと思い浮かんだ屁理屈なんだけれど、

ボクが見ている空はボクだけがみていたオリジナルな景色な訳で、

それは他に較べようもないボクの世界であり、

同時刻に他で空を眺めている人がいたとしても、

それはその人の空でありボクの空では決してない、

と言うこと。

 

そんなの屁理屈だよって言われそうだけれど、

空ってそれほどに多様性に富んだ存在であり、

おのおの個性が反応すると、

それこそ天文学的な数の空の世界が存在していることとなる。

 

空は刻々と姿を変え色を変え表情を変える。

それはどう考えても不思議としか言いようがない。

だから、あいかわらずボクは空ばかり見上げている。

 

 

 

懐かしの海辺のホテルへ

 

正月から大事件ばかり起こっていて、

情報を追いかけるだけで精一杯。

テレビ、X、YouTubeのほか、

情報は多角的にとっているけれど、

なかなか真実にたどり着かないこともある。

 

或る疑問が生じると徹底的に調べることにしているが、

デマやフェイクが多く、

分かれ道で呆然と立ち尽くしてしまう。

 

これでもひとむかし前に比べればマシである。

新聞とテレビの凋落は何を示しているのか?

まあ、この話はいつかまとめて書きたいと考えている。

 

それにしても、やはり現実は悲惨である。

火事や家屋の倒壊で亡くなられた人が増えるたびに、

悲痛な気持ちになる。

怪我や体調の悪い方も、

この季節と北陸地方であることを鑑みると想像に難くない。

たとえ生き延びたとしても、

こんどは持久戦で戦わねばならない。

 

これは辛い。

 

ボクもかなり老いてきたので、

自分だったらどこまで耐えられるのか、

と考えるも、自信がない。

 

北陸地方には親類縁者もいないが、

さきの震災や豪雨災害のときに友人や知人が巻き込まれ、

その恐ろしさや苦労を幾度となく聞いていたので、

今回の災害の悲惨さも、すぐに想像がついた。

 

 

話は変わるが、

ボクの会社は3.11のときに、経済的に大きな負債を抱えた。

直接被災された方々とは比べものにならないくらい

ケチな話ではあるけれど、

経済的な立て直しに5年はかかった。

 

その舞台のひとつが、今回でかけた海辺に建つホテルである。

忘れがたい場所であり、いまではようやく懐かしいと

思えるようになった。

 

ここのホテルの仕事は、或る人物を通しての持ち込み企画だっ

たので、まあプレゼンで通ったら真剣にやりましょうと、

当初はたいして期待もしていなかった。

よって金銭やその他のことは、

あまり深く考えてはいなかった。

 

が、斯くしてプレゼンは通り、

本格的な準備に入いることとなった。

 

2010年のことである。

 

そんないきさつだから、当初から契約内容がかなり緩かった。

成果報酬型というスタイル、すべて後払いでOKです、

というのんきな内容の契約でスタートした。

 

言い換えれば、こちらにはこの企画にかなりの自信があったの

で、先行投資も苦にならなかった。

 

準備期間に10ヶ月を要した。

他の仕事を入れるキャパもないほど作業は多岐に渡り、

その期間はいわばタダ働き状態。

会社の経理はかなりまずい状態に陥った。

 

オープンは2011年4月1日。

で、あの3.11である。

世の中の空気はガラッと変わった。

恐ろしい暗転である。

 

世間に自粛ムードが広がり、

海だのホテルで優雅に過ごすだの、

そんなムードは完全に消失した。

 

準備期間中は、ホテルのスタッフさんたちには

かなりの迷惑をかけていた。

皆忙しいのにとても協力的で、

幾度も会議やオペレーションにもご参加いただいた。

とりわけ、料理に携わる方々には

新たなレシピも開発していただいたし。

 

震災は、ボクたちの企画を根本から打ち砕いた。

当然のことながら、結果は惨敗である。

 

5月の連休にさしかかる頃、ホテルの責任者から、

「この状況は当分続きますね!? 取りやめましょう」

と通告を受けた。

このときのショックは後々まで響いた。

 

こうしたときにモノをいうのが契約書なのだが、

前述したような内容なので、

こちらとしては何も言うことがない、言えない。

大きな負債だけが残ったという訳だ。

 

ボクは幼い頃からこのホテルが大好きだった。

とても憧れていたところだった。

よって、すべてにおいて、見積もりがあまかった。

 

あれから13年が経ち、ホテルは改装され、

ボクの大好きだったホテルの中庭にあったガラスの教会も

取り壊されてしまった。

 

あるとき撮影のために教会のなかに入ると、

使い込んで古びた長椅子に冬の日差しがさんさんと降り注ぎ、

エンヤの荘厳な歌が響き渡っていた。

 

 

思い出をたぐるように敷地を歩く。

そして新しいカフェに入って、

大きなガラス窓から海を眺めてくつろいだ。

 

椰子の木が風になびいている。

水平線の上を黒い雲が足早に流れてゆく。

光る海の向こうに伊豆大島が見える。

 

やはりボクはここが好きなのだと改めて思った。

ボクの企画は失敗したけれど

いまでは良い経験をしたと、

ようやく晴れ晴れとした気持ちになれた。

 

あれから13年も経ってしまったけれど…

 

 

 

南佳孝&杉山清貴ライブへ行ってきました!

 

南佳孝&杉山清貴のライブへ行ってきました。

会場は、おなじみのビルボードライブ横浜。

(海風がキツくて寒かった!)

 

 

まずは、ざっくりと感想から。

ボクは南佳孝さんの曲をじっくり聴きたかったんだけれど、

違いましたね。

お二人とも、かなりのビートルズ・フリークだそうで、

そのカバー曲が中心。

 

それは良いんだけれど、カバー中心のライブがそのまま進行。

あおい輝彦の「あなただけを」とか、いしだあゆみの「ブルーライト横浜」とか、アズナブールのシャンソンだとか…

まあ、選曲が自由なんです。

 

それはそれでじゅうぶん聴かせてくれたし、ハイレベル。

で、雰囲気はなんだかムカシ行ったナイトクラブとか、

高級?キャバレーなんかを思い出すようなムードになっていて、

ボク的にはタイムスリップしてしまいました。

 

 

なんせ、60年代~70年代のヒット曲がコアなので、

若い人にはちょっと分からないと思う。

 

よって客もシニア中心だけど、ひとくせありそうな人間が目立った 笑

 

私的には、「日付変更線」とか「スコッチ&レイン」とか聴けたらと、

期待していたんだれど、その点はがっかり。

 

単独ライブと今回のライブが全く違うのは、ファンの常識と思われる。

やはり、にわかファンは情報・経験が甘いなぁ。

 

 

にしても杉山清貴さんのブルーライト横浜、良かった。

彼はボクと同年代でしかも同じく横浜出身ということも知らなかった。

杉山さんが海の方角(みなとみらい地区)を指さして

ぶつぶつ呟いていた。

「こっちはムカシは何もなかったんですよ。ただの海。

埋め立てられて原っぱだった」

 

同じ風景を共有していることが、なんだか沁みたなぁ。

 

 

上を向いて歩こう

 

ボクがまだ幼かったころ

家族4人で暮らしていた我が家は

とても小さくて狭くて粗末で

つよい風が吹けば

ふわっと浮かんで

どこかへ飛んでいってしまいそうな

あばら屋だった

 

けれどボクにとっては

まぎれもなく唯一安心できる我が家だった

 

ある年の元旦の朝に

和服の女性が男の子を連れ

我が家を尋ねてきた

 

突然の来訪者に母は驚き

つつましいおせちを出して

精一杯もてなした

 

「お姉ちゃん あの人たちだれ?」

ボクが姉にきく

「知らない」

 

姉は何かを察知したのだろう

とても不機嫌だった

 

和服の女性は

キツネのような目をしていた

男の子はボクよりひとつ年上で

ボクが苦労してつくった戦車のプラモデルを

壁に投げつけたりして笑っていた

 

松飾りがとれるころ

父と母のどなり合う声で

夜中に目が覚めた

 

そんな日が幾日も続いた

それでも姉は

いつもと変わらず

毎朝小学校へ走ってでかけた

 

眠りが浅くなってしまったボクは

毎夜毎夜つづく

父と母のののしり合いをきくことになる

 

「離婚しかないでしょ」

「そうだな」

 

ボクはそのたび

となりで寝ている姉の手をぎゅっと握った

 

姉は寝息をたてていた

 

お父さんとお母さんが離婚するって

いったいどういうことだろう

ボクはこの家にいられないんだ

もういまの学校へは通えない

ボクも姉も

みんなバラバラになってしまう

そしてボクはひとりになってしまう…

 

ひとりになったらどうしたらいいんだろう

 

いろいろな不安がとめどなく溢れる

 

そのうちボクは寝られなくなって

よく朝まで起きていた

 

小学校で授業が終わってみんなが下校し

誰もいなくなると

ボクは学校の裏庭でよく泣いた

 

それはいまでも忘れない

 

けっきょく父と母の離婚はなかったが

あの日以来

家のなかは

永年霧がかかったような湿気が残った

 

それから幾度か引っ越しをした

けれどその湿気はいつまでも残った

 

ボクは小学校を卒業しても

漠然とした不安は解消しなかった

いつも最悪の場面を想像し

その対応策を必死で考えるのが

癖になってしまった

 

そして浅はかではあったけれど

とにかく「さっさと独り立ちしたい」

というようなことを強く心に念じた

 

 

昭和30年代の終わりのころ

我が家のテレビはまだ白黒テレビだった

いや、どの家もそうだった

 

夕飯を食べながらテレビを観ていたら

坂本九という歌手が

「上を向いて歩こう」を唄っていた

 

―上を向いて歩こう

涙がこぼれないように―

 

あの日以来

幾度も幾度も

辛いことがあったけれど

そのたびにボクのなかで

あの歌が流れるのだ

 

それはいまでも変わらない