正月レポート、ざっくり湘南

 

田舎に住んでいると都会に行きたくなる

 

都会に住んでいると田舎に行きたくなる

 

という訳で、トカイナカの山岳の住人は

 

久しぶりに湘南の海がみたくなった。

 

 

正月なので、どこも混んでいるのを覚悟で出発。

 

 

茅ヶ崎の海へ出ようと、途中、寒川神社の近くの道を通った。

 

それがそもそもの間違いだった。

 

車が全く進まない。

 

覚悟はしていたものの、長時間のノロノロ運転に、

 

いい加減にぐったりする。

 

 

で、寒川をやっと過ぎ、茅ケ崎の海沿いにやっと出るも、

 

ここ国道134号線もやはりノロノロ運転。

 

が、海がみえた!

 

 

きらきらしている波間を久しぶりにみて、

 

やはり来て良かったと、少し気が晴れる。

 

そしてなんとか江の島へと近づくも、

 

やはりというか、橋の入り口に車がずらっと渋滞しているので、

 

手前の鵠沼海岸のパーキングに車をとめる。

 

ここが空いていたのもラッキーだったようだ。

 

他の駐車場はずっと満杯状態。

 

 

さてと、ようやく車を降りて深呼吸。

 

思い切り伸びをする。

 

そして晴天の砂浜を歩く。

 

おお、海が輝いているではないか。

 

 

サーファーが多数、波間に浮いている。

 

浜で犬がはしゃいでいる。

 

ここかしこで凧あげをしている。

 

おだやかな正月というにふさわしい絵である。

 

 

キュッと鳴る砂を踏む音が心地いい。

 

気温高め。

 

上半身裸でサングラスをかけたおっさんに、幾度か遭遇する。

 

皆、決まったように缶ビールを飲んでいる。

 

ここ鵠沼あたりで流行っているのかなぁ。

 

とりあえず、一見サンタモニカ風ではある。

 

 

さて、店は当然どこも混雑していて、

 

コーヒーの一杯をいただくのが大変。

 

結局、空いていそうなデニーズをみっけた。

 

一席をようやく確保。

 

それでも店内は超満員だった。

 

 

そんな正月の折、

 

苦痛の顔を浮かべた30代とおぼしき男が

 

ビールを飲みながら女性と向き合っている。

 

女性の表情はみえない。

 

男の顔がみるみる赤くなっている。

 

厳しい話は、いよいよ核心へと迫っている模様。

 

(いやだなぁ、こういうの)

 

正月早々、喧嘩か?

 

いや、あの深刻さは、別れ話?

 

いずれ正月の海辺とはいえ、

 

楽しい人ばかりではない。

 

現実は、常に強烈にドライなのであった。

 

 

店内の混雑とその雰囲気にかなり息苦しくなって、

 

早々に表に出る。

 

 

で、そこからほど近い湘南ホテル跡地前を歩く。

 

いまは高級マンションにリニューアルされ、

 

ちょっとコテコテした外観に変貌している。

 

 

 

ホテルは、もう10年以上前に閉鎖したと記憶しているが、

 

場所もプライスも好感がもてたので、

 

家族で2度ほど利用したことがある。

 

地下にプールがあって、

 

その脇にハワイアン風のリラクゼーションの店があって、

 

雰囲気のあるホテルだった。

 

部屋も広く、和室もあって、夜は波の音が聞こえた。

 

隔世の感。

 

 

さて、サザエが食いたいという奥さんの要望を却下して、

 

大渋滞の江の島の橋を渡るのを断念し、車を走らせる。

 

茅ケ崎パシフィックホテル跡を懐かしく眺めつつ、

 

平塚を通り越して、目的の大磯へ。

 

ここで海岸沿いの道から、細い一般道へ戻る。

 

目的は、去年リニューアルした大磯プリンスをひと目みようと、

 

来た次第。

 

 

が、新しい大磯プリンスは、思うほど、外観に変化がない。

 

館内へと入るも、さして驚きもなかった。

 

大磯温泉が、新たにスパ棟として建てられていたが、

 

あとは、古い建物をそのまま生かしたのはいいが、

 

あまりかわり映えしない。

 

さらに、館内の導線がよくわからない。

 

敷地のプールも植樹も、どうもレイアウトがいただけない。

 

もっとも客室のリニューアルは、ちょっと凄いらしい。

 

今度、宿泊してみようかな。

 

 

惜しいのは、この敷地内の一等地に建っていた

 

木とガラス張りの美しいチャペルをなくしてしまったことか。

 

夕陽に照らされたここのチャペルに足を踏み入れると、

 

誰もいない室内には、

 

いつもエンヤの神秘的な歌声が響いていたのに。

 

 

思えば、その昔、大磯プリンスホテルは、

 

神奈川県民のあこがれだった。

 

大磯ロングビーチは、夏に金持ちの家族のみが行けるところだった。

 

私と家族が来られるところではなかったが、

 

だからだろうか、

 

その姿にずっとあこがれてきたような気がする。

 

後年、縁あって、このホテルの企画をやったときも、

 

私はずっと、このホテルに敬意の念を抱いていた。

 

しかし、いまは

 

━幽霊の正体みたり枯れ尾花━

 

夢から醒めた私がみた、正直なこのホテルに対する印象だ。

 

 

帰りも、やはり国道1号の旧吉田茂邸あたりから

 

車は全く動かなかった。

 

大磯駅まで数キロなのに、小一時間かかった。

 

古い町並みと人通りの少ない商店街が続く大磯。

 

左手の山の中腹あたりには、あの村上春樹が住んでいるということで、

 

ちょっと気になったが、疲れていて見上げることもなかった。

 

 

かように、渋滞は疲れるし、暇なのである。

 

車内で、普段は考えもしない、いろいろなことが頭をよぎる。

 

 

たとえば、この渋滞を俯瞰して考えると、

 

ホントに日本の人口って減っているのか?

 

などという疑問が頭をもたげる。

 

もちろん、今日は正月という特別な日であり、

 

ここは首都圏の観光地だからという事情も加味してみる。

 

 

さらに、人口が増え続けなければならないという経済の考え方って、

 

ちょっと間違っているのではないだろうか、

 

などという小難しい問題が提起される。

 

これらは私の頭では無理なので、思考を断ち切り、

 

我にかえる。

 

 

あたりが暗くなってきて、ようやく車も動き出した。

 

ああ、久しぶりの長い休みも、これで終わりか。

 

休み明けの初仕事が怖いなあ。

 

 

ドラゴン、西へ

 

 

 

 

ドラゴンは架空のいきもの、

 

西へ飛んでったのは、単なる雲の切れ端に過ぎない。

 

が、室内で始終下を向いて作業をしている身に、

 

戸外のすがすがしさは、解放感に満ち溢れている。

 

 

私は、閉所恐怖症の傾向があるので、広―いところ、

 

丘の上、山頂など、陸と空が遠くまで見渡せる場所に行くと、

 

言い知れぬ安堵とともに深い呼吸をしている自分に気づく。

 

 

空に、ドラゴンがいたっていいじゃないか。

 

 

空想は広がり、ドラゴンはある男の子の危機を救うため、

 

翼を大きく広げて、マッハのスピードで西へと飛んでいく。

 

 

ドラゴンは、きっと男の子の危機を救うだろう。

 

沼に沈みかけた少年は、ドラゴンとともに、

 

再び大空に舞い上がり、次々に困難を克服し、

 

そうして勇敢なおとなに育ってゆく。

 

 

これが、世界の子供たちを魅了する物語のテーゼだ。

 

これからも、このストーリーがくつがえることはないだろう。

 

少なくとも、童話の世界においては。

 

 

そんな話はすでにいくつも知っているし、読んできたのに、

 

ちょっと幼稚かもしれないが、僕はこのことを

 

「ネバーエンディング・ストーリー」から学んだような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

万有引力

 

シビアな打ち合わせを

立て続けに2件こなすというのも、

結構つらい。

 

話の中身が会社を左右するとか、

多額の金銭に係わることとなると、

心労も激しい。

 

いや、この例えはちょっとおおげさ。

 

しかし、もうそんなにタフじゃない。

 

喉が渇いた。腹もぺこぺこだ。

砂漠で見つけたオアシスのように、

やっと見つけたコーヒーショップで

ようやくひと息つく。

 

熱いコーヒーとサンドイッチで腹を満たす。

 

途端に頭が痛いことに気づく。

15分ほど目をつむっても治らない。

しょうがないので、

首を揉みながら店を出る。

だらだら雑踏を歩く。

 

夜なのに心なしか

いつもより明るく感じる。

見上げると、

ビルの谷間に満月がぽかり。

 

それを見てなぜかほっとした。

そして納得。

 

私の場合、

だいたい満月の頃は、

頭が重かったり痛くなったりする習性がある。

 

その理由は全く不明だが。

 

とにかく安堵のため息。

 

万有引力を身をもって知るとは、

自分らしくないデリケートさで笑える。

 

それにしても

月と地球の引き合う力か…

と考えてみる。

 

―壮大な宇宙の呼吸―

いや、違うな。

 

―悠久の月と地球の恋心―

ここは妙に美しく検討してみた。

 

それにしても

引き合う力って、

惹き合うことだから。

 

ああ、頭が痛い。

 

月夜の晩だからといって、

ロマンチックが過ぎるなぁ。

 

 

 

 

 

秋を探しに

 

 

 

 

 

 

 

秋の気配を探しに出かけました。

陽はまだ強い。

が、風はひんやりとしている。

ちょっと立ち止まると冷えるようです。

そして空は高く、空気は澄んでいる。

ひたすら川沿いを歩く。

セイタカアワダチソウが盛んに咲いている。

季節は確実に進んでいて、

あちこちで夏とは違った、

秋の芳醇さがあります。

稲の収穫は順調と思いました。

推測だけど。

都会と違い、ここのススキは、

いくら採ってもタダです。

川でヘロンを見つけました。

ヘロンは青サギのこと。

数年前から住み着いているようです。

青サギって朝を象徴する鳥だそうで、

泣きながら飛ぶと雨が降ると言われている。

達郎の曲「ヘロン」って、

上の言い伝えを受けて、

雨を降らさないでくれと歌っている。

ちょっと哲学的です。

きょうはこの辺で。

 

 

 

 

 

 

花と陽のあたる楽園

 

もういない叔母が

フジ子ヘミングによく似ていて、

あの音色を聴くと、

必ず叔母の顔が浮かぶ。

 

横浜で、ずっと服飾デザイナーをしていて、

小さい頃は叔母の家に行くと、

いつもミシンを踏んで何かを縫っていた。

 

傍らで僕はボビンとか

色とりどりのカラフルな糸を眺めながら、

叔母は仕事をしていて、独身で、

ウチの母は、家庭の主婦で、

ちょっと違うんだと思った。

 

叔母の家の棚には、

とてもきれいな布が、沢山置いてあった。

僕は、よく叔母に服をつくってもらったが、

そのどれもがハイカラ過ぎて、

それを着て小学校へ行くと、

必ずみんなに奇異な顔をされた。

 

あるとき、叔母が編んでくれた

ブルーのラメ入りのセーターを着て教室に入ると、

ある女の子がむっとした顔で、

「まぶしいから、そんな服着ないでよ!」と

詰め寄ってきた。

 

後日、その事を叔母に話すと、

けらけらと笑っていた。

そして「○○(僕の名前)、そんなのはどうでもいいの、

大きくなったら、好きなものだけを着ることよ」

と言って僕の頭を撫でてくれた。

 

叔母はずっと独りで生きている女性で、

とても綺麗で華やかにみえたが、

本人の心情は当時から晩年に至るまで、

私にはよく分からなかった。

 

叔母の最期を看取ったのは僕と奥さんで、

とてもやすらかに目を閉じていた。

それは僕たちが、

とてもほっとできる事だった。

 

叔母の墓地は、花の咲きみだれる公園墓地を選んだ。

僕は此処へくると必ず墓地を一周する。

季節の花々が美しく咲く生け垣をみながら、

陽射しのなかを歩いていると、

生きているなぁって思うのだ。

そして傍らでたばこを一服してから、

元気でな、また来るから…

とおかしな事を必ず口走る。

 

こうした時間はとても救われると、

ふっと気づくことがある。

それは、生きている者も、

もういなくなってしまった者も、

実はたいして違わないじゃないかと、

思えることだ。

 

すぐ隣に、「ありがとう」って

笑っている叔母がいる。

そう思えるだけで、

僕の死生観が変化するのなら、

それは、僕にとって、

いつか必ず救いとなる。

 

 

 

虹の彼方に

 

 

 

朝、窓を開けると南西の空に虹が架かっていた

ぼぉーとしたまましばらく見とれてしまった

 

雨上がりの虹

 

雲も霧もさっと引いてゆくのが分かった

すかさずアイホンで何枚かおさめた

いい写真とは言いがたいが

朝の虹は私は初めて見たし

とても貴重な瞬間のように思えた

そしてなにか良いことの前兆のようにも思えた

 

これは半月くらい前の写真だが

あれからなにかいいことがあったか?

と自分に問う

 

いいことも嫌なこともあった

それはいつもと同じように

変わらずまぜこぜになって

いろいろあって

結局、普段と変わりなく

僕の生活は続いている

 

振り返れば

ざっくりといいこと半分いやなこと半分

 

拝んでも願をかけても

僕の日常は淡々と過ぎてゆくのが分かった

 

しあわせの総量は決まっているが

しかし不幸の総量はよく分からないから

ちょっと怖いのだ

 

だからといってびくびくなんてしていられない

頑張るしかないのだ

きっとそういうことなのだろう

 

 

 

 

 

東京

 

泣きたくなったら

夜中にひとりで泣く

Y男はそう決めている

 

誰に知らせるものではない

後は微塵も残さない

そして生まれかわるかのように

何事もなかったかのように

朝飯を食い

背広を着て家を出る

 

あまり好きではない会社へ

よくよく分からない連中と

挨拶を交わす

 

お客さんのところで

それなりの大きな売買契約を獲得し

帰りの地下鉄のなかで

Y男は考えるのだった

 

この広い都会で

オレの自由って

一体どんなもんなんだろう

たとえば

しあわせってどういうものなのか

こうして地下鉄に乗っている間にも

オレは年をとり

時間は過ぎてゆくのだ

この真っ暗な景色でさえ

微妙に変化してゆくではないか

妙な焦りとあきらめのようなものを

Y男は自分の内に捉えた

 

地下鉄を出ると

けやきの木が並ぶ街に

夕暮れの日差しが降り注いでいる

(とりあえず今日だけでも

笑顔で歩いてみようか)

 

Y男は陽のさす街並みを

さっそうと歩くことにした

こんがらがった糸を解く間に

過ぎ去ってしまうものが愛おしいからと

 

歩く

歩く

 

いまオレ

太陽をまぶしいって

そして

久しぶりに心地よい汗が流れている

 

徐々に疲れゆく躯の心地

そうして遠くに消えゆく昨日までのこと

 

まずは

そう感じている

こころをつかむことなのだと

 

 

日常に入り込む違和感

 

最近、結構アタマにきていることがある。

 

朝メシは私にとって至福のときなのであるが、

今朝の朝ドラの録画を再生しながらさあ今日も頑張ろうか、

なんて、遅めの朝飯をのんきにパクついている。

そんなとき、我が家の上を、

軍用ヘリが必ず飛ぶんである。

毎日ね。

だいたい同じ時間。

 

軍用ヘリってもの凄くうるさい。

あれは、人を威嚇する音でもある。

で、皆は知っているかどうか知らないが、

あのローターが真上に来るとさらに質が悪く、

いわゆるハウリング現象が起きて、

我が家のカーポートなんかをブルブルと震わせる。

余計にアタマにきたね。

 

しかしまあ、米軍だか自衛隊だか未確認だけど、

要するにこれらは戦う武器のひとつであろうよ。

国際的な事情とかいろいろ考えると、

私もまあ仕方がないのかなと、

おおらかに聞き逃すよう、己に仕向けてきた。

 

だがだ!

今度は最近、夕飯の時間になると…

事前に断っておくが、私にとっての夕飯は、

今日一日の疲れを癒やし、栄養を補給し、

安らかな睡眠へと誘う、

ひとつの優雅な流れの序章なのであって、

下らないテレビをぶつぶつ言いながら観るのも、

ストレス発散であり、

まあまあ、至福のときなのである。

とまあ、私が最も大切にしているそんな時間に、

またも狙いを定めるように、

我が家の上空を轟音がとどろく訳だ。

 

当初、私はテレビをガンガンつけていて、

最初はなんかどっか外がうるさいな、

くらいに思ってはいたが、

空の状況はそんなもんじゃなかった。

 

爆音と共に、夜の闇空がウーンと唸っているのである。

それは静かな夜の街に、

怪獣でも近づいてきたような恐ろしさなのである。

こうして我が家の朝晩の平和なひとときは、

あの複数の複数回による軍用ヘリの飛来により、

無残にも破壊されている訳だ。

 

そんなことがあって、

アタマがヒートアップしているときであった。

今度は夕方である。

夕焼けでも見ようと近所をのんきに散歩していて、

夏の木々や葉の茂るのを観察しながら、

おお命よ、自然よ!

などと感慨にふけってちょい笑顔で歩いていると、

またまたまた、である。

今度は夕方なのにである。

 

すげぇ爆音が頭上に迫ってきた。

うわぁなんだなんだと上を見上げると、

いつもの軍用ヘリとは違う、

もっと大型の更に変なものが飛んでいるではないか。

 

恐ろしい!

かついつもの奴より更にクソうるさい。

見上げると、小さなプロペラが付いている、

ヘリのようなものが2機。

………?

ああああっ、あれがかのオスプレイかよ!

と、私は怖い珍獣でも発見してしまったような、

かつてないリアクションをしてしまった訳。

飛んでいる姿は不安定な感じ、

かつ不格好である。

 

で、驚きの次に一息ついたら、

いらいらするなぁ、コイツら!

とようやく怒りがあらわになったのだが。

 

行く先は、たぶん横田基地だろう。

そして完全にアタマにきましたね!

 

でですね、こうした場合、

私の政治観とか右だの左だの、

そんな事はどうでもいいと思った訳。

毎日毎日朝晩、いや夕方もだ。

こうした我が家の平和をかき乱す行為自体が、

すべてに優先し、くだらないイデオロギーなど、

この際、どうでもいいと思ったね。

 

私はかつて横浜の田園都市線沿いに住んだことがあるが、

そのときは、近所に米軍の戦闘機が墜落した。

当然、死者も出た。

記憶では、このときもよく軍用ジェットの爆音が聞こえていた。

とても嫌な記憶。

それが何十年ぶりに甦ってきてしまったのだ。

 

今日もみんなが、この広い空の下で、

それぞれの営みを繰り返している。

しかし、一見平和そうな街の上空には、

絶えず、軍用機がけっこう無神経に飛んでいるのだ。

 

考えたって、回答なんか出ない。

こうしたものの根っこというのは、

多次元的に考えれば考えるほど、

どこまでも底なしに深いのだから…

 

更に最近、日本はついに陸上イージスというものに、

5000億円もの金をつぎこむというニュースをやっていた。

数字のイメージがうまく湧かない金額である。

 

いまという時代情勢と地政学的な見地から考えれば、

日本にとって防衛の強化は欠かせないと私も思う。

しかし、単に防衛費だからといって、

相手の言い値のようにもとれる見積もりを、

こちらの政府も鵜呑みにしてOKなどと即答してもらっては、

これはこれで大問題である。

 

5000億っといったら、いまの日本に最優先すべき事柄は、

他にも山積しているように私は思う。

誰かに、あなたはこの防衛構想を知らないからだ、

とか言われそうだが、そんなことは承知の上だ。

この数字は、極めていろいろな意味をもっていると、

私は思っている。

 

うーん、今回は書いていて、なんか不愉快!

いらいらするよ。

でね、クソ暑い。

今日の最高気温は35度らしい。

 

アタマでも冷やそう!

 

 

雨漏りのする車

 

国道1号線の鶴見あたりを走っていた。

友人が車を運転、僕は助手席で外を眺めている。

窓に飛び込んでくる陽射しとふわっとした風が

とても気持ちのいい春の日。

 

先方に中古車屋さんが見えたので、二人して目を凝らす。

僕はその頃、車を探していた。

以前はトヨタのセリカに乗っていたが、

金が尽きて、川崎の中古車屋に売り払ってしまい、

徒歩生活をしていた。

それから心機一転、無駄遣いをやめた。

 

呑みに行く回数を減らして喫茶店にも寄らず、

たばこの本数を減らし、

必死でトラックの運転手のバイトをして貯めた50万で、

再びマイカーを手に入れようと計画していた。

 

前日、東名の横浜インター近くの中古車屋で、

格好いいワーゲンのカルマン・ギヤを発見。

が、売値が高すぎて手が出ないなと悩んでいた矢先だった。

 

助手席から僕が見たその車は、

陽を浴びてこちらに盛んにアピールしているかのように、

ピカピカに輝いてみえた。

 

オレンジ色のワーゲン・ビートル。

 

「いまの見た?」

「見た、あんな色のビートルってやたらにないぜ」

 

興奮した二人は、途中の信号を左折し、

Uターンして右折して本線に戻り、

その中古屋のビートルを再度確認してから、

次の信号を右折して再びUターンして左折、

もう一度いま来た道を慎重に走る。

 

「行ってみようか?」

「だよな!」

 

国道沿いの小さなその店には、

外車がずらりと並んでいる。

珍しい車ばかりを集めている店らしく、

どれも年式は古いものばかりだった。

クラシックなボルボやベンツ、BMWが、

ぎゅっと固まって置いてある。

 

オーソドックスな車は、

オレンジ色のビートルだけだった。

美しい曲線の車体のあちこちには、

クロームメッキが施され、

魅力的な光を放っている。

 

値札に103万とあった。

(うわぁ、103万か!)

 

その日は結局決断できず、

翌朝、意を決して今度は暇そうな別の友人と、

鶴見の例の中古車屋へとでかける。

 

車を眺めながら、借金はなんとかなるだろうと、

甘い観測を立てる。

しかし、本当はもうこの車を逃したら俺は後々後悔する…

ひとめぼれで、ええぃと勢いで買ってしまった。

 

この車で乗り継ぎは3台目となるが、

初のガイシャなので結構気を使ったが、

乗ってみると外観に似合わず、

内装も計器類も何もかもが素っ気なくできていて、

庶民的という言葉がぴたっとくる。

それがまた良いなどと勝手に思い込み、

楽しいビートルとの日々と共に、

地獄の借金生活が始まった。

 

この車にとんでもないことが発覚したのは、

なんと長野県の蓼科の山中でだった。

中央高速の大雨のなかを走り抜けてきたビートルは、

結構快調に走っている。

 

僕たちはとても満足だった。

カセットテープからは、ジャクソンファイブのABCが流れる。

なかなか快適なドライブ。

 

だが、中央高速の小淵沢インターを降りて、

長い上り坂をのぼっていると、

どこからか、ぽちゃんと言う水の音が聞こえてくる。

助手席にちょこんと座っているガールフレンドに、

「なんか水の音、しない?」と尋ねると、

「うん、するする。変な音するよね」

とすでに気づいているようでもあった。

 

雨上がりの蓼科は、雨雲がいきもののように動いて、

それが山の上へとどんどんとせり上がっている。

それは、ちょうど劇場のどんちょうのように、

ばっと、八ヶ岳山麓の鮮やかな緑と夏空を映し出した。

 

エンジンを止めるとしんとしている。

遠くで山鳥が鳴いている。

夏の雲がぽかんと浮いている。

 

車のまわりをぐるっと見回すも、なんの異常も見当たらない。

初夏の蓼科の景色を眺めながら、

「気のせいか」と笑って車に乗り込んだ瞬間、

躰の重みで、そのぽちゃんという音が再び聞こえた。

 

どうも、後部座席のほうからのようだ。

床をよくよく見下ろすと、なんと、かなりの水が、

後部座席の足元に溜まっているではないか。

 

軽い戦慄が僕の躰を走り抜けた。

この美しい蓼科の景色を眺めていた幸福なときは、

戯言のように一瞬で吹き飛んでしまった。

 

ガールフレンドは驚き、あきれかえり、

かといって僕のショックの表情を目の当たりにして、

どうしようもなくなったらしい。

水をくみ出す作業を手伝うハメとなった。

 

バッテリーが近くに設置してあるので、

僕は焦っていた。

トランクにあった布類をすべてその床に敷く。

とんでもない量の汗をかいていた。

その後の事は、いまでもよく覚えていない。

こうして、夏の初のロングドライブは終わったのだ。

 

後、数回に渡ってこの車は同じ事象を起こす。

水漏れの原因を突き止めようと例の中古車屋へも出かけ、

ホースで水をかけたりあれこれと試し、

果ては、ドアまわりのパッキンをすべて交換したりもした。

 

しかし、結果は芳しくなく、

遂に原因を突き止めることはできなかった。

 

この車をどう処分しようかとも悩んだが、

金銭的にも買い換えも不可であるし…

 

しかし、僕は実はこの車を気に入っていたらしい。

手放す気などさらさらない、

という自分の心境に、ある日、気づいたのだった。

 

雨の日の翌日は気になるが、

そのうち、そんなことはどうでもよくなった。

 

それよりシンプルな運転席まわりに喝を入れるべく、

ワーゲン専門店でみつけたタコメーターを取り付け、

足回りを強化サスペンションへと変更し、

マフラーを交換、高速用のエアクリーナーを取り付け、

タイヤとホイールもスポーツ仕様に交換する。

 

おかげで、とんでもなくユニークなオレンジのビートルができあがり、

バイト代はすべてそれに消え、さらに返済が厳しくなるも、

学生時代の僕の経済状態は、

超低空飛行のまま横ばいを持続していた。

 

一目惚れした女性と一緒になって、

実はその人が欠点だらけだったら

というような事と似ているなぁと、

後に僕はつくづく思ったものだ。

くだらない車の話なんだけど、

例え話として面白いと思った。

 

完璧を求める人にはイラつくように思うし、

最初から新車を買っとけよとか言われそうだ。

 

一目惚れって結構危ない。

 

 

湖の不思議

 

連日暑くて、去年はどんなことをしていたのか、

ふと思い出したのが、カヌーに乗ったときのことだった。

 

7月の中頃だったか、こっち(神奈川県)は暑くて、

いい加減にうんざりしたので、

道志村のある国道413号線から山中湖へ向かった。

 

湖畔は強風が吹いていて、

夏だというのに、少し寒ささえ感じた。

さすが避暑地というべきか。

 

富士五湖の魅力は、おのおのだが、

その親しみ度から考えると、

好みはやはり山中湖に落ち着く。

 

中学3年の夏休みにはじめてここでキャンプをしたとき、

湖畔のスピーカーから流れていた歌は、

カルメン・マキの「時には母のない子のように」と、

森山良子の「禁じられた恋」だった。

だからいまだに好きなのかも知れない。

他の湖もなかなか良いのだが、

好きだった歌から思い浮かべる湖というのは、

他を圧倒してしまう。

そういうものだと思う。

 

さて、その頃は泳いで山中湖横断とか、

結構無茶なことをしていた。

みな水泳部の連中だったので、かなり調子にのっていたと思う。

水中の藻が足に絡みついても、刻々と変わる湖の水温も、

その頃はなんとも思わなかった。

 

しかし、おとなになってから知ったことだが、

湖で泳ぐときは、海や河川とは違った注意が必要らしい。

実際、湖の藻に足を取られて亡くなった方もいる。

湖特有の水温の急激な変化による心臓麻痺というのもある。

 

で、去年の夏。

湖の新たな怖さを知った。

 

湖畔からカヌーを出したが、

強風でどうも思うように進めない。

まあ、こうしたときはななめにジグザグに、

目的をめざすもことにした。

 

相当、沖に出ると、

その風は水面を動かすほどに強くなっていた。

湖だからと甘くみていた私は、

オールを上げ、そうした状況も気にせず、

iPhoneを取り出して、

水面から撮る富士山の景色はいいなぁと、

夢中になっていた。

そして、いま船がどのあたりにいるのかさえ、

確かめるのを忘れていた。

 

と、船体がドンと何かにぶつかり、

その衝撃で私も倒れてしまった。

幸い、カナディアンスタイルのカヌーだったので、

船幅も広く、水面に放り出されずに済んだが、

我に返った私は、

何が起きたのか全く把握できなかった。

 

起き上がって船のまわりをみると、

水面から突き出た木の枝のようなものが、

あたりにびっしりと顔を出している。

座礁した船体には、強い波が幾度も押し寄せ、

船がひっくり返りそうになっていた。

船の縁につかまって水面をのぞき込むと、

濁った水中からにょきにょきと白く太い枝が、

不気味にこちらを向いて伸びている。

 

近くには誰もいない。

いや、離れたところにも、

山中湖名物の白鳥さえいないではないか。

 

山中湖は、賑やかな表の湖岸と、

人影さえまばらな裏の湖岸がある。

私は静かな方で、

ゆったりと浮かんでいようと思ったので、

それが裏目に出てしまった。

 

力任せに水中の白い枝をオールで押し、

そこを脱出しようと試みた。

次々に水中から顔を出す、無数の白い枝。

それらにオールを押し当て、

少しづつ進みはしたが、

しかし強い波によってまた押し戻され、

そんなことでかなりの体力を消耗してしまった。

 

注意深く観察すると、

私が乗っているカヌーのまわりは、

そうした水中林がかなりの範囲で広がっていた。

その真ん中あたりに私のカヌーがあったのだ。

 

強風と押し寄せる波に逆らって進めば、

岸はそれほど遠くはない。

しかし、幾ら頑張っても、

その威力には全く歯が立たなかった。

 

いい加減に力が尽きそうになり、

さっと乾いてしまう汗も尽きた頃、

一艘のボートがこちらに近づいてくるのが見えた。

エビアンのペットボトルの水もほぼなくなっていた。

 

そのボートには、地元の方とおぼしき

陽に焼けた高年のおじさんが乗っていた。

岸から湖を見ていて、

私の船をみつけてくれたらしい。

 

結局、この方にえい航してもらい、

その魔の水域を脱出することができた。

 

この方は地元の方で、

私の状況をすぐに把握したらしい。

結局おおげさにいえば私の命の恩人である。

 

岸に上がって、

開口一番「湖ほど怖いところはないんだよ」と、

この地元のおじさんが

にこにこしながらつぶやいた。

そうして、

湖にまつわるいろいろな話をしてくれた。

 

湖は、先の水温の急変や、

藻が人の足に絡みつくことのほか、

水底に引き込まれる水域とか、

よく分からない生き物が生息している噂とか、

いろいろな話をしてくれた。

 

そして、こうも話してくれた。

「湖には生き物のようなところがある」と。

 

それがどうゆうものなのか、

私もいまだ計りかねているが、

このおじさんは、不思議な人の死を、

さんざん見てきたそうである。

 

例えば、夜の湖畔で、

複数の人がいきなり湖に飛び込み、

そのままいなくなってしまったという話。

この人たちはそれ以前からよく来ていた方たちらしく、

湖に入ることなどまずしない慎重な方たちだった、と。

いま思い返してもつじつまが合わないと、

おじさんがしみじみと話す。

 

ふーむ、

では、湖に意思があるのだとしたら、

それはアニミズムのようなものの進化したものなのか。

超自然的な生命体のようなものなのか。

そして、万物の意思がネガティブに動くとき、

人はだいたい良くないことをしでかしているとか。

 

まあ、幾ら考えても結論は出ないのだが、

またひとつ、私の知らない不思議が増えた。

 

さて今年はまた、

あの怖いほどに魅力的な湖に出かけようか…

と思っている。

 

そう思ってしまうのも、あの湖が放つあやしさなのだろうか。