グループサウンズの頃

私の中学時代はほぼ60年代後半だったので、

あの頃やたらと流行っていたのが、

グループサウンズである。

それまで聴くものといえば、

舟木一夫とか畠山みどりとかの歌謡曲ばかりで、

少年だった私にはそのどれもフィットしない。

というか、ピンとくることもドキッとすることもなく、

たいして面白くもなかった。

唯一、ベンチャーズブームというのがあって、

エレキギターの音楽に、それは驚いたものだった。

同時期、ビートルズが初来日。

彼ら4人が羽田空港に降り立ったときは、

テレビのニュースはどれもトップ扱い。

日本中が大騒ぎしていた。

が、小学生の私にその音楽はいまひとつ

よく理解できなかった。

で、グループサウンズだが、

この音楽が、ようやく中学へ進学した思春期の私を

ガッチリ捉えた。

ベンチャーズやビートルズに較べれば、

グループサウンズの音楽性とやらは、

それほどのものではない。

歌詞をいまながめても

結構こっちが恥ずかくなるようなものが多い。

しかし、当時の私はスッポリハマった。

さてグループサウンズとはなんなのか?

その系譜を辿ると、

ビートルズやローリングストーンズのパクリ系、

ヨーロピアンポップスを焼き直したもの、

アメリカのR&Bをこちら風にアレンジしたもの、

アメリカンフォークの流れを汲んだもの、

そして日本の歌謡曲を進化させたものなどなど、

多岐多彩だ。

アップテンポな曲はどれも

初めて聴く私には斬新だったし、

ボーカル、そしてリードギターサイドギター、

ドラムというバンドスタイルがカッコ良く映り、

当時の私たちを熱狂させた。

ザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」を皮切りに、

ジャッキー吉川とブルーコメッツは

「ブルーシャトー」をヒットさせ、

ザ・タイガースが「シーサイド・バウンド」で、

ザ・テンプターズが「エメラルドの伝説」で、

当時の日本の音楽シーンのトップに躍り出た。

その他にもザ・カーナビーツ、ザ・ワイルドワンズ、

ザ・ゴールデンカップス、ヴレッジシンガーズ、

オックス、ザ・モップス、ザ・サベージ、

ザ・ジャガーズ、シャープ・ホークス、

パープルシャドーズ、ザ・ダイナマイツ………

いやいやキリがないなぁ。

とにかくどのグループもヒット曲を生み、

日本の歌謡界にはとにかく

グループサウンズという嵐が吹き荒れた。

当時の雑誌はどれも

彼らのうちの誰かが表紙を飾っていたし、

人気者になったバンドが主人公の映画は

何本もつくられていた。

音楽番組の多さもいまと比較にならないほど多く、

ヒット曲の多さも去ることながら、

レコードの売上げも群を抜いていたようだ。

私はそんな音楽を聴きながら勉強をし、

街へ出かけ、テレビを観、

要するに浴びるようにその音楽と共に

中学生活を送ったのだ。

それは絶え間なく流れるサウンドとして

逃れられるハズもなく、

グループサウンズを全身どっぷりと浸かった、

という表現がふさわしい。

が、それほどパワーのあったグループサウンズも、

その瞬間最大風速の強さも去ることながら、

大型ハリケーンのように現れ、

足早に過ぎ去ったのだった。

70年に入って嘘のようにその鳴りを潜めたグループサウンズは、

その渦中にいた私たちだけの年代を

狙い撃ちするかのように、

あっいう間にその姿を消してしまった訳だ。

要するに、

上の世代はもっと高級な?本場の音楽に親しんでいただろうし、

下の世代は、その多感な時期に、

ユーミンとかオフコースとか、

もう少し洗練されたものに

触れていたような気がするのだ。

だから団塊でもなく、

新人類と呼ばれた世代でもなく、

その狭間の世代にしか分からない世代の想いが、

このグループサウンズというあだ花に

熱く注がれてたように思う。

あれから何年経っても何十年が過ぎても、

私の音楽の原点は、

やはりグループサウンズなのではあるまいか?

そう思うことがある。

いま思えば割とダサい音楽、

そして超個性的なスタイルを引っさげ、

私たちの胸を射ったと思ったら、

さっと消滅していったグループサウンズ。

それは、

調度つむじ風のような不思議な感覚であったし、

特異な音楽シーンであったように思う。

そこに、私たちの世代しか分からない、

青春の原点のようなものも詰まっている。

悪玉と呼ばれて

悪玉と言われていい気はしない。

私は割と大きな声で「○○さんは悪玉だな」

と言われてしまった。

「………」

所は病院内、言い放ったのは医者だ。

ちょっと笑いながら意地悪く言われた。

まあ、この先生とは同年代で、

20年来の付き合いなので、ただの悪ふざけだ。

「奥さんは善玉ですね」

なんか腹が立つなぁ~

たかがコレステロールなのに、

こちらの人間性まで否定されているような、

そんな名称って良くないと思うのだ。

第一、悪玉コレステロールの意味がよく分からない。

医者の説明によると、動脈硬化とか心臓病とか、

いろいろカラダに良くない作用を及ぼすらしい。

だから、悪玉なんだな!

が、どうにも私自身が悪玉と言われているようで、

納得がいかない。

看護師の方達もクスクス笑っていたしなぁ。

で、悪玉といえば、

腸も悪玉っていうのがいる。

コイツはやはり悪い奴で、便秘、下痢、

癌なんかも引き起こすというから、

相当な悪党だな。

コイツと戦うのが、正義の味方の善玉。

やはりいい奴、善玉菌。

そしてここにもう一つ、

どうも納得のいかない奴がいまして、

そいつが日和見菌。

どっちが勝ちそうか様子を見ていて、

勝ちそうな方の味方をするというから、

この日和見菌って奴は、

見方によっては、一番の悪党である。

話を戻そう。

コレステロールの話でした。

じゃあ、悪玉を減らすには?

善玉を増やすには?

このあたりをネットで調べたのだが、

実はちょっとよく分からない。

というか、なんとなく分かるのだが、

決め手がないように思える。

まあ、要するに良質な油分の摂取。

これはオメガ3とか呼ばれるエゴマ油とか亜麻仁油のこと

なのだろうと検討をつける。

あと適度な運動をする。

そして、ストレスを貯めない。

奥さんとはだいたい同じものを食っているので、

「俺だけ悪玉」の原因はストレスなのだろう。

でなければ、俺のカラダの構造とでもいうのか。

ここまで書いていて気づいたのだが、

どうもストレスが原因の病気がやたらとても

多いのではないか?

ストレスって万病の元だなぁと、

いまさらながら納得する。

そこで思い立ったのだが、

いつもニコニコしている、

なんていうのはどうだろう。

だって笑いって、

かなり免疫力が上がるというではないか。

これを味方につけるという発想。

で、いつもニコニコしている。

嫌なことがあっても

とりあえずニコニコしている。

辛い事があっても

負けずにニコニコしている。

こうして、脳を騙すのだ。

脳を騙すとは最近仕入れた最新情報なのだが、

脳は割合騙されやすいという。

笑っていれば、とりあえず脳は、

ストレスをストレスと認識せず、

免疫力のある物質を放出する、らしいのだ。

いかがだろう?

始終笑っていればストレスも減り、悪玉も減り、

コレステロールも善玉へと変わるというシナリオである。

完璧!

さあてこうなると、外見的に、

訳もなくニタニタしている、

薄気味の悪いオヤジが一人できあがる訳だが、

まあ、しょうがないではないか。

これも健康の為。

かなり不気味だろうが、

一応明日より実行することにしたので、

そんな私を見かけても気にせず、

シラッと無視して頂きたい。

元町、そして中華街の占いのこと

元町の端、元町プラザビルのなかにある老舗レストラン、

「フィシャーマンズワーフ」は、安くてうまい。

ここでメシを食って通りをぷらぷら歩いていると、

バッグの「キタムラ」、パン屋の「ポンパドール」、

トラッドファッションの「フクゾー」と、

次々に懐かしい店が顔を出す。

この街も年輩の方が圧倒的に多い。

それも一見、生活にゆとりのありそうな方ばかり。

ケータイで話している高年紳士の会話が

すれ違いざまに聞こえてしまった。

「私はあの例のビルを買おうと思っているんですよ」

「…」

私たち夫婦は無言で歩き、程なくして「いまの会話聞いた?」

「うん、ビックリした!」

この街は、学生時代からちょっと敷居が高いとは思っていたが、

それはいまも変わらないんだなぁ。

先ほどの会話がそれを象徴している。

元町商店街の裏通りに入ると、このあたりも店が増え、

表とは異なった個性的な雰囲気を醸し出している。

おっと、空き地に真っ白のロールスロイスが鎮座する。

ここは、ベンツなんかより小洒落たミニクーパーなんかも多い。

なんだか居心地が悪くなってきたので、元町散歩中止。

「中華街に行こう」

元町を外れ、川を渡ると

中華街の南に位置する朱雀門に出る。

元町とは打って変わって人通りが多く、

うるさいというか賑やかというか、

ちょっとほっとするが、

あの中華街独特の色使いは強烈で、

もうなんだか、街全体が赤い絵の具をまき散らしたようだ。

目がチカチカする。

朱雀門近くにあるパワーストーンの原石が置いてある店をチェックし、

ヒマラヤ水晶が気になるも、また買いに来ようと出直しを決める。

で、数年ぶりに歩いて気になったのは、占いの店が更に増え、

おおげさに言えばだが、ここ中華街が占いの街と化していたことだった。

どの店も、若い子が列をなしている。

(どこかのテレビとか雑誌にでも取り上げられたのかな?)

一時は、肉まんブームみたいのがあり、

中華街はどこもかしこも

豚まん○○チャンピオンの店とか、

そんなのばかりだった。

それはいまも健在だが、

肝心の中華レストランの影は薄く、

どうも占いの店ばかりが目立ってしょうがない。

皆、そんなに悩み事や相談事があるのか?

などとつぶやきながら雑踏を歩いているうちに、

ふと自分もその気になっていた。

魔が差したというべきか、

呼び込みのオバサンに誘われるまま、

めずらしく暇そうな店の中に入る。

暗い店の奥から

怪しそうな中国人の親爺みたいのが現れる。

結局、この親爺は怪しい日本人だったのだが、

コイツが私の手相を観るなり、

「おっ、社長さんだね」とほざいたので、

第一関門クリアとした。

「社長、これからの4年はイケイケです、

ガンガン行ってくださいよー!」

もうなんだかよく分からないが、

運が乗ってきている時期らしい。

しかし、ホントの事は過ぎてみないと分からないのだ。

で、ウチの奥さんの番。

「なななんと、奥さんの手相、

アイドル線が出ているじゃありませんか!

明日からダンス踊りましょうよ、ダンス!

あのね、このアイドル線がないとね、

AKBには入れないんですよ!

分かります?」

「………」

打って変わり、後ろの席では、

先ほどから暗い話が聞こえてくる。

年輩の奥さまとおぼしき方が、

どうも離婚の相談らしい。

「奥さん、いましかないと思うのよ、

キッパリ別れちゃいなさい!」

「………」

「奥さん、人がいいから…」

(聞こえちゃうんだよなぁ)

だいぶ間があいた。

そして奥さんが力のない声で

「そうしますわ」

「………」

おいおいおい、

そんな大事なことは自分で決めろよと、

思わず後ろを振り返り、

突っ込みを入れようと思ってしまったのだが、

考えてみれば、この人はもうすでに散々思い悩み、

最後に肩をそっと押してもらうように、

この店に足を運んだのかも知れない。

それにしてもスピリチュアルな街だなぁと、感心しきり。

こちらは楽しくストレスの解消も済み、

怪しい占いの店を出ると、

すでに陽が傾いて中華街に長い影が差す。

お土産屋さんで月餅をいくつか買って街を出る。

そして行き交うクルマの波をみながら、

さきほどの街を振り返り、

思わずうーんと唸ってしまった。

いくら占いがブームとはいえ、

割とディープな悩みにも占いはこたえている訳で、

それだけ世の中は複雑・深刻化しているのか、

いや、自ら考えることを放棄しているのか、

最後のひと押しを誰かに求めているのか?

そのあたりの整理がつかない自分がいる。

そもそも自分の行動指針の司令塔は、

己の思考と勘であるハズなのだが、

どうやら世の中には、もっと違う、

何か大きな存在を信じている人達もいる。

歴史を振り返っても、シャーマン、陰陽師、

呪術師、いたこ、祈祷師、霊媒師…

いやいや切りがないなぁ。

思うに、実は私もそんなことを信じる質である。

がしかし、

そこには当然、節操というものがあるなぁ、などと、

アレコレ考えたところで結論が出る訳でもない。

で、相変わらず中華街は元気な訳で、

それにしても思考する、勘を働かせるというのが、

如何に人にとって難しい作業になってしまったのか、

などと思うに至ったのである。

迷える善人の悩みにこたえようとする街、

横浜中華街はいま、人の業が渦巻いている。

きっとあの街は、

イマという時代に生きる人たちの

裏側をあぶり出すにふさわしい、

楽しくも悩ましい解放区なのだろう。

逆上がりができない!

散歩で立ち寄る公園に鉄棒があって、

あるときふと「やってみるか」と思い、

軽い気持ちで逆上がりをやろうとして、

なんとこれが、できなかったんですね。

これには私自身がエラく驚いてしまい、

こんなハズじゃなかったと

つくづく悔しい想いをしまして、

それからこの公園に立ち寄るたび、

ポケットからiPhoneと小銭を出してベンチに置き、

エイっとチャレンジしているのですが、

いまだにできない訳です。

思い返せば、ガキの頃から鉄棒に親しみ、

連続10回逆上がりとか、

鉄棒に両足を踏ん張って飛ぶコウモリという技とか、

我ながら自慢の運動だったのだが、

なんだよ、最近の自分の体たらくは!

にしても、年をとるとは恐いものであり、

来る日も来る日も、

何事かを1つづ諦めていかなくてはならないのだ。

それがじじいなのか?

重ねて腹が立つのはウチの奥さんで、

同年なのになんとか逆上がりができてしまうのだ。

これには驚いたね。

彼女は日頃からカラダを鍛えているとか、

ムカシからバリバリのスポーツ女子であった訳でもなく、

フツーのおばさんなのだ。

なのに「あら、できたわ」とか言って、

意味不明な笑顔でこちらを見るのである。

これにはライバル心がメラメラと燃え上がり、

ふと思い立つと独り公園へでかけ、

鉄棒の前で「よーし」と力み、手のひらの汗を拭い、

勢い、鉄棒に挑むのだが、いまだできない。

あまり言いたくはないが、

私は若い頃、彼女に水泳を教え、

スケートの楽しさをサポートし、

あとから始めたにもかかわらず

スキーもメキメキ上達し、

彼女をことあるごとに指導し、

パラレルまで滑れるようにしてあげたのだ。

なのにいま私は逆上がりさえできず、

彼女から意味不明な笑顔で見られている訳だ。

思い当たる原因は老化の他にもある。

奥さんに聞いたら、若い頃といまと、

体重の変化がないとのこと。

それに較べ、私はだいたい10㌔以上は太っている。

ふーむ、それにしても納得がいかない、

消費税増税とマイナンバーと、

逆上がりなのだ!

「チェ」というタバコ

ゲバラ4

所詮はタバコだが、

されどこのタバコなのである。

チェは、ゲバラの姿がデザインされている。

なかなかイケテイルなというデザイン。

葉は、無添加・無香料だし、

妙なフレーバーも入っていない、らしい。

中にキューバ産の葉がブレンドされていて、

ちょっと他のタバコとは違い、

いい味わいがある。

チェ・ゲバラのチェは、「よう」とか「やあ」という

南米の言葉だそうで、親しみのこもった呼び方である。

それだけゲバラは、皆に親しまれていたともいえよう。

事実、民衆は、いつもゲバラに味方した。

ゲバラは、常に民衆の事のみを考え、行動した。

で、彼はお馴染みキューバ革命を成功させた人物。

見てのとおりなかなかのイケメンである。

そして時代は流れ、いまや政治的イデオロギーも、

なんだか境目が曖昧になってきているフシがある。

あのアメリカにも、遂に社会主義者の大統領候補が現れた。

中国は相変わらず経済に躍起な共産国であり、

やはり人民も国も「金」なのであった。

もう革命など縁遠いのだろうか?

いや、ゲバラ的に解釈すると、

実はそもそもイデオロギーなど、

どうでも良かったように思えるのだ。

たとえば、一時期、ゲバラと毛沢東は、

世界中の若者を虜にしたが、

毛沢東の文化大革命を見て、

皆、毛沢東を疑うようになった。

一方、ゲバラは依然純粋な革命家であり続け、

医者でもあり、

自身が幼少期より持病を抱えていたので、

当時の弱者に対するまなざしはやさしく、

奴隷・搾取といった制度を転覆させることに、

生涯を賭けた。

これはもはやイデオロギーというより、

純粋に弱きを助け強きをくじく性格が

彼を革命へと誘ったのであり、

あの激しい生きざまの発露も、

そのあたりにあったように思える。

よって、チェなのである。

ゲバラは世界各地の革命に関わり、

自身は最後、アメリカCIAの指令により射殺されたが、

彼はいまだに世界中で人気がある。

それは彼が革命家として、つとに純粋だったからだろう。

権力や名誉ではなく、まして金でもなく、

世界のすべての社会の矛盾を心底憎んだのだ。

かのジョン・レノンも、

ゲバラを世界で一番格好良い男と評した。

―バカらしいと思うかもしれないが、

真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。

人間への愛、正義への愛、真実への愛。

愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ―

(出典チェ・ゲバラの名言)

このタバコは、いまもって世界中で人気が高い。

たかがタバコ。

なのに、時代と男のロマンがギッシリと詰まっている。

そこに崇高な物語があった。

それが「チェ」なのである。

ゲバラ3

Haru (春)

陽ざしの乱反射は細かな虫の羽が

絶え間なく動いているからだった

山あいの朝はまだ肌寒いが

ほうぼうを見て歩いていると

あちこちで木々の芽吹いているのが分かる

もう田んぼのあぜ道も見なくなって久しいが

その足元に咲く

レンゲやシロツメグサの春の華やかな記憶が

いまでは夢のような出来事のようになってしまった

花も蝶も蜂もそして何もかもが減って

あのむせるようないきものの充満した春は

もう何処にもないのだ

そういえば密集した森も笹やぶも

かつては濃密な自然の匂いを放っていたが

いまは整地が進み

綺麗な住宅が立ち並らび

僕たちは僕たちでそれは快適になったのだが

たとえばビル街を歩いていて

ふと立ち尽くしてしまうのは何故なのか

少なくとも僕と同世代以前は

鎮守の森に守られて育った

都会にもそれなりに雑木林はあったし

空き地も川も田んぼも蛙も…であった

道端のお地蔵さんは

僕の話相手ですらあったし

どこのお母さんも

間違いなく割烹着をつけていた

昭和は悲しい歴史の刻印である

と同時に

昭和はもう戻ることのできない郷愁である

そこにはもう蘇ることもない自然が息吹いていて

木訥とした人間の暮らしがあって…

だから

春はあけぼの

春はいのち

春は過ぎし日

今年もようやく

僕なりの春がきた

大山に登ろう!

タイトルは…登ろうだが、結局、日程を延ばすことにしました。

大山なんてチョロいという先入観が間違っていた。

最近重宝しているVixenの双眼鏡で、

めざす大山の山頂あたりをじっと観察すると、

山肌になんとびっしりと雪がへばり付いているではないか。

積雪ではなく、風雪とでもいうのかな。

山肌に雪氷のようなものが貼り付いているのが見える。

すっげぇ、寒そう。で、あそこを歩くと滑るな~って感じ。

ハイキング程度しか経験のない私には、まるで無理。

まず根性が出ない。

厳冬の装備を持ってないし。

以上の理由により、もう少し気温が上がるまで、

登るのを延期することにしました。

丹沢なんかもそうだが、

山としては標高も低く、都会に近いし、

一見カジュアルな山に見られているが、

むやみに奥へ入って迷子になったりトラブルに見舞われたりと、

警察や消防へのSOSも多いらしい。

意外ですね。

もうひとつ、なめてはいけないのが、

やはりあの身近な湖、山中湖だ。

湖畔にはキャンプ場、旅館などの宿泊施設、

コンビニ、ファミレスなども建ち並び、

湖にはボートに観光船、白鳥もウヨウヨいるので、

ちょっとなめて油断してしまいそうだが、

ここのクソ寒さったらどん引きしてしまうほど寒いんだ。

若い頃、1月に一度行ったことがあるが、湖面が凍り、

元気なおっさんたちが湖面の上で氷に穴を開け、

ワカサギ釣りをしていたのを目撃したことがある。

夏もそこそこ行っているが、

晩夏ともなると、陽が沈むとぐっと冷えてきて、

急激な温度の低下は相当こたえる。

ある年の夏の終わりにキャンプに行ったときも、

テントの中で毛布を被って寝たのはいいが、

その寒さに耐えられず、車に移動。

エンジンをかけてヒーターを全開にしたこともある。

夏ですよ。

なので今頃の時期、山中湖ってなおさら鬼門です。

山、湖ときたら、川です。

川はですね、やはりなめたらあかんです。

神奈川県では、やはり相模川より中津川の方が恐い。

なんでかっていうと、単純に流れがキツイから、

いろいろなトラブルも起きやすいのかな。

自身の体験したことだが、

あるとき、中津川の上流の岸で仲間達と遊んでいたら、

その中の一人が足を滑らせて川へドボンと落ちてしまった。

それを見ていた私は反射的に飛び込んでしまい、

そいつを助けようとしたが上手くいかない。

流れが驚くほど急なんですね。

こっちは学生時代にずっと水泳部だったので、

潜在的に妙な自信のようなものがあったと思うが、

中津川はそんな私たちを許そうとはしないんだな。

そこで流れに逆らうのを一切やめる作戦に変更。

少しのあいだ、二人して下流へ流されながら

適当なよどみを探すことにする。

と、疲れが出てきた頃にちょうどいいよどみがめっかったので、

そこをめざし、一気に泳いでそこへと逃げ込んだ。

が、落ちた友人は立ち泳ぎがうまくない。

そこは土がむき出しの崖になっていて、

岸に這い上がることは到底無理だったが、

なんかの植物だか木の根がところどころに飛び出していて、

それにつかまって体制を整えることができた。

で、呼吸を整え、二人して力の限りに泳ぎ、

急流に流されながらもこちらの岸まで泳ぎきり、

みんなに引き上げられた。

この経験は、後に落ち着いて振り返ると、

相当恐かった。

さて、山、湖、川ときたら、そう海ですね。

若い頃、台風前の葉山の海で遊んでいて、

とんでもない波に巻き込まれ、

まあ簡単に表現すると、

洗濯機のなかに入れられたような状態から

これまた九死に一生を得た私ですが、

なんだか話が長くなって、飽きてしまいました。

この話の出発はそもそも冬の大山でしたが、

なんだか季節も時間も場所も

大幅に移動してしまいました。

要は、自然はなめたらあかんという話を

体験的に話したかっただけなんですがね。

もうクルマはつまらない

いつものように運転席に座る。

シートベルトを締める。

そしてイグニッションキーを捻る。

こうして何十年もの間、車を動かしてきた。

エンジンが始動すると、

なんともいえない吹けの音と振動が、体中に伝わる。

そしてマシンを操る自分に緊張を強いるよう、

交感神経もまた目を覚ます。

翻って、

最近のハイブリッド車などはキーを捻るでもなく、

スタートボタンを押すとそれでスタンバイOK。

そしてわずかにキーンと鳴ってスッと走り出す。

まあ、静かといえばその通り。

しかし私的には、正直気味が悪いのだ。

このとんでもない技術革新は産業革命以来か。

新しいものへの飛び付きの遅い自分は、

そうした車を「ほぉ」とか「へぇ」とか感心するも、

実のところ、なんの魅力も感じない。

いま自分の乗っている車は、

あの悪名高きワーゲン社製のゴルフで、

排ガスのCO2量も今となっては実に怪しいほど、

よく吹け上がる。

悪気もなく、よく加速もするのだ。

これはこの時代に於いて、「悪」である。

がしかし、

ここでこんな話をするのは

面白くもなんともないので、

論点を戻そう。

要するにエンジン車の良さって、

そのメカニカル性に寄るものと思うのだ。

車内に伝わるそのエンジン音は、

ドライバーにメカの好・不調の具合、

そして走行速度などを感覚を通して教えてくれる。

いわば生き物の心臓の鼓動のようなものとして、

私は捉えている。

長距離を走り終わった後など、

エンジンルームからの熱気と共に、

荒い息づかいのようなものが伝わる感覚。

車が汗をかいているのではないかと思うほどに、

生き物のそれとよく似ている。

対して、ハイブリッド車などは、

すべてにおいてクールだ。

端的に表現すれば、あくまでモノそのものである訳で、

なんというか人造人間的。

とんと心が動かないのだ。

現在、ハイブリット他電気系駆動の車の性能は相当のもので、

高速道に於いても私の車なんぞ軽く静かに抜き去る性能を誇る。

が、どんなに飛ばしてもなにも熱くはならない、

そのクールさになにか違和感を覚えるのだ。

人馬一体という言葉があるが、

いまやアナログとなってしまったレシプロ(ピストン駆動)車なんぞ、

これに近い感覚。

走りそのものを五感で感じ取ることができる。

ハイブリッド車はこの感覚に欠ける。

それが新しい車の感覚であり、

今後、この新たな車よりの五感というものが、

益々拡がるに違いない。

これはもはや人馬一体ではなく、

カー雑誌などは、これをどのように表現するようになるのか、

そこが興味深い。

しかし自分もいつの日か、

こうした車に慣れなければならないのだろうか?

大袈裟な例えだが、

明治維新も敗戦後も、皆大きな転換を迎え、

物事の価値観もひっくり返った。

このとき、古い者にしがみついている者だけが、

面白くないハメに陥ったようなのだが、

今回のこの話も同様の道を辿るのだろうか?

いまが思案のしどころなのだろう。

だが、希に時代遅れが優勢に立つこともある。

残存利益ということばも実際ある訳で、

近未来の自動運転の先行きも見据え、

たとえば、旧車レシプロエンジン6段マニュアルギアを

操れる運転職人とか…

うーん、希少な人材としての引き合いは、

どうもなさそうだな。

村上春樹がつくった図書館

以前のエントリーでも触れたが、

村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する

札幌のドルフィンホテルだが、

架空のホテルにしてはこのホテルに関する記述が

ディティールまで精細に描かれているので、

一見実在するかのような錯覚に陥る。

まあ、小説なので上手い嘘といえばそうなのだが、

それにしてもリアリティに満ちている。

ストーリー・テラーとしてこの人が優れているのは

先刻承知しているつもりだが、

まあ、想像でつくりあげるその力量には

いまさらながら驚く。

続いて手にした「海辺のカフカ」で登場するのが、

四国は高松にある「甲村記念図書館」である。

15歳の主人公カフカ君が深夜の高速バスに乗り、

この図書館をめざして家出をするのだが、

やはりここでもルポルタージュの如く、

まるで見てきたような時の流れ、

移動途中の風景などが克明に描かれている。

まあ、このあたりは実際に体験すれば描けるだろうが、

問題はその図書館のようすだ。

甲村記念図書館は実在しないが、

その図書館にまつわる歴史的背景、

図書館で働く人の様子、

更に館内とその庭園の記述に至っては、

ほぼ実在するかの如く、

これでもかというほど丁寧に描かれている。

私はまたも実在する図書館として勘違いしてしまった訳で、

続けざまに騙されたことになる。

村上春樹の描く主人公や登場人物は、

ほぼコンサバティブな人間が多い。

ほどほどの人間関係の距離感。

孤独を愛する。

喰うものはサンドイッチやドーナッツが多く、

主人公はだいたいシャワーで丁寧にカラダを洗い、

入念に歯を磨くことを習慣とし、

都会人にふさわしいファッションを身に付けている。

ブランド的にはアイビー系が多い。

で、音楽は彼の好きなジャズ系から60~70年代の

ポップスあたりをよく聴いている。

もちろんビートルズも。

間違っても演歌や民謡は出てこない。

ダンキンドーナツとか、

乗っているクルマがスバルの4WDとか、

やたらと具体的な実在するものの中に、

この作者はポンと架空のものをつくり、

放り込んだりして、

読者をその気にさせ、彼のつくった世界へと誘う。

この人のエッセイなどを読んでいると、

村上春樹という人間は基本的に真面目であり、

走ることに命を賭けているようなので、

私の心配はあたらないが、

一歩間違ってこういう人が詐欺師にでもなったら

恐ろしいなと勝手に思ってしまう。

まあ、だいたいにおいて物書き、

とりわけフィクション系の人というのは

そもそも詐欺師っぽいと私は睨んでいるのだが、

これも才能のなせる技とでもいうべきか?

いわゆる、良い意味での嘘つきは、

読者を裏切らないし、更に感動させてくれるのだから、

世の中は面白くできているなと…

だって優れた小説家に騙されて、

悪い気はしないでしょ!

ちょっと仕事のこと

今年ももう終わりだけれど(今日は12月31日大晦日)、

この1年は総じてシステム・プログラム系の仕事に

忙殺された感がある。

システムの成功例として挙げられるのは、

なんと言ってもアマゾンだろう。

このwebサイトはシステムの発想自体が優れているので、

すべてに於いて他より優位に立っている。

たとえば或る本を探すとする。

するとその本に関する詳細なデータ、評価、

そして類似本までがズラッと表示され、

訪問者の興味が失せることのないよう

綿密にシステムが組まれている。

更にこのシステムには自分の注文履歴、配送状況、

キャンセルのやり取りも簡単にできる。

想像しうる万全が尽くされているのだ。

このように

webサイトの構築に於いてシステムを組む場合、

その構築には、

脳と神経を全開にしなければならない。

そして、多大な費用と時間がかかる。

その他、検索エンジン対策、PPC広告の検討、

ユーザビリティ等で優位に立つことも前提に、

最善のシステムを考えなければならない。

これはとりもなおさず、

ビジネスの勝敗を左右すると言っても過言ではない。

こうしたシステム系が重要視されるようになったのは、

何も最近の話ではない。

現在、広告をひと口で括ろうとしても、

その裾野は広大過ぎる。

ウチとしてもこれらの状況を念頭に、

勉強と興味の両面から注視・実践してきたのだが、

実際のビジネスの現場では、思わぬ問題点が次々と噴出した。

文化系の自分にとっては苦手な分野だが、

思えば広告のスキルも年々多様化・細分化の道を辿り、

いまひとりの人間がすべてのスキルを手にするのは、

ほぼ困難と言えよう。

これはウチだけでなく、

ほぼすべての同業種企業が抱える問題と言える。

よってウチの場合も、

社員、仲間、協力スタッフの力がなければ、

この道は閉ざされていたに違いない。

こうしたプロジェクトの基礎とも言うべき

総体的な企画・方向性は、

まず絶対に間違えてはならないのが鉄則である。

後は最前線の専門スタッフの力量にもよるが、

基礎がしっかりしていれば、

そのプロジェクトはほぼ成功する。

幸いにしてウチの場合は、

ディレクターとスタッフに助けられ、

幾つか本格始動に至ったが、

現在でもそのメンテナンスに気が抜けない。

そして更なるユーザビリティの向上をめざし、

システムの改良を検討・実行したりしているが、

運用途中で思わぬバグが発生することも多々あり、

こうした場面では冷や汗が出る思いが続く。

要は多大な投資に見合う成績を上げなければ、

それはビジネスプロジェクトとして失敗の烙印を押される。

しかし、ビジネスは端っから成功することが前提の契約なので、

間違いは許されない。

という訳で、ここ数年は、ほぼ休みがなかったに等しい。

旅行はしない。

休日でもパソコンは必需品である。

こうしたサイトを

滑らかかつ快適なユーザビリティで運用してゆくには、

正確にいえば立ち上げから軽く1年以上はかかる。

またこうしたwebサイトは、

システムだけでなく、これまた手間のかかるコンテンツの充実、

SEO的な見地からの検索エンジンに対する施策、

更にいえばテキストの綿密な見直し、

更なるデザインの変更等、

やらなくてはならない事がメジロ押しだ。

私たちはいわゆるクリエーターと呼ばれてはいるが、

現在の広告状況は、

クリエーターという職種だけでは括り切れないほど、

広範な知識と技術が要求される。

そうしないと、今後は更に生き残れない現実がある。

システム構築技術、検索エンジンを理解する、

そして本来の仕事であったハズの魅力的なデザイン、

人を動かすテキスト(コピーライティング)等々…

これだけでも、広範な勉強と知識が要求される。

しかし、これらの力が結集しなければ、

これからの広告の仕事は立ちゆかない。

次々と生まれる新しい知識、

早々と廃れてゆく技術。

普遍的なものは、なにひとつないに等しい。

私事だが、

最近、そもそも広告ってなんだと自問自答してしまう自分がいる。

それでも走り続けなければならない現実があり、

走りながら考えなければならないことが数多(あまた)あって、

いまだ明快な回答は導き出せないでいる。

元々この業界は、文学好きや、

美術好きのアーティスト系の人間たちが集まっていたのだが、

いま振り返えれば、

それは遠い昭和の懐かしい話である。

私自身本当のところ、

現状のこの業界があまり好きではない。

最近、仕事の合間をみてよく山に入る。

夜空を眺めるための双眼鏡を手に入れた。

印象派の絵や外国の書を見に、暇をみては

美術館へと足を運ぶようになった。

旧作と呼ばれている映画を最近よく観る。

気にいった作家の本を集めている。

キャンピングカーで、とにかく何処でも良いから、

でかける計画を無理矢理立てている。

そして運動を欠かさないようになった…

すり減る神経、行き過ぎたユーザビリティ、

追いかけてくるしつこい広告、検索エンジン至上主義。

ああ、便利便利で、

いまにすべてが崩壊するのではないか?

―時代なんかパッと変わる―

私はそう思っている。

ムカシは良かったと言っている訳ではない。

自分のズレ具合があからさまになったからなのか。

いや、本来人間ってそういうもんじゃないだろ?

という根本的な疑問がどうしても消えないんだなぁ。