モノではなく、物語を売る

少々前だが、

日産のセレナというクルマのテレビコマーシャルは、

「モノより思い出」というコピーで締めくくっている。

セレナはクルマ。当然モノだが、このクルマを買うと、ファミリーで

楽しい思い出がつくれます

ーーーそんなメッセージが込められている。

セレナの売り上げに関して、私は資料を持っていないので

分からないが、悪くはないと思う。

というのも、街中を走っていて、よくセレナをみかけるので、

そう思っているだけではあるが…

最近、モノが売れなくなっている、とはどこでもよく聞かされる話だ。

不況というモノサシで計ると、なるほどと理解できる。

だが、その逆の事例も数多くある。

曰く、商品の売り方を変えたら売れるようになったという化粧品や

健康食品、観光地のおみやげまで、

そうした現象は、現実に起きているのだ。

では、その売り方とは、どのようなものなのか?

それが今回のテーマである。

例えば、スーパーにキャベツがズラッと並んでいるとする。

あなたはどれにしようかと迷い、アレコレ手にはするが、決め手がない。

が、ひとつ、早起きの朝どりキャベツ! というカードのついたキャベツに目が止まる。

よくよく見ると、栽培した農家のおじさんの顔写真が添えられ、

このキャベツは柔らかい歯ごたえの品種で、

その良さを引き出すために、

私が早起きして収穫し、

さきほど私が直接納品致しましたーーー

というメッセージが書かれている。

あなたは、すっとこのキャベツをカゴに入れ、

さっさと、次の買い物に精を出すことになるだろう。

モノをセレクトする際の基準は、こうした工夫にある。

この仕組みはすでに使われてはいる手法ではあるが、

こうしてモノの背景を語ることにより、

売り上げを伸ばす方法は、他でも転用可能である。

まず商品ではなく、その背景を語ることに終始するということ。

いま、消費者は、商品の向こうにあるなにかに期待している。

それが物語であり、いわゆる付加価値なのかも知れない。

今後、商品にまつわる背景、物語のニーズは、

より重要になってくるだろう。

※この記事は、弊社ビジネスブログより転載しました

後悔と知恵と

私たちには、後悔するという習性があるらしい。

時間を遡る、ということ。

が、ものごとがやり直せる訳ではない。

後悔はそして、心に暗い影を落とす。

なので、

或る人はいつからか後悔しないと言い張るようになった。

後悔という心の動き。

すなわち、立ち止まり、立ち尽くすこと。

が、立ち止まることは、即ち思考のときであり、

自らの日々の点検にも適しているともいえる。

そして、立ち尽くすことは時間と思考の海原をさまようことであり、

ここから、創意する術が旅立つことに気づくべきだ。

さまようことは後に生きる糧となり、

自らを知ることと心得えたとき、

辛く、奈落のような時間も、

それをかみしめてこそ、救いとなるのかも知れない。

このように、閉ざされた時間には意味があり、

役割がある。

私たちはこうしたものを避けず、尽力すべきであり、

この思考なくして、

生きる意味を見いだすことはできない。

疾風のように過ぎる、たかだか百年幾ばくかの人生に、

息づかいを吹き込む術があるとするならまた、

時間の中に立ち止まることも悪くない。

そこに何があろうと、

過ぎてゆくものと来るべき時の中に身を委ね、

自身、消えそうな程小さい宇宙の生命なのかもしれないことを認識し、

それを感じ、味わい尽くすことで、

私たちは苦痛の中からでさえ、

生きていることの意味についての序章を、

新たにつくることができる。

こうして人は、立ち止まり、立ち尽くすことでのみ、

生きてゆく真意について考え、

やがてそれについての制作物のひとつとして、

自分というもの、そして人生についてのなにがしかを、

ぽつりぽつりと

語り始めるのかも知れないのだから。