ミサイルはどうやらこっちを向いてるらしい

かなり、平和な時代を生きてきたように思う。

数年前までは。

遡ればキリがないが、

震災があって、いろいろあって、

結果とんでもない赤字が膨らんだ。

ここ神奈川でも食らうもんだなぁ、

とつくづく思い知らされた。

ここ一週間の間、いやもっと前からどうやら

ミサイルがこっちを向いていて、事が起きると、

飛んでくるかも、という話を見聞し、

ボケていたのか、

ちょっと現実味に欠けた感はあるが、

徐々に緊張めいたものが身に沁みこむ。

ここは厚木基地に近いし、

横須賀と横田基地を直線で結ぶ

その線上にあるらしく、

軍用ヘリは毎日飛んでいるのだが、

戦争というリアルとは

ほど遠い毎日を送っていた。

厚木基地の更に至近にある街は、

ここんとこ軍用機の離発着がかなり激しいという。

ミサイルがどこに飛ぶのかは知らないが、

こっち(日本のどこか)を向いているのは確か。

だって米軍基地があるのだから、

考えてみれば当たり前のことなのだ。

村上龍の小説に「海の向こうで戦争が始まる」

というのがあったが、中身は違えど、

いまさらながら

非常にひっかかるタイトルではあるなぁと思う。

あと「半島を出よ」というのもあって、

どうもこの作家はいろいろと気になる題材を提示してくれる。

そういえばデビュー作「限りなく透明に近いブルー」も、

舞台は米軍横田基地あたりだったように記憶している。

「ダーウィンがきた」(NHK)という番組をよく観るが、

動物は、そのほとんどが食うか食われるかの毎日を送っている。

ライオンもシマウマも戦ってるが、

イワシだってミジンコだって常に戦って生きている訳で、

己の種を残すためなら、

同じ種との死闘もいとわない。

ああ、生きるのって大変だなぁ。

この際、赤字なんか怖くもなんともない、

と思ってしまおうか。

よく言われる、

生きているだけで儲けもの、なのかもなぁ。

サクラサク!

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穏やかな春の陽ざしが、

ここかしこに降り注いでいる、などと言っても、

季節感を尊ぶひともいれば、

全くそういう事を気にも止めないひとがいることを、

最近知って驚いた。

忙し過ぎるのか?

感覚が退化したのか?

心配だ。

一日一回でも空を眺める。

陽光に揺れ動く空気を観察する。

たとえ街中でも沿道とかマンホールの横に

ひっそり咲いている野花に近づいて

一息入れてみる。

ビルにサクッと切り取られた空だって、

高層ビルから見下ろす街の陰影だって、

結構美しい。

新しい季節。

個人的にいい思い出はあまりない。

ただ一度、この季節に入学した中学校で、

とてもいい友人に恵まれた。

その関係はいまでも続いている。

そして素敵なガールフレンドに巡り合えたこと。

一生に一回でもこうした想い出があれば、

なんとか救われるものだ。

辛い人だって悲しい人だって、

もう一度立ち上がりたい。

春も終わりかけの頃、

私はよくそんな事を思っていた。

桜咲く。

いつかはサクラサクって、

やはりホントだと思うよ。

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ホテルのバスルームに関する考察

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ホテルといってもビジネスホテルの風呂の話。

端的にいうと、風呂というよりシャワールームか?

昔からあそこの使い方に迷っている。

ずっと迷っている。

ホテルの風呂って洗い場がないでしょ。

が、いつも懲りずに自宅の風呂の調子で入るので、

毎回、ベストな方法はないかと悩んでいる訳。

私は海外生活が皆無なので、

そこんとこ、よく分からない。

気になるのは高級ホテルとかラブホテルに、

果たして洗い場があるのか?

これもよく分からない。

というか、知っていたとしても

ここは知らないことにしないと、

話しがややこしくなるので、知らない。

とにかくビジネスホテルの風呂場なのだ。

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まず、バスタブにお湯を張る。

とにかく湯をいっぱいにする。

でないと風呂じゃないじゃん。

温まると、とても落ち着く。

疲れがとれる。

よく眠れる。

という訳で、まずゆっくりと浸かるのね。

問題はその後である。

なんだろうな? ここから調子が狂う。

身体を洗う段になって、

いつものようになにがなんだか、

よく分からなくなってしまう。

冷静にスタートしても結果的に、

狐につままれたように、

いつもの失敗に終わる。

まあ、ようやく目的を達成したとしても、

ビショビショの裸で

ハーハーしながらバスルームから這い出てくる。

いろいろ改善を試みるのだが、

結果はいつも同じとはどういう訳だ!

ホテルの責任者出てこい、とは言わないけどね。

要は、しっかりシャンプーで頭髪なんかを洗いたい。

   顔面を石けんなんかでしっかり洗いたい。

   身体をボディシャンプーなんかでゴシゴシ洗いたい。

   風呂からあがるときにヌルヌルしたものを残したくない。

以上の目的を達成するために、いろいろ順序を検討するのだが、

あるときは泡だらけで上がるハメに陥り、

あるときは洗う順序を間違えて顔面だけ洗い残したり、

身体を再度洗う結果となったりしてしまう。

どうにもこうにも毎回うまくいかない。

この問題に関し、現在分かっているのはですね、

鍵は唯一、ズバリ洗い場しかない訳です。

洗い場があれば、すべて解決となる。

あと、もうひとつの解決策。

それは、石けんで身体をまるごと洗う、である。

そうそう、もうひとつありましたね。

それは石けんとかシャンプーとか一切使用せず、

ひたすらケミカル類を拒否し、

浸かりながらシャワーを浴びる、であります。

以上が解決策なのは私もずっと承知しているのです。

が、出張とかあれこれ出かけたときこそ、

なんとか我が家にいるときと同様、

気持ちの良いお風呂ライフを満喫しようと考えたのが

事の始まりなのですが、

これは私のわがままか、

つまらない贅沢か?

と己に問いかけもしたが、

いやいやそこは工夫次第だよ、というのが、

己からの回答だったのであります。

よって先日も新宿6丁目のビジネスホテルで格闘したのだが、

やはり結果的に敗北したので、腹がたってこんなものを書いてしまった。

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でそもそもこの問題は、話しを遡ると、

あそこに洗い場がないから、

とんでもないことが起きてしまう、ということだった。

(↑ここポイント)

で何度か、挑戦したのは下記の事。

溜めて入っている湯が泡だらけになってので、

そうだタブの栓を抜けばいいのだ!

と思い立ち、実行したことがあるが、

これはアウトでした。

そもそもビジネスホテルの排水溝って

どこも管が細いらしく、

実行したホテルではどこも失敗に終わりました。

それはね、ちょろちょろと減ってゆく湯を眺めながら、

長時間ぼおっーとしている自分は身体がだんだん冷えてきて、

第三者的視点で眺めるに

裸のバカにみえましたから。

という訳で、

以上の私事重要問題に良い改善案がありましたら、

どなたか教えてくれませんかね?

謝礼は、あなたのキャッチフレーズをタダで考えます!

(時価3万円相当)

すげえラーメン屋

最初、ラーメン屋のすげえ店主とタイトルをつけたら

全然面白くないので、すげえラーメン屋とした。

ネタばらして書くのもなんだが、

このラーメン屋のスープが絶妙にうまい訳ではない。

シコシコ麺じゃないし、チャーシューでもない。

没タイトルの通り、あるラーメン屋の店主の頭脳と

おぼしきものがすげえんである。

まあ、カウンターとテーブル席あわせ、

20数人は入れる店なのだが、週末の昼に入るとほぼ満席。

過去に数回入ったが、なかなかうまいラーメン屋ではある。

しかし、24時間かき回せ続けたスープとか、

純国産小麦に徹底的にこだわったとか、

チャーシューへのこだわりが命より大事とか、

そんなんでは全然ない。

まあ、ほどほどにうまいんである。

「これは時間がかかるなぁ」などとため息まじりに

空いているカウンターに座り込み、

なんとなく、味噌ラーメンなんかを頼んだ訳である。

店内は子供もいてザワザワしている。

鼻をかんでいる爺さんのグループが

笑顔で若いころの自慢話をしている。

ペンキ職人らしい3人組は相当腹を減らしているらしく、

店主の一挙手一投足をじっと凝視している。

基本的にここは腹をへらした奴ばかりなので、

なんだか店内は妙な殺気も感じられるのだが、

店主はそんなことは全然気にしていない風にみえる。

というか、アルバイトの女の子に

ときどき冗談なんか飛ばしてる。

割と広めのラーメン屋なのに、

この店は店主とこの女の子の二人で切り盛りしている事に

ハタと気づいた。

で、これは味噌ラーメン遅いぞなどと思っていたら、

すげえスピードで次々にラーメンができあがるではないか。

ギョーザもひゅーひゅーとできあがる。

以前来たときはまるで気がつかなかった情景である。

よくよく観察すると、

店主の手はすげえスピードで動いている。

しかも次々にお勘定を払うお客と入り交じる。

注文する客も野菜ラーメンふたつ。

で、ひとつは麺かためねぇーとか、

ビール一本くれとか、いろいろ言っちゃうのだが、

店主は、どの席の誰が何を食ったか把握していて、

お勘定するお客に幾らと、微笑みとすげえ暗算で返す。

その間、手はすげえスピードで働いているし、

ささっとお金のやりとりを済ます。

同時に次々に飛んでくるオーダーにも微笑んで「へーい」と応え、

それが全然間違ってない。

で、気がついたのだが、

アルバイトとおぼしき女の子はというと、

この子はとにかく洗い物しかしていない。

ひたすらスローにどんぶりを洗っているのであるからして、

あとはすべて店主がやってのけている。

外見的に、ちょっと昔グレチャッテサ、という風貌で、

歳は40代半ばといったところか?

働きざかりである。

がしかし、この人のあたまのなかはどうなっているのだろう、

とふと考えてしまったのは、私だけだろうか。

過去に私はコーヒーショップでバイトをしていたことがあって、

そこでの注文で記憶できるのは、せいぜい4品だった。

すげえ記憶力が弱いんである。

だから余計にこの店主の技と頭脳に驚いてしまうのだが、

実はこの店主が数学の先生だったらとか、

もっと若いころに東大の受験生であったならとか

アレコレ想像するも、

風貌から醸し出されるるイメージは、

どっからどうみてもラーメン屋の店主が

ピタリと一致するのである。

で、全然関係ないが、昔、あのドイツのBMWの事を

「羊の皮を被った狼」と、みんなが評していた。

いや、宣伝か?

とにかくあの車をみていて、

確かに的を射ていると思った覚えがある。

結構うまいみそラーメンだったなぁなどと、

ごきげんで国道を走りながら、

あの店主をBMWばりに考えてみたのだが、

頭に浮かんだのは、

せいぜい「ヤンキーの皮を被った数学博士」だった。

また、つまんないものが浮かんでしまった。

それにしても、デキル男なのであるよ。

絶望のカフカ

カフカといえば「変身」が有名。

私も「変身」しか読んだことがない。

精一杯、苦労して読んだ。

で、以後は読みたいとも思わない。

ほんとは長編の「城」とか「審判」も続けて読むつもりだった。

しかし、やめた。

いや、挫折したのだ。

―ある朝、目覚めると私は巨大な虫になっていた―

「変身」はなんの脈絡もなくこのように始まり、

最後まで希望のないまま終わるのだが、

読後の疲労感だけが残っていたのを覚えている。

しかし最近、ひょんなことから、

再度カフカに関する書物に惹かれ、

ついにそれを買い、読んでしまった。

帯にあった「絶望」という二文字が気になったからだ。

しかし、その本は彼が書いたものではなく、

彼の発言、メモを集めた本、とでもいおうか。

題して「絶望名人カフカの人生論」(新潮社刊)。

著者は、カフカの翻訳や評論をしている、

頭木(かしらぎ)弘樹という編訳者。

「絶望」がなぜ気になったのか?

これは、自分に思い当たるフシがあったからに他ならない。

生涯の絶望は、決して忘れるものではない。

いまとなっては笑える事柄でも、当時のことを思い返すと、

やはりやりきれなさが甦る。

そして絶望は複数でやってくる。

単体の不幸ならなんとか踏ん張れるものも、

そういうときに限ってショックは重なって押し寄せる。

だから人は絶望するのだ。

さて、カフカの著書を読んだときのあの憂鬱感は、

どこから来るものなのか?

なにはともあれ、

彼は近代を代表する小説家でもある訳で、

それはいかなるところが評価されているのか。

さらには、カフカの絶望とはいかなるものなのか。

彼は生涯どの程度の絶望に陥ったのか。

そして世間でいう絶望とはどのようなものなのか。

自分と照らし合わせ、その「絶望」とやらの

本質というか程度というものが知りたかったからだ。

まず、カフカの文学的評価は、おおよそ次のようなものだ。

「現代の、数少ない、最大の作家の一人である」(サルトル)

「カフカは、もはや断じて追い越すことのできないものを書いた。

…この世紀の数少ない偉大な、完成した作品を彼は書いたのである」

(ノーベル文学賞作家エリアス・カネッティ)

「フランツ・カフカが存在しなかったとしたら、現代文学は

かなり違っていたものになっていたはずだ」(安部公房)

私にはよく分からないが、カフカに対する評価は相当なものである。

なのに、彼が生涯抱いたものは「絶望」なのである。

この本には彼の生涯における、絶望的な体験や言葉が、

それこそ洪水の如く溢れ出ている。

それはなんというか、壮絶でさえある。

たとえばこうだ。

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

将来に向かってつまづくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」

なんというか、すごい。

また、カフカは結婚したいと強く願いながら、

生涯独身だったそうである。

これは彼のあまりにネガティブな思考から、

自ら結婚を破談にしてしまったらしい。

彼(カフカ)によると自分は身体が虚弱で、胃が弱く、

不眠症だった。

家族と仲が悪く、特に父親のせいで、

自分が歪んでしまった…

で、彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、

未完である。

彼は嫌々ながら生涯サラリーマン勤めをしたそうだが、

ここでも彼は何事にも成功しなかったそうだ。

彼の特質は失敗からはなにも学ばないこと。

よって彼は常に失敗し続ける人生を送ったそうだ。

こうなると、彼の小説は趣味的にとでも捉えられる。

ようやく死後、世に出ることとなったのだが、

なんと、彼は亡くなる前、

友人に「遺稿はすべて焼き捨てるように」と

遺言したそうである。

しかしこの友人が遺稿を出版し、

結果、カフカの名と作品が世に出た訳だ。

彼(カフカ)は言う。

ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、

費やされてしまった。          ―断片

しかし、ここに人生における価値があるのでないかと著者は言う。

「人生の多くが、むなしく費やされるとしても、それでもなお人は

何かをなしうるということでしょう」

永い人生で、人は何度も絶望する。

そんなとき、

「死ぬ気になれば何でもできる」とか励まされても、

しらけるばかりである。

「追い求め続ける勇気があれば、すべての夢はかなう」

これはウォルト・ディズニーの名言だが、

絶望している人間を救えるかというと、

この場合は適さない。

強い人間、成功者の言葉には、どこかザルのような隙間があり、

そこからこぼれ落ちるものは、まず見えることはない。

カフカは誰よりも弱い人間だった。

心身とも弱い人間だった。

よって、強ければ気づかないことにも気づけた。

たとえば、足が弱ければ、ちょっとした段差にも気づける。

人の心に寄り添うこともできる…

「ぼくの弱さ―もっともこういう観点からすれば、

じつは巨大な力なのだが―」

カフカの言葉です。

(本稿は「絶望名人カフカの人生論」(頭木弘樹:新潮社刊 )を
引用、参考として構成されています)

アメ車とロックとトランプ大統領

トランプ大統領は自動車産業をやたら気にしていますね。

日本車はアメリカで人気、売れていますから。

アメ車は日本ではイマイチ売れません。

アメ車はかっこいいとは思いますが、どうもデカい。

細い道では困るし、燃費も良くない。

過去にクライスラーのジープを買う寸前までいき、

その値段ならもう少し出せばスエーデンのボルボが

買えることが分かり、ジープをやめたことがあります。

いろいろ惜しいアメ車なのです。

東京で仕事をしていた頃は、

フォードブランドのフェスティバという車のプロモーションを

手伝っていました。

フォードブランドとはいえ、エンジンはマツダ製。

一応、アメ車ですが小型でヨーロッパ・デザインの車。

戦略的には面白い車でした。

特徴は、幌製のオープントップが付いていて、ちょっとおしゃれ。

屋根が開く他は、フォードのエンブレムが付いていて、

そこそこ売れたように思います。

しかし、小型車が強い日本市場で生き残るのは難しい。

後にフォードはフィエスタという世界戦略車も出しましたが、

後に衰退しました。

やはりアメ車はあのデカくて押し出しの強いボディが、

特徴というか魅力だと思いますので、

セールスを考えると相反してしまうという、

妙なパラドクスに陥ってしまいますね。

欧州も小型車の作り方は上手く、

(たとえばVWワーゲン、プジョーなどにみられるように)

やはりアメ車が入る余地はありません。

大型車でも、向こうはベンツやアウディ他、

ドイツ車を筆頭に強者揃いなので、なかなか勝てません。

しかし、ピックアップトラック、バン、四駆などは、

ハーレーと同じく、アメリカらしい魅力があるので強いのですが、

市場が限られる。要は市場のパイが小さいのです。

キャデラックやリンカーンもたまに近所の国道で見かけますが、

絶対数は少ない訳で、そこがトランプ大統領の不満なのでしょうが。

トランプ大統領をテレビで見ていると、

あの押しの強いところがアメ車とダブります。

受ける奴にはとことん好かれる、

しかし、癖の強さから敬遠する人間も多い。

良くも悪くも、アメリカのイメージって、

そういうところかも知れません。

戦争も平和運動も、その懐の広さを思うと、

世界一の善と悪が凝縮している国がアメリカという国と

言えなくもない。

アメ車が富の象徴であった頃、

トランプ大統領もまた古き良きアメリカで、

青春をエンジョイしていたのでしょう。

カーラジオからはカントリー&ウェスタンや

アメリカン・ロックが流れ、

ベトナム戦争で疲弊していたとはいえ、

アメリカは依然、世界のナンバーワンであって、

富は集中し、生活のレベルもやはり世界屈指であった訳で、

映画も音楽もアートもアメリカ発が圧倒的に多かった。

(ビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、

名画の映画音楽などは欧州発ですがね)

そんな時代に年頃だった日本の若者もまた、

海外の文化、とりわけアメリカ文化をモロに浴びたので、

老齢にさしかかったいまでもその傾向は拭えない。

よって、アメリカの遺物は依然としてこの日本にも漂っています。

カントリーソング、そしてベンチャーズが日本で流行ったあたりから

ジャズもソウルもフォークも大量に次々に輸入されるようになり、

日本の文化などへの影響は

良くも悪くも計り知れないものがあります。

とりわけ、こちらはなんでも吸収してしまう年頃に、

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのようなグループから

ステッペン・ウルフ、そしてカリフォルニアあたりを舞台にした

ロックを大量に吸収してしまい、

妙に偏ったアーティストが青春の思い出になってしまいました。

なかでも、私的にイーグルスは印象が強く、

名曲のホテルカリフォルニアはもちろん、

それを遡ると、

ジャクソン・ブラウンがつくった「テイク・イット・イージー」が

やはりイーグルスの原点のように思いますね。

さらにその源流を辿ると、

ジョン・デンバーやウィリー・ネルソンなど、

カントリー&ウェスタン系アーティストがごちゃごちゃとでてくる。

こんな時代に流行った歌が、

アメリカという国の原風景なのだと、

今回の大統領選を見ていて感じました。

広大な土地に、ピックアップトラックに、地平線まで続く小麦畑。

それは決してニューヨークやロスなどの都会ではなく、

アメリカの片田舎のガソリンスタンドのラジオから流れる、

砂にまみれたスローなカントリーソングだったり…

トランプ大統領がいま必死に取り戻そうとしているのは、

こんなアメリカの風景なのではないのかと思うのですが。

薫りたつコーヒー、発見!

打合せ先で頂いたコーヒーがおいしくて、

そしてなにより薫りが格別だったので、

仕事の最中とは言え、

思わず銘柄を尋ねてしまいました。

先方は笑みを浮かべ、

やはり聞いてきましたね、と満足げな表情。

聞けば、その方もとある会社でこのコーヒーを頂き、

その薫りに惚れ込んだとか。

しかし銘柄を聞き損じ、

方々を回ってやっと見つけられたとのこと。

自らの足と舌で探すとは、

なかなかの惚れ込みよう、探求者です。

「で、どこにありました」

と私。(図々しい)

「それがですね、カルディにあったんですよ!

灯台もと暗しでした」

「ほう」

「そう、私もよくあそこには行くのですが、

まるで気がつきませんでした」

薫りと味だけを頼りに探し当てたコーヒー。

さて、カルディは分かった。

が、銘柄まで聞いてよいものかどうか、

ちょっと悩んだが、

先方は結構おおらかな方だったので、

「で、銘柄は?」

おずおずと聞くと

「ええ、ライオンです、

ライオンコーヒーのバニラ・マカダミアです」

訳もなく教えてくれた。

翌日、早速カルディに行くも、

ライオンコーヒーのバニラ・マカダミアは売り切れで、

入荷未定とのこと。

こうなるとですね、余計に手に入れたくなる。

帰りに寄った喫茶店で、iPadを開いて検索。

と、あるではないか、このライオンコーヒーが。

アマゾンにも楽天にもあるある…

知らないのは、私たちだけだったのかなぁ。

値段はやはり高い。が、エイやっとアマゾンで買ってみる。

ちょっと調べると、

以前からかなり人気のあるらしい銘柄ということを知る。

原産国はアメリカ。ハワイ産でした。

ここは、本場のコナといきたいが、

私が買ったのは、やはりバニラ・マカダミアのフレーバー。

魅力はバニラですから。

本物のコーヒー通からすれば邪道。

そう思うが、甘いバニラの薫りが何ともいえない。

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で、パッケージがまた斬新。

満艦飾でデザインされた中央には、

やはりライオンでしたね。

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これを、フレンチプレスに入れてざっくり4分くらい待つ。

以前は、コーヒーメーカーを使っていたが、、

あるときからフレンチプレスに交換。

理由はですね、コーヒーを入れる作業が簡単だから。

そしてこっちの方がおいしいと勝手に思っている。

コーヒーメーカーの神経質なフィルターって、

雑味も取るが、コーヒーのおいしい油分まで取ってしまう。

その点、フレンチプレスは良くも悪くも

コーヒーの味を丸ごと味わえるとでも言おうか、そこが良い所。

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ただし、保温は不可なので、さっさと飲まねばならない。

で、ライオンコーヒー・バニラ・マカダミアを

フレンチプレスで入れてみた。

真剣です。

落ち着いて味わう…と、味はまあまあ?

が、やはり薫りが引き立つなぁ。

結論ですが、これはもうバニラさまさまというところ。

なんというか、簡単に言うとこれはアイデアの勝利、

というところか。

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魑魅魍魎コンサルタント

その神経質そうで、か細い声の電話の主は、

是非とも当協会のコンペに参加してくれないかと

ねちっこく、かつなかなかしぶといので、

無料コンペはお断りの旨を伝えると、

では最低保証は支払いましょうと、

妙に真剣なのである。

ウチ等をどこかの会社と間違えているのか?

改めて名を名乗ると、間違いないという。

ならばということで、この協会をいろいろ調べると、

まずどうしようもないサイトしかもっていないことを知る。

全国的に「名の知れた団体なのになぁ」と、

私はひとりつぶやくのであった。

後日、競合は3社と判明。

で、現在の広報・宣伝の状況などをヒヤリングしたのだが、

実は内部で今後の方針を巡って意見がバラバラで、

全くまとまらない、

かつこれといったアイデアもなく、

全く方向性がみえない、

よって、コンサルを雇うことにしたとの経緯を聞く。

ふーん。

この協会がPRにかける年間予算はだいたい3000万。

コンサル料は10㌫くらいだったろうか?

などと考え倦ねているうち、

ふとイケルと、何故か思ってしまった。

全体の段取りがぼんやりと見えてしまったのだ。

が、まずコンペを勝ち抜かなくては元も子もない。

戦略としてはいろいろ策はあるが、

この場合は正攻法でいくことと決める。

奇襲は必要ないと考えた。

まずリサーチによるこの協会の知名度実証把握、

現在の広報・宣伝費を洗い出し、

その質と方向性、費用対効果などを詳細に調べる。

バラバラだったものの方向性をひとつに絞り、

媒体の変更などによる予算の組み換え、割り振り、

さらに媒体ごとの訴求も考え、ラフをつくり、

プレゼン準備を進める。

プレゼン当日、おおっとムカシ若かりし頃、

憧れていた大手も参加していることを知る。

△△エージェンシー

が、内心このプレゼンはイケルと確信する。

プレゼン本番はかなりの手応えで、

後日ウチに決まったときは「当然でしょ」と、

分かったいたようにうぬぼれる。

まあ、ここまでは自慢話。

流れからして仕方がない。

が、肝心なのはこの先なんである。

コンサルなんてやるんじゃなかった…

そればかり考えた一年になってしまった訳です。

なんでかというと、

この協会内部の力関係というか、

役員同士の人間関係というか、

これらがとんでもなくドロドロしていて、

アレコレと絡まった糸のようなもつれ、

収拾のつけようもない。

当初の協会からウチ等への依頼も空しく、

各自が自分たちの思い通りの方向へ事を進めようと、

この私を口説く、飲みに引きずり回そうとする、

果ては、こちらが思い通りに動かないと分かるや、

裏工作で足を引っ張る、反対する決議を引き延ばそうとする、

アレコレ難癖をつけて会議を無駄に終わらせてしまう等、

とにかくこちらとしては、

強烈なストレス攻撃を受けたのであった。

よくよく調べるに、どうもそれらの動機が、

それぞれに各業者と裏で繋がっている関係から始まっており、

こちらが費用対効果の悪い媒体とかを切ろうとすると、

鋭い反撃を食らわすのであるからして、

半年も過ぎた頃には、もうこれはある意味、

すさまじい内戦状態に陥ってしまったのである。

うわー険悪

この間、約一年でこちらがぶった切った媒体と業者は、

永年この協会をヤドリギのようにしてきた所ばかりで、

こちらの調査では、

クソの役にも立たない媒体と宣伝物ばかりだった。

あるとき、この協会の全体会議の後に行った飲み屋で、

懇意にして頂いている一人の役員から、

○○さん夜道の独り歩きに気をつけなよと

真顔で忠告されたときには焦ったね!

後日、こちらが取引停止をした新聞社のお偉方数人が、

「どいつだ、ウチを切るとほざいている奴は」と、

この協会に怒鳴り込んできたというから、

いい加減笑ってもいられなくなった。

怖!

しかしだ、

なかにはとても真面目に協力してくれる方や、

こうした協会の状況に危機感を抱いている役員の方々も

少なからずいてくれたので、

こちらも途中で逃げずに済んだし、

胃潰瘍寸前でなんとか「卒業」できたのだが、

結局、成果として、

当初の改革目標の半分も達成できなかったのである。

これがいまもって悔しく思うことがある。

過日、風の便りにきいた噂では、

この協会はただの飲み会の場と成り下がり、

元の業者となあなあの付き合いを開始。

協会の体たらくは末端にも広く伝播することとなり、

会員の数も激減と一途を辿っているらしいと。

「大丈夫か?××協会さん」と思わずつぶやいてしまった。

後、いろいろと調べて分かった事だが、

この狭い日本には、こうした得体の知れない法人、

訳の分からない利権集団がすこぶる多いのであ~るよ。

知らなかったなぁ…

という訳で、おおいに反省した次第。

しかしですね、まあとんでもない事も体験できたし、

とてもベンキョーになりました(汗)

とでも言っておこうか。

さあ、ココロの趣くままに

2016年最後の仕事は、

いや、仕事になるのか否かはまだ分からないが、

私とディレクターは神奈川県のとある重度障害者施設にいた。

それまで、こうした施設の依頼は幾度かあり、

それぞれに仕事をさせて頂いたが、

今回の施設は、とびきり大変な仕事と分かった。

それでもお子さま方への愛情が充分過ぎるほど伝わる

私たちを呼んでくれたその女性が、

天使のように思えたのだった。

そんな直感は、いままでにないものだった。

なんとか安くて良い記念誌をつくってあげたい。

話は変わって、大晦日だったか、たまたま観たテレビに

懐かしいイエモン(THE YELLOW MONKEY)が出ていて、

再結成のいきさつを話していた。

リーダーの吉井が、

イギリスで70才のミックジャーガーのコンサートをみたとき、

とても感動したそうである。

そして閃いた。

解散していた自分がこれからなにをやるべきかが。

歌、そしてロックが好きだから、もう一度バンドを再結成しよう、

70才になっても頑張ろうと。

要するに見えたのだ。

イエモンは紅白に出ていた。

宇多田ヒカルも良かったけれど、

同じようにイエモンも良かったなぁ。

年は変わって、元旦。

近くの神社へ初詣にでかけた。

午後遅くだったので、盛大に燃やしたと思われる焚き火も、

もう消えかかりそうで、誰ももう薪をくべない。

そのフツフツと灰色にくすぶる最後の薪が、

なんだか自分に被る。

でふと思ったのだ。

このままでは違和感は拭えないなぁと。

地続きのように何も変わりなく、

今年も仕事を続けていく、ということ。

いまからでも遅くはないのでないか?

あの天使のような女性もイエモンも、

私の知らない何かを知っている。

掴んでいる。

見逃さず見過ごさず、自分に問うことは、

やはり勇気のいることではあるのだが…

ある大晦日の記憶      

                   西條八十

その夜は粉雪がふっていた、

わたしは独り書斎の机の前に座って

遠い除夜の鐘を聴いていた。

風の中に断続するその寂しい音に聴き入るうち、

わたしはいつかうたた寝したように想った、

と、誰かが背後からそっと羽織を着せてくれた。

わたしは眼をひらいた、

と、そこには誰もいなかった、

羽織だと想ったのは

静かに私の軀に積もった一つの歳の重みであった。

          (一部現代仮名遣いに変えました)

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

面白き事もなき世を面白く

怒濤の一ヶ月が終わった!!

満身創痍の年末、疲れ切っている。

クリスマスなんてなかったなぁ。

思えば、今年は甥の入院騒ぎから始まったのだから、

結果、いまは平和な年末と思わなければ罰があたる。

甥が救命救急室に入ったのが年初。

父親がいないし、母である私の姉は頼りない。

彼のしっかり者の姉と私たち夫婦がなんとかするしかない。

ようやく退院にこぎ着ける頃、

季節は陽が肌を刺す汗ばむ夏になっていた。

それまで心臓移植コーディネーターとの話し合いが

幾度となく続いたのだが、

奇跡的に甥の心臓が活動を再開した。

なにがなんだか分からないうちに秋になっていた。

その時期と重なるように、やはり年初から

僕は虎ノ門の弁護士と、ある案件を進めていた。

関係者の手前、詳しくは書けないが、

これも相当疲れる事案で、

やはり終結は陽がななめに延びる秋だった。

この事案も無事に終わり、

少しはのんびりしようと、

頬杖を突いて横になっていると、

今度はほどほどだった仕事量が倍増し、

本来の心地良い疲れが溜まったのはいいが、

やはりなに事も度を超すといけない。

特に朝方のぼんやりした頃に、

うつらうつらしながら頭に浮かぶのは、

とてもハッピーとはいえない事ばかりで、

一体なにがしあわせなのだろうと、

いまさら餓鬼のような事を考え倦ね、

昔、2度3度と読んだ人生の書を再度開く。

その本はハードカバーの分厚いもので、

隅から隅まで丁寧に読んでいると、

僕のペースだとおおよそ3ヶ月かかるので、

話の肝をみつけてそこに集中すると、

要するに人間はまだ来もしない明日の事を考えては悩み、

もう遙か彼方に飛んでしまった過去を振り返っては悩むものだから、

それは生きてく上で重くのしかかるだけで、

なんの価値も生み出さないのだと。

―いまここ 今日に生きる―

朝目覚めたとき、せめて今日の夜寝るまで最善を尽くす。

要はそれだけで良いのだと書いてある。

そんなたいしたこともない話に深く同意し、

その極単純な法則に気づいた僕は、

やはりいま思えば疲れていたなぁ、と振り返る。

―面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり―  

このことばがよく僕の頭に浮かぶが、

我が身に降り注ぐ事案も、

何はともあれ、

心持ち次第でどうにでもなる事ではある。

そういえば、先週、商工会議所にて、

こちらの思い描く野外イベントの趣旨を話したところ、

なぜかとても受けがよく、

やはり手がけてみようかという気になってきた。

本気になるまで時間がかかるのが僕のよくないところだが、

やはりやってみようか?

面白き事もなき世を面白く 

すみなすものは心なりけりか

もう年なんだけれど、

気持ちひとつ。

そういう事案だ。

心のキャロル・キング

ありがたいことなのだけれど、

プレス原稿、スローガン、ランディングサイト他が重なり、

頭が忙殺されているうち、ブログの更新が止まってしまった。

相変わらず世の中は忙しく、

トランプとかプーチンとかで世界はめまぐるしく動いている。

或る夜遅く、

そうだボブ・ディランを聴いてみようと思い立ち、

アプリを開いてみた。

      「風に吹かれて」

  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  男と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  ほんとの空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

(壺齋散人さんによる歌詞の日本語訳より引用)

彼の音楽はやはり素朴だなあ、

それにしても、小節にことばが詰め込まれている。

そして音符に彩られたことばが呼びかけるのだ。

溢れるのは詞なのか、

いや詩だな。

これがノーベル文学賞なんだと思うと、

そうだろうなと納得した気持ちと、

いや、と思い、

そこは村上春樹だよとは思ってはいないが、

やはり私はキャロル・キングが頭に浮かんだ。

私の世代は、あまりボブ・ディランに馴染みがないのか、

彼の歌を聴くと、

中学校時代に耳にした、

日本のフォーク・ソングと被ってしまう。

―岡林信康とか高田渡とか、

吉田拓郎とか泉谷しげる―

みんなボブ・ディランに憧れていたんだと改めて納得。

最も、日本で歌われたフォークに、

それほど政治の色彩はないのだが。

初めてギターを手にしたとき、教本は「ガッツ」、

曲はジョーン・バエズの「ドンナドンナ」だった。

ジョーンバエズもボブ・ディランも同時代だと思うが、

なぜかジョーン・バエズのほうが記憶に残っている。

有名になる前のボブ・ディランを、

公の場で紹介したのもジョーン・バエズと聞いた。

当時はベトナム戦争という無慈悲が進行していた時代。

メッセージ色が強い。

(最もジョーン・バエズの歌は公民権運動の色合いとも言われている)

メロディーに包み込まれた詩に、

当時のやるせなさが綴られている。

そのことばひとつひとつが浮いていない。

♪風に吹かれて♪のフレーズに、

そのもどかしさまでもが、届いてしまう。

だから、ボブ・ディランなのだろう。

最も、詩の成り立ちは、

思えば小説などよりその歴史も古いから、

文学の礎ではある。

彼のノーベル賞受賞は、

なんら不自然ではないと思う。

しかし、前述のように、この時代のアーティストで、

私を掴んだのは、やはりキャロル・キングだった。

「君の友達」という歌は、こんな感じ。

あなたが困っているとき、

辛いとき

そして私を必要としているなら

すぐに呼んで!

私はすぐにでもあなたの元へ行く

それが冬でも春でも夏でも秋でも

ただ私の名を呼べばいいの

わたしがどこにいようと

あなたに会うためなら

走ってゆく

だって友達だもの

友達がいるって素敵なこと

そう思わない?

みんなとても冷たくなってしまって

あなたを傷つけたり見捨てたりする

あなたが油断すれば

それこそ魂までも奪ってしまう

だけど私はそんなことはさせない

私の名前を呼んで!

あなたには友達がいるのよ

ボブ・ディランの詩は他のものとは格が違うというか、

ことばがダイナミックな放物線を描いて、こちらにズシンと届く。

一方、キャロル・キングのこの歌は、

一見身近でやさしい言い回しだが、

これは、この時代の空気を纏った、

一種のレトリックだろう。

勝手に私的にだが、

やはりノーベル心の文学賞はこちらなのだろうと…

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