私を育ててくれた?会社

私も最初から会社を興した訳ではなく、
コピーライターとして幾つかの会社を渡り歩き
育ててもらった。
そのなかで、とてもユニークな会社があったので、
ちょつとご紹介しておこう。

その広告制作会社は表参道にあり、取引先も一部上場の会社をはじめ
名だたる企業がクライアントだった。

いま考えると不思議なのだが。

私は制作チームにいた。
コピーライターとデザイナーは、部屋が分かれている。
お互いに用のあるときは、自らラフを持ったりして相手を訪ね
喧々囂々やり合う、と言いたいところだが、
何故かこの職場に気難しい奴はひとりもいなかった。

その頃、「気まぐれコンセプト」という本が売れていた。
広告代理店を舞台にしたマンガなのだが、タイトルどおり
かなりいい加減な会社が描かれている。

私のいた会社が、まさにそういう会社だった。

夏のある日、気温がガンガン上昇していた昼下がり。
私は食後ということもあって、眠気を催していた。
やる気がでない。と、ふと隣をみると
コピーライターのE君が、いきなりお香を焚き
何かを唱えだしてた。
彼のデスクには、白紙の原稿用紙が置かれている。

わぁーと思って席を立ち、隣のデザイナーの部屋へ行くと
ロックの音楽が大音響で鳴り響いていた。
「うるさいな」とわめきつつ、ヘッドチーフデザイナーと
午前の案件の話をしようと思ったのだが、彼がいない。

その部屋の入り口には、通勤に使われているサイクリング車が
2台置かれていた。世田谷から通勤しているデザイナーのものだ。
このふたりは、いつも遅刻していたように記憶している。

さてヘッドチーフだが、灼熱の屋上にいた。しかも短パンひとつの
裸。カラダにオリーブオイルを塗り、甲羅干しをしている。
ラジカセからレゲェの呑気な音楽が流れている。

結局、私も服を脱いで甲羅干しをすることになるのだが。

で、経理の女性を除いて、この会社はほとんどいい加減な人間で
構成されていた。

営業のB君は、なにかにつけ意味不明な用をつくり、愛車のアルファロメオに乗って
どこかへ出掛けて行った。帰社はいつも夜中。
何処で何をしていたか?なんて聞く人間は、誰もいない。

上司は上司で忙しいのだ。と言っても、自らの離婚問題やサイドビジネスの
ねずみ講のようなものにはまっていて、仕事どころではないのだ。

ある時私は難しい案件に悩まされ、最後の手段と思い、社長を尋ねた。
この人は、早稲田を出て、広告界では天才肌と呼ばれている凄い人だった。
彼はコピーも書き、一瞬にしてラフも起こしてしまう。
結果、ほほぅと唸るような広告の素ができあがる。

マルチな才人だった。

私がある案件について、コピーの表現方法が分からない箇所を
社長に相談しようと話しかけた。
社長曰く
「いま僕はモーレツに忙しいんだよ! 君と話している時間は30秒しかない」
と言ったと同時に私のラフに目をやり、殴り書きをして何処かへ消えていった。

まあ、よくよく後で考えるとこういうキャッチフレーズに落ち着くんだろうな
と納得できたが、社長はすでにその頃、仕事に意欲を無くしていたらしい。

じゃあ、何に忙しいのか?

笑っちゃうのだが、結局この会社は最後は潰れた。

社長は、その頃流行の「愛人バンク」なるものにはまっていたのだ。
若い女性に夢中になり、ほぼ骨抜き状態の社長が会社を経営していたのだ。

いま思えば、あの会社のダルい感じは、社長自らが醸し出す空気なるものが社内にまん延し、
社員の一人ひとりに伝染していったものなのだろう。

経営的にみれば、いま考えても恐ろしい。

私としては、後学のいい勉強にもなった。

しかし不謹慎だが、ああいう会社が存在していたこと自体が不思議だ。

いまでも時々思い出すのだが、やはり笑っちゃうのだ。

あの春の日

横浜駅より、JR(当時は国鉄)でふたつ目の駅あたり。
私が生まれ育った町だ。

いまではかなり都会だが、
昔は山あり田んぼありで
自然も満喫できた。

春も真っ盛りになると、
あぜ道にノビロという草が生える。
これを採って家に持って帰ると、おふくろは喜んだ。
なにしろタダで手に入るし、美味い。

水路にはタニシがいて食用ガエルも泳いでいた。
ヘビもカエルもバッタもモンシロチョウもみんないっぱいいた。

レンゲの花があぜ道に咲き誇っている。

周りの景色が綿菓子のようにやわらかい。

と、想い出をここまで書いたら郷愁が迫り、
少し悲しくなってきた。

みんな何処へ行ってしまったのだろう?
あの、私がいた時間は本当に存在したのだろうか?

私の記憶の断片は、ひょっとすると私のつくりものなのか?

自信がない。

いや、その風景は確かに存在した、と思う。

あんなに美しい春の風景は、私には描けない。

私の記憶の断片は、あの春の日の一日を描いている。

春は、だから私は桜ではなく、田園の春を思い出す。

私の春の原風景だ。

私は姉に連れられて、あぜ道を歩いていた。

私も姉も、ふたりしてニコニコしていたような気がする。

笑顔しか出てこないのだ。

私が足元に咲いている赤い実を摘もうとすると
姉が「だめっ!」と慌てて言う。

毒があるからダメなのだ。
その実はヘビ苺と言い、最近は見かけなくなったが
毒だらけなのだ。

その事の真意は、実は私はいまだに知らないでいるが、
ホントだと、いまでも思っている。

霞がかかった暖かい景色の中を、姉と私はずっと歩く。
やがてあぜ道が終わると、こんもりとした緑に覆われた森が表れる。

神社は、森の中程に隠れるようにして、鎮座する。

鈴なり神社。みんなはそう呼んでいた。

夜中に、誰もいない境内に鈴の音が聞こえるから、鈴なり神社。
ちょっと怖いのだ。

陽の高いうちは、みんなそこで遊んでいた。

姉は友達をみつけると、ゴム跳びの仲間入りをした。

私はいつもの缶蹴り仲間に入ろうと思ったのだが
その日は、
なだらかな斜面の中ほどに咲いている花の色に
目を奪われてしまった。

「ちょっと待って!」と言い残して、私はその花に近づいていた。

花は、太くねじ曲がったトゲのある枝に、たっぷりと咲いていた。
だいだい色をした、とても気になる美しい色だ。

私はこの木を引っこ抜いて、どうしても持って帰りたくなった。

最初は手で土を掘るのだが、トゲがあるし、根っこがみえない。

性がないので、近くに落ちていた木片をシャベル代わりに
周りの土を掘る。

しかし、掘っても掘っても根に辿り着かない。

なんだ、この木はどうなっているのだ?

私は、全身に汗をかいていた。

仕方なく、木片でトゲを削って、枝を力任せに引っ張る。
体重をかけて引っ張るのだが、枝はビクともしない。

疲れ切った私は座り込み、しばらく花をじっと見ていた。

その花は小さいのだが、花びらは厚く、とてもしっかりとしていた。

当時の私にとって、このだいだい色は、かなりめずらしい色だったらしい。

ほんわりとした春の日に咲く花。

あれから今日まで、あの花は数度しかお目にかかっていない。

それは、野生のボケの花、と後で知った。

季節も、そろそろ冬が終わろうとしている。

春になったら、私も田園地帯をめざそうと思う。

しかし、あの頃の田園風景は、もうどこにもないのではないのか。

記憶の中にしかない春なのではないのか?

せめて、花屋さんに行ってみよう。
造園にでもでかけてみようか?

もう一度
この眼で、ボケの花がみたいのだ。

愛のままで

夜更けにヨーカンをつまみながら
この曲に辿り着いたのだが

聴いてぶっ飛びましたね。

ほほぅ、ふんん、なるほど、うむむむ

気がつくと正座です。

シャキッとしております、私。

ヨーカンを食い過ぎると、またメタボが進行するのでヤメっと

自分にビシッと言い聞かせたのであります。

このおばさんは、真剣であります。

愛の唄です。

人間、生きていれば、その意味を問うこともあるでしょう!

何故生きているのか?

しかし、奥さん(?)に愛され
死ぬまであなたといたいわ!
愛し愛され生きていきましょ!

なんて言われるおっさんが
この世にどの位いるのか?

そのとき、なんと奥さんは言った!

「生きている意味を求めたりしない」

愛し愛されていればそれでいい、とね

これはオトコ冥利に尽きる殺し文句だな。

壮年になり、これからの老後をどう生きるかという

難しい年頃に、こうゆう殺し文句を

奥さんに言わしめる旦那さんは

あなた、あなたですよ!

相当の幸せ者ですよ?

まあ、奥さんがいろいろ大変なとき

あなたにはいろいろ助けてもらいました、なんて。

それだけじゃ、ダメ!

この唄は、愛なんだ!

覚めない愛、みつめなおす愛、熟愛?

愛は永遠? 愛は振り返らない?

この唄を聴いたおっさんは湯呑みでお茶をすすり

物思いにふけながら、じっくりぼぉーと考えるのであります。

「やべぇなぁ、これからの老後!」

神様、仏様!

謹賀新年

正月なので初詣に行かれた人も多いだろう。

私も元日に氏神様への初参りを済ませた。

こんな折りに相応しい話をひとつ。

私の家では
毎日、朝一番に起きた人間が、
まず石けんで手を洗う。
そして、仏様と神棚に上げる水を汲むのが
習慣だ。

そう書くと、なんだかコイツ信心深い奴だなぁと
セセラ笑いが聞こえてきそうだが
これがウチ流だからしょうがない。

いつ頃からそうなったかは定かでないが
もうこの手順を踏まないと気持ちが悪い。

パンツをはかずにジーパンをはくようで嫌なのだ。

じゃあ、なにか信心でもしているのか?
と聞かれても、残念ながらなにもしていない。

また、私は地方に行くと、知らない神社や寺の境内で
昼寝をする。これはもう私の趣味で、こんなに
落ち着く趣味はそうそうない。

一度、プロの方にアタマのマッサージをしてもらったことが
あるが、あの心地良さによく似ている。

じゃあ、核心に入ろう。
神や仏はいるのか?という延々とした話だ。

私はいる!、と思う?。と考えている。

何故か?

私はこれでも、かなり場数は踏んでいる。
といっても、話は占いから入る。

ニセ占い師から凄い的中率を誇る占い師まで、
はたまた霊感の強いといわれる方から
霊能者と呼ばれる方々まで
私は、延べ50人位の人と会ったり電話で話したりした。

それらのメモを何度も読み返すのだが
彼等のなかには、私的な質問に関することでも
何の前情報もなしに発する言葉が、
何度となく的中することがある。

こちらの話はとても私的で秘密理である場合でも、
返ってくる言葉はほぼ皆同じ、ということが多いことに
驚く。

また、何かを言い当てる、はずれるではなく
体験として語ってくれる話のなかにも共通項は
みられる。

例えば、葬式の席に、当の昔に亡くなった人が
弔問に来ていた、そしてその人は周りから浮いて見えた
ということも、多くの人から聞いた。

これが神だ仏だと言っても、話がずれているのは分かっている。

話は、あの世とこの世の話に移ってしまったか?

しかし、私自身の実体験として、香りというものがある。
これは、あるときから、いや義母が亡くなった前後なのか?
いまでも、ふっと鼻先にいい香りがすることがある。

百合の花の臭いのような、
昔の女性がつけていた白粉のような、
いや、なんとも香しく甘い香りが漂うことがある。

これは、早朝、そしてもの思いに耽っているとき、
クルマの運転をしているときなど
場所や時間に関係なく漂ってくるから不思議だ。

ただ、私自身がリラックスしているときほど漂ってくる。

この事を、或る霊能者の方に聞いたら、当然の事象のように言われた。
これが進むと(?)音が聞こえ、
映像として見られるようになるらしいのだ。

これは、トト神という神のなせるものだと言う霊能者もいた。
(トト神という神様を調べたが、私にはよく分からない)

また、お経や仏典、とある宗教の教典にも不思議に思うことがある。
これらを幾つか読んだことがあるが、これはもう、
人間が人事を尽くして書いたものではないということが
明らかに分かるものがある。
つくり話としてここまで書くのは不可能という代物が幾つもある。
こうしたものは、それなりの人物がどこからか
「下りてきた」ものを書き写した、
としか言いようがない。

さてしかし、こんな格言もある。

「私は人生に挫折するたびに何度も神に祈った。
しかし結果は哀れなものだった。
だから私は生涯神を信じないのだ」
これは、とある科学者の格言だ。

こんなのもある。

「人が何人も戦争で死ぬ。歴史上、そのほとんどの原因が
宗教なのだから、私は神を信じない」

また、テレビでお馴染みの大槻教授は、まがい物が大嫌いな人だ。
その武器として、科学の理論を駆使する。

これもひとつの手ではある。が、その裏もある。

それは、科学が万能ではないということだ。

科学は、この世の或る一部分の真実を解明しているが
その他の無数の事実は解明できていないのが現実だ。

それは、この世の事象が
科学で説明しても限界があるということを
端的に言い表しているし、
事実そうゆう事象は、数知れない。

また、山羊さんの手紙のような伝言遊びではないが、
真実は伝えてゆくうちに尾ひれがつき、
最後は全く異なる話になっていることが多い。

宗教なども、
歴史のなかでねじ曲がって伝わってしまったものもある。

権力者により、意図的に利用されたものも多いだろう。

いまマスコミを賑わしているイスラム過激派というのも
実は、イスラム教の教えを守っていなのではないか、と思う。
もともと、アラーの神は
もっと穏やかな言葉を残していると思うのだが。

さて
この話はどこまでも続くが、
今日はこの辺にして
素敵な言葉を紹介しよう。

かの哲人キルケゴールは言った。

「たとえ世界の終末が明日であろうと
私は今日リンゴの木を植える」

これは、人々の生に対する希望なのか?

はたまた

神への祈りなのか?

若き者への伝言

まどろみの中から生まれたものは
明快ではないが新鮮だ

朝露を転がせた葉のように
みずみずしくさわやかでもある

振り返れば
青春という季節もそうだったように思う

なにかそのときにはハッキリしないが
やることなすことがとても虚しくもあるが
しかし、なにもかもが新しく そして
生々しかったように思う

想い、悩み、悲しみ、笑い

そのひとつひとつが どれも
激しく
踊るように動いている

青春というのは いや青というより
赤いもののイメージがつきまとう

それがやがては青くなり
白くなって
やがて枯れてゆく

いまという時代はある意味
大きな歴史のうねりなのかも知れないとも思う

こんなとき
みんなチマチマしないで勘違いでもいいから
維新のもののような志をもって
この壊れかけた世界をひっくり返すような
突き抜けた なにか新しい息吹を感じ取って

風のように走り抜けていただきたい

だが結果として
なにも変わらない まして
誰も相手にしてくれなかったとしても
そこにはあなたが生きていたという証が
心のなかに一生宿り続けると思う

たかが百年のいのちを大切にしたい

生きるとは燃焼しつづけること

そして

生きるとは死ぬことなのだから

旅立ちのうた

天主さまに気に入られてしまったのだろうか?

8月のカッとするような暑い日の朝に
家内のお袋さんは
突然逝ってしまった。

最初の連絡を受けたとき
倒れていたお袋さんを義妹が発見、
慌てて119番通報し
救急車で運ばれて行った。と

家内は狂ったようにそのまま実家へ。

私は急いで家中の火の元と戸締まりをしながら
次の連絡を待つ。

第二報が入ったとき、もう駄目かも知れないという
つぶやきとともに、運ばれた病院を教えられた。

身支度をしつつ、パソコン開けている私がいる。

なにをしたらよいかわからない時間がどのくらい続いただろうか、
意味のないことをしていたと思う。

昼前だった。

私の嫌な予感は的中し、息子のケータイにやはり駄目だったという
知らせが遂に届いた。

急に体中の力が抜け、私はしばらく座り込んで手帳を見ていた。

そしておもむろに裸になりシャワーを浴びた。

なぜシャワーを浴びたのか、いまでもわからない。
急いでいたのかのんびりしていたのかわからない。

押し寄せるものが私を泣かせた。

涙なんて、というものがどんどん溢れ
シャワーの激しい勢いに混じって流れていったのだろう。

親父が逝ってしまったのも、やはり暑い夏の朝だった。

忘れられない夏の日が、

またひとつ。

しかし、いまでも漂う
この香りはどう説明したらいいのだろう?

お袋さんがねむっていた横に置かれた百合の花と線香の香りが
いまも、毎朝香ってくる。

そこにいるんだろう?
無言で語りかけると、香りは確かなものとして
私の鼻に届く。

最近、家内は夜中の2時に目を覚ますという。
気配を感じて、
いるんでしょ、というと置物がカタッと音をたてるという。

湯灌の日、私が見たものは
綺麗に洗った体に白い衣を着
わらじを履いて杖を持ち
首からぶら下げた袋の中に
六文銭の紙を入れた
お袋さんの姿だった。

これからお袋さんは修行の旅に出るという。

どうしても、三途の川を渡らなければいけない。

その船賃が六文銭なのだ。

七七日が近づきつつある。

朝晩はめっきり涼しくなり、秋の気配が侘びしさを増す。

七七日が過ぎてしまったら
あの百合と線香の香りも
どこかへ消えてなくなってしまうのだろうか?

人は強くて、
はかないものだと、つくづく思う。

そして
私は教えられた。

生きてゆく上で大切なものは
さほど欲かくものではなく

たとえば六紋銭さえあればよいことを。

桜の散る頃

規則だらけの高校生活。
軍隊のような締め付けで
生徒に服従を迫る教師。

大学の付属高校にいながら
卒業すると私は就職した。

クラスで私ともう一人の友達
のほかはみな
その大学へ進学した。

校内試験をパスすれば
誰でも入れるエレベーター式。

私は、あるきっかけで
春からスナックで働き始めた。

何でも良かったのだ。

ただ、あのどうしようもない
校風から抜け出したい。

大学なんてクソ食らえ、と考えていた。

一応、カメラマンをめざしていたのだが
専門学校の願書を親に見せると
あっけなく拒否された。

進学しなかった友達は、実家に帰って漁師になった。

店の開店は夕方なのだが
仕込みは昼すぎから始まる。

横浜の魚市場や青物市場にも
よく出かけたので
早朝から仕事をしていたこともある。

夕方から
酒屋さんやらなんやらが次々に
店に現れては消えてゆく。

威勢のよい声。

その日の突き出しを決め
材料を刻んで味をつける。

鳥の唐揚げ用の仕込み。
この店の売りであるお好み焼きに入れるキャベツを
嫌というほど千切りにした記憶は
いまも残る。

掃除もかなり念入りにしなければ
ならない。
店の前の道路を掃き、店内を掃き
フロアとテーブルをきれいにする。

仕上げはカウンターに力を込めて
拭く、磨く。

乾きものと酒だけを出す店はいいが
私が働いていたところは、関西風の料理を
主体とする店だったので
当然、仕込みも大変だった。

ま、そこの主人は味の本格派をめざして
店をオープンさせたのだ。

陽も傾く頃からぼちぼちと客が入ってきて
八時ともなると満員になる
横浜の外れにしてはかなりの盛況ぶりだった。

カウンターの裏では戦いのような忙しさが続く。
冬でも汗をかく。

お客さんはみな、当然のように目の前でくつろいでいる。
そしてみな酔っている。

ドリンクの減り具合をチェックしながら
会話にも応じる。

もちろん笑顔は基本である。

テーブル席から次々に注文が入る。
まさに戦争状態。

端から見ても分からない
気の抜けない仕事と、いまでも思う。

たいした理由もなく
事あるごとに
「俺の酒が飲めねえのかよ」と
凄む質のよくない客もいた。

高校を出たての私はそのかわし方を知らなかったので
いざ喧嘩か、とやる気なのだが
「それでは商売にならないだろう」と
何度も主人にいさめられた。

店内では、あちこちでジュークボックスの
リクエストが入る。
マイクをつなぐと唄える。

カラオケのハシリだ。

当時よくかかっていたのが
五木ひろしの「夜空」、
いまはあまり聴きたくない。

泥酔した客からビールを頭からかけられたことがある。
チンピラからコーラの瓶を投げられたこともある。

大人同志の醜い腹芸を初めて知ったのもその頃だ。

ある日、客のひとりである
某大手電機メーカーのエリートのS氏が
ビールのコップを片手に私にささやいた。

「君は将来なにになりたいのかね?」
「………」

その頃、
店が終わるとちょくちょく江ノ島のおでん屋で
朝まで飲んでいた。

俺って一体なにになりたいんだろう?

飲んでいる最中もその言葉が頭から離れない。

それから毎日
昼過ぎに起きたときも、まずその言葉が
思い出された。

反芻するたびに、私の疑問は徐々に
肥大し、自分は一体なにができるのだろうと
問う毎日となった。

人生の分岐点がどこにあるのか、いまでも
よく分からないまま生きている。

私はその後、その店を辞め、冷凍食品会社の
営業配送を経て
2年遅れて大学に入った。
もちろん、冒頭の大学ではない。

ちなみに、もう一人の友達は
酒の席で人を刺し
殺人未遂で刑務所で服役したと聞く。

彼はいまどうしているだろうか?

大学に入った大勢の友達より彼の方が気にかかるのは
何故だろう?

彼がまっすぐな性格だったのは、
いまでも覚えている。

直感マーケティング

某百貨店のポスター撮り他諸々。

サマーセールの前撮りなので
芝浦の撮影現場には続々と新作衣類や小物が
運ばれる。

眠い目をしたスタッフたちが続々と集まる。
「おはようございます」の声だけは、皆元気。

Sスタジオのトップカメラマンがスタジオ入りすると
皆いっせいに「おはようございます!」と気合いが入る。

このカメラマンを選んだ私としては、かなり危険な予算組を承知の上で、
勝負に出るつもりだった。

片隅では、ヘア・メイクさんが今日のモデルの髪を触りながら
何か真剣に打合せをしている。

ファッション雑誌でちょくちょく名前が売れてきたスタイリストのB子さんも、
アシスタントのふたりに、商品のチェックを細かく指示している。

外は、昨日の夜から激しい雨が降り続いている。

倉庫を改造したスタジオの屋根がうるさいなぁ、と思う。

「今日の撮りは夜だね」とアートディレクターのFが呑気そうに話しかけてきた。

「だろうね」

テスト撮り。
照明の位置や小物などを、それぞれ万全に最終チェック。
値札も職人技できれいに外された。

撮影は、順調な滑り出しですすんでゆく。

私はガムを噛みながら、屋根の雨音を聞いている。
飽きるとスタジオを出て、岸壁に出入りするトラックの行き来や、
そこで働く人たちのことをじっと観察する。

いろんな仕事をしているひとがいるんだなぁと、どうでもいいようなことを
ぼんやりと考えていた。

遠くで、カメラマンの助手のO君が私を呼んでいる。
何か嫌な予感がする。
私が呼ばれるときは、何か問題が起きるときと決まっている。

スタジオに戻ると、みんなの動きが一斉に止まり、私は多くの視線を感じた。

ライトの当たるモデルにみんなが目を移す。

「どうしたの?」
「いや、サイズが合わないんですよ」
「だって彼女の申告サイズはチェックしてるでしょ?」と私。
「いえ、それがどうも誤魔化したらしくて」

水着の彼女はスパニッシュ系の顔立ちで、先ほどの笑顔とは打って変わって
下を向いたままだ。

彼女の前に立った私は、彼女の何がいけないのかが、よく分からない。
見たところ、別に問題もないようだし、事態がよく分からない。

浮き袋の上に座ってポーズをとっている彼女は、相変わらずうつむいたままだ。

「あのお腹、見てくださいよ。水着もパンパンだし」
よく見ると、浮き袋に座っている彼女のお腹がぶくんと出ている。

こういうときは、いままでの経験と勘を頼りに一瞬して解決策を見出さなければ
次にすすまない。

洋服や小物はどうにでもなるが、水着は誤魔化せないなぁ、と私も考え込んでしまった。

時計を見ると、もう11時を回っている。

「ちょっと休憩! いやちょっと早いけど昼飯にしよう」と私。

仕出しのハンバーグ弁当を食べながら、アートディレクターのFとカメラマンと私の疲れる話が始まる。

「あのお腹、まずいじゃないの?」とF。

「絵的にどう思います?」と私がカメラ氏に聞く。

箸を止めて氏が「あのお腹バッチリ写っているよね」と参った顔をしている。

私は、箸を置いて、それぞれみんなの座り込んでいるところを回る。

照明の責任者が私の顔を見るなり「どうします?」と口を動かしながら立ち上がった。

「どうだろうね」と私は考えながら、スタイリストと一緒にカウンターに座っている
モデルに近づいた。

スタイリストさんが私に目で何かを訴えている。

カウンターに座っているそのモデルは、まだ、弁当に何も手を付けていない。

「食べなきゃ」とポーズをとっている私。

彼女はじっと下をむいたまま、片手にオレンジジュースの入ったコップを手にしている。

「何も食べたくないって」とスタイリストのB。

私は、反響の良い広告とは何か?を考えていた。

外人の均整のとれたプロホーションと百貨店の商圏内にいるであろう
年頃の女の子たちの顔を対比し、考えあぐねた。

ネイティブの英語が話せるBに、ハンバーグ半分でもいいから
食べないと、という趣旨のことを、モデルに促してもらう。

椅子に座って私が紙コップのコーヒーを飲んでいると、
やがて、なにやら彼女が食べる仕草をみせた。

「そうそう!」

彼女は上手に箸を使ってハンバーグをつまみ始めた。

外の雨は相変わらず激しく屋根を打ち続けている。

私は、飲みかけのコーヒーを持ち、元のFとカメラマンのところへ戻る。

「このままいくよ!」

「なんで?」とF。

怪訝な顔をしているカメラマン氏。

「あの子、どこから来たの?」と私はFに聞いた。

「中南米じゃないの」

「あのお腹でいこう!」

昼からの撮影は、私がモデルに付きっきりになった。

お腹を気にしているモデルにグッドグッド、オーケーオーケー
スマイルスマイルと言い続ける私。
ただ、ちょっとした笑顔ではなく、徹底的に崩れるような
笑顔をモデルに要求したので、みんながうんざりするくらい
その撮影は長引いた。

ポスター、チラシ、新聞広告のすべてに
私はそのカットの掲載を決めた。

後日、広告の効果測定。
売上げ集計で、その水着は
予想外の売れ行きをみせてくれた。

私なりのマーケティング手法が初めて実感できた
ひと昔まえの話である。 

ブルーシャトーを君だけに

雨が激しい中、渋滞を抜け、やっと会場へたどり着く。
すでに、会場の入り口では、人がごった返していた。

あっちこっちでオジサンやオバサンがなにかペチャクチャやっている。

今日のコンサートの特徴は、若い人がいない、というところか。

腹の出たオッサンやら禿げたの、皺の目立つ厚化粧のオバサンも
みんなにこにこしているのが可笑しかった。

ドアの近くではムムッ、ペンライトを配っているではないか!

そこをスルッと抜けて、ウチのオクさんと最後部の席に座る。

ベルが鳴り、会場が徐々に静かになる。
と、カラフルなライトに照らされ、いきなり現れた生ワイルド・ワンズ!

往年のヒット曲「青空のある限り」や「花のヤング・タウン」からいきなりヒート・アップ。
ペンライトが左右に揺れる。会場は凄い熱気で、やや引きづり込まれる。

ドラムの植田君は、今年59才になり、白髪にはなったが声もドラムの勢いも、当時のまま。

うーん、いつの間にかあの懐かしい中学校時代に、私もタイム・スリップ。隣のオクさんは
口をぽかんと開けて、ステージをじっとみつめている。

曲の合間は、ステージのおしゃべりのうまさに会場も沸くが、当時と違うのは
彼らがコミック・バンドに近いという、素が見えたことか、はたまた時代の流れか?

そして彼らが、いや、グループ・サウンズがみな影響を受けたビートルズナンバーの演奏を織りこむ
親切さも忘れない。

ラスト、「想い出の渚」を聴く頃には会場が一体となり、全員ヤング(古い言葉だなー)に
戻って、黄色い声とペンライトとみんなのノッてる背中が印象的だった。

しかし、この後がさらに凄かった。

いまは亡き井上忠夫を欠いたブルー・コメッツが、三原綱木をメインボーカルに
ジャッキー・吉川の迫力のドラムで、いきなりあの「ブルー・シャトー」だ!

会場は、いきなりさらにヒート・アップ。

空気は、昭和40年代半ばへとみんなを連れて行く。

この力は、同時代を過ごした人間にしか分からない独特の郷愁なのかもしれないな、
とも思うのだが、私の脳裏は、当時のクラスメイトや部活の様子などが生々しく
蘇る。

三原綱木は、今年62才。ジャッキー・吉川は、なんと70才を越えているという。

彼らが、こう言う。
まだまだ夢を追いかけている、と。

そして唄ってくれたのが「夢の途中」という、初めて聴く曲。
私はブルコメより、いやワイルド・ワンズのメンバーよりまだまだ年下なのに
なんだか、最近年寄りじみた自分が恥ずかしくなってきた。

そして、グループ・サウンズが生んだナンバーワンバンド、タイガースの曲で
会場の熱気は頂点に達すると
なんだか、オジサンとオバサンたちが、若い若い学生たちに見えてしまったのは幻か?

みんな、どんな時代を過ごし、今日この会場に来たのか?

まだどしゃ降りの会場を後にして、オクさんと蕎麦屋に入ったのだが
お互い、言葉が途切れ途切れ。

ため息とともに「良かったネー」という、単純な感想しか出てこなかったのが可笑しい。
やっとボソボソと会場の様子やら当時のG・Sの話に辿り着き、冷静さを取り戻してゆっくり
蕎麦を食べる。

熱も程々に冷め
蕎麦屋の外に出る頃には、雨もやみ、冷たい空気がとても新鮮でうまい。

そして思うのだ。
生きてゆくってこの年になってもよく分からないが、きっとこうゆう事だと。

いろいろな事があって、泣いたり笑ったり、悲しかったり感動したり。

それが幾重にも重なって、時間が流れてゆく。

そして思い出は悲しく、美しく。

ムカシの運転を思い出して
いつもよりちょっと飛ばして、静かな夜の国道を、中年のカップルが疾走する。

ビー玉

プールの帰りは
決まって風船型ミルク氷をかじりながら
炎天下のなかを近所の仲間とだらだらと歩いて帰る
大きな鉛筆工場を過ぎたあたりから
小さな工場の町並みが続く

いつも気になっていたのだが
冷えた体も温まってきた頃
炎天下以上の熱気の工場が僕らの目を惹いた

中ではおじさんたちが口に鉄の棒をくわえ
あれよあれよという間に
色とりどりのガラスが膨らんでいく

真夏の炉は一層の熱を帯びているようで
暴力的といえるほど僕らを近づけなくしていた

おじさんたちは一生懸命に炉に鉄パイプを突っ込み
次々にガラスを膨らませてゆく
それをじっと見ている僕らに気がつくと
「向こうへ行け」と怒鳴るのだった

仲間はひとりふたりと工場を離れてゆくのだが
僕はその工場の隅に山のように置かれている
ガラス玉に目を奪われていた

気がつくと僕以外に工場の前には誰もいない

僕がそのガラス玉を見てじっとしている様子が
おじさんたちも気になったのだろう

鉄パイプをそっと置くとひとりのおじさんが
僕に近づいてきた

僕は頭を両手で覆いおじさんに叩かれないように
後ずさりをして腰をかがめた

いまと違ってむかし大人は怖かった
悪いことをすると誰構わずひっぱたくのが
常だったので
僕もそのときは叩かれると判断したのだ

おじさんは白いヨレヨレのシャツに作業ズボン姿
赤黒い皮膚に玉のような汗がにじんでいたのをいまでも憶えている

少し間があった

僕を見下ろすと
「坊主、これが好きなのか?」

おじさんの大きなしわしわの黒ずんだ手は
なんともたとえようのないきれいな色をしたビー玉をみっつ
握っていた

それは透ける緑と透明のグラデーションだったり
赤と白が混ざり合ったカラフルな配色だったり
オレンジ色が扇状になって向こうの景色がみえるビー玉だった

気がつくと僕はすっかりその不思議な彩りに気を取られ
おじさんの手のひらに乗っているビー玉を手に取り
空に向けて一心にそれに見入っていた

おじさんは無造作にそのビー玉を僕によこすと
「帰れ」とにこにこしているのだった

こうして僕の夏休みは毎朝ビー玉を転がすことから始まった
ビー玉をいろいろな角度から眺め
顔を近づけたり遠ざけたりしながら
その透明感に浸っていた

あれから何十年

いまでも街を歩いているとデパートで駅で雑貨屋で
ガラスの装飾、オブジェ、工芸品などが目にとまると
必ずそれに見入ってしまう

クリスマスの彩りもそれなりに素敵だと思うし
夜空の花火もそれは美しくはかない趣があるのだが
僕の想いは
遠いむかしのその透明な色の不思議さに辿り着く

あの人工的で不思議な透明感と偶然がもたらす
色の混ざり具合は果たして僕の美の原点だ

こうしているいまも
エビアンのペットボトルの水の向こうに映る
テーブルにひかれたインド更紗(さらさ)を
じっと眺めている
僕がいる