フリーになるとはどういう事なのか?

 

いまどき、どの分野でもフリーは溢れるほどいる。

割と気楽に独立できるらしい。

とにかく、フリーの時代に突入したようだ。

 

しかし、フリーってそんなに簡単になれるものなのだろうか?

 

フリーになったら自由になった、

なんて話はまず聞かない。

勤め人時代からあらかじめ収入が約束された、

お客様付きの保証型フリーは別として、

だいたいがまず、経済的に貧することとなる。

あてもなく無計画に独立したりすると、

大やけどを負ってしまう。

羅針盤もなく航海するのと、同じである。

 

私が経験者なので、間違いない。

ここはしつこく念を押してしまおう。

 

―清水の舞台から飛び降りてしまった―

当時、私にはそんな自覚はなかったが、

後々、あの独立は無謀だったなぁと、幾度となく述懐した。

 

フリーになると、まず慣れない営業活動をしなくてはならない。

金銭の管理なども自分でしなくてはならない。

営業は未経験だからとか、

私の専門はクリエーターだから営業はできないとか、

そんな悠長な事は言ってられない。

金銭の出納記録も、地味な作業ながらついて回る。

 

とここまで書いて気づいたのだが、

ここで述べる事は、

潤沢な資金を持って独立する人には無関係なので、

その限りではないことを、一応断っておく。

 

話を戻そう。

勤め人クリエーターは、社内の営業が仕事を持ってきてくれる。

経理に領収書を出せば、金銭は戻ってくる。

仕事が面白くないと、同僚と文句のひとつも言い放ち、

テキトーに流す仕事もあるだろうが、

フリーとなるとそうはいかない。

 

私も勤め人時代は、

会社の業績に関する事を多々耳にしたが、

そのことは全く気にならなかった。

私とは関係がないと考えていたフシもある。

それは、要は他人事だったからだ。

そもそも経営なんていうものもよく分からないし、

責任もなにもなかった。

よって無頓着でいられたに違いない。

 

私がフリーになるとき、

それは嬉しくて意気揚々としていた。

独立の記念にと、なけなしのお金をはたいて、

自らにオーダーの机を新調した。

黒の天板で脚がステンレスの、

いまどきはめずらしくもない机だが、

私にとっては、とても愛すべき机だった。

そこにワープロとプリンターを設置し、

来たるべき仕事の注文に胸は膨らんだ。

 

しかしだ、仕事はいっこうにこない。

 

私の家ではすでに長男が生まれていたので、

日に日にお金がかかるようになっていた。

おむつ代、ミルク代だけでなく、

みるみる成長してくれるのはとても嬉しいことではあったが、

次々に新しい子供服も買わねばならない。

 

そして、預金残高がみるみる減ってゆくのが、

なにより恐ろしかった。

 

来る日も来る日も新聞の求人欄をみるのが、

習慣になっていた。

そのなかで、外部スタッフの募集をみつけると、

即電話をかけ、作品をもって東京中を駆け回った。

業界の知り合いや、そのまた知り合いにまで、

いろいろな頼み事をしたこともある。

 

思えば、プライドも何もない。

そこに残っていたのは恥以外、何もなかった。

 

ときは80年代中頃。

 

世間は金余りでバブルだったが、

私はやっと、どうにかこうにか食える状態になろうかと、

わずかに光明がさしかかった程度の経済状態だった。

ただ、この頃のコピーライティング料や広告の制作料は、

現在のようなアドメニューのデフレ化がなかったので、

私みたいな者でも救われたと思う。

 

思い起こせば、当時のフリーになった人たちは、

それなりに知名度も実力も兼ね備えている、

一握りの一流人ばかりだった。

そうでなければ、先に述べたように、

当時のフリーは、あらかじめお客様を抱えている

保証型フリーとでもいおうか、

まあ、食える見込みがある人たちのみに許された、

職の形態だったように思う。

 

一介の無名な私がやるような事柄ではなかったのだ。

まあ、元々いろいろと無謀な勘違いをする気性なので、

いまでは笑える事ではあるのだが。

 

では、なぜフリーをめざしたのか?

 

そこを考えると、かなり面倒でややこしい事になるのだが、

一言で済ますとなると、

それは性格なのだろうと言うしかない。

 

生まれもったものであるとか、

家庭環境、幼児・思春期に受けた影響などが、

きっと多分に作用しているのだろう。

 

私の家庭は、ほぼ放任だったので、

勝手に何でもやってなさいというところがあった。

おかげさまで、勝手に思うがままに育つ訳で、

そこに歯止めなどは一切なかったし、

それが自由だと信じて疑わないところはあった。

 

よって人から束縛される事を極端に嫌う性格だった。

 

また、父は典型的な公務員だったので、

その姿を幼い頃から観察していた私は、

或る年頃になって感づいた事だが、

父が本来もっていたであろう個性が、

全く私からは見えなかったことだ。

とにかく始終難しい顔をしている。

すべてが時間どおりに過ごす窮屈さ。

幼い私から話しかけられない、役人特有の奇妙な威厳。

そうした印象も、

少なからず私に影響を与えているのかも知れない。

 

あと、これは私独自の性格からくるものだが、

勤め人時代、タイムカードを通して出社する訳だが、

私はあのタイムカードという存在に、

なぜか毎日いらいらしていた。

 

目に見えない束縛とでもいおうか。

あの管理のされ方は、

いまでも嫌な記憶として残っている。

 

しかし、永くいたい会社もあったし、

ユートピアのような会社もあった。

なのに、どうもそのぬるま湯的な雰囲気が、

いつか自分を駄目にするような予感がした。

 

とんでもない会社を転々とした事もある。

それは代表の愛人が社内にいて、

社内の雰囲気が極端におかしい会社だったり、

人を人として扱っていない会社だったり、

専門職として採用されたにもかかわらず、

全く違う部署の手伝いばかりをさせられたり…

 

ちょっと長くなってしまったが、

いろいろな事が重なって、

結局、私は独りを選んだのだろう。

 

そうした傾向をある意味、

社会不適応とでも言うのだろうか?

そこは、いまもって分からない判断なのだが。

 

さて、職業的フリーとは何かだが、

不自由この上ないフリーという名のこの形態は、

いまも社会に増殖している。

 

それは、リスクを取ってでも得たい、

危うく魅力的な何かがあることだけは、

確かなことなのだ。

 

不安定な経済状態を覚悟で臨むフリーという形態。

そこには、金銭を超えるものがなければ、増殖するハズもない。

 

金銭に置き換えられない何か…

その価値がその人にとって大きな存在であればあるほど、

その若者は、そのシニアは、

やはりフリーをめざすのだろう。

 

独りはとてもしんどい。

辛い、苦しい。

けれど、

喜びも愛しさも織り混ざった幾年月なのである。

 

私は遠い昔にフリーからはじめていまに至ったことを

ほぼほぼ良かったと、いまでも思っている。

 

そこには、金銭ではまず解決がつかない何かが横たわっている。

 

―己の船の舵を、人任せにしてはならない―

 

そう、人生観にまで関わる秘密が眠っているからだ。

 

 

アイデアはタダではない

仕事の性格上、

いろいろとアイデアを捻らなければならない。

やっとアイデアがうまれても、

それが仕事上ベターなのかベストなのかは、

どうしても相手次第となる。

自信があってもこればかりは、

結果をみないと分からない。

が、一応社内のベストアイデアとして、

依頼主に提案する。

具体的に、それが企画書であったり

デザインまたはキャッチフレーズ等々、

一応カタチとして表す。

仕事の予算にかかわらず、

私たちも同業者も、常にベストを尽くしている。

なぜなら、予算によってアイデアをひねり出す度合いを

調整するなんて、土台無理だからだ。

とりあえずベストを尽くしてしまうのが、

この職業域に生息する人間の性分なのだ。

よって、苦労したアイデアが採用されると、

とてもうれしい。

悩んだ甲斐があるなぁと、しみじみ思う。

向上心も刺激され、社内的にもいい影響を与えてくれる。

より良いアイデアを捻り出すため、

私たちは過去から現在に至るまで、

それなりのベンキョーと経験と実践を積み、

相応の時間を費やしている。

しかし、仕事の性格上、

そこにビジネスの難しさがつきまとうことも知っている。

思うに、アイデアはまずカタチがないものなので、

どうもそのあたりに問題が隠れているようなのだ。

依頼されたとはいえ、そうそうにモノが動く訳ではないし、

発注と同時に金銭授受が発生する訳でもないのが、

この業界の特徴である。

裏を返せば、こうした仕事の依頼と受注前後に、

双方の思い違いやニュアンスのズレなど、

さまざまなトラブルも発生する。

口約束、曖昧な意味合いのメールなども、

後のもめ事の一因になる。

それは私たちのつくりだすものが、

そもそも実体のないものだからである。

依頼者による評価やその価格などにおいても、

個々の判断によって大きく乖離してしまうことがある訳で、

これは私たちの扱うものが、

面倒な商品であることの証左だ。

アイデアを提案したからといっても、

実はそこに正解はない。

具現化したところで、

ベストとはいえないことも多々あるだろう。

価格においても同様のことが起こる。

では適正価格というものを考えた場合、

それは双方が同意すれば、

それはそれでカタがつくハズなのだが…

諸事情が絡んで、現実は複雑怪奇に進行することもある。

そこで最近よく聞くのが、

仕事を始める前に双方で詳細な取り決めをし、

厳密な契約書を取り交わす例などがある。

アイデアを捻り出すのは、かなり心身のエネルギーを使う。

有限的な時間を費やすので、他の時間を圧迫する。

よって、そこに有益な何かが存在しなければならないと

私たちは次第に考えるようになった。

ビジネスとしてのアイデアは、私たちの意識如何で、

しっかりとその権利を生むハズだ。

だから私たちは日々頑張っていけるのだし、

食べてもいける。

(誰がみても陳腐なアイデアは論外だけどね)

アイデアに対するコスト意識は、

後に続く人のためにも、

しっかり定着してもらいたい事柄である。

「アイデアはタダではない」

当たり前のように思われる方も多々いると思うが、

現実はかなり厳しい。

私の実感だ。

だから経済活動を営む誰もが意識してもらいたい、

いや一度は考えていただきたい、

大切な事柄のように思うのだが。

魑魅魍魎コンサルタント

その神経質そうで、か細い声の電話の主は、

是非とも当協会のコンペに参加してくれないかと

ねちっこく、かつなかなかしぶといので、

無料コンペはお断りの旨を伝えると、

では最低保証は支払いましょうと、

妙に真剣なのである。

ウチ等をどこかの会社と間違えているのか?

改めて名を名乗ると、間違いないという。

ならばということで、この協会をいろいろ調べると、

まずどうしようもないサイトしかもっていないことを知る。

全国的に「名の知れた団体なのになぁ」と、

私はひとりつぶやくのであった。

後日、競合は3社と判明。

で、現在の広報・宣伝の状況などをヒヤリングしたのだが、

実は内部で今後の方針を巡って意見がバラバラで、

全くまとまらない、

かつこれといったアイデアもなく、

全く方向性がみえない、

よって、コンサルを雇うことにしたとの経緯を聞く。

ふーん。

この協会がPRにかける年間予算はだいたい3000万。

コンサル料は10㌫くらいだったろうか?

などと考え倦ねているうち、

ふとイケルと、何故か思ってしまった。

全体の段取りがぼんやりと見えてしまったのだ。

が、まずコンペを勝ち抜かなくては元も子もない。

戦略としてはいろいろ策はあるが、

この場合は正攻法でいくことと決める。

奇襲は必要ないと考えた。

まずリサーチによるこの協会の知名度実証把握、

現在の広報・宣伝費を洗い出し、

その質と方向性、費用対効果などを詳細に調べる。

バラバラだったものの方向性をひとつに絞り、

媒体の変更などによる予算の組み換え、割り振り、

さらに媒体ごとの訴求も考え、ラフをつくり、

プレゼン準備を進める。

プレゼン当日、おおっとムカシ若かりし頃、

憧れていた大手も参加していることを知る。

△△エージェンシー

が、内心このプレゼンはイケルと確信する。

プレゼン本番はかなりの手応えで、

後日ウチに決まったときは「当然でしょ」と、

分かったいたようにうぬぼれる。

まあ、ここまでは自慢話。

流れからして仕方がない。

が、肝心なのはこの先なんである。

コンサルなんてやるんじゃなかった…

そればかり考えた一年になってしまった訳です。

なんでかというと、

この協会内部の力関係というか、

役員同士の人間関係というか、

これらがとんでもなくドロドロしていて、

アレコレと絡まった糸のようなもつれ、

収拾のつけようもない。

当初の協会からウチ等への依頼も空しく、

各自が自分たちの思い通りの方向へ事を進めようと、

この私を口説く、飲みに引きずり回そうとする、

果ては、こちらが思い通りに動かないと分かるや、

裏工作で足を引っ張る、反対する決議を引き延ばそうとする、

アレコレ難癖をつけて会議を無駄に終わらせてしまう等、

とにかくこちらとしては、

強烈なストレス攻撃を受けたのであった。

よくよく調べるに、どうもそれらの動機が、

それぞれに各業者と裏で繋がっている関係から始まっており、

こちらが費用対効果の悪い媒体とかを切ろうとすると、

鋭い反撃を食らわすのであるからして、

半年も過ぎた頃には、もうこれはある意味、

すさまじい内戦状態に陥ってしまったのである。

うわー険悪

この間、約一年でこちらがぶった切った媒体と業者は、

永年この協会をヤドリギのようにしてきた所ばかりで、

こちらの調査では、

クソの役にも立たない媒体と宣伝物ばかりだった。

あるとき、この協会の全体会議の後に行った飲み屋で、

懇意にして頂いている一人の役員から、

○○さん夜道の独り歩きに気をつけなよと

真顔で忠告されたときには焦ったね!

後日、こちらが取引停止をした新聞社のお偉方数人が、

「どいつだ、ウチを切るとほざいている奴は」と、

この協会に怒鳴り込んできたというから、

いい加減笑ってもいられなくなった。

怖!

しかしだ、

なかにはとても真面目に協力してくれる方や、

こうした協会の状況に危機感を抱いている役員の方々も

少なからずいてくれたので、

こちらも途中で逃げずに済んだし、

胃潰瘍寸前でなんとか「卒業」できたのだが、

結局、成果として、

当初の改革目標の半分も達成できなかったのである。

これがいまもって悔しく思うことがある。

過日、風の便りにきいた噂では、

この協会はただの飲み会の場と成り下がり、

元の業者となあなあの付き合いを開始。

協会の体たらくは末端にも広く伝播することとなり、

会員の数も激減と一途を辿っているらしいと。

「大丈夫か?××協会さん」と思わずつぶやいてしまった。

後、いろいろと調べて分かった事だが、

この狭い日本には、こうした得体の知れない法人、

訳の分からない利権集団がすこぶる多いのであ~るよ。

知らなかったなぁ…

という訳で、おおいに反省した次第。

しかしですね、まあとんでもない事も体験できたし、

とてもベンキョーになりました(汗)

とでも言っておこうか。

東京村

築地市場の移転問題で揺れていますね、東京都。

たまにニュースや関連記事を読んで思うのは、

世界最大の都市・東京なのに、政治・行政は

田舎レベルだとバレてしまった、ということだろうか。

代々、都知事になるのは実力はさておき有名人ばかりで、

議会は親分・子分の関係が絡み合った寄り合いレベル。

利権がないといえば嘘になるだろう。

こうして次はオリンピック・パラリンピックの開催である。

きっと誰かが一稼ぎをする、しているのだろうことは、

誰もが思うこと。

で、気づいたのは、こんだけ大きな都市だから、

予算は膨大なのだけど、

そこは無尽蔵の如く結構適当だということ。

難しい事、面倒な事は専門家に丸投げし、予算は言い値。

あとはなんとかなってしまうのが東京都だ。

税収が多いし、まあ、たまに失敗しても

誰も責任をとらないところが太っ腹である。

そもそも、リスクを伴わず責任もとらない仕事というのが

イマドキ存在すること自体、私には驚きであるが、

そんな曖昧な集団は、きっと腐る、いつか腐る訳で、

よくよく考えれば、こんな人達の塊は

いまでも日本の何処にでも存在しているのだから、

思わずため息が漏れてしまうのだ。

こうなると、経営という側面のみで考えるに、

花の都・大東京の政治・行政を動かすのも、

それほど大変なことのような気がしないから、

こちらも親近感が湧いてくる。

零細企業なんかを経営するほうがよっぽど難しいのではないか。

これは半分皮肉だが、半分は本気である。

かつて東京に住み、東京の企業に勤め、

更に友人たちと会社を立ち上げたときのことではあるが、

この頃は当然、夢と希望もあった訳だが、

それに沿うように先行きの不安が始終ついて回っていた。

いくら零細とはいえ、潰してしまっては大変な事になる。

常に危機意識が拭えない。

コスト、創意工夫。

そんな言葉がいつもアタマを駆け巡っていた。

とまあ、これがフツーなんだけれどね。

さいわい、東京と言うところは企業数がずば抜けて多く、

よって仕事も大量に発生するので、

営業力とツテとそこそこの仕事をこなしていると、

経営はなんとか維持することができたのである。

事務所の家賃など固定費等の維持費は高いが、

それを上回るメリットがあるのが、東京なのである。

よってリスク覚悟でビジネスをするのに、

東京はかなり面白いマーケットではある。

で、肝心の仕事の質・レベルだが、

凄い仕事をする会社や人間がいるのも東京だとしたら、

逆に低レベルでもなんとか喰えてしまうのも、

東京という所ではある。

才能と実力がなくても、

ツテでなんとか凌ぐことができるのが、

東京のおおいなる包容力といえるのではないか。

こうした感想は私の勝手な経験則で、

皮肉でもなんでもない。

が、こうした事情がクリエーターに限ったことなのかどうかは

私にはよく分からない。

よって、この話は広告業界限定である。

そしてやむを得ない事情で東京を離れて実感したのは、

仕事の仕方、そしてマーケットとその構造が全く異なることだった。

この場合のマーケットとは、

東京以外というマーケットという定義にしておくと分かり易い。

仕事の規模も小さく数も少ない非東京マーケットは、

当然、クリエーターの数も少ない訳だが、

なんというか、そこにハッキリと生存競争の原理が働いているのが

手に取るように実感できるので、

ひょっとしたら東京以外のほうが、

厳しい環境下なのかも知れないということだ。

非東京マーケットはおおむね、

媒介として、大手広告代理店が介在しない。

よって、経営者と直にやりとりする。

ときに厳しい言葉を投げかけられる。

おまけに予算が少ないことのほうが断然多いのが、

非東京マーケットである。

そこには、仕事のレベルも関係するようにも思うし、

営業力も影響するのだが、

更に難しいのは、経営者の志すところを察知し、

それを共有しないことには

仕事が立ちゆかなくなることである。

こうした環境下において、非東京という仕事場には、

あの大東京市場のような包容力もなければ、

無駄とか余力というものは一切存在しない、

ということである。

よって各企業の切実さも直に伝わるし、

経営者が決断して身銭を切る分、

当然のようにこちらに要求するハードルも高くなる。

翻って思うに、

東京にはそれなりに過酷な何かが存在するのも確かである。

その過酷が何かは、それぞれの人によって違うような気がする。

それを分かった上でなお、

ビルとか混雑だとかの見た目とは裏腹に、

あんなに住みやすい、いや生き易いところもない。

それが東京のように思う。

だから皆、東京を出るのを嫌がる。

そして怖がる。

逆説的にモノを言うようだが、

東京には「村」のようなやさしさがあるように思えてならない。

これが一極集中日本の光と影の現実である。

だから誰も東京をめざすのだ。

だからみんな東京に居続ける。

だから東京はいつも人がいっぱいなのである。

東京という村を一歩出ると、

そこには喰うものもなく山姥がいて、

カッパが出て、熊に追いかけられて、

おまけに真っ暗で…

おっと、またひねくれてしまった、

ヤメとこっと!

ちょっと仕事のこと

今年ももう終わりだけれど(今日は12月31日大晦日)、

この1年は総じてシステム・プログラム系の仕事に

忙殺された感がある。

システムの成功例として挙げられるのは、

なんと言ってもアマゾンだろう。

このwebサイトはシステムの発想自体が優れているので、

すべてに於いて他より優位に立っている。

たとえば或る本を探すとする。

するとその本に関する詳細なデータ、評価、

そして類似本までがズラッと表示され、

訪問者の興味が失せることのないよう

綿密にシステムが組まれている。

更にこのシステムには自分の注文履歴、配送状況、

キャンセルのやり取りも簡単にできる。

想像しうる万全が尽くされているのだ。

このように

webサイトの構築に於いてシステムを組む場合、

その構築には、

脳と神経を全開にしなければならない。

そして、多大な費用と時間がかかる。

その他、検索エンジン対策、PPC広告の検討、

ユーザビリティ等で優位に立つことも前提に、

最善のシステムを考えなければならない。

これはとりもなおさず、

ビジネスの勝敗を左右すると言っても過言ではない。

こうしたシステム系が重要視されるようになったのは、

何も最近の話ではない。

現在、広告をひと口で括ろうとしても、

その裾野は広大過ぎる。

ウチとしてもこれらの状況を念頭に、

勉強と興味の両面から注視・実践してきたのだが、

実際のビジネスの現場では、思わぬ問題点が次々と噴出した。

文化系の自分にとっては苦手な分野だが、

思えば広告のスキルも年々多様化・細分化の道を辿り、

いまひとりの人間がすべてのスキルを手にするのは、

ほぼ困難と言えよう。

これはウチだけでなく、

ほぼすべての同業種企業が抱える問題と言える。

よってウチの場合も、

社員、仲間、協力スタッフの力がなければ、

この道は閉ざされていたに違いない。

こうしたプロジェクトの基礎とも言うべき

総体的な企画・方向性は、

まず絶対に間違えてはならないのが鉄則である。

後は最前線の専門スタッフの力量にもよるが、

基礎がしっかりしていれば、

そのプロジェクトはほぼ成功する。

幸いにしてウチの場合は、

ディレクターとスタッフに助けられ、

幾つか本格始動に至ったが、

現在でもそのメンテナンスに気が抜けない。

そして更なるユーザビリティの向上をめざし、

システムの改良を検討・実行したりしているが、

運用途中で思わぬバグが発生することも多々あり、

こうした場面では冷や汗が出る思いが続く。

要は多大な投資に見合う成績を上げなければ、

それはビジネスプロジェクトとして失敗の烙印を押される。

しかし、ビジネスは端っから成功することが前提の契約なので、

間違いは許されない。

という訳で、ここ数年は、ほぼ休みがなかったに等しい。

旅行はしない。

休日でもパソコンは必需品である。

こうしたサイトを

滑らかかつ快適なユーザビリティで運用してゆくには、

正確にいえば立ち上げから軽く1年以上はかかる。

またこうしたwebサイトは、

システムだけでなく、これまた手間のかかるコンテンツの充実、

SEO的な見地からの検索エンジンに対する施策、

更にいえばテキストの綿密な見直し、

更なるデザインの変更等、

やらなくてはならない事がメジロ押しだ。

私たちはいわゆるクリエーターと呼ばれてはいるが、

現在の広告状況は、

クリエーターという職種だけでは括り切れないほど、

広範な知識と技術が要求される。

そうしないと、今後は更に生き残れない現実がある。

システム構築技術、検索エンジンを理解する、

そして本来の仕事であったハズの魅力的なデザイン、

人を動かすテキスト(コピーライティング)等々…

これだけでも、広範な勉強と知識が要求される。

しかし、これらの力が結集しなければ、

これからの広告の仕事は立ちゆかない。

次々と生まれる新しい知識、

早々と廃れてゆく技術。

普遍的なものは、なにひとつないに等しい。

私事だが、

最近、そもそも広告ってなんだと自問自答してしまう自分がいる。

それでも走り続けなければならない現実があり、

走りながら考えなければならないことが数多(あまた)あって、

いまだ明快な回答は導き出せないでいる。

元々この業界は、文学好きや、

美術好きのアーティスト系の人間たちが集まっていたのだが、

いま振り返えれば、

それは遠い昭和の懐かしい話である。

私自身本当のところ、

現状のこの業界があまり好きではない。

最近、仕事の合間をみてよく山に入る。

夜空を眺めるための双眼鏡を手に入れた。

印象派の絵や外国の書を見に、暇をみては

美術館へと足を運ぶようになった。

旧作と呼ばれている映画を最近よく観る。

気にいった作家の本を集めている。

キャンピングカーで、とにかく何処でも良いから、

でかける計画を無理矢理立てている。

そして運動を欠かさないようになった…

すり減る神経、行き過ぎたユーザビリティ、

追いかけてくるしつこい広告、検索エンジン至上主義。

ああ、便利便利で、

いまにすべてが崩壊するのではないか?

―時代なんかパッと変わる―

私はそう思っている。

ムカシは良かったと言っている訳ではない。

自分のズレ具合があからさまになったからなのか。

いや、本来人間ってそういうもんじゃないだろ?

という根本的な疑問がどうしても消えないんだなぁ。

フリー入門

広告関係に関してだが、

フリーになる人、またなりたい人というのは、

どんな方々なのか?

私もフリーを経験したひとりだ。

幾つかの会社を渡り歩き、

まず友人と会社を始めたが、

あえなく空中分解。

で、もう会社には戻りたくないので、

フリーになった訳。

そもそもクリエーターというのは、

ほぼみんなワガママなので、

組織づくりが難しいともいわれている。

よってムカシも現在もフリーは多い。

フリーは、

何はともあれ一国一城の主であるので、

文字通り自由である。

しかし、同時に責任もすべて本人に帰結する。

ここを覚悟する必要がある。

そして生活していけるか否か、

ここが大問題である訳だ。

経済的結果は誰のせいでもない。

すべて自分のやり方次第で決まる。

これを面白いと感じるか否か?

フリーに向いている人は、

この辺りがポイントだろう。

フリーはなにより、

経済的にも社会的にも不安定である。

これをどう捉えるかが、

大きな分岐点なのである。

また、

自分の仕事は自分で完結したい、

会社に属してチマチマとした人間関係のなかで、

特につまらない上司の下らない命令に従うのはご免、

自分のスキルで勝負したい…

幾つかのハードルを飛び越え、

こうした自我の強い人間が辿り着くのが、

フリーという社会的立場なのだろう。

しかし、フリーでも、

片手間でやっている人、

例えば同居人等が生活費を稼いでくれるとか、

前もって収入のメドをつけて独立するのは、

フリーとして、結構ラクではある。

そこに経済的不安定さがなければ…

恐いのは、

たいしてお客さんのメドもないまま、

エイッと独立する人間が、

実際にいるということである。

これは無謀と言わざるを得ない。

私自身が経験済なので、

身をもって分かっている。

かなりの地獄をみさせてもらった 笑

そしてその記念に、

相当の借金をさせてもらった。

また、

一部、サラリーマンみたいなフリーを、

私は数人知っているが、

あれはなんというか、

面白くもなんともない。

○○株式会社専属みたいな。

社外社員のようなもので、

単なる受注したものをこなすのみとなると、

技術的にみても、たいした向上も見込めない。

こうしたルーティンワークは、

フリーのクリエーターにとっては、

安定という甘い条件と引き換えに、

なにかとんでもないものを失ってしまうからである。

フリーは、なにしろ旅人のように構えるのがよろしいと、

最近になって思うようになった。

しかし、フリーというネーミングとは裏腹に、

フリーはフリーではなく、

忙しくなれば、ほぼ休みがない。

だから、長期の旅行となると、

予定も予約も取りづらく、

なかなか難しいのである。

そして皆が、

旅先に仕事を持って行く、

というあたりがが面白い。

良い意味で、

仕事と私生活を公私混同できない人間は、

フリーになれない。

表現を変えるなら、

フリーは毎日が休みであり、

24時間片時も仕事を忘れない、

そんな感じだ。

フリーとは名ばかりで、

自由とは程遠い責任と不安を抱え、

生活を確立しなければならないのもまた、

フリーなのである。

以上がフリーの醍醐味?なのだが、

冷静に考えるに、

フリーに良い点がないようにも思える。

思えば、フリーとは、

生き方として、経済的冒険者、

なのかも知れない。

組織名、肩書きは不要。

しかし、スキルを積めば、

実績を積めばなんとかなる、

かも知れない。

なにもない草原、

行き先の分からない地図に、

新しい道をつくるのが、

フリーの生き方のようにも思えるし…

精神的、経済的に幾つもの関門をクリアし、

なおかつ自分らしさを貫くことはかなり難しい。

しかし、フリーとして一人前になった者のみに、

神さまは微笑んでくれるように思う。

まあ、仕事だからいろいろしがらみはあるが、

それでも紐付きの自由を手に入れることができる訳ではある。

アーティストはもっと自由ではあるが、

そこには更に恐ろしい何かが待ち構えていると聞いている。

そこそこの自由こそフリーの特権。

この辺りは、鼓舞すべき要と思う。

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サイト訪問者からの購買・問い合わせを増やすには

サイトから、注文や問い合わせを倍増させるのは、容易ではない。

この場合、まず検索順位を上げる努力は当然だが、その対策は適当か?

また、キーワードの選定は?

それらをクリアした上で、反応は得やすくなるハズだが、

肝心のサイトの作りがおざなりだと、せっかくの訪問者も

すぐにサイトを離れてしまう。

ここは、離脱を減らす努力が必要だ。

トップページ、サイト内設計、そして、コンバージョン率

(サイトの総アクセスから、お問合せ・購買をしたいただいた割合)と、

検討すべきハードルは、いくつも用意されている。

今回のテーマは、サイト訪問者の最後の関門とも言うべきコンバージョン率について。

統計によると、実は、この最終段階に於いて、約7割が離脱するという。

要は、買うのをやめる、申し込みや問い合わせをしない人が、

10人中7人にのぼるということだ。

スマフォは90パーセント強と、更に高い離脱率が証明されているが、この場合、

スマフォの使用特性による、ユーザーの空き時間によるチェックという意味合いがある。

要は下調べだ。

だからといって、スマフォサイトを侮らないほうが良い。

ユーザーにとっては、大筋のアタリをつける意味合いがあるからだ。

話を戻すと、このコンバージョン率を上げる方法は、

ひとことで言うなら、訪問者への負担を減らす、得をさせる、

そして安心を付加することに尽きると思う。

これらが揃えば、コンバージョンは飛躍的に改善される。

例えば、アマゾンは、ここに最大の注意を払っている。

ユーザーの負担を減らすべく、3クリックで買い物が完結するよう設計されている。

これは要注目だ。

更に、類似製品の情報、比較検討材料、第3者による評価、プライス等の情報も豊富。

加えて、送料無料のものも多い。

安心感もお得さも兼ね備えている。

アマゾンを例に、小規模サイトに転用できるアイデアを考えてみると、

まずは、敷居を低くすること。

これは、例えば問い合わせ欄などの書き込み項目を、

簡単シンプルにすることが有効だ。

訪問者は、ものぐさでせっかち者と心得よう。

名字とメルアドのみでもコミュニケ-ションは開始できる。

相談のみからでも、見込み客の内なのだ。

フリーダイヤル、そして、店長に直接相談、

ものによっては、返品保証も唱いたい。

24時間以内にお返事致します等の文言も、有効手段だ。

要は、それがひいては信頼につながり、

企業や店の姿勢が先方に見えるようになれば、

価格も去ることながら、誠実な態度で臨むことは、

相手に安心感を与え、コチラを効果的にアピールできる。

訪問者が、とにかくあなたのサイトの問い合わせや、

買い物カゴまで来てくれたことは、言い換えれば、

もうひと押しの何かがあれば良い訳だ。

それを逃してはならない。

工夫することで、

サイトは更に活気づくのだから。

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届く、パーソナル・マーケティング

沖縄地方の特産には、いろいろなものがある。

シークァーサー、サーターアンダギーとか、

チンスコウ、ソーキそば、海ぶどう、そしてもずくなど…

以前は、沖縄の泡盛もよく飲んだ。

残波という泡盛は石垣島のものだが、

これは美味いし、ネーミングが気に入っていた。

残波…リーフで波が砕ける様子が目に浮かぶ。

雰囲気からして美味そうだ。

久米仙という酒もまた、名前良し、味良し。

好きだったな。

沖縄には一度しか行ったことがない。

隣の与論島という島へも行ったが、

ここはサトウキビ畑と珊瑚礁のリーフが美しい。

この島で泡盛を初体験した。

ベロベロに酔ったが、何故か翌朝は爽やかだった。

不思議。で、飯もうまい。

この辺の食い物とか酒はいいね、という印象から、

後年通販を利用していろいろ試したことがある。

あるとき沖縄からウコンのDMが来て、

これはなんだかカラダによさそうと、頼んでみた。

当時は酒ばかり飲んでいたので、ウコンはいいですよと、

確かそんなことが書かれていたので、そうかと…

で、ときは流れて私も酒を飲まなくなり、

こうした特産品も飽きてきた。

が、相変わらず電話がかかってくる。

DMも届く。

これはどこでもよくあることだが、

ここの売り込みはなんというか、

ビジネスチックないやらしさがないのだ。

DMの中身を取り出すと、直筆の手紙が入っている。

印刷かなとよくよく確かめる。

と、直筆である。

うーん、やるな。

で、ふんふん感心していると、頃合い良く、

わざわざ沖縄から電話がかかってくる。

○○さん、お元気ですかとか、

最近おからだの具合は、とかコチラが買う意思がなくても、

嫌みなく話してくれる。

こうなると、次第に私の警戒心も解かれて、

一応話に応じます。

それがマニュアルに沿った話でもなく、

世間話なんかが織り交ぜられていて、

気がつくと沖縄の知り合いの人と話している。

そんな気になってしまう訳です。

要は、アドリブが利いているだけなのだが…

DMの中身一式はというと、あるひとつの流れに沿ったもので、

そのセットに目新しさはない。

が、直筆の手紙というのは、どこも面倒なので避けて通る。

電話にしても、テレマーケティングのテーゼというのがあって、

それに則って話すのが普通。

他はもっと事務的かつエグく、スピーディーである。

そのあたりの違いが、或る効果を生むのだろう。

今回の通販の例は、

まるごとひっくるめて沖縄よりの話。

ビジネスにしては、かなりユルイ。

無駄だらけ。

しかし、しっかり私に届いている。

いまはまるで欲しくないものばかりなのに、

なんか買うものはなかったかなと、

私は再度、DMをながめていた。

ああ、今度はきっと買ってしまうだろうな。

という、快く無駄金を使わせるための、

パーソナル・マーケティングの仕掛け、

なのでありました。

※詐欺まがいの話には、要注意です!

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検索からみる、コピーライターという職業

私はコピーライターなので、

たまにヤフーなどで「コピーライター」で調べてみる。

と、面白いことが分かる。

私の場合は、このキーワードで検索順位を上げようと努力していないので、

頑張っている人や企業に較べ、断然下の順位をウロウロしている。

で、検索の上位は、コピーライターの就職関係が飛び抜けて多い。

これらはだいたい大型サイトなので、SEOも強力です。

あとは、

コピーライターになるための講座や教室のサイトが上位にくる。

検索の上や横のリィスティング広告を眺めても、

ほぼこれらの企業が占めている。

さて、この状態が何を意味するかだが、

私が考えるに、仕事が欲しいからといって、

コピーライターが、

単体のキーワードで対策を施したところで、

無意味ということ。

何故なら、まず上位の大型サイトには勝てない。

そして、仮に上位に来たところで、

検索してきた人とは、マッチングしないということが考えられる。

要は、コピーライターというキーワードで調べる人は、

おおかた就職とか転職とかを考えている同業種の人が多い。

更に、これからコピーライターをめざし、

講座や教室を探している学生も多いと想像できます。

じゃあ、

コピーライターって仕事はどうやって成り立っているのか?

逆にいえば、どうすればネット上で営業するのかだが、

まず、念頭に置く必要があるのは、

素人さんがホームページなりパンフレットを制作したいとき、

まずコピーライターという単語は発想しないだろう、ということ。

卑下する訳ではないが、コピーライターという職業は、

現在、それほど一般化していません。

例えば、仮にですね、あなたが家を建てるとします。

このとき、ハウスメーカーや工務店、注文住宅 地域名などで、

かなりチェックするとは思いますが、

屋根職人とか壁工事とかでは探さないでしょう?

きっとコピーライターという職業も、

屋根職人や壁の工事をする人と同じような位置でみられている…

私はそのように思うのです。

パンフレット作成とかホームページ制作とか、

もう少し具体的に入れますね。

では? 

そうです。

コピーライターで仕事の匂いのする検索者は、実は同業者なのです。

それが、広告会社であったりコピーライターのいないプロダクションであったり、

それはともかく、いわゆるBtoBが圧倒的に多い。

要は、外注を探しているのですね。

めざすターゲットは、業界内ということがいえるのです。

前述のように、BtoCは、圧倒的に少ないと思われます。

では、BtoB向けにどのようなキーワード選定が最適かというと、

そこが難しいところというか考えどころでありまして、

複合、補足でいろいろ試して調査します。

ここまで話をすすめれば、後はだいたい想像できるとは思うのですが、

私たちの仕事は、一時より一般化していない、

また、広告を担う総力の一端を担当する職種。

そのように思われているようです。

しかし、現場ではかなりの負担と責任を任されている訳で、

その守備範囲は広い。

或る意味、報われない仕事といっても過言ではありません。

先方との折衝、コンセプトの構築、全体のデザインイメージ、

そしてコトバに求められる求心力…

私たちの仕事が、今後どのようにしたら理解されるのか?

どうしたら報われるのか?

それは、

とびっきりのキーワードを探し出すのと同じように、

難問かも知れませんが…

※この記事は弊社ビジネスブログを転載したものです。

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相変わらずの、クラウン。

このところ、トヨタのCMを観ていて、

なんか腑に落ちない。

他の人はどうか知らないが、私的にかんに障るというか、

観ていて不愉快になる。

それは、ピンクのクラウンがデビューしたあたりから。

ドラえもん編がスタートだったと思うが、

その頃はまだ良かった。

しかし、たけしが秀吉、キムタクが信長役のCMが始まった頃から、

違和感が出る。

確か千利休役の鶴瓶も出ていたから、

話もでかいが、ギャラだけでも凄いだろう。

さすが、トヨタだ。

スケールが違う。

このシリーズのバージョンは多彩だが、

ひょっこりひょうたん島編では、

3人の偉人?が東北・岩手の海沿いを眺めて、エラソーに話す。

で、キムタクがひょっこりひょうたん島のテーマソングを歌うのだが、

そのヒューマンな歌詞に、この3人が浮いている感じ。

そもそも、生臭い歴史を生き抜いた3人の役柄から、

それは醸し出されるのかも知れない。

こうしてクラウンのCMは、

いろいろなモチーフを使って天下人がロマンを語ってゆくのだが、

CMが新しくなる程に、相変わらずというか、更に偉そうなのだ。

で、今度は松嶋菜々子だ。

彼女が例のピンクのクラウンを運転していると、

後ろから黒塗りのクラウンが追いつき並走する。

秀吉の亡霊のように、

黒いクラウンを運転しているたけしがつぶやく。

「人間は体力が衰えると他の力が欲しくなるんだよ」

「だから男って偉くなりたがるんだ」(松島菜々子)

「でも気がついた。衰えない力もあるって」(たけし)

「まさか愛なんて言わないでしょうね?

いつからそんなハイブリッドな人になっちゃったの。

クラウンみたい」(松島)

「スイマセン」(たけし)

まず、秀吉にもの申す松島は、一体誰なのか?

そこは、実は私はどうでもいいのだが、

きっとたけしにもの言う訳だから、

単純に松島菜々子あたりの大物女優?を充てたのだろう。

で、思い起こすに、

このクラウンのキャンペーンコピーは、

「権力より愛だね」だった。

しかし、私に言わせればこのCMの根底に流れているのは、

欲深い奴のいやらしさだ。

クラウンからは、やはり権力の臭いは消えない。

だって、いまさら愛かよ…

クラウンが生まれ変わったということだが、

実は、それがもはや困難なことを、このCMは教えてくれる。

だから、妙な違和感が残るのだ。

ここで言う、ハイブリッドな人というのは、

実は「権力も愛も、何もかも手に入れたい」という、

そんな人のことを指しているようにも聞こえる。

だから、秀吉なのだ。

なるほど、クラウンなのかと合点がゆく。

繰り返すが、今度のクラウンのコンセプトコピーは、

権力より愛だね

の筈。

しかし、何故このCMがかんに障るのかが、

私はだいぶ後になって分かったのだ。

それは、

クラウンに乗る人が、

実は「権力も愛もすべて欲しい」人と、

本音ではささやいている。

そのようにしか受け取れないのだ。

同類の仕事をしているので、

広告類は割と好意的に観ているつもりだし、

その苦労も分からないでもない。

だからこそ、クラウンのポジションが如何に難しいか、

そこがひしひしと伝わるし、このCMの狙いは良くとも、

戦術でコケているように思える。

だから、相変わらずのクラウン。

実は、なにも変わっちゃいないのではないか、と。

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