オリジナル睡眠法

長く寝ると、だいたい調子が悪い。

時間にして、6時間を超えるとイケナイ。

最近では、本やテレビで睡眠負債などと命名され、

吹聴されている。

―――

僅かな睡眠不足が積み重なり「債務超過」の状態に陥ると、

生活や仕事の質が低下するだけでなく、

うつ病、がん、認知症などの疾病に繋がるおそれがあるとされる。

日本人のおよそ4割は睡眠時間が6時間未満で、睡眠不足の状態にある。

―――

(ウィキペディアより)

これ、私には脅かしともとれる訳で、かといって

毎日6時間以上も寝ていると、ホントに不調なのだ。

だいたいが長く寝た日ほど、身体のどこかが不調なことが多い、

だから長く寝る、というのが私の身体の事情のようだ。

ロングスリーパーとかショートスリーパーとか、

睡眠はその人の個性のように様々という考え方は、

どこへ行ってしまったのだろう。

私はこっちの考え方に賛成!

手首には毎日の睡眠時間及びその質が計測される

ウェラブルを付けているので、

一応、毎朝チェックをするが、

ベスト睡眠時間は、だいたい5.5時間あたり。

睡眠品質は、私の場合は5段階で4つ星がベスト。

5つ星だと寝起きがとても悪い。

あとは昼寝の有無となるが、

これはその日の成り行き次第だが、

時間があれば数分~15分位は寝るようにしている。

一時期、ヒマ~なときに2時間の昼寝をしたことがあるが、

起きた後は全く使いものにならなかった。

テレビでは健康番組が花盛りだし、

かといってあんなもんを毎日観ていたら

頭がこんがらがって健康矛盾に陥ってしまう。

しまいには知識の詰め込み過ぎで、

妙な病気になってまうような気がする。

真面目な人ほど真剣になってしまうので、

できれば斜に構えてさっと観て

さっさとチャンネルを回してしまおうではないか。

そしてそれらバラバラの、

一種適当な健康知識を自分なりに編集して、

マイ健康法を仕上げてしまう、

なんていうのはどうだろう。

一応、それでもその人なりのオリジナルにはなるし、

そんなんでいいのではないかなぁ。

だって万人に通用する完璧な健康法など、

私はこの世に存在するとは思っていない。

健康法だけでなく、

ビジネスも人付き合いも、

いや、生き方さえも、

その人なりが考えたオリジナルでいいんじゃないかと。

凄く稼ぐ人がいるからといって、

そんな人のまねをしたところで、

そのまま上手くいくとは限らないのは、

数多くの成功本が即捨てられるのをみれば分かる。

人間関係も然りと思う。

要は、まず自分なりに考えねばならない。

悩むとは、必要善である。

いろいろな情報を取捨選択するためには、

頭を使うべきだし、

それらの情報を元に、

自分に合ったものに編集するには、

かなりの苦労を要する。

こうして作り上げたものは、まず身につく。

愛着もうまれる。

そしてなにより揺らがない。

この程度のオリジナルだって、

模倣ではないし、

独りよがりともまた違う。

それは、この現代に於いて貴重な示唆ともなりうるし、

人とはちょっと違う人生観も育つと思うのだが。

青の魅惑

ここ数年、青い色に凝っている。

ブルーのTシャツ、ブルージーンズ、青いセーター、

青い絵、青い手帳…

気がつけば青いものばかりに手を出している。

この冬は娘に青いマフラーを買ってもらったっけ。

これはうれしかった。

蒼い時_

そういえば山口百恵の「蒼い時」って本がありまして、

えらく売れたけど、私は買わなかったな。

当時は20代で出版社に在籍していたけど、

ぜんぜん分析しようとも思わなかった。

青とか蒼に、全く興味がなかったからか、

百恵ちゃんに惹かれなかったからか、

そこは良く分からないが。

青っていろんなたとえにも使われている。

青くさい、といえば子供っぽいの意。

理由は不明だが、きっと植物とか稲とかの

初々しい色からきているような気がする。

(昔もいまも緑色を青と呼ぶことがあります)

先の百恵ちゃんの蒼い…は、

やはり思春期とかをイメージさせるのだろう。

思い出せば、この人の歌う歌詞って結構きわどい。

♫あなたが望むなら

私何をされてもいいわ

いけない娘だと

噂されてもいい♫

↑のタイトルが「青い果実」

やはり青だね!

さて、青い色といってもその数は限りなくある訳で、

海の青、空の青だけでも、

場所や季節や天候や時間帯によって、

それこそ無数の青がある。

青空

そして藍(あい)染めの藍、群青(ぐんじょう)といえば、

日本独自の青となる。

群青色

藍染め

西洋の青なら、ラピスラズリやコバルトブルーだろうか。

コバルトブルーは、美しい海を表現する比喩として

よく用いられる美しい色。

ラピスラズリはウルトラマリンとも呼ばれ、

その神秘的な深みが特徴だ。  

ラピスラズリは石だが、産地は昔のペルシャあたり。

それをヨーロッパに運んでいたらしい。

これを日本流に瑠璃色と呼ぶ。

謎を秘めた色、とでも言おうか。

その神秘的な色が、

近代絵画の描き手を惹きつけた。

北斎

広重

日本では葛飾北斎、歌川広重だし、

ヨーロッパだとシャガールやゴッホ、

フェルメール、イヴクラインの作品が有名だ。

ゴッホ

私的にはシャガールとデュフィの青が、

たまらなくいい。

シャガールは夢を青で描く。

シャガール

デュッフィは風景を個性的な青で強調する。

デュフィ

いずれ忘れがたく、記憶に残る。

皆、ラピスラズリの青を求めて、

当時、大金をはたいたというから、

ラピスラズリがいかに芸術家の目をも奪う魅力があったか、

その証左といえるだろう。

いまは、ラピスラズリなら私でも買える。

実際、ブレスを2本ほど所有している。

ラピスラズリの青い色が好きなのはもちろん、

この石が魔除けの石だということ。

ラピス

かなり胡散臭い、とお思いだろうが、

私は出かけるときは必ずラピスラズリを手首に着ける。

それが嘘だろうが非科学的だろうが、

私は一応信じて疑わないのだ。

なぜなら、ラピスラズリが青だから…

いや、ちょっと根拠に乏しいな。

では

━ラピスラズリをじっと見ていたら

その深いミステリアスな魔力に

取り憑かれてしまったから━

こんなんで、どうだろう?

昭和39年(東京オリンピックの頃)

ウチの父が頼んだのだろう。

不動産屋の車に乗せられて新横浜まで来た。

10台以上のブルドーザーが出来たての駅のまわりを、

急いで必死に整地している。

幼い僕にはそうみえた。

「いまなら何処でも買えますよ」

父は黙ったまま、広大な土地を見てふーっとため息をついてから

「次のところを見せてくれないか」と頼んだ。

漠然としていたので、父には全く現実感がなかったのだろう。

父と母は、横浜の中心地を離れて少し引っ込んだところへ、

家を建てる計画だった。

実際に引っ越したのは、それから数年後だった。

この頃、東京オリンピックを控えて、

日本中がとても騒がしかったように思う。

躁状態だったのだ。

後に振り返って気づいた、当時の空気だ。

横浜駅には東口と西口があって、それらを繋ぐ暗い地下道には、

戦争で傷を負った元軍人がそこを住みかとして、

ずらっとおのおの座ったり横になったりしていた。

腕のない元軍人、両足がなくむしろに横たわっている元軍人。

彼らはアコーディオンを奏でながら物乞いをしていた。

そこを歩くとき、なんとも言えない憂鬱な気分にさせられた。

僕は、以前、日本が戦争で負けたことだけは知っていたが、

眼の前にその戦争で傷ついた生身の人間がいることが、

とても怖かった。

その怖さの正体が何であったのかは、いまでもよく分からない。

ただ、僕は心のどこかですいませんというようなニュアンスの心持があったことも

確かだった。

横浜駅の海側に出るとちょうど鶴見から川崎あたりが見渡せて、

煙突から黒や黄色や灰色の煙がもくもくと出ていた。

岸壁はゴミと洗剤の泡のようなものであふれかえり、

そのなかにネズミや犬の死体がぷかぷかと浮かんでいることもあった。

スモッグとか大気汚染という言葉がひんぱんに言われだしたのも、

この頃からだと思う。

だから今になって、アジアのどこかの国の大気汚染を、

実は僕たちは笑ってばかりいられない。

東京・横浜に連なる京浜工業地帯はかつて、

晴れた日でも空は青空ではなく、

薄くぼんやりとしていたのだから。

年末になると、僕は3.4人の友達と連れだって、

この街の商店街に繰り出していた。

きらきらとしたクリスマスの装飾が灯りに照らされ、

通りは人でごった返している。

ジングルベルの音楽は大音響で、いつまでも止むこともなく、

通りの人混みのなかに響き渡っていた。

福引きのガラガラの音が絶え間なく聞こえる。

そこに長蛇の列がいくつもできる。

誰もが大きな買い物袋を抱えていた。

商店街は夜になると屋台がずらっと並ぶ。

大人たちが酔っぱらって大声で叫んだりしていた。

男と女が抱き合っている影もみえる。

僕はそうしたものを見るたび、

心臓がどきどきして走って家に帰った。

玄関の擦り硝子の向こうに

赤と緑のライトが点滅している。

嫌なことが沢山ある家だけど、

母がつくる質素な夕飯とバタークリームのケーキが

とりあえず食べられる。

僕はこの街で生まれて、

まだ数えるほどしか遠方に出かけたことがなかったので、

世の中はあらかたどこもそんな風であり、

親子とか家庭というものも

だいたいどこも変わらないものだと思っていた。

そして東海道新幹線が開業し、

ウチの近くの国道を、オリンピックの聖火ランナーが走り抜け、

女子バレーボールで日紡貝塚が優勝し、金メダルを獲った。

エチオピアのアベベ選手が東京の街を疾走し、

テレビでみんなを驚かせた。

時代が、世の中が目まぐるしく、

みるみると変わっていったのだ。

横浜の郊外の小学校に転校した僕は、

新しい生活に馴染めず、

原因不明の熱と頭痛に悩まされた。

また、憧れのマイホームに移り住んだのに、

父と母の距離がどんどん離れていくのが、

幼かった僕にもハッキリと分かってしまった。

テレビでビートルズが来日したことを、

どこのテレビも興奮して中継していた。

加山雄三の「君といつまでも」がヒットしていた。

しあわせだなぁってはにかみながら

加山雄三が鼻に手をもっていって、

それをテレビで観た僕は、

それほどはっきり分かるしあわせってあるのかと、

ちょっと驚いた。

中学に進学していた僕は、

ようやく妙な発熱や頭痛も出なくなり、

水泳部に入部し、ギターを手に入れ、

そして何人かの女子を意識し始めた。

フォークソングも流行り出していた。

グループサウンズが隆盛を極めて、

どのグループもヒット曲を連発していた。

僕は好きなグループのレコードを、

なんとか小遣いから捻出して集めた。

そして中学3年のときには大阪万博が盛大に開催され、

日本は本格的に経済大国への道を突き進んだのだ。

2017年の今年の夏、

約50年ぶりに、僕は生まれた街の駅を降りた。

従兄弟(いとこ)に会いにいくためだ。

あの頃のにぎやかだった商店街はどこも閑散として、

なかにはさび付いた屋根やシャッターが崩れ落ちそうなほど、

老朽化している店もあった。

80才をとうに越した従兄弟はペースメーカーを付け、

それでも昔と変わらない笑顔で僕を迎えてくれた。

そして、やはりというべきか、

東京オリンピックの頃の話ばかりしていた。

その帰りにちょっと遠回りをして、

自分の生まれた跡地とでも言える所に立ち寄ったが、

当たり前のように全く別の家が建っていて、

しかしその真向かいと斜向かいの家には、

昔と変わらない表札が出ていた。

そしてその数軒先にいまも暮らしている

僕の幼なじみに会いたいと思ったのだが、

従兄弟の話によると、

彼はずっと独身で親の大工の仕事を引き継ぎ、

いまは酷いアル中とかで会わないほうがいいと、

忠告された。

あれからなんと50余年が過ぎてしまったのだ。

僕の時間が止まってしまっているこの街で、

僕は幼いころの自分に戻ってしまっていた。

もうすぐ、またあのオリンピックがやってくる。

あの頃、流行したものや音楽、ドラマなどが、

テレビなどで頻繁に放送されている。

それが懐かしいことに違いないのだが、

果たして楽しい記憶であるのか、

悲しいときであったのか、

それが判然としない。

ただ、水に溶いた墨のように、

どんよりとして見えるあの街の風景ばかりが、

しばし浮かんでは、消えてゆくのだ。

誰も信じちゃいない

前の記事は、ホントの話です。

誇張なしのつもりだが、

何人かにブログ記事の真偽について聞かれた。

「ホントですよ」とキッパリ断言すると、

なんだか余計に嘘くさくなってしまった。

まあ、書き方が胡散臭いという反省もあるが、

これはどうしようもない。

こんな書き方しかできない訳だから。

で、この事件があった直後も数人に熱く話したが、

一様に「へーッ」って返答するんですね、みんな。

しかし表情は結構冷静。

或る方は「まぼろしでも見たんじゃないの?」

「………」

これが本音でしょう。

日が経つに連れ、

こちらも「まぼろしだったのかなぁ」と。

こうした話って本人が熱く語るほどに、

聞き手は落ち着きはらう傾向があることは分かっていた。

僕は中学時代にも「鬼火」というものを目撃したことがあるが、

(ほら、もうあなたは疑っているでしょ)

そのときは夜中にひとりで見たこともあり、

結果、やはり誰にも信じてもらえなかった。

翌朝、母に興奮気味に話したのだが、

母は笑顔で「そうなの」と言ってから、

くるりと向きを変え、表情も変えずに、

テレビのなんとかモーニングショーに見入っていたし。

サンプル例はまだある。

大学のとき、朝方に友人3人でいたときのこと。

横浜のとある開発分譲地のてっぺんあたりの草むらに

車を止めていた。

車中で、話は盛り上がっていた。

新潟から船でウラジオストックへ行き、

旧ソ連(ロシア・東ヨーロッパ)を横断、そして南下して…という

世界ヒッチハイクのプランを練っていたところだった。

ふと、徐々に近づいてくる空からの光の異様さに気づき、

3人で一目散に逃げ出したことがある。

逃げ出すほど驚いた訳は、

朝方の4時頃、夜明け前なのに、

音もなく空から私たちに近づいてきたかと思うと、

至近で強烈な光を浴びせられたからである。

この正体不明のオレンジ色の光は、

いま思い返しても、私たちを狙っていたとしか思えないのだ。

逃げながら振り返ると、それはブルーへと色を変化させ、

あっという間に相模原方向へと去っていったのだった。

翌日3人で、大学で他の友人たちに

興奮気味に語ったのだが、

やはりなんとなくしらーっとした空気になった。

余談だが、

後に、この「世界に飛び出せヒッチハイク計画」はやむなく頓挫した。

理由は3人が次々に病を発症したからだ。

僕が急性肝炎、他は十二指腸潰瘍、結核…

後にこのときの3人が顔を合わせると、

まずは挨拶代わりに、

「あれってホントだよな。だれーも信じないけどな」

であった。

ちなみに冒頭の或る方から、

「もっと凄いのがいるよ。レオタードおじさんって知ってる?」

「いや、知りません。初めて聞きました」

帰って早速ネットで検索すると確かにいました。

画像付きですげぇ変なおっさん。

そして原宿にはセーラー服おじさんがいる。

大阪にはブルマおじさんが…

うーん、これはなんというか、分析が難しいなぁと考えるも、

どうも僕の話とは種類が違うなと思い始める。

全く別の話題に擦り替わっている。

摩訶不思議な事って、

体験した本人でないとなかなか人には信じてもらえない。

そう語りたかったんだけど。

やっぱりレオタード…のあたりから、

この話はねじ曲がっている。

だから僕の話はやはり、

薄々あやしいんです。

黒づくめババアの恐怖

そろそろ話してもいいだろう。

今年の夏。

蒸し暑い或る夜のこと。

私は奥さんと小田急線某駅から10分ほどのところにある、

格安のイタリアンレストランで、

ピザとかスパゲティとかサラダとかをたらふく食い、

幸福な気分で車を止めておいたコインパーキングまでを

だらだらと歩いていた。

赤信号の交差点に立っていると、

いつの間にか後ろに人の気配を感じた。

まあ、交差点なので当たり前なのだが、

異様に至近距離にいる気配を感じた。

イヤーな感じがしたので、奥さんにひと声かけて、

速足で歩くことにした。

安心するのもつかの間、

後ろの気配も速足でついてくるではないか。

まだ、私たちは後ろを振り向いてはいない。

何者が後ろにいるのか振り向くほどでもなかったからだ。

しかし、ずっと至近距離でピタリとついてくるので、

いい加減に私たちは足を止め、

とぼけて脇にあった自動車展示場の車を眺めることにした。

と、驚くことにそのイヤーな気配もピタッと足を止め、

私たちの後ろにくっ付いて立っているではないか。

振り向くと、背の低い老婆とおぼしき影。

「何かご用でしょうか?」

私が話しかけると、その影が言うには、

「私は足が悪いんですよ。それでね、

誰かの後について歩こうと思ってね」

「うん?」

どうも理解しかねる返答だった。

この影をよくよく観察すると、

真夏だというのに、黒い頭巾を被り、

長袖の黒い衣服を身にまとい、

引きずるような丈のスカートに、

黒い手袋をはめている。

口をマスクで隠している。

そして雨も降っていないのに、黒い傘をさしていた。

夜だというのに大きなサングラスをかけたその奥に、

得体の知れない不気味なものを感じた。

先ほどからの事を振り返えってみた。

この人は途中から、相当の速足で私たちについてきたのだ。

話しながら老女らしき人は膝をさすっている。

上目づかいで、こちらの様子を伺っているのが分かった。

(この人って本当に老婆なのか?)

得体が知れないと思った。

はっきりしているのは、この人は多分女性で、

背が低い、ということ。

それしか認識できない。

日曜の夜の10時過ぎ。

繁華街の一本裏通りである。

人通りはまばらだった。

この至近距離でついてくること自体、

最初から不自然とは思ってはいたが。

私はとっさに手を振って、

「なんだかよく分からないけど、

どうぞお先に!」とジェスチャーをする。

「そうですか?」

この黒づくめ、不満そうなのだ。

少し間があく。

重い空気が張り詰めている。

黒づくめはようやく諦めたらしく、

しぶしぶと歩き出した。

歩く後ろ姿をみると、普通に歩いているではないか。

この場合、目が悪いのであれば、

私も少しは納得したのかも知れない。

いやしかし、いろいろと首をかしげるような印象から、

やはり不気味なことに変わりはない。

黒づくめの後ろ姿が徐々に遠くなり、

ようやくその姿が小さくなるまで、

私たちはなにかよく分からない恐怖感にさいなまれた。

あの人は一体何が目的で私たちの後ろについてきたのか、

歩きながら考えを巡らすも、全く分からない。

もし、あの老婆が、万一何か悪いことを企んでいたと考えると、

私たちは二人でいるので、相手も分が悪い。

それなら一人で歩いている人間を狙うのではないか。

やはりあの老婆の目的が分からない。

たださみしいのではないかとも考えたのだが、

であれば、人の嫌がるような行動をとるだろうか。

幸福な満腹感が、息苦しさに変わっていた。

車が止めてあるコインパーキングは、

鉄道の高架下のかなりの暗がりにあった。

あたりは人家はなく、田園が広がるのどかな一帯だ。

丸1日止めてもたいした料金ではないので、

そこにしたのだが…

汗を拭きながらパーキングに入ろうとすると、

高架下のずっと遠くから

小さな影が小走りでこちらに近づいてくるのがみえた。

目を凝らすと、なんとあの黒づくめババアではないか。

とっさの事で頭が混乱する。

私たちはコインを入れる余裕もなく、

低くしゃがんで車に滑り込んだ。

心臓がひどく鼓動しているのが自分でも分かるほど、

私たちは気が動転していた。

その恐怖の正体は、

相手の目的が不明だからなのか、

いや、あの姿なのかは、

いまでもよく分からない。

シートに深く沈み込んで、

恐る恐る外をちらっとみると、

あの背の低い黒ずくめが

私たちの車のすぐ横の道をゆっくりと歩いている。

まわりを伺うように用心深く歩いているのが

その姿からすぐ分かった。

一体あいつはなんなんだ。

本当に人間か?

ひどい汗をかいている。

息づかいが荒くなる。

時間がどのくらい経過したのか、

それさえよく把握できなくなっていた。

勇気を振り絞って上体を起こし、

ガラス超しに恐る恐る外の様子を伺う。

黒づくめは高架下に沿って続く道を

きょろきょろしながら歩いている。

「いまだ!」

外に飛び出した私は精算機まで走り、

なんとかコインを投入した。

もう高架下の不気味な姿はあえて確認しなかった。

車のストッパーが下がると同時にキーを回し、

エンジンをかけ、窓を閉める。

冷房を最強にする。

車内がむせるように暑いのを、

このときやっと認識する。

黒づくめは、私の車のライトに照らされ、

遠くからちらっとこちらを振り向いた。

わずかながら、あのサングラスが一瞬反射した。

その映像を、いまでも私は忘れることができない。

初冬のキャンプ

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初冬なので、軽めのキャンプに行ってきました。

軽めとする理由は、寝るとこが一応トレーラーだからです。

テントは、ホントに寒いです。

以前、晩夏の山中湖でテントに挑戦しましたが、

山中湖は夏でも夜は気温が急降下します。

Tシャツにヨットパーカーという軽装では、

震えがきました。

今回は相模湖近くとはいえ、初冬なので、

テントではなく、トレーラーにしました。

一応、ユニクロのダウンを持参しましたが、

結果、ペラペラのダウンではこの時期が限界でした。

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夜はまあまあ寒いという程度で、

火も使っているし、なんとか凌げました。

なんといってもキャンプ場近くのスーパーで、

奮発してステーキ用の肉を仕入れて来たので、

ガツガツ食いまくっているうちに寒さが遠のいた、

という表現が適当でしょうか。

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問題は朝方。

やはり寒さで目が覚めてしまいました。

時計をみると4:50。

トレーラーのなかの息が白い。

歩き回ると床がぎしぎしと響いて、

車体が揺れます。

固定されてるとはいえ、下はタイヤですから。

ちなみにこのぎしぎし音って

ホントに憂鬱な気分にさせられます。

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ひんやりとしたカーテンをめくって窓ガラスに手を触れると、

外の風がスースーと入ってくるのが分かる。

四方の窓がほぼそんな感じ。

天井の換気口をよくよく凝視すると、

空が見えるほどに開いています。

閉めようにも中央の換気口のみ閉まらない。

ここから結構冷気が入ってくる。

ほほぅ、これじゃテントと変わりないじゃないか。

プレハブの建物よりまずいかも。

山の頂上付近には、昨夜から強風が吹いている。

スマホで現在の気温をチェックすると6度だ。

6度で強風は、やはり寒いよなぁ…

恐々と表に出てみると、月明かりに照らされた山並みが、

深い群青色で漆黒の空とは異質の存在感を示している。

まだ昨日の炭がくすぶっているあたりで

がさがさと物音がする。

反射的にライトを照らすと、

なんと大きなトラ猫が昨夜の焼き肉のたれらしきものをあさっている。

ビックリするし寒いし。

すぐにトレーラーに引っ込んでありったけの布団を被って

猫のようにうずくまる。

(さっきの猫は丈夫です)

やがてあたりがうっすらと明るくなる頃、

いやいやながら湯を沸かしてコーヒーをすする。

そういえば、昨日も今日も平日なので、

まわりのトレーラーハウスには誰もいないようだ。

今度はしっかりと着込んで再び表に出てみる。

快晴。

東のほうからゆっくりと陽が昇ってくるのがみえる。

遠い山並みが紫がかった色に染まる。

そこに陽の光がすっと一直線に走るのがみえる。

山間の谷間には、白いもやが大きな塊となって

ゆっくりと風下に流れている。

見上げると、月もその姿を次第に消そうとしている。

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さきほどまで、私のアタマのなかで、

ピーターの「夜と朝のあいだに」が流れていた。

いま、この希少な景色を眺めていたら、

いつの間にか岸洋子の「夜明けのうた」に切り替わった。

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遥か彼方に街らしきものがみえて、

人の日々の営みを思う。

そして我が青春の歌が流れている。

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丹沢の秘湯とたたかう

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連休の中日、神奈川・丹沢の秘湯へと向かうも、

最初の温泉は泊まり客優先ということで断られた。

かぶと湯温泉。

この宿の露天風呂は、川にせり出すような位置にある。

ちょっと熱いけれど、下に流れる渓流のせせらぎが良い響きで聞こえる。

木々の揺れる音も相まっていいんだよなぁ。

鳥のさえずりもなかなかいい。

残念!

まあ、こういうことには慣れているので、次をめざす。

広沢寺温泉。

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ここの宿は、泊り客とは別に湯場がもうひとつあるのですっと入れる。

夕方に行ったので、気温がだんだんと下がってくる。

さっさと湯に浸かろうと思ったが、

やはりというか、すげぇ熱くてどうしても浸かれない。

元々ぬるい湯が大好きで、熱いのが苦手。

着替えも外の吹きさらしなので、早く浸かりたいが、

どう頑張っても入れない。

体温がかなり低下しているのが分かる。

風がさらに冷たくなってきた。

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頑張って腰まで浸かったが、肌が痛い。

湯が痛い。

かっぷくのいいおっさんが目をつむってじっと浸かっている。

顔が上気している。

その姿はまるで修行僧のようにもみえる。

他のふたりの中年もなんとか肩まで浸かっている。

こちらからは我慢しているようにみえる。

しかし、こういうときの自分がなんか許せない。

気合を入れても入れない。

しょうがないので洗い場でシャワーをずっと浴びる。

かなり危険なシチュエーションだなぁ。

身体がやけに冷えている。

そういえば、と思い出す。

今年の初めもここへ来て同じ目に遭っていた。

同じ過ちを繰り返すとは…

学習機能が働いていない己にあきれる。

シャワーをずっとかけていたら、

身体が慣れてきたのか、再チャレンジで胸まで浸かれた。

余裕。

外の笹の葉のすれる音に気づく。

近くの川の流れる音が聞こえてくる。

なかなかいいではないか。

見上げると、夕刻とはいえまだ青空が残っている。

ここで、ふーっと気が抜け、

いまさらリラックスですよ。

体温が徐々に上がってきたようだ。

己に笑顔と余裕の表情が戻る。

にしても、いい年をして熱い湯にも入れないことを、

自問自答する。

思えば、

自宅の風呂においても奥さんの後は熱くてそのままでは入れないし、

水をがんがん入れると後で娘に怒られるしなぁ。

丹沢山塊がシルエットになる頃、

湯を出て中庭でコーヒーをいただく。

やはり水が違うとコーヒーもひと味違う、

などとちょっと優雅かつ満足なひとときを味わう。

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しかし、それにしてもである。

先ほどからまだあの熱い湯に浸かっている

修行僧のようなおっさん、

なんかかっこいいんだよなぁ。

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若い奴にはわからない格言

年をーとると…

年をとると、

歩くのがどうも遅くなるようだ。

ようだ…との曖昧な言い回しは、

たまたまビジネス街を歩いていて、

気がつくとまわりのみんなにドンドン追い越されていくことに、

後になって気づくのだが、

ビジネス街のあの人たちって、どうも速歩のような気がするなぁ、

という訳。

飲み込みが悪いというのは、理解するのが遅いの意でなく、

文字通り口にほおばる食品類を嚥下するのが遅いということである。

嚥下力の強さは、若さの象徴である。

年をとると、この力が低下する。

ときにむせたりもするから、食品摂取は命がけだ。

嚥下力のUpにはカラオケが良いということで、

先日カラオケに出かけるも、連続して歌ったら酸欠になる。

いずれ、危険!

老眼っていうのは簡単に言ってしまえば、

たとえば文庫本を読もうとするも、

眼鏡なしの裸眼だと、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと憂鬱。

だけど、いいところもある。

見たくないものは見ない、読まないで済む。

年を取るとは、いらぬ話を持ち込まないこと。

老眼の効用なんである。

禿げるとは、鏡を見てあっと気づいた時から

額やツムジに強烈な自意識が集中する。

これってある意味、老化する己の確認でもあるからして

或る人は頭痛持ちとなるも、

年々ひどくなる一方の物忘れが幸いして、

そのうち他人の禿げ頭を冷静に眺めるようになる。

これは嘘である。

では性欲はとなると、

3ヶ月前の忘れ物を何かの拍子でふっと思い出すようなもの―であるからして

若い頃のように毎日いっときも欠かさず意識するような面倒な事態に陥ることなく、

イキノイイ若い奴のように、

息荒くあからさまに、焦って忘れ物を取りに帰ったりはしないものである。

 

↓若い頃大好きだったゾンビーズの「ふたりのシーズン」
 歌詞の内容はヒドイけど…

スローなブギにしてくれ

キザな台詞のような、いや、この素敵なフレーズは、

かなり昔の角川映画のタイトル。

覚えています?

80年代の幕開けにふさわしいというか、

ちょっとイカしたタイトルだと思った。

僕は社会に出て、真新しいウォークマンを身に付けて品川まで通勤。

学生時代によく聴いていたソウルミュージックを聴く機会はメっきりと減り、

この頃から山下達郎、YMO、エボ、南佳孝など、

ニューミュージックと呼ばれるものを聴くようになっていた。

━音楽を連れて街へ出る━

そんな新しいライフスタイルが定着したのが80年代の初頭。

「スローなブギーにしてくれ」という映画の出来に、僕はあまり興味はなかった。

ただ、原作者の片岡義男がとても気になった。

この作家の書くものは都会的で、

そこには、いままで僕の全く知らない洗練された世界があった。

以前のブログにも書いたので、

いまこの人の書く世界というものは端折るが、

後に続く村上春樹の作品の幾つかがどこか片岡義男に似ているなと思った。

村上春樹が片岡義男を意識していたこと、

そんな事を書いたものを僕はいままで読んだこともないが、

ほぼ間違いないと勝手に思っている。

どこが…と言われるとこたえに窮するが、要はその空気感とでも言おうか、

ひとことではあらわせないような何かが、共通項としてある。

あえてあげるなら、このふたりの作家は、

共に英語に堪能であり海外の作品を数多く、

それも原書で解釈していたのではないか。

文体が日本語のそれとは違い、翻訳的とも思われる文体を駆使すること、

僕がまず気がついたのは、そうした箇所からだが。

音楽に話を戻すと、

僕はとりわけ南佳孝の歌い方と歌詞が好きで、

彼の「日付変更線」という作品においては、

遠くパラオの名もない小島でほぼ半日くらいの間、

ヤシの木の下に寝そべって青い海を眺めながら、

ぼおっと浸ったことがある。

もちろん、ウォークマンと一緒に。

ニューミュージックなんて軽めに書いたが、

彼の楽曲にはジャズに精通したものもかなりあるし、

詞には早くから松本隆も参加している。

やはりそうなると大御所なのかねって。

で、今年の夏、なぜか南佳孝への興味が急速に再燃、

それではということで急きょライブへ行くことにした。

32度超えの8月の初旬、私と家内は早めに家を出た。

そして、会場近くのパーキングに車を止め、

レストランで軽めの食事とアイスコーヒーをとる。

で、ネットで調べた住所を頼りに、

目的のビルの地下のライブ会場へと急いだ。

これは失礼な話になってしまうが、

客観的に考えて、

いまどき南佳孝ライブなんて私たちのマニアックな趣味であり、

もうみんなは忘れているアーティストという認識だった。

会場もかなり空きがあるものだと勝手に想像していた。

が、ライブ会場は満席、というか当日もライブを聴きたくて来た、

という人もかなりいて、開場前からすでに熱気に包まれていたので、

私たちは面食らってしまった。

やはり南佳孝って根強いファンがいる。

まわりを見渡すと、僕とほぼ同年代のファンが多数を占めているが、

若い人もかなりいるではないか。

という訳で、認識を新たにした次第。

さらに驚いたことに、彼はいまもラジオ番組ももっていること、

相変わらず楽曲をあれこれと歌い手たちに提供していることを知る。

ああ、知らぬは僕たちだけだったということが判明した。

いまさらながら恥ずかしい思いをしたのは、

私が好きなアーティストをしっかり見守っていなかった、

そうした薄情さに由来するのだろうと思う。

ここ30年の間、私はなにをみて何を聴いていたのか。

彼のピアノが響き渡り、あの独特のハスキーボイスが会場に広がると、

思わず心の中でうわああと叫んでいた。

モンロー・ウォーク、憧れのラジオ・ガール、

風にさらわれて、涙のステラ、羅針盤、SCOTCH AND RAIN…

どれも想い出がいっぱい詰まった素敵な曲ばかりが続く。

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当然、見た目はおじいちゃんになってしまった南佳孝だが、

それはお互いさまのことである。

しかし声に張りがある。

ギターの指使いの切れも相当いい。

そして音楽が好きで好きでたまらないという、

エネルギッシュさに溢れている。

湘南の大磯在住。早朝に目覚めてしまう。

趣味は散歩ととぼける。

いや、杉山清貴と新曲もリリースしているし、

斉藤和義とも仕事がらみか親交があると話していたし、

バリバリの現役じゃん。

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その後数日、僕の心身には快い余韻が残って、

相当浮かれていたと思う。

過去の忘れ物を取りに行くのも、

たまには悪くない。

夏の夕暮れのウスバカゲロウ

ある夏の夕方のどしゃぶりのあと

新しくオープンしたホームセンターへとでかけた

天候のせいか、店内は人もまばらで

広大な建物のなかはがらんとしている

巨大ホームセンターの周辺はまだたっぷりと水田が広がっている

確か以前ここは見渡す限りの水田だった

店はその真ん中に鎮座する

蛍光灯の強い光りのもと

広い売り場をとぼとぼと歩くが

溢れる商品の多さに

目的の探し物が何だったのか忘れてしまった

誰もいない膨大な商品棚の通路を

なにを間違えたのか

ウスバカゲロウがひらひらと浮遊している

不安定で頼りないその飛行は

徐々に高さを失う

心許ない命の終さえ予感させる

ここはもう水田じゃない

そして君の帰る場所などもうないのに…

ウスバカゲロウは

プラスチックのキッチン用品にとまり

次第に飛ぶ力も果てて

テカテカに光っているタイルの上ほぼ10㎝あたりを

彷徨っていた

あれから僕もいろいろなことがあって

季節はすとんと

まるで手品みたいに移り変わる

あちこちに赤とんぼが現れたススキの頃

涼しい風に吹かれて

高い空に吸い込まれるように

心地よく歩いていると

やはり秋は思索を誘うから

あの夏の夕暮れに遭遇した

巨大ショッピングセンターのウスバカゲロウの行く先を

つい考えてしまうのだ

「人間なんて所詮は

この世の窓辺にとまるウスバカゲロウみたいなもの」

作家ケストナーが放ったことばが刹那的だ

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