夕陽のうた

 

イラストレーターの鈴木英人さんは、

影というものを主役に据え、

大胆な影の描写で夏の日差しの強さを強調し、

そのコントラストの美しさをあらわした。

 

オールドカーが木陰に停車しているイラストなど、

ぐっときます。

 

 

この人の作品は、どれも真夏の昼下がり、

といったものが多い。

 

実は朝なのかも知れないが、

その陰影を観るにつけ、真夏の昼下がり、

と私が勝手に思い込んでいるのかも。

 

まだ世の中がカセットテープ全盛だったころ、

よく英人さんのイラストを切り抜いて

カセットケースに貼り付けていた。

 

中身は、主に山下達郎だったような。

 

 

さらに時代を遡って、

私がちいさい頃に好きだった影絵は、

どれも藤代清治さんの作品だった。

 

 

だいたい夕暮れから夜の世界が多い。

 

笛を吹いている少年のシルエットが心に残った。

作品はどれも上質のステンドグラスにも負けない、

神秘性と物語を内包している。

 

昨年、藤代さんの画集を買って、

時間ができるとぺらぺらと開いている。

もう90歳をとうに過ぎておられると思うが、

この方の作品は常にファンタジー性に溢れていて、

その世界が衰えることはない。

 

 

好きなことに没頭する美学がそこにある。

 

ここは、学びが多いと、自分に言い聞かせている。

 

 

近頃は夜景の写真が人気を集めている。

湾岸に立ち並ぶ工場群も、

ライトに照らされた夜の姿は、

妙な魅力を放っている。

 

 

私は京浜工業地帯で生まれ育ったので、

工場の立ち並ぶ姿にうんざりしていて、

一時は、こうした写真を引き気味にみていたが、

最近はそうした幼い頃のトラウマ?もなくなり、

しっかり鑑賞できるようになった。

 

 

さて、自然の織り成す陰影といえば、

夕暮れ時のマジックアワーである。

 

 

 

夕陽は、ときに緊張した人の心を緩ませる力を

秘めているようだ。

 

私が夕陽の魅力を初めて知ったのは、

小学校の入りたての頃だった。

近所の子と砂場で夢中になって遊んでいて、

さあ帰ろうと思って立ち上がり、

空を見上げたときだった。

 

いままさに沈もうとする太陽がオレンジ色に光って、

手前の丘は大きな黒い影となり、

その丘のふちだけが燃えるように輝いていた。

 

いずれ、光と影の織り成す風景って、

人の琴線のようなものを刺激するのだろう。

 

映画「夕陽のガンマン」、「三丁目の夕日」

 

拓郎の「歌ってよ、夕陽の歌を」

石原裕次郎のヒット曲「夕陽の丘」

 

夕陽は歌になる。

絵になる。ドラマになる。

 

どこか影のある女性…

夕暮れの冬の木立

そんなものばかり追いかけても、

深みにはまるだけ。

ただただ、陽が暮れるだけなのになぁ。

 

 

 

 

 

 

 

セレブの考察

 

トランプ大統領は、言わずと知れた富豪である。
ZOZOの前澤さんもいまや富豪である。

マイクロソフトのビル・ゲイツ、
ユニクロの柳井さんに至っては大富豪である。

アラブの石油王とかは、金余りである。

では、富豪、大富豪でなく、

セレブと聞いてイメージするのは誰かというと、
ちょっとイメージは変化する。

思い浮かぶのは、アメリカではパリス・ヒルトンとか、
韓国のペ・ヨンジュンとか、フランスのジャン・アレジとか、
で、日本では叶姉妹とかデビ夫人とかだろうか?

セレブレティの語源は、ラテン語なんだそうだ。

意味は、ずばり有名人。

欧米では、有名人のことをセレブと呼ぶそうな。

 

こうなると、貧乏な人でも有名人ならセレブなのである。

日本においての意味合いは少し変化する。

日本のセレブは、 ホントは金持ちかどうか分からないが、
そのような雰囲気を確実に醸しだしている。
で、なによりゴージャスさが前面に出ている、というところか。

ゴージャス?

うん、

確かにセレブという言葉からは、

そんなオーラが発せられている。

成金とは違う訳。
成金は、働き者+ぎらぎら感が漂う。

その点、セレブはきらきらしているのである。

女優の泉ピン子は、全身をシャネルで決めているが、
そのいでたちは、セレブとは程とおい。

そこが訳もなく辛い。

 

さて、正真正銘?のセレブは、

モナコやニースなどで優雅に暮らしていそう。
日本では、鎌倉の披露山とか神戸の芦屋あたりに、生息していそう。

根拠などないが、雰囲気で書いている。

 

ちなみに、セレブってるという言葉があるが、

これはたいした収入もないのに、
高級レストランなどのランチへでかけたりして、

その気分を低料金で味わい、
抜け目なくインスタに上げるとか、
質屋とかで手に入れたバーキンを何気にみせるとか、

結構涙ぐましいらしいのである。

かようにセレブとして世間に認められるには、

大変なんだなぁ。

 

セレブの意味合いがいまひとつ安定しない。

しようがないと思う。

もともと、ふわふわした言葉なんだから。

 

なのに、そこをあいまいにしたまま、

このセレブの話は、さらに難しい領域に突入する。

意識高い系セレブとはどういう人たちか、

というのを検討してみた。
これには、かなりいろいろと気難しい事、

ものが付随しているように思うのだ。

たとえば、である。

1.セレブは1年に2回、セドナでヨガをやってくる。
これは、心身ともに解放された己をめざすセレブなのである。

2.青山、湘南で犬を連れて歩いている。
セレブは一等地に住んでいる証拠を何気にみせるのである。

3.生活がオーガニックに侵されている。
高ければいいという訳じゃなく、己の食うもの・

着るものは素材から吟味するのがセレブなのだ。

4.鎌倉に実家がある。
これはどうでもいいんですが、

ちょっとそんなイメージが出てまいりまして。

5.世田谷は蚊が多いと代官山へ引っ越した 。
これは私が以前住んでいたマンションにいらした方の実話です 。

6.先祖は公家であると言ってはばからない。

かなりあやしい話をされるセレブがいるようで。

7.世俗ごとより、太陽のフレア現象・宇宙嵐のみやたら敏感である。
こういう方が割と多いように思います。

8.デビ夫人のケータイ番号が入っている 。
これは私のジョーク!

9.広尾の明治屋でセレクトしたブルーチーズがいつも冷蔵庫に入っている
ここまでくるともうフツーですね 。

10.いきつけの蕎麦屋では、黙っていても、隠しメニューの国産十割蕎麦が出てくる。
もうこじつけです 汗!

11.飲み水は航空便でくるフランスのペリエしか飲まない。
ここまでくるともういい加減です。

さて、どうでしょうか?

皆さんのお近くにセレブさんは生息しておりますか?
言っておきますが、こうした方々は、はま寿司とか丸亀うどんとか
いきなりステーキとか幸楽には絶対にいませんから!

 

正月レポート、ざっくり湘南

 

田舎に住んでいると都会に行きたくなる

 

都会に住んでいると田舎に行きたくなる

 

という訳で、トカイナカの山岳の住人は

 

久しぶりに湘南の海がみたくなった。

 

 

正月なので、どこも混んでいるのを覚悟で出発。

 

 

茅ヶ崎の海へ出ようと、途中、寒川神社の近くの道を通った。

 

それがそもそもの間違いだった。

 

車が全く進まない。

 

覚悟はしていたものの、長時間のノロノロ運転に、

 

いい加減にぐったりする。

 

 

で、寒川をやっと過ぎ、茅ケ崎の海沿いにやっと出るも、

 

ここ国道134号線もやはりノロノロ運転。

 

が、海がみえた!

 

 

きらきらしている波間を久しぶりにみて、

 

やはり来て良かったと、少し気が晴れる。

 

そしてなんとか江の島へと近づくも、

 

やはりというか、橋の入り口に車がずらっと渋滞しているので、

 

手前の鵠沼海岸のパーキングに車をとめる。

 

ここが空いていたのもラッキーだったようだ。

 

他の駐車場はずっと満杯状態。

 

 

さてと、ようやく車を降りて深呼吸。

 

思い切り伸びをする。

 

そして晴天の砂浜を歩く。

 

おお、海が輝いているではないか。

 

 

サーファーが多数、波間に浮いている。

 

浜で犬がはしゃいでいる。

 

ここかしこで凧あげをしている。

 

おだやかな正月というにふさわしい絵である。

 

 

キュッと鳴る砂を踏む音が心地いい。

 

気温高め。

 

上半身裸でサングラスをかけたおっさんに、幾度か遭遇する。

 

皆、決まったように缶ビールを飲んでいる。

 

ここ鵠沼あたりで流行っているのかなぁ。

 

とりあえず、一見サンタモニカ風ではある。

 

 

さて、店は当然どこも混雑していて、

 

コーヒーの一杯をいただくのが大変。

 

結局、空いていそうなデニーズをみっけた。

 

一席をようやく確保。

 

それでも店内は超満員だった。

 

 

そんな正月の折、

 

苦痛の顔を浮かべた30代とおぼしき男が

 

ビールを飲みながら女性と向き合っている。

 

女性の表情はみえない。

 

男の顔がみるみる赤くなっている。

 

厳しい話は、いよいよ核心へと迫っている模様。

 

(いやだなぁ、こういうの)

 

正月早々、喧嘩か?

 

いや、あの深刻さは、別れ話?

 

いずれ正月の海辺とはいえ、

 

楽しい人ばかりではない。

 

現実は、常に強烈にドライなのであった。

 

 

店内の混雑とその雰囲気にかなり息苦しくなって、

 

早々に表に出る。

 

 

で、そこからほど近い湘南ホテル跡地前を歩く。

 

いまは高級マンションにリニューアルされ、

 

ちょっとコテコテした外観に変貌している。

 

 

 

ホテルは、もう10年以上前に閉鎖したと記憶しているが、

 

場所もプライスも好感がもてたので、

 

家族で2度ほど利用したことがある。

 

地下にプールがあって、

 

その脇にハワイアン風のリラクゼーションの店があって、

 

雰囲気のあるホテルだった。

 

部屋も広く、和室もあって、夜は波の音が聞こえた。

 

隔世の感。

 

 

さて、サザエが食いたいという奥さんの要望を却下して、

 

大渋滞の江の島の橋を渡るのを断念し、車を走らせる。

 

茅ケ崎パシフィックホテル跡を懐かしく眺めつつ、

 

平塚を通り越して、目的の大磯へ。

 

ここで海岸沿いの道から、細い一般道へ戻る。

 

目的は、去年リニューアルした大磯プリンスをひと目みようと、

 

来た次第。

 

 

が、新しい大磯プリンスは、思うほど、外観に変化がない。

 

館内へと入るも、さして驚きもなかった。

 

大磯温泉が、新たにスパ棟として建てられていたが、

 

あとは、古い建物をそのまま生かしたのはいいが、

 

あまりかわり映えしない。

 

さらに、館内の導線がよくわからない。

 

敷地のプールも植樹も、どうもレイアウトがいただけない。

 

もっとも客室のリニューアルは、ちょっと凄いらしい。

 

今度、宿泊してみようかな。

 

 

惜しいのは、この敷地内の一等地に建っていた

 

木とガラス張りの美しいチャペルをなくしてしまったことか。

 

夕陽に照らされたここのチャペルに足を踏み入れると、

 

誰もいない室内には、

 

いつもエンヤの神秘的な歌声が響いていたのに。

 

 

思えば、その昔、大磯プリンスホテルは、

 

神奈川県民のあこがれだった。

 

大磯ロングビーチは、夏に金持ちの家族のみが行けるところだった。

 

私と家族が来られるところではなかったが、

 

だからだろうか、

 

その姿にずっとあこがれてきたような気がする。

 

後年、縁あって、このホテルの企画をやったときも、

 

私はずっと、このホテルに敬意の念を抱いていた。

 

しかし、いまは

 

━幽霊の正体みたり枯れ尾花━

 

夢から醒めた私がみた、正直なこのホテルに対する印象だ。

 

 

帰りも、やはり国道1号の旧吉田茂邸あたりから

 

車は全く動かなかった。

 

大磯駅まで数キロなのに、小一時間かかった。

 

古い町並みと人通りの少ない商店街が続く大磯。

 

左手の山の中腹あたりには、あの村上春樹が住んでいるということで、

 

ちょっと気になったが、疲れていて見上げることもなかった。

 

 

かように、渋滞は疲れるし、暇なのである。

 

車内で、普段は考えもしない、いろいろなことが頭をよぎる。

 

 

たとえば、この渋滞を俯瞰して考えると、

 

ホントに日本の人口って減っているのか?

 

などという疑問が頭をもたげる。

 

もちろん、今日は正月という特別な日であり、

 

ここは首都圏の観光地だからという事情も加味してみる。

 

 

さらに、人口が増え続けなければならないという経済の考え方って、

 

ちょっと間違っているのではないだろうか、

 

などという小難しい問題が提起される。

 

これらは私の頭では無理なので、思考を断ち切り、

 

我にかえる。

 

 

あたりが暗くなってきて、ようやく車も動き出した。

 

ああ、久しぶりの長い休みも、これで終わりか。

 

休み明けの初仕事が怖いなあ。

 

 

ドラゴン、西へ

 

 

 

 

ドラゴンは架空のいきもの、

 

西へ飛んでったのは、単なる雲の切れ端に過ぎない。

 

が、室内で始終下を向いて作業をしている身に、

 

戸外のすがすがしさは、解放感に満ち溢れている。

 

 

私は、閉所恐怖症の傾向があるので、広―いところ、

 

丘の上、山頂など、陸と空が遠くまで見渡せる場所に行くと、

 

言い知れぬ安堵とともに深い呼吸をしている自分に気づく。

 

 

空に、ドラゴンがいたっていいじゃないか。

 

 

空想は広がり、ドラゴンはある男の子の危機を救うため、

 

翼を大きく広げて、マッハのスピードで西へと飛んでいく。

 

 

ドラゴンは、きっと男の子の危機を救うだろう。

 

沼に沈みかけた少年は、ドラゴンとともに、

 

再び大空に舞い上がり、次々に困難を克服し、

 

そうして勇敢なおとなに育ってゆく。

 

 

これが、世界の子供たちを魅了する物語のテーゼだ。

 

これからも、このストーリーがくつがえることはないだろう。

 

少なくとも、童話の世界においては。

 

 

そんな話はすでにいくつも知っているし、読んできたのに、

 

ちょっと幼稚かもしれないが、僕はこのことを

 

「ネバーエンディング・ストーリー」から学んだような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

万有引力

 

シビアな打ち合わせを

立て続けに2件こなすというのも、

結構つらい。

 

話の中身が会社を左右するとか、

多額の金銭に係わることとなると、

心労も激しい。

 

いや、この例えはちょっとおおげさ。

 

しかし、もうそんなにタフじゃない。

 

喉が渇いた。腹もぺこぺこだ。

砂漠で見つけたオアシスのように、

やっと見つけたコーヒーショップで

ようやくひと息つく。

 

熱いコーヒーとサンドイッチで腹を満たす。

 

途端に頭が痛いことに気づく。

15分ほど目をつむっても治らない。

しょうがないので、

首を揉みながら店を出る。

だらだら雑踏を歩く。

 

夜なのに心なしか

いつもより明るく感じる。

見上げると、

ビルの谷間に満月がぽかり。

 

それを見てなぜかほっとした。

そして納得。

 

私の場合、

だいたい満月の頃は、

頭が重かったり痛くなったりする習性がある。

 

その理由は全く不明だが。

 

とにかく安堵のため息。

 

万有引力を身をもって知るとは、

自分らしくないデリケートさで笑える。

 

それにしても

月と地球の引き合う力か…

と考えてみる。

 

―壮大な宇宙の呼吸―

いや、違うな。

 

―悠久の月と地球の恋心―

ここは妙に美しく検討してみた。

 

それにしても

引き合う力って、

惹き合うことだから。

 

ああ、頭が痛い。

 

月夜の晩だからといって、

ロマンチックが過ぎるなぁ。

 

 

 

 

 

秋を探しに

 

 

 

 

 

 

 

秋の気配を探しに出かけました。

陽はまだ強い。

が、風はひんやりとしている。

ちょっと立ち止まると冷えるようです。

そして空は高く、空気は澄んでいる。

ひたすら川沿いを歩く。

セイタカアワダチソウが盛んに咲いている。

季節は確実に進んでいて、

あちこちで夏とは違った、

秋の芳醇さがあります。

稲の収穫は順調と思いました。

推測だけど。

都会と違い、ここのススキは、

いくら採ってもタダです。

川でヘロンを見つけました。

ヘロンは青サギのこと。

数年前から住み着いているようです。

青サギって朝を象徴する鳥だそうで、

泣きながら飛ぶと雨が降ると言われている。

達郎の曲「ヘロン」って、

上の言い伝えを受けて、

雨を降らさないでくれと歌っている。

ちょっと哲学的です。

きょうはこの辺で。

 

 

 

 

 

 

花と陽のあたる楽園

 

もういない叔母が

フジ子ヘミングによく似ていて、

あの音色を聴くと、

必ず叔母の顔が浮かぶ。

 

横浜で、ずっと服飾デザイナーをしていて、

小さい頃は叔母の家に行くと、

いつもミシンを踏んで何かを縫っていた。

 

傍らで僕はボビンとか

色とりどりのカラフルな糸を眺めながら、

叔母は仕事をしていて、独身で、

ウチの母は、家庭の主婦で、

ちょっと違うんだと思った。

 

叔母の家の棚には、

とてもきれいな布が、沢山置いてあった。

僕は、よく叔母に服をつくってもらったが、

そのどれもがハイカラ過ぎて、

それを着て小学校へ行くと、

必ずみんなに奇異な顔をされた。

 

あるとき、叔母が編んでくれた

ブルーのラメ入りのセーターを着て教室に入ると、

ある女の子がむっとした顔で、

「まぶしいから、そんな服着ないでよ!」と

詰め寄ってきた。

 

後日、その事を叔母に話すと、

けらけらと笑っていた。

そして「○○(僕の名前)、そんなのはどうでもいいの、

大きくなったら、好きなものだけを着ることよ」

と言って僕の頭を撫でてくれた。

 

叔母はずっと独りで生きている女性で、

とても綺麗で華やかにみえたが、

本人の心情は当時から晩年に至るまで、

私にはよく分からなかった。

 

叔母の最期を看取ったのは僕と奥さんで、

とてもやすらかに目を閉じていた。

それは僕たちが、

とてもほっとできる事だった。

 

叔母の墓地は、花の咲きみだれる公園墓地を選んだ。

僕は此処へくると必ず墓地を一周する。

季節の花々が美しく咲く生け垣をみながら、

陽射しのなかを歩いていると、

生きているなぁって思うのだ。

そして傍らでたばこを一服してから、

元気でな、また来るから…

とおかしな事を必ず口走る。

 

こうした時間はとても救われると、

ふっと気づくことがある。

それは、生きている者も、

もういなくなってしまった者も、

実はたいして違わないじゃないかと、

思えることだ。

 

すぐ隣に、「ありがとう」って

笑っている叔母がいる。

そう思えるだけで、

僕の死生観が変化するのなら、

それは、僕にとって、

いつか必ず救いとなる。

 

 

 

虹の彼方に

 

 

 

朝、窓を開けると南西の空に虹が架かっていた

ぼぉーとしたまましばらく見とれてしまった

 

雨上がりの虹

 

雲も霧もさっと引いてゆくのが分かった

すかさずアイホンで何枚かおさめた

いい写真とは言いがたいが

朝の虹は私は初めて見たし

とても貴重な瞬間のように思えた

そしてなにか良いことの前兆のようにも思えた

 

これは半月くらい前の写真だが

あれからなにかいいことがあったか?

と自分に問う

 

いいことも嫌なこともあった

それはいつもと同じように

変わらずまぜこぜになって

いろいろあって

結局、普段と変わりなく

僕の生活は続いている

 

振り返れば

ざっくりといいこと半分いやなこと半分

 

拝んでも願をかけても

僕の日常は淡々と過ぎてゆくのが分かった

 

しあわせの総量は決まっているが

しかし不幸の総量はよく分からないから

ちょっと怖いのだ

 

だからといってびくびくなんてしていられない

頑張るしかないのだ

きっとそういうことなのだろう

 

 

 

 

 

東京

 

泣きたくなったら

夜中にひとりで泣く

Y男はそう決めている

 

誰に知らせるものではない

後は微塵も残さない

そして生まれかわるかのように

何事もなかったかのように

朝飯を食い

背広を着て家を出る

 

あまり好きではない会社へ

よくよく分からない連中と

挨拶を交わす

 

お客さんのところで

それなりの大きな売買契約を獲得し

帰りの地下鉄のなかで

Y男は考えるのだった

 

この広い都会で

オレの自由って

一体どんなもんなんだろう

たとえば

しあわせってどういうものなのか

こうして地下鉄に乗っている間にも

オレは年をとり

時間は過ぎてゆくのだ

この真っ暗な景色でさえ

微妙に変化してゆくではないか

妙な焦りとあきらめのようなものを

Y男は自分の内に捉えた

 

地下鉄を出ると

けやきの木が並ぶ街に

夕暮れの日差しが降り注いでいる

(とりあえず今日だけでも

笑顔で歩いてみようか)

 

Y男は陽のさす街並みを

さっそうと歩くことにした

こんがらがった糸を解く間に

過ぎ去ってしまうものが愛おしいからと

 

歩く

歩く

 

いまオレ

太陽をまぶしいって

そして

久しぶりに心地よい汗が流れている

 

徐々に疲れゆく躯の心地

そうして遠くに消えゆく昨日までのこと

 

まずは

そう感じている

こころをつかむことなのだと

 

 

日常に入り込む違和感

 

最近、結構アタマにきていることがある。

 

朝メシは私にとって至福のときなのであるが、

今朝の朝ドラの録画を再生しながらさあ今日も頑張ろうか、

なんて、遅めの朝飯をのんきにパクついている。

そんなとき、我が家の上を、

軍用ヘリが必ず飛ぶんである。

毎日ね。

だいたい同じ時間。

 

軍用ヘリってもの凄くうるさい。

あれは、人を威嚇する音でもある。

で、皆は知っているかどうか知らないが、

あのローターが真上に来るとさらに質が悪く、

いわゆるハウリング現象が起きて、

我が家のカーポートなんかをブルブルと震わせる。

余計にアタマにきたね。

 

しかしまあ、米軍だか自衛隊だか未確認だけど、

要するにこれらは戦う武器のひとつであろうよ。

国際的な事情とかいろいろ考えると、

私もまあ仕方がないのかなと、

おおらかに聞き逃すよう、己に仕向けてきた。

 

だがだ!

今度は最近、夕飯の時間になると…

事前に断っておくが、私にとっての夕飯は、

今日一日の疲れを癒やし、栄養を補給し、

安らかな睡眠へと誘う、

ひとつの優雅な流れの序章なのであって、

下らないテレビをぶつぶつ言いながら観るのも、

ストレス発散であり、

まあまあ、至福のときなのである。

とまあ、私が最も大切にしているそんな時間に、

またも狙いを定めるように、

我が家の上空を轟音がとどろく訳だ。

 

当初、私はテレビをガンガンつけていて、

最初はなんかどっか外がうるさいな、

くらいに思ってはいたが、

空の状況はそんなもんじゃなかった。

 

爆音と共に、夜の闇空がウーンと唸っているのである。

それは静かな夜の街に、

怪獣でも近づいてきたような恐ろしさなのである。

こうして我が家の朝晩の平和なひとときは、

あの複数の複数回による軍用ヘリの飛来により、

無残にも破壊されている訳だ。

 

そんなことがあって、

アタマがヒートアップしているときであった。

今度は夕方である。

夕焼けでも見ようと近所をのんきに散歩していて、

夏の木々や葉の茂るのを観察しながら、

おお命よ、自然よ!

などと感慨にふけってちょい笑顔で歩いていると、

またまたまた、である。

今度は夕方なのにである。

 

すげぇ爆音が頭上に迫ってきた。

うわぁなんだなんだと上を見上げると、

いつもの軍用ヘリとは違う、

もっと大型の更に変なものが飛んでいるではないか。

 

恐ろしい!

かついつもの奴より更にクソうるさい。

見上げると、小さなプロペラが付いている、

ヘリのようなものが2機。

………?

ああああっ、あれがかのオスプレイかよ!

と、私は怖い珍獣でも発見してしまったような、

かつてないリアクションをしてしまった訳。

飛んでいる姿は不安定な感じ、

かつ不格好である。

 

で、驚きの次に一息ついたら、

いらいらするなぁ、コイツら!

とようやく怒りがあらわになったのだが。

 

行く先は、たぶん横田基地だろう。

そして完全にアタマにきましたね!

 

でですね、こうした場合、

私の政治観とか右だの左だの、

そんな事はどうでもいいと思った訳。

毎日毎日朝晩、いや夕方もだ。

こうした我が家の平和をかき乱す行為自体が、

すべてに優先し、くだらないイデオロギーなど、

この際、どうでもいいと思ったね。

 

私はかつて横浜の田園都市線沿いに住んだことがあるが、

そのときは、近所に米軍の戦闘機が墜落した。

当然、死者も出た。

記憶では、このときもよく軍用ジェットの爆音が聞こえていた。

とても嫌な記憶。

それが何十年ぶりに甦ってきてしまったのだ。

 

今日もみんなが、この広い空の下で、

それぞれの営みを繰り返している。

しかし、一見平和そうな街の上空には、

絶えず、軍用機がけっこう無神経に飛んでいるのだ。

 

考えたって、回答なんか出ない。

こうしたものの根っこというのは、

多次元的に考えれば考えるほど、

どこまでも底なしに深いのだから…

 

更に最近、日本はついに陸上イージスというものに、

5000億円もの金をつぎこむというニュースをやっていた。

数字のイメージがうまく湧かない金額である。

 

いまという時代情勢と地政学的な見地から考えれば、

日本にとって防衛の強化は欠かせないと私も思う。

しかし、単に防衛費だからといって、

相手の言い値のようにもとれる見積もりを、

こちらの政府も鵜呑みにしてOKなどと即答してもらっては、

これはこれで大問題である。

 

5000億っといったら、いまの日本に最優先すべき事柄は、

他にも山積しているように私は思う。

誰かに、あなたはこの防衛構想を知らないからだ、

とか言われそうだが、そんなことは承知の上だ。

この数字は、極めていろいろな意味をもっていると、

私は思っている。

 

うーん、今回は書いていて、なんか不愉快!

いらいらするよ。

でね、クソ暑い。

今日の最高気温は35度らしい。

 

アタマでも冷やそう!