格好いい爺さんになろう!!

誕生日を機に、ふとアタマがひらめいて

格好いい爺さんになろうと思った。

格好いい爺さんが、派手なスポーツカーから降りてくる。

格好いい爺さんが、イタリアンスーツで歩いている。

これ、イメージもシチュエーションも、ベタ。

格好いい爺さんのビジュアルは、例えば誰か?

私のアタマには、すぐにあの007のショーン・コネリーと

名優スティーブ・マックィーンが浮かんだ。

格好いい!

が、私には遠すぎる存在なので、

話をもう少しフォーカスすることにした。

格好いい爺さんは、歯が丈夫だ。

格好いい爺さんは、ももひきなんかはかないのか?

格好いい爺さんは、シワが少ない。

格好いい爺さんは、エネルギッシュ!

分かんないなー?

きっと、格好いい爺さんは、禿げてない。

きっと、格好いい爺さんは、小走りできる。

きっと、格好いい爺さんは、姿勢が良い。

おっ、なんかだんだん見えてきたぞ!

格好いい爺さんになるには、まず

健康でなければいけないのだ!

タバコ、やめようかな?

いやいや、格好いい爺さんは葉巻なんかが似合ったりするので

まだいいや。

この案件は、棚上げにしよう。

ときどき、スーパーなんか行くと

独りで寂しそうに買い物をしているお爺さんを見かける。

身なりは適当なのはいいが、暗い表情でうつむいてコロッケなんか

じっと見ている姿を見ると、身につまされるものがある。

ポイントはこの辺りだろう。

落とし所が少し変なのは分かっているが

この辺りを研究することにより

格好いい爺さんを考えることにした。

その格好いい爺さんは、

レモンイエローのフォルクスワーゲンから

颯爽と降りてきた。

髪は白髪。

まぶしいほどのざっくりとした白いシャツに

綺麗なシルエットのジーンズが印象的だ。

青いスニーカーに見え隠れするのは

なんと素足ではないのか?

彼は、姿勢良く大股で店内へ入ろうとするが

前方目線を動かさずに、サッと片手でカゴをゲット!

運動神経もまだまだ若者に負けていない。

その格好いい爺さんは店内をパッと見渡し

野菜と肉を少々カゴに入れると

例のコロッケ売り場の前で立ち止まる。

興味なさそうにちょっと手に取るが

こんな揚げ物はカラダに悪いだろうと

嫌悪の表情を見せながら、

その揚げたてのコロッケを元の位置に戻す。

が、そこで爽やかに笑みを浮かべながら

「しょうがないな」と言い

姿勢を崩さずにサッとそのコロッケをカゴに入れ

その場を立ち去る。

うん?

格好いい爺さんって大変そうだな?

どこかに無理がある。

嘘くさい感じもするな。

ここまで書いて気がついたのだが

人間やはり外見だけではどうにもならない。

やはり格好いい爺さんになるには

上辺だけでなく

まず内面を磨くしかない。

やはりそこに辿り着くのだ。

で、考えた。

格好いい爺さんは、人生のなんたるかを知っている。

格好いい爺さんは、経験則から発する言葉をもっている。

格好いい爺さんは、哲学がある。

格好いい爺さんは、自然を愛する。

格好いい爺さんは、人を愛する。

格好いい爺さんは、自分の人生を後悔しない。

おっ、格好いい!

なんだか、器に身が入った気がしてきた。

カッコいい爺さんは

そもそも人生の達人なのだ。

心がともなって初めて

格好いい爺さんになれるのだ。

しかし、ここまで書き進めて

格好いい爺さんになるのはかなり大変だ

と言うことが分かってきた。

格好いい爺さんになるには

常日頃の心身の鍛練が必要なのだ!

という訳で

今日からいまから

格好いい爺さんをめざして

頑張りたいのだが

まず、このお腹をなんとかしなければならない。

そろそろ健康診断の季節になったが

今年の血圧は大丈夫か?

最近、物忘れが多いが

アタマはまだ大丈夫なのか???

格好いい爺さんへの道は

まだまだ険しい。

その前に、目の前の仕事を

なんとかしろよと、

自分で自分に突っ込みを入れて

お茶をすする

午前5時のオッサンの姿がありました。

時代なんかパッと変わる

夏を引きずりながら

外の気配は秋めいている

日差しは心なしか斜めに差すも

まだまだ勢いがある

その中を

時折乾いた風がすっと抜ける

空が高い

今年初めての赤とんぼ

こうしてふっと気を抜くと

まばたきする間に

秋なのだ

目を凝らしていないと

分からないものがある

予兆はひたひたと忍び足

ある日恋人にさよならを言われても

それが心変わりなのか

気まぐれなのか

久しぶりに走る道路に

いままでなかった分岐点が現れて

驚いたことがある

何度か通った店の前に立つと

もうそこは私の知っている

イタリアン・レストランではなく

小ぎれいな美容院に変わっていた

それは何事もなかったように

当たり前のように

日常に溶け込むから

関係者や観察者

にしか分からない

明治維新で日本はパッと変わった

昨日までの価値が

今日は色褪せる瞬間

軍国少年は敗戦を経て

狼狽した自分を取り戻そうと

歌をつくろうと決意したという

ある日ベルリンの壁は崩れ

ソ連は崩壊し

世界の地図は変わった

誰もじっとみつめていないと

分からない変化の瞬間がある

自らが立ち上がらないと

ただ流されてしまうだけの

一人の目撃者で終わってしまう

危うさ

今回の選挙で

永年の地盤を築いてきた

政権政党が倒れた

名もなき人々は

その他大勢ではない

誰もかが時代を築いてきた

「時代なんかパッと変わる」

私の尊敬するコピーライター

秋山晶さんの渾身の作品だ

愛は尊いが

愛があれば
なんでも乗り越えられる
なんて言うが
世間は
そんなに甘くはない

愛だけでは
腹一杯にならない

割と理想主義(?)の私だが
その性格のおかげで
生活に窮したことも
たびたびあった

私が知らない間に
貯金も底をついた頃
家賃を払っていないことに気がついた

子どもの粉ミルクとオムツがないと
奥さんが言い出した

私は企画書を書く手を止めた

普段は貯金通帳も見ない私だが
このときばかりは
通帳の残高をつぶさに追った

無機質に印字された数字は
入るものより
出る額が上回っている

しかし待てよ!

結構仕事をこなしていると思っていたが
そのギャラはどうなっているの?

「外注さんの支払いが先でしょ
先方さんは手形だからね」

聞けば、その手形は6ヶ月を過ぎないと
割れないとうことらしい

ということで
近くの大手銀行へ相談にでかける

いわゆるつなぎ融資の頼みなのだが
当時の私はどこの馬の骨か分からない
取引実績もないただのフリーだった

いまでも忘れない

銀行の融資係は
バシッっとした背広に銀の縁の眼鏡をかけ
いかにもエリートという感じのまじめそうな男だった

話の途中、私の話を聞いているようで
全く聞いていないことが分かった

しまいに彼は
「そうですか」と言い
薄ら笑いさえ浮かべていた

当時のフリーは、プータローと同義語だ

審査結果はみえていた

一匹狼を標榜する私だったが
このとき以来
法人化の計画を練るようになった

決算書だの前年度比売上げとかなんて
全く興味がなかったが
一応、数字を追う意識が
このとき芽生えた

このときから現在まで
この銀行とは
一切取引はしたことがない

話は逸れるが
私の感覚で言わせてもらうと
一見まじめそうでいて
実は誠実ではない人間が
私はこの世で一番好かない

大嫌いだ

一見まじめなんて糞食らえと思っている

誠実か否かは、人の全く別の所の
奥深いところに宿っている

正直さと誠実さは
いざというときに垣間見えるものだと
私は思っている

人は見た目とは言うが
いやいや
そんなことはない

一筋縄ではいかないのが
人の面白さであり
怖さと思う

話を元に戻す

ときはバブル全盛いやバブル前夜か?

私といえば、働けど働けどなのである

モーレツに仕事をしたのに
いい思いをした記憶が一切ない

世間は羽振りの良さの勢いが止まらない

六本木でタクシーが朝までつかまらない

日産の高級車シーマやBMWがバカ売れしていた

有明のお立ち台では派手なボディコンお姉さん達が
扇子を持って踊り
羽目をハズしていた

浅田彰の「逃走論」をはじめ
ニューアカミデニズムのような思想が
世間に浸透したのもこの頃だった

ときは80年代

私の生活は
こうした風景のなかで
風前の灯だった

いま思えば私の采配ミスと
数字の甘さ
そしてプロデュースミスという
悪い偶然が重なったとしか
言いようがない

要は経験不足
力量がなかったのだ

幸い、最悪の事態を脱した私だったが
このままではまずい

のう天気な私に危機管理能力が身に付いたのも
この頃だ

私は自分の仕事を法人化すると同時に
スタッフの数字にもシビアになった

経験は人を堅くする

自分に厳しく回りに厳しく

と書いたところで
生来の性格が直るものではない

いまでも決算書なるものは
年に数回しか目を通さないし
通帳も奥さん任せ

ともかく総てがだいたいで
決めてゆく性格はそのままだ

が私は
かなりありふれた事に気がついた

愛があれば何でも乗り越えられる
なんて言う甘い言葉は
もう私は信じていない

ありふれたことは案外奥が深いことがある

幸せになるには

愛と

どうしても

あと少々のお金が必要なのだ

ラテン系で行こう!

アルファ・ロメオというクルマがある。
イタリアのクルマだ。
ご存じの方も多いと思うが、あのクルマから
降り立ったオトコなら
少々のぶオトコでもなんとかサマになるから不思議だ。
その魅力溢れるアルファ・ロメオというクルマは
他と何が違うのか?

高級車にありがちな重厚さがある訳でもなく、
2シーターでぶっ飛び型の
本格的なスポーツカーの流線型でもない。

でも、格好いい。

特に、赤のジュリエッタという奴は最高でした!

しかし、そんなことを言ったからって
私はアルファを買ったことがない。

一度、知り合いに助手席に乗せてもらった他は
イタリアの高速道路で後部座席にお邪魔した位だ。

お金の問題もあるが、このクルマがよく壊れるため、
私はこのアルファに手を出したことがない。

直す自信も時間もない、というのが正直なところ。

隣に並んで走っているのを眺めているのが、グッドなのだ。

それにしても格好いい、イタリア車だ。

イタリアといえばラテンの国だが、他にもラテンの国は
結構ある。

南米なら、ブラジルなんかが象徴的かな?

で、何故ぶっ壊れやすいイタ車の話から始めたかというと
ラテン系の方たちの考え方に触れたかったからなんです。

この方たちは、はなっからクルマは壊れるもの、として
つくっているフシがある。

緻密じゃないといえばそれまでなんですが、
ラテン系の方たちの考え方、強いては
彼等の人生観になにか関係があるのかも知れないと
私は考えております。

気にしない。壊れたら直そー。直らなければ
誰かが通り過ぎるまで待っている。
ゆとりもあるのだ。
そうだ!、待っている間にダンスでも踊るか
愛の歌でも唄ってよっと!

簡単に言えば、こんな感じですかね?

近代合理主義とは違う他の思想が
彼等の血に流れていると思うのは
私だけか?

それは物事を適当にやる、というのではなく
彼等は正確性や効率に心血を注ぐ以上に大事なものが
あるに違いないのだ。

それは、
価値観の中心に情熱がほとばしっている生き方
と私は思う。

それは愛なのかも知れないし、恋なのかも知れない。
歌なのかも知れないし、ダンスなのかも知れない。

少なくとも、理知的に考えて生きることより
彼等の優先順位としてはまず「情熱」なのだろう。

負けない情熱、やり抜く情熱というのもある。
考える情熱、書く情熱というのもあるだろう。

サッカーにしたって、イングランドとアルゼンチン
なんかの試合だと、対照的なチームだな、とつくづく思うが
技巧に勝る情熱で試合運びをするのは
いつもラテン系なのだ。

ラテン系は、生きることにどん欲だ。へこたれない。
転んでも転んでも立ち上がる。
過去より、未来に希望を抱く。

だから楽天的にもなれるのであり、
なにより自分の人生を生きている。

だから格好いいのだ。
だから、強い。

そして
踊っても歌っても、
そのなかに人生の素晴らしさを見出す
才能に恵まれてもいる。

現代人もだいぶ飼いならされたような風景を見るにつけ、
私は、常々ラテン系の生き方が気になって仕方がなかった。

悲しいときは思いっきり泣けばいいし、
嬉しいときにも喜びを隠さない。
悔しいときも怒ったときもしっかりと
意思表示をする。

喜怒哀楽を人前で出すのは、悪いことでもなんでもない。
素直でいいじゃないか、とさえ思う。

むしろ、溜まりに溜まった感情を或る日爆発させる
ことの方が遙かに怖いことと思うのだが。

有名なテレビコマーシャルに
男は黙って○○ビール
というのがあったが
あれなんか典型的に格好いいのですが
やはり現代人には
ちょっと無理!

辛いんじゃないですか?

ここはひとつ

ラテン系で行きませんか?

僕は子猫を守れなかった。

僕が子猫を守れなかったのは
小学生のときだ。

飼っていた訳ではないが
校舎の縁の下にいるそのひ弱な
まだ生まれて間もない子猫に
僕は毎日牛乳を運んでいた。

みゃーみゃーと鳴くしかない、
やっとものが見え始めた頃だろうか?

真っ白い毛に薄い茶色が混じった
とても痩せた愛らしい子猫だった。

どうして親とはぐれたのかは分からない。

子猫をみつけて数日の間、
僕はそいつの為なら何でもしたような気がする。

授業の間も、休み時間も、下校のときも
ずっとそいつの事が気になって仕方がなかった。

給食の牛乳やパンは極力残し、休み時間にそいつの所に
持ってゆく。

自宅と学校が近かったので、夕飯も残して新聞紙にくるみ
すぐ学校の縁の下へ運んだ。

確か、その子猫は牛乳しか飲まなかったような気がする。
そして、みゃーみゃーとしか言わなかった。

いま思えば、僕はそいつのことが愛おしかったのだろう。

夜、目をつむっても、そいつのおぼつかない仕草と足取りが
僕を翻弄した。

そんな日が何日続いたのだろうか?

ある日、いつものように校舎の縁の下を覗くと
鳴き声が聞こえない。

子猫がいない。

校舎の遠く続く暗い縁の下の何処を覗いても
声を張り上げても、子猫がいない。

とても不安になって校庭を歩いていると
学校の脇を流れる川に人垣ができていた。

体の大きな上級生の男子たちが
みんな手に手に石を持って
何かに向かってそれをぶつけている。

みんな笑いながら興奮していた。

何だろうと思って川を覗くと
あいつが、僕だけの子猫が
もう石を相当ぶつけられたらしく
ダランとした体を水面に浮かべていた。

でもまだ口を動かしている。
生きている。

僕は呼吸がうまくできなかった。

なにか叫んだような気がするが
なにも言えなかったような気もする。

ただ、全身全霊で上級生たちに
刃向かったかというと
怖くてできなかった。

子猫はそのまま下流に流れていった。

その後のことは一切何も覚えていない。

弱者をいたわる。

これが社会の本音なのかどうか
私にはいまもって分からない。

人は時に牙を剥く。

弱肉強食。
こんなところも、人間にはある。

ただ、外敵から
守らなければならないものを
守れなかったとき
人は、どうしようもない虚脱に陥る。

あの記憶から、私は誰かを攻撃し
誰かを助け、何かに怯え
何処かへ幾度となく逃げたのだろう。

私の本質は、
あの日と寸分何も変わっていないのかも知れない。

愛する人が助けを呼んだとき
私はどのような態度でどんな風に
何をどう対処するのか?

私はまた
同じあやまちを再び犯すのかどうか?

記憶が私に問いかけている。

私という人間は
それほどのものなのだ。

私のことは

私自身が一番よく知っている。

アタマ力

走るのが速い人や、いわゆる力自慢とかいう人は、

それを拝見すれば、おおっすげっーなぁってすぐ分かる。

アスリートと言われる人は、動きがカッコ良いし、

サッカー選手なんかを見ても、その動きは

やはり我々とは違うな、練習してるな鍛えてるなと、

感慨深いため息なんかをついたりする。

要するに、カラダの能力は、割と誰でも理解できるものです。

しかし、あの人ってちょっとインテリそうね、なんて見えても

いざ話してみると、割と何も考えてなかったり空っぽ?

なお方もたまにいらっしゃる。

逆に、外見アホっぽくてごっついオッサンでも、なかなか鋭い事を

指摘してくる、ということもあります。

服装ほか外見で、その人となり、みたいなもんは

ぼんやりみえるのだが、

それでもなかなか人のアタマの中は分からないものです。

で、アタマ力。これ何かっていうと私たちの仕事に欠かせない

能力なんですね。

俗に言うアタマの良いい奴とは、この場合全然違います。

キレる頭脳でもなく、天才でもない。

ただただ考え続ける能力なんですね。

いわば、頭脳のマラソンマン。

アタマの持久力がある人。

これ、私たちの仕事に就く方に欠かせない能力だと

以前より感じておりました。

だって、オーダーを受けてから完成まで、

ずっとその会社なり製品を観察し、

あらゆる角度から考え、その表現方法を探り出すまで

ただひたすらアタマを使い続けなくてはならないんですからね。

で、いざ取りかかってみたものの、何かに狂いが生じると

振り出しに戻る羽目になることもあるんてすね(涙)

ともかく、完成まで気を抜かない忍耐と考え続ける力がなければ、

この商売はできないと断言できます。

私も駆け出しの頃、某石油メーカーから、

全国のガソリンスタンド向けに

サービスマンだけでできる365日簡単イベントマニュアル

みたいなものの制作依頼を受けました。

私の担当はコピーライティングのみだったんですが、

期限は3日!

これ、きついんですよね。

で、寝ないことに決めました。

当時はまだ若かったので、そんな決断をしたと思います。

はじめは季節ごとの歳事や記念日等々、

いろいろな事柄を絡めて企画していったのですが

いざ1月から書き始めたら、

途中から全然ペースが遅いことに気がついたので、ペースアップ! 

ブンブン飛ばしました。

が、二日目の徹夜も朝方を迎えたとき、遂に行き詰まりました。

何も文章が出てこない。

考えても考えても、いや何も考えられなかったのかも知れません。

で、一瞬寝たような?

ワープロの画面が真っ白になりました。

あれっと思い、気がついたときには、

私はアゴを突き出し、天井を向いていました。

ヤバイと思い、再び画面に向かって一心不乱に書き続け、

朝を迎えたんですが、

振り返るに、何故あのとき続きの文章が出てきたのか

いまでも分からないんですね?

私はあのとき、きっと神様が降りてきて助けてくれたんだと

現在でも確信しております。

なんたって、家族みんなの生活がかかっておりましたから

善良な私を助けてくれたんですね(笑)

いや

あのときほど

アタマ力が欲しいと思ったことはないですね(不眠力も)

この話は極端な例ですが、こういう仕事をしていると

近い状況は、常に存在します。

素早い対処とアタマの持久力は、こうした訳で必需品です。

そんなの嫌だなぁと思われるでしょうが、こんな能力は

ひょっとすると、どんな仕事にも通ずる共通項かも知れませんね?

みなさん、そういう訳で

もしこうした仕事をめざすんでしたら、

カラダを鍛えると同時に、

ついでに長編小説でも何でもいいですから

チャレンジ&チャレンジ!

アタマ力も、鍛えましょう!

プレゼン力

最近、プレゼンをよくやる。
好きでやっている訳ではない。
あまりやりたくないが、行きがかり上、
やることになることが多い。

本来、人前で話すのが苦手なので、
過去に結構避けてきたフシがある。

が、私は一応プランナーなので
こちらの企画意図などを説明しないことには始まらない。
で、お偉いさんの前で話すこともしばしば。

こうゆう時、自分のなかで嫌だなぁ、と思ったらもう駄目だ。
総ての事柄に対して、前向きに考える。テンションも上げる。
でないと、そのプレゼンはまず上手くいかない。

何故か?

私の経験則から考えられるのは、
皆さん、理屈や筋が通っていると、
うんうんと納得はして頂けるのだが、
話す側の人間に、
なにか明るい未来を示すオーラのような迫力がないと、
いざ、やるか否かの決断になった際に、
決まらないものなんですね。

人は理屈だけでは動かないし、
ましてや話す人間に、
目には見えないけれども惹かれるものがなければ
何も決まらないのだ。

じゃぁ、何なのか?
人の決断を後押しするものって何なんだろう?

永年この仕事をやってきて気づいたのだが、
まず人は上っ面だけでは動かないっていうこと。

どんなに理屈を並べ立てても、
駄目なものは駄目なのだ。

人は合理性だけで生きているわけではないので、
そこがキーポイントになる。

よく、「これは蛇足ですが」などと言って
余計なことをしゃべったり
会議がお開きになった後に、
本音をぽろっと漏らす方たちがいる。

私が思うに、
割とこうした発言のなかに答えが隠れています。

建前や理屈だけでは、人は動かないんですね。

そう、
人間って割と感情的な生きものであり、
また本音が「うん」と言わない限り、
決断しないんですね?

どんなに合理的に考えて生きようとしても、
人って無駄を出します。

建前にも限界があります。

いや、無駄や本音にこそ、
人間の本質が眠っているとさえ思います。

そこを上手にすくってあげる行為、
それが感情でありスイッチなんです。
これ、能書きを超えるパワーをもっています。

で、私事に戻りますが、
プレゼンのとき、場の空気は大方堅いものです。

そんなとき、
私はまずその場の雰囲気を柔らかく変えることに
全力を使います。
で、場違いなジョークなどを平気で飛ばすところから
お話を進めさせてもらうことにしています。

後は、リズムと抑揚に注意し
企画やものの仕組みを丁寧に説明し、
小難しい内容の後は、私なりの考えや予想などを、
エモーショナルなトーンで情感を忘れずに、
発言するように心がけています。

が、それでも駄目なものは駄目!

これって、何が原因かというと、
そもそもその企画の予算自体に無理があった。
また、相手にその環境が整っていなかった、
いわば時期尚早ということもしばしば。

単純な話、
私の企画自体に無理があったって事なんですね?

(見込み違いと見積の甘さは私の欠点でもあります)

いやぁ、プレゼンってホントに奥が深い。

むずかしいですね。

時代を読む?

先日、仕事で原宿へ。

クライアントさんへ行く時間に少し余裕があったので
タバコでも一服しようとあたりをキョロキョロするも
全く吸うところ無し。

街は綺麗。

全方位禁煙。

徹底しております。

ふーん。

で、ぶらぶら歩いていたら「喫煙OK」みたいなプレートが貼ってある
喫茶店をやっとひとつみっけた。

店に入ったら、ほぼ満席。どいつもこいつもぷかぷかやっておりました。

ほほぉ
これって新しい商売?と思わず突っ込みを入れたくなりました。

私も何本かラークを頂いて
さて伝票に目をやるとコーヒー一杯¥900也。

コーヒー美味かったけど、ちょっと高くない?

かくして、ニッチな商売は徐々に広がりつつありますね。

新しいマーケットの登場です。

さて
神奈川県では健康とカラダと街のクリーン化のため(?)
少々骨抜きながら、受動喫煙防止条例が公布されたようです。
先駆け。先鞭をつけましたな。
パチパチパチ(拍手)

骨抜きじゃなかったら誠にクリーンな素晴らしい前例、
他都道府県も追随するんじゃないでしょうかね。
寸分の隙もない健康と清潔な街づくり。
だって良いことはどんどんやらなきゃ、だよね?

時代はもう完全に、クリーン&エコ! ですね?

私なんかいろいろな企業へお邪魔していますので
エコなんか凄いです。

なんでもエコ。とりあえずエコ!
エコはビジネスの味方なんです。

エコは地球のためであり、正義でもあり、大儀でもある。みたいな

エコじゃなくてエゴもかなりあって、もうひどいことになっている
所も多々ある。(これは余談)

いまエコを語れない奴は死んでしまえ!位のパワーはあるな。

ある調査によると、今度クルマを買い換えるとしたら80%以上の人が
エコカーを希望しているらしい。

これ、ホントです(キッパリ)

みんな道徳観強し。いい人。トレンドに敏感?

いや、集団ヒステリーなのか(爆)

どちらにしろ、時代のうねりに凄いものを感じるのは私だけか?

翻って

ところで私はなんでタバコを吸い、
一日中電気を付けっぱなしにして
いまどき
10年位前の排気量のデカいドイツ車なんぞを探しているのだろ?

完全に出遅れた私は、一体いままで何を考えていたのか?

いやぁ、このズレた感じが私のどうしようもない短所なんだな。

今日はひとつ、人類の未来のために

光合成の勉強でもして
植木でも植えようかな、っと。

毎日が新鮮!

最近はなにかと忘れっぽいので
メモは欠かせない。

そもそもどんどん忘れる質なので
それに拍車がかかった。

夕飯にカレーライスを食べても
翌日もカレー、カレーでもOK!

なにしろ忙しいと、おやっ?とさえ
思わなくなった。

「おーカレーか、美味そうだなー!」
で終わり。

ラーメン、ラーメン、ラーメンでもイケル。

しかし
おじや、おじや、おじやっていうのは
流石に嫌だね。

私はおやじだから、語感が似ていると
即座に反応してしまうので、おじやは
かんに障る。

けんか腰になったりして(笑)

で、
仕事柄、やっていることも毎日違うので
ルーティーンワークというものがない。

案件というものは、ほぼ総て違うので
オーダーメイドと同じ。

流し仕事というものがないので、
疲れると言えば疲れますがね。

とこうして書いてみると
「毎日が新鮮!」
と言いたいところだが
いやいや、違う。

ムカシ、いろいろな所を訪ねて
取材し、写真なんかパチパチ撮っていた頃が
懐かしい。

これはホントに毎日が新鮮でした。

ところが旅ばかりしていると
やはり家が恋しいのね。

勝手な奴だな、とお思いでしょうが
人間、こんなもんです。

寿司屋の息子は寿司が嫌い。
肉屋の娘は肉が苦手。
八百屋の嫁は野菜以外が大好き。
なんだなー!

人間は社会が成熟してくると
贅沢になる。

どんどん嫌な奴になってゆく。

「縄文人が懐かしいな」

とつまらないオチで
この頁を終了します。

(このボケが!なんて怒らないでくださいよ。
時間ができたら真剣に書きます。ハイ!)

私を育ててくれた?会社

私も最初から会社を興した訳ではなく、
コピーライターとして幾つかの会社を渡り歩き
育ててもらった。
そのなかで、とてもユニークな会社があったので、
ちょつとご紹介しておこう。

その広告制作会社は表参道にあり、取引先も一部上場の会社をはじめ
名だたる企業がクライアントだった。

いま考えると不思議なのだが。

私は制作チームにいた。
コピーライターとデザイナーは、部屋が分かれている。
お互いに用のあるときは、自らラフを持ったりして相手を訪ね
喧々囂々やり合う、と言いたいところだが、
何故かこの職場に気難しい奴はひとりもいなかった。

その頃、「気まぐれコンセプト」という本が売れていた。
広告代理店を舞台にしたマンガなのだが、タイトルどおり
かなりいい加減な会社が描かれている。

私のいた会社が、まさにそういう会社だった。

夏のある日、気温がガンガン上昇していた昼下がり。
私は食後ということもあって、眠気を催していた。
やる気がでない。と、ふと隣をみると
コピーライターのE君が、いきなりお香を焚き
何かを唱えだしてた。
彼のデスクには、白紙の原稿用紙が置かれている。

わぁーと思って席を立ち、隣のデザイナーの部屋へ行くと
ロックの音楽が大音響で鳴り響いていた。
「うるさいな」とわめきつつ、ヘッドチーフデザイナーと
午前の案件の話をしようと思ったのだが、彼がいない。

その部屋の入り口には、通勤に使われているサイクリング車が
2台置かれていた。世田谷から通勤しているデザイナーのものだ。
このふたりは、いつも遅刻していたように記憶している。

さてヘッドチーフだが、灼熱の屋上にいた。しかも短パンひとつの
裸。カラダにオリーブオイルを塗り、甲羅干しをしている。
ラジカセからレゲェの呑気な音楽が流れている。

結局、私も服を脱いで甲羅干しをすることになるのだが。

で、経理の女性を除いて、この会社はほとんどいい加減な人間で
構成されていた。

営業のB君は、なにかにつけ意味不明な用をつくり、愛車のアルファロメオに乗って
どこかへ出掛けて行った。帰社はいつも夜中。
何処で何をしていたか?なんて聞く人間は、誰もいない。

上司は上司で忙しいのだ。と言っても、自らの離婚問題やサイドビジネスの
ねずみ講のようなものにはまっていて、仕事どころではないのだ。

ある時私は難しい案件に悩まされ、最後の手段と思い、社長を尋ねた。
この人は、早稲田を出て、広告界では天才肌と呼ばれている凄い人だった。
彼はコピーも書き、一瞬にしてラフも起こしてしまう。
結果、ほほぅと唸るような広告の素ができあがる。

マルチな才人だった。

私がある案件について、コピーの表現方法が分からない箇所を
社長に相談しようと話しかけた。
社長曰く
「いま僕はモーレツに忙しいんだよ! 君と話している時間は30秒しかない」
と言ったと同時に私のラフに目をやり、殴り書きをして何処かへ消えていった。

まあ、よくよく後で考えるとこういうキャッチフレーズに落ち着くんだろうな
と納得できたが、社長はすでにその頃、仕事に意欲を無くしていたらしい。

じゃあ、何に忙しいのか?

笑っちゃうのだが、結局この会社は最後は潰れた。

社長は、その頃流行の「愛人バンク」なるものにはまっていたのだ。
若い女性に夢中になり、ほぼ骨抜き状態の社長が会社を経営していたのだ。

いま思えば、あの会社のダルい感じは、社長自らが醸し出す空気なるものが社内にまん延し、
社員の一人ひとりに伝染していったものなのだろう。

経営的にみれば、いま考えても恐ろしい。

私としては、後学のいい勉強にもなった。

しかし不謹慎だが、ああいう会社が存在していたこと自体が不思議だ。

いまでも時々思い出すのだが、やはり笑っちゃうのだ。